またまた『徒然草』の師匠モノである。 「またまた」といえば、かつて『パイプのけむり』という随筆があったことを思い出した。 これは正編の評判がよかったのか次々に続編が刊行されたが、これが「2巻、3巻」ではなかったのが面白かった。 『パイプのけむり』『続パイ
過去の自分がくれた釜山旅行17-キンパ用の海苔は瞬時に調達-(河童亜細亜紀行657)
私はかつて自分の海苔愛について告白したことがある。 海苔愛について告白させてほしい その中で私はこう述べている。 「海苔を食ったら死刑」という法律ができたとしたら、地下に潜って命を懸けて抵抗運動を続けるに違いない。捕えられて処刑されるときには「海苔万
過去の自分がくれた釜山旅行16-朝食はウニスープとアワビがゆ-(河童亜細亜紀行656)
時刻は2日目の7時まで遡る。 私達は2日目の朝は何処で何を食べるとはっきり決めていた。 これは日本人御用達「弁韓観光ホテル(仮名)」に泊っていた時からの習慣と云っていい朝食である。 と云っても今回が4回目に過ぎないが。 それは「済州屋(仮名)」という店で、私は
過去の自分がくれた釜山旅行15-シャワーのお湯がでないっ!-(河童亜細亜紀行655)
1つしかなかった掛布団を危うく確保し、旅行初日を終えようとしている私達夫婦である。 浴室にシャワーを浴びに行っていた妻が憮然とした顔で戻ってきた。憮然とした顔つきは、何があったかを私に話そうとした瞬間に憤然たるものに変化した。 「シャワーのお湯が出ないよ
過去の自分がくれた釜山旅行14-布団がないっ!-(河童亜細亜紀行654)
美味い豚肉と牛肉を鱈腹喰った私達夫婦は「美味しかった」という台詞を残して店を出た。 夕方から降っていた雨はもう止んでいるが、降っている間に屋台は殆どが店仕舞いしてしまったらしく、極僅かな店に客が座っているだけだ。 いつもはこのBIFF通りには様々な屋台が
過去の自分がくれた釜山旅行13-計123歳の夫婦が豚と牛を計600g平らげる-(河童亜細亜紀行653)
さて、1日目の夕食はテジカルビ(豚カルビのタレ漬け焼き)と決めていたので、ホテルの外に出た私達はそれを喰わせる店を探す。 店はすぐ見つかった。ホテルを出てから100mも行かない場所である。 「豚」の一文字が目立つ。 私は韓国の看板のこの直截さが好きだ。 「2
過去の自分がくれた釜山旅行12-蛾を10匹叩き潰してから夜の街へ-(河童亜細亜紀行652)
地下街の店のアジュンマ(おばちゃん)のくれた傘のお陰で濡れることもなくホテルに着いた私たち夫婦である。 さっそくフロントに向かう。 前回の旅行では絵のような光景が繰り広げられたので、宿賃が安いこともあり私はまた似たようなことになるのではないかと覚悟してい
過去の自分がくれた釜山旅行11-道を尋ねて傘をもらう-(河童亜細亜紀行651)
釜山港から釜山駅までの関門を無事クリアして南浦駅に向かう地下鉄に乗った私たち夫婦である。 この列車は車両の内側にもラッピングがしてあったのでカメラを取り出して写真を撮ろうとすると、妻から腕を「グイッ!」と引っ張って阻止された。 見ると私のカメラを向けた
過去の自分がくれた釜山旅行10-タクシーがいないっ!-(河童亜細亜紀行651)
昼飯を食べ、あれこれ船内を探索し、デッキに出て大海原を眺め、眠くなって惰眠を貪っているうちに、船は次第に釜山に近づいてきた。 生憎の曇り空で霞んでいるが、海雲台の超高層ビルが見えてきた。 もう暫くするとはっきり見えてくる。 釜山は超高層ビルの立ち並ぶ大
過去の自分がくれた釜山旅行9-カメリア船内の様子-(河童亜細亜紀行650)
さて、「私も船に乗って韓国に行ってみようかな」という人のために「笑ってトンヘ号(仮名)」の船内の様子である。 まず船室である。 私達が予約したのは過去の自分のお陰で1等船室(洋室)である。 丸テーブルを挟んで椅子が2つ。ただしこの椅子は固定されていて動かせ
過去の自分がくれた釜山旅行8-韓服の老人に出逢う-(河童亜細亜紀行649)
日本人が何かあったら和服を着るように、韓国人も何かあったら韓服を着る。 その何かとは何かといえば、例えば結婚式、例えば成人式、例えば観光地での記念写真。 日本ではまず間違いなく和服(この場合は振袖に袴という戦前の学生の風俗)を着るだろう上級学校の卒業式で
過去の自分がくれた釜山旅行7-日韓航路乗客様変わり-(河童亜細亜紀行648)
私は日本-釜山間の航路をもうかれこれ35年くらい使用している。 現在よく利用する「笑ってトンヘ号(仮名)」の就航は2004年だが、それ以前から、下関-釜山航路は何と1905年から続いている。 私が初めて渡韓したのは1987年、往路は飛行機だったから、復路に関釜フェリー
過去の自分がくれた釜山旅行6-妻の予知能力により弁当を美味しくいただく-(河童亜細亜紀行647)
無事船上の客となった私たち夫婦である。 時刻は12:30。 昼食を摂るに相応しい時刻である。 ただ、この文章の時刻はここから14時間ほど過去に遡る。 私たち夫婦は妻の実家の寄生先の2階の狭いスペースに二人のスーツケースを広げて、あれやこれや云いながら荷造りをし
過去の自分がくれた釜山旅行5-父の導きにより無事に乗船-(河童亜細亜紀行646)
思った通りだった。 私がかつて船内昼食用の寿司を買ったショッピングモールの向かい側には大きな立体駐車場があり楽々駐車できるスペースがあったのだ。といっても結構満杯に近かったが。 しかし、寿司やらなにやら美味しそうなものが沢山売られていたスペースは空き店
過去の自分がくれた釜山旅行4-駐車場がないっ!-(河童亜細亜紀行645)
さて、いよいよ過去の自分がくれた釜山旅を開始した私たち夫婦である。 私たちが寄生している妻の実家の2階から重いスーツケースをえっちらおっちら降ろし、気のせいかも知れないのだが何となく冷たく感じる岳父たちの視線を浴びながら出発である。 目指すは博多港。 博
過去の自分がくれた釜山旅行3-旅のお供はDマウントレンズ-(河童亜細亜紀行644)
さて、交通手段と宿が決まって、次は何時ものように旅のお供のレンズ選定である。 持って行くのは何時ものようにDマウントレンズである。 これも何時ものように説明するが、Dマウントレンズとはかつてシネレンズと呼ばれた動画撮影レンズである。 これも何時ものよう
過去の自分がくれた釜山旅行2-目当てのホテルはもう満室-(河童亜細亜紀行643)
交通手段は確保できたから次は宿である。 釜山旅行と云えば最近ここばかり泊っているのは「弁韓観光ホテル(仮名)」である。 ここはやや設備は古いが、 観光地から近くて便利で、何よりスタッフが親切である。かつ、日本語が喋れる。一部では「日本人御用達」という声のあ
過去の自分がくれた釜山旅行1-タダ券のことを思い出す-(河童亜細亜紀行642)
事の発端は2年前、2021年に遡る。 まだCOVID-19パンデミックは続いていたが、そろそろのこの感染症の性質が明らかにされ、有効なワクチンも開発されて接種が進みつつあった。 しかし、我が日の本ではまだ世界に名を馳せたマスク警察が全国民に睨みを利かせていた。
元禄・嘉永井手に驚嘆す4-国有地ということの意味-(河童日本紀行641)
かつて、「国鉄スワローズ」というプロ野球球団があった。実名である。現在は「ヤクルトスワローズ」と名乗っている。 1987年(昭和53年)に物心付いていた人は少なくとも「国鉄」がどういう意味の言葉かは知っているだろう。 「日本国有鉄道」である。それ以後の読者には
元禄・嘉永井手に驚嘆す3-水争いは何故起こらなかったのか-(河童日本紀行640)
九十九トンネルに始まり、元禄嘉永井手を調べ始めた私の感動の涙が急に引っ込んでしまった訳。 それはこの井手が収まっている地図にあった。 前回書いたようにこの嘉永井手は元禄井手、尾多良川、亀谷川という3つの川を合流させ、それを九十九トンネルを通して更に矢形
「ブログリーダー」を活用して、Well肉桂さんをフォローしませんか?
またまた『徒然草』の師匠モノである。 「またまた」といえば、かつて『パイプのけむり』という随筆があったことを思い出した。 これは正編の評判がよかったのか次々に続編が刊行されたが、これが「2巻、3巻」ではなかったのが面白かった。 『パイプのけむり』『続パイ
古文初学者向けの『徒然草』で忘れていたものがあったので一つ。 それは「公世の二位のせうと」という話である。 これは歴史的仮名遣いの良い勉強になる外に、話としてもなかなか面白い。 まず、初学者は「せうと」が読めない。 これはローマ字で考えると分かりやす
『枕草子』で「春はあけぼの」と並んで定番なのが「うつくしきもの」である。 「うつくし」は例によって先生が、「古文の『うつくし』は『美しい』ではありません。『可愛い』です。」と声を張り上げそうだが、これまた「をかし」や「あはれなり」と同じく生徒に印象付け
久し振りに『枕草子』である。 しかもド定番の『春はあけぼの』。 この段はほとんどの人が中学の時に習っていて、かつ、暗誦させられて今でも諳んじられる人もいるかもしれない。[原文] 春は、あけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎわ、すこし明かりて、紫だちたる雲の
教科書に載っている『徒然草』はなぜか人生訓や説教じみたものが多い。 前回取り上げた「友とするに悪しきもの七つあり」なども教訓と云えなくもない。 これまたよく教科書に取り上げられる52段「仁和寺にある法師」もまた最後は教訓である。[原文] 仁和寺にある法師
青春は悩み苦しむ時期である。 「自分とは何者なのか」「自分はどうやって生きて行けばいいのか」 いわゆるアイデンティティについて、初めて真剣に考える時期だからである。 自分の長所だけではなく、短所をも、これまでそうしてきたような直感的な把握ではなく、初め
久々の『徒然草』である。 古文初学者の教材としてよく用いられるものに109段「高名の木登り」がある。 [原文] 高名の木登りと言ひし男、人をおきてて、高き木に登せてこずゑを切らせしに、いと危ふく見えしほどは言ふこともなくて、降るるときに軒たけばかりになりて、
高校生の古文入門編として、「児のそら寝」と共にもう一つよく使われる『宇治拾遺物語』が「絵仏師良秀」である。[原文] これも今は昔、絵仏師良秀といふありけり。家の隣より火出で来て、風おしおほひてせめければ、逃げ出でて、大路へ出でにけり。人の描かする仏もおは
高校で古文を習う時、入門として最初に教わる教材として、『宇治拾遺物語』が使われることが多い。 特に多いのは「児のそら寝」である。[原文] 今は昔、比叡の山に児ありけり。僧たち、宵のつれづれに 「いざ、かいもちひ せむ。」と 言ひけるを、この児、心寄せに聞
無情の雨で二つの花は散ってしまった。 どういうものか牡丹札の撮影は雨に祟られる。 それでもまだ1個だけ牡丹が咲いている。 これに今年最後の望みをかけて「牡丹に蝶」撮影は休日である4月19日(韓国では学生革命の日である。全然関係ないけど)の午後一杯を使って行わ
牡丹スカ札と「牡丹に青丹」の作成が終わり、いよいよ次は「牡丹に蝶」の撮影開始である。 というより、私は今年の牡丹が咲いた瞬間からあわよくばまず「牡丹に蝶」を撮影するつもりであった。 それ以外の札はそれからでも十分間に合う。 ところが、花が咲いたのはいつ
3年越しの執念が実り牡丹スカ札を手にした私であったが、本命の「牡丹に蝶」を作成する前にもう一つの課題が残っていた。 「牡丹に青丹」である。 現在までに私が最も出来が良いと思っている青丹札は「紅葉に青丹」である。 リアル写真で花札を作る29-紅葉青短の芸術-(
全国のリアル花札ファンの皆様(推定100名)、お待たせしました。 我が「(株)リアル花札本舗(架空)」が2年振りに放つ新商品、「牡丹スカ札」でございます。 思えば、植木屋に騙されて添付の写真とは似ても似つかないピンクの牡丹を買わされたのが2年前。 しかも花が咲い
垓下を約800騎で脱出した項羽は、漢軍の5000騎に追跡され、20数騎まで数を減らして烏江(うこう)という河の畔までやって来る。 ここを越えたらもう江東である。かつて会稽の郡守殷通を殺して兵を挙げたところだ。[書き下し文] 是(ここ)に於(おい)て項王乃(すなわ)ち東(ひ
[書き下し文] 項王則ち夜起(た)ちて、帳中(ちょうちゅう)に飲(いん)す。美人有り、名は虞(ぐ)、常に幸せられて従う。駿馬(しゅんめ)の名は騅(すい)、常に之(これ)に騎(き)す。是(ここ)にて項王乃ち悲歌忼慨(ひかこうがい)し、自ら詩を為(つく)りて曰く、「力は、山を抜き、
遂に天下二分の和睦が結ばれた。 最初の形勢からするならば信じがたいことである。 和約は鴻溝を境として東を楚、西を漢とするものであった。鴻溝は黄河と淮河を結び南北に走る運河である。 項羽が約に従って東に帰ろうとしたとき、突如として漢軍が背後から襲い掛かる
その後も楚漢は戦っては項羽が劉邦を走らせるという状態が続いたのだが、次第に争闘が長期に亘った影響が出てくる。 それを象徴するのが次の場面である。[書き下し文] 漢王、則(すな)ち兵を引きて河(かわ)を渡り、復(ま)た成皋(せいこう)を取り、広武(こうぶ)に軍し、敖
遂に反項羽の烽火を上げた劉邦だったが、これを項羽は一蹴する。これぞ鎧袖一触である。[書き下し文] 項王乃(すなわ)ち西のかた粛(しゅく)より晨(あした)に漢軍を撃ちて東(ひがし)し、彭城(ほうじょう)に至り、日中(にっちゅう)に大いに漢軍を破る。漢軍皆走り、相随(あい
劉邦のいなくなった咸陽に項羽が入った。 劉邦は咸陽入りしたときにその煌びやかな財宝に眼が眩んで略奪しようとしたのだが、部下の張良や樊噲に諫められて泣く泣くこれを封印したのだ。 しかし、項羽にはそうした部下がいなかった。 何故いなかったか、それを示すの
自分が先に秦都咸陽に入ったことで項羽が激怒していることを知った劉邦は、側近の張良に云って旧友で項羽の叔父の項伯にとりなしてもらい、項羽と面会する。後に「鴻門(こうもん)の会」と呼ばれる。[書き下し文] 沛公(はいこう)、旦日(たんじつ)、百余騎を従え来たりて項
「石つくりの皇子」がぶつぶつ云いながら退場した後は、「くらもちの皇子」の登場である。 姫が皇子に課したのは「蓬莱の玉の枝を持ってくること」である。 蓬莱というのは日本から見て西側の大陸にある理想郷である。 ただし、大陸の人たちから見れば東の涯にある理
さて、取り敢えず現実を知った人たちが後景に退いてもなお求婚する5人の人たちに、かぐや姫はそれぞれ難題を出す。 まずは「石つくりの皇子」に対する課題、「仏の御石の鉢」である。 これは釈迦牟尼が生前愛用していた光り輝く椀のことらしい。 私がまだ18歳くらいの時
さて、竹取の翁と媼の子供となったかぐや姫はすくすくと育つ。 これがどれくらい「すくすく」だったかといえば、三月くらいで成人の大きさに育ってしまったのだ。 すると翁は早速姫の成人の儀式を始める。 考えてみれば三か月の幼女をいきなり成人させてしまったのだか
「竹取物語」といえば古くから日本人に親しまれてきたおとぎ話である。 だが、話の内容はといえば、竹取の翁が竹の中に小さなお姫様を見つけたこと、そしてそのお姫様が月に帰って行ったことしか知らない人が 多いのではないだろうか。 これは「金太郎」が小さい頃熊に跨
さて、「大和物語」の第149段「沖つ白波」である。 題名は勿論幼馴染の妻の夫の無事を願う歌から取っている。 「沖つ白波」は「筒井筒」の幼馴染の話をすっとばし、いきなり[原文] 昔、大和の国葛城の郡に住む男・女ありけり。で始まる。これについては現代誤訳は要らな
さて、「業平、人としてどうよ」という部分にやってきた。[原文] まれまれかの高安に来てみれば、初めこそ心にくくもつくりけれ、今はうちとけて、手づから飯匙取りて、笥子のうつわものに盛りけるを見て、心憂がりて行かずなりにけり。[現代誤訳] たまーに例の河内の
「17の純愛」を貫いて一緒になった業平とその妻であったが、二人を「現実」「生活」が襲う。[原文] さて、年ごろ経るほどに、女、親なく、頼りなくなるままに、もろともに言うかひなくてあらむやはとて、河内の国、高安の郡に、行き通う所出できにけり。[現代誤訳]さて、
冒頭の絵と内容が全く関係ないことをお詫びします。 さて、「伊勢物語」の中で最大の問題作、第23段「筒井筒」について語らねばならない時がやってきた(別に義務じゃないけどね)。 この「筒井筒」は昔は問題作でも何でもなかった。 戦前の昭和歌謡「湯島の白梅」にも
さて、業平一行は更に旅を続け、武蔵国と下総国の国境にやってきた。 武蔵国は今の東京、埼玉、神奈川に跨がっており、下総国は千葉県と茨城県に跨がる領域である。 今では全国でも一番人口が密集している地帯だが、業平が生きた時代にはドの付く田舎である。 ここ
河童国の東上りは前回で終わってしまったが、人間国の東下りはまだ続く。 一行は歩きに歩いて駿河の国まで来た。今でいう静岡県である。 「宇津の山」というところに至ると、一行の行く道はどんどん人気の無い心細い道になってゆく。 「えうなき者と思いなし」(自分を役
河童国の東上りは前回で終わってしまったが、人間国の東下りはまだ続く。 一行は歩きに歩いて駿河の国まで来た。今でいう静岡県である。 「宇津の山」というところに至ると、一行の行く道はどんどん人気の無い心細い道になってゆく。 「えうなき者と思いなし」(自分を役
「業平、都辞めるってよ」の報に「え、一人で行くってヤバくね?」「ヤベーよ!」と色めき立った不良貴族たち(決めつけるな)に連れ添われて、東へと向かう列車で、じゃなかった、勿論その頃にはそんなものはないので、徒歩で東へと向かった業平一行は三河の国、八橋と云うと
「業平、都辞めるってよ」の報に「え、一人で行くってヤバくね?」「ヤベーよ!」と色めき立った不良貴族たち(決めつけるな)に連れ添われて、東へと向かう列車で、じゃなかった、勿論その頃にはそんなものはないので、徒歩で東へと向かった業平一行は三河の国、八橋と云うと
冒頭の絵と内容が全く関係ないことをお詫びします。 私の本職(前職?)の言語聴覚士国家試験の過去問に次のような問題がある。 第16回PM8 40歳の男性、商社の営業課長。几帳面な性格。休日も出社して仕事をしていたが、2週間前から不眠、全身倦怠感、食欲減退がみら
冒頭の絵と内容が全く関係ないことをお詫びします。 私の本職(前職?)の言語聴覚士国家試験の過去問に次のような問題がある。 第16回PM8 40歳の男性、商社の営業課長。几帳面な性格。休日も出社して仕事をしていたが、2週間前から不眠、全身倦怠感、食欲減退がみら
「芥川」と云われれば多くの人は芥川龍之介を思い出すであろう。 ただ、伊勢物語第6段に同名の話があり、私は平安朝に関する知識が深く「王朝物」と呼ばれる小説群を残した芥川龍之介はこの段から自分のペンネームを取ったのだろうと長いこと思っていた。 芥川龍之介の「
「芥川」と云われれば多くの人は芥川龍之介を思い出すであろう。 ただ、伊勢物語第6段に同名の話があり、私は平安朝に関する知識が深く「王朝物」と呼ばれる小説群を残した芥川龍之介はこの段から自分のペンネームを取ったのだろうと長いこと思っていた。 芥川龍之介の「
どういう風の吹き回しか国語の教師をしている。 教師は授業をしなければいけないから授業の準備をする。 今年の3月までは医学の授業をしていたから準備では医学のことを調べていたが、今は国語のことを調べている。 これまでに「羅生門」「宇治拾遺物語」「竹取物語」の
どういう風の吹き回しか国語の教師をしている。 教師は授業をしなければいけないから授業の準備をする。 今年の3月までは医学の授業をしていたから準備では医学のことを調べていたが、今は国語のことを調べている。 これまでに「羅生門」「宇治拾遺物語」「竹取物語」の
以下の文章は4年ほど前にある言語聴覚士県士会の会報に掲載されたコラムである。定年に伴って県士会理事を引退したので改めて個人的なブログとして掲載する。 なお、まだパンデミックの最中に書かれた文章であるため、現在では変化している情報が含まれていることをお断り