またまた『徒然草』の師匠モノである。 「またまた」といえば、かつて『パイプのけむり』という随筆があったことを思い出した。 これは正編の評判がよかったのか次々に続編が刊行されたが、これが「2巻、3巻」ではなかったのが面白かった。 『パイプのけむり』『続パイ
最近始めたこと(余は如何にして言語聴覚士になりし乎外伝26)
以下の文章はA県言語聴覚士会の会報にコラムとして掲載されたものです。 この度県士会役員を引退したのでブログに掲載します。 書かれてある情報は掲載時のものであり、現在では変化している可能性があることをお断りしておきます。 私は養成校の教師である。 したが
リズミックワールドへようこそ(余は如何にして言語聴覚士となりし乎外伝25)
以下の文章はA県言語聴覚士会の会報にコラムとして掲載されたものです。 この度県士会役員を引退したのでブログに掲載します。 書かれてある情報は掲載時のものであり、現在では変化している可能性があることをお断りしておきます。 また、登場する方に関しては掲載の許
以下の文章はA県言語聴覚士会の会報にコラムとして掲載されたものです。 この度県士会役員を引退したのでブログに掲載します。 書かれてある情報は掲載時のものであり、現在では変化している可能性があることをお断りしておきます。 子どものころなりたかった職業は医師
以下の文章はA県言語聴覚士会の会報にコラムとして掲載されたものです。 この度県士会役員を引退したのでブログに掲載します。 書かれてある情報は掲載時のものであり、現在では変化している可能性があることをお断りしておきます。 子どものころなりたかった職業は医師
過去の自分がくれた釜山旅行28-韓国雑感2023釜山編-(河童亜細亜紀行668)
4年振りの韓国雑感釜山編である。 肉類の日本への持ち込みを禁止するポスター。 これについてはレトルト食品も何故駄目なのかという問題提起をしたことがあるが、韓国ソウル再会旅行34-韓国雑感まとめ、というよりその他-(河童亜細亜紀行) 今回はそれについてではない
過去の自分がくれた釜山旅行27-最後のグルメは大失敗?-(河童亜細亜紀行667)
暴徒と化した群衆(大嘘)に踏みつぶされることもなく、無事に乗船した私達夫婦である。 時刻はもう20:30過ぎ。 昼飯を食べたのは12:30位だから、いい加減腹が空ききっている状態である。 早速「S食堂」開店である。 我が家での宴は妻の頭文字を取ってS食堂と呼ばれて
過去の自分がくれた釜山旅行26-行列を守れない韓国人と日本人-(河童亜細亜紀行666)
釜山港で出国手続きを終えて「笑ってトンヘ号(仮名)」 への乗船を待っている私達夫婦である。 ゲートの前には乗船客の荷物がずらりと並んでいる。 私達は2時間も前に出国手続きをしたので、相当前の方である。 この船には荷物を並べた順に乗船するという不文律があるの
過去の自分がくれた釜山旅行25-無事釜山港へ辿り着き、再び釜山駅へ-(河童亜細亜紀行665)
「足が棒」というところまではいかなくても、「足が芋茎木刀(いもがらぼくとう)」くらいまでにはなって釜山港に辿り着いた私達夫婦である。 まず移動の足枷になっている大きな荷物を港の預かり所に預ける。 これは案内所に「クロークは何処?」と云って通じず、「荷物を預
過去の自分がくれた釜山旅行24-釜山港へ向かって陸橋を歩く-(河童亜細亜紀行664)
ホテルに行って荷物を受け取った私達は地下鉄の駅に向かう。 このホテルは立地抜群であるから、駅はすぐ近くである。 本当に、もし「鍵」がちゃんとしていたら、蛾がいなければ、布団がちゃんとあったら、お湯がちゃんと出たら、スタッフが深夜もいたら、どんなに素晴
過去の自分がくれた釜山旅行23-ロッテマートで暇潰し-(河童亜細亜紀行663)
美味しいテジクッパに舌鼓を打った私達であった。 さて、時間は12時半を一寸過ぎたところである。 これから何処で何をしようか。 帰りの船への乗り込みは20:30。手続きは18:30開始である。 今から海雲台なり西面なりに行っても十分帰って来られる時間なのだが、問題
過去の自分がくれた釜山旅行22-釜山名物のテジクッパを堪能す-(河童亜細亜紀行662)
私達の乗ったタクシーは大通りから一歩外れると、裏道らしいところを走り始めた。 少しだけ心配になったが、制限速度を大幅に超えることもなく、私の体内地図が「こちらが南浦洞でっせ(なぜか大阪弁)」と指している方向に一直線に向かう。 車は15分ほどで南浦洞の駅に到
過去の自分がくれた釜山旅行21-妻の機転で南浦洞に無事帰還-(河童亜細亜紀行661)
「白い海岸の文化村」は、なかなか楽しかった。 韓国と云う、日本人にとっては異国で、更に地中海という「異国情緒」を味わおうとは。 ただ、ここからどうやって南浦洞に帰ればいいのだろうか。 ここに沿っている道は結構狭く、タクシーの溜まり場になるような場所はさ
過去の自分がくれた釜山旅行20-ヒンヨウル文化村を歩く-(河童亜細亜紀行)
さあ、ヒンヨウル文化村の散策開始である。 この看板には「今、ここ、私達は、ヒンヨウル(に来ている。)(日本誤訳)」と書いてある。 ちなみに「ヒンヨウル」とは直訳すれば「白い瀬」という意味で、もう少し意訳すれば、「ヒンヨウル文化村」は「白い海岸の文化村」とい
過去の自分がくれた釜山旅行19-歌う運転技師-(河童亜細亜紀行659)
チャガルチ市場を一通り回った私たちは、一旦ホテルに戻る。 シャワーを浴びたかったからだ。 昨夜の中途半端な気候による寝汗と、朝から動き回ったためにかいた汗でなーんとなく「ベタベタ」だったからだ。 交渉の結果別の部屋のシャワーを使わせてもらえるようになっ
過去の自分がくれた釜山旅行18-やっぱりチャガルチ市場は面白い-(河童亜細亜紀行658)
最大の懸案(何時そうなったのか知らないが)である海苔問題があっけなく解決してホッとした私たちは乾物市場に隣接するチャガルチ市場の散策に出かける。 前回はちょっと奇抜な格好をしていたために誰からも声を掛けられなかった。 何せこれである。 熊本の新市街当た
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またまた『徒然草』の師匠モノである。 「またまた」といえば、かつて『パイプのけむり』という随筆があったことを思い出した。 これは正編の評判がよかったのか次々に続編が刊行されたが、これが「2巻、3巻」ではなかったのが面白かった。 『パイプのけむり』『続パイ
古文初学者向けの『徒然草』で忘れていたものがあったので一つ。 それは「公世の二位のせうと」という話である。 これは歴史的仮名遣いの良い勉強になる外に、話としてもなかなか面白い。 まず、初学者は「せうと」が読めない。 これはローマ字で考えると分かりやす
『枕草子』で「春はあけぼの」と並んで定番なのが「うつくしきもの」である。 「うつくし」は例によって先生が、「古文の『うつくし』は『美しい』ではありません。『可愛い』です。」と声を張り上げそうだが、これまた「をかし」や「あはれなり」と同じく生徒に印象付け
久し振りに『枕草子』である。 しかもド定番の『春はあけぼの』。 この段はほとんどの人が中学の時に習っていて、かつ、暗誦させられて今でも諳んじられる人もいるかもしれない。[原文] 春は、あけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎわ、すこし明かりて、紫だちたる雲の
教科書に載っている『徒然草』はなぜか人生訓や説教じみたものが多い。 前回取り上げた「友とするに悪しきもの七つあり」なども教訓と云えなくもない。 これまたよく教科書に取り上げられる52段「仁和寺にある法師」もまた最後は教訓である。[原文] 仁和寺にある法師
青春は悩み苦しむ時期である。 「自分とは何者なのか」「自分はどうやって生きて行けばいいのか」 いわゆるアイデンティティについて、初めて真剣に考える時期だからである。 自分の長所だけではなく、短所をも、これまでそうしてきたような直感的な把握ではなく、初め
久々の『徒然草』である。 古文初学者の教材としてよく用いられるものに109段「高名の木登り」がある。 [原文] 高名の木登りと言ひし男、人をおきてて、高き木に登せてこずゑを切らせしに、いと危ふく見えしほどは言ふこともなくて、降るるときに軒たけばかりになりて、
高校生の古文入門編として、「児のそら寝」と共にもう一つよく使われる『宇治拾遺物語』が「絵仏師良秀」である。[原文] これも今は昔、絵仏師良秀といふありけり。家の隣より火出で来て、風おしおほひてせめければ、逃げ出でて、大路へ出でにけり。人の描かする仏もおは
高校で古文を習う時、入門として最初に教わる教材として、『宇治拾遺物語』が使われることが多い。 特に多いのは「児のそら寝」である。[原文] 今は昔、比叡の山に児ありけり。僧たち、宵のつれづれに 「いざ、かいもちひ せむ。」と 言ひけるを、この児、心寄せに聞
無情の雨で二つの花は散ってしまった。 どういうものか牡丹札の撮影は雨に祟られる。 それでもまだ1個だけ牡丹が咲いている。 これに今年最後の望みをかけて「牡丹に蝶」撮影は休日である4月19日(韓国では学生革命の日である。全然関係ないけど)の午後一杯を使って行わ
牡丹スカ札と「牡丹に青丹」の作成が終わり、いよいよ次は「牡丹に蝶」の撮影開始である。 というより、私は今年の牡丹が咲いた瞬間からあわよくばまず「牡丹に蝶」を撮影するつもりであった。 それ以外の札はそれからでも十分間に合う。 ところが、花が咲いたのはいつ
3年越しの執念が実り牡丹スカ札を手にした私であったが、本命の「牡丹に蝶」を作成する前にもう一つの課題が残っていた。 「牡丹に青丹」である。 現在までに私が最も出来が良いと思っている青丹札は「紅葉に青丹」である。 リアル写真で花札を作る29-紅葉青短の芸術-(
全国のリアル花札ファンの皆様(推定100名)、お待たせしました。 我が「(株)リアル花札本舗(架空)」が2年振りに放つ新商品、「牡丹スカ札」でございます。 思えば、植木屋に騙されて添付の写真とは似ても似つかないピンクの牡丹を買わされたのが2年前。 しかも花が咲い
垓下を約800騎で脱出した項羽は、漢軍の5000騎に追跡され、20数騎まで数を減らして烏江(うこう)という河の畔までやって来る。 ここを越えたらもう江東である。かつて会稽の郡守殷通を殺して兵を挙げたところだ。[書き下し文] 是(ここ)に於(おい)て項王乃(すなわ)ち東(ひ
[書き下し文] 項王則ち夜起(た)ちて、帳中(ちょうちゅう)に飲(いん)す。美人有り、名は虞(ぐ)、常に幸せられて従う。駿馬(しゅんめ)の名は騅(すい)、常に之(これ)に騎(き)す。是(ここ)にて項王乃ち悲歌忼慨(ひかこうがい)し、自ら詩を為(つく)りて曰く、「力は、山を抜き、
遂に天下二分の和睦が結ばれた。 最初の形勢からするならば信じがたいことである。 和約は鴻溝を境として東を楚、西を漢とするものであった。鴻溝は黄河と淮河を結び南北に走る運河である。 項羽が約に従って東に帰ろうとしたとき、突如として漢軍が背後から襲い掛かる
その後も楚漢は戦っては項羽が劉邦を走らせるという状態が続いたのだが、次第に争闘が長期に亘った影響が出てくる。 それを象徴するのが次の場面である。[書き下し文] 漢王、則(すな)ち兵を引きて河(かわ)を渡り、復(ま)た成皋(せいこう)を取り、広武(こうぶ)に軍し、敖
遂に反項羽の烽火を上げた劉邦だったが、これを項羽は一蹴する。これぞ鎧袖一触である。[書き下し文] 項王乃(すなわ)ち西のかた粛(しゅく)より晨(あした)に漢軍を撃ちて東(ひがし)し、彭城(ほうじょう)に至り、日中(にっちゅう)に大いに漢軍を破る。漢軍皆走り、相随(あい
劉邦のいなくなった咸陽に項羽が入った。 劉邦は咸陽入りしたときにその煌びやかな財宝に眼が眩んで略奪しようとしたのだが、部下の張良や樊噲に諫められて泣く泣くこれを封印したのだ。 しかし、項羽にはそうした部下がいなかった。 何故いなかったか、それを示すの
自分が先に秦都咸陽に入ったことで項羽が激怒していることを知った劉邦は、側近の張良に云って旧友で項羽の叔父の項伯にとりなしてもらい、項羽と面会する。後に「鴻門(こうもん)の会」と呼ばれる。[書き下し文] 沛公(はいこう)、旦日(たんじつ)、百余騎を従え来たりて項
「石つくりの皇子」がぶつぶつ云いながら退場した後は、「くらもちの皇子」の登場である。 姫が皇子に課したのは「蓬莱の玉の枝を持ってくること」である。 蓬莱というのは日本から見て西側の大陸にある理想郷である。 ただし、大陸の人たちから見れば東の涯にある理
さて、取り敢えず現実を知った人たちが後景に退いてもなお求婚する5人の人たちに、かぐや姫はそれぞれ難題を出す。 まずは「石つくりの皇子」に対する課題、「仏の御石の鉢」である。 これは釈迦牟尼が生前愛用していた光り輝く椀のことらしい。 私がまだ18歳くらいの時
さて、竹取の翁と媼の子供となったかぐや姫はすくすくと育つ。 これがどれくらい「すくすく」だったかといえば、三月くらいで成人の大きさに育ってしまったのだ。 すると翁は早速姫の成人の儀式を始める。 考えてみれば三か月の幼女をいきなり成人させてしまったのだか
「竹取物語」といえば古くから日本人に親しまれてきたおとぎ話である。 だが、話の内容はといえば、竹取の翁が竹の中に小さなお姫様を見つけたこと、そしてそのお姫様が月に帰って行ったことしか知らない人が 多いのではないだろうか。 これは「金太郎」が小さい頃熊に跨
さて、「大和物語」の第149段「沖つ白波」である。 題名は勿論幼馴染の妻の夫の無事を願う歌から取っている。 「沖つ白波」は「筒井筒」の幼馴染の話をすっとばし、いきなり[原文] 昔、大和の国葛城の郡に住む男・女ありけり。で始まる。これについては現代誤訳は要らな
さて、「業平、人としてどうよ」という部分にやってきた。[原文] まれまれかの高安に来てみれば、初めこそ心にくくもつくりけれ、今はうちとけて、手づから飯匙取りて、笥子のうつわものに盛りけるを見て、心憂がりて行かずなりにけり。[現代誤訳] たまーに例の河内の
「17の純愛」を貫いて一緒になった業平とその妻であったが、二人を「現実」「生活」が襲う。[原文] さて、年ごろ経るほどに、女、親なく、頼りなくなるままに、もろともに言うかひなくてあらむやはとて、河内の国、高安の郡に、行き通う所出できにけり。[現代誤訳]さて、
冒頭の絵と内容が全く関係ないことをお詫びします。 さて、「伊勢物語」の中で最大の問題作、第23段「筒井筒」について語らねばならない時がやってきた(別に義務じゃないけどね)。 この「筒井筒」は昔は問題作でも何でもなかった。 戦前の昭和歌謡「湯島の白梅」にも
さて、業平一行は更に旅を続け、武蔵国と下総国の国境にやってきた。 武蔵国は今の東京、埼玉、神奈川に跨がっており、下総国は千葉県と茨城県に跨がる領域である。 今では全国でも一番人口が密集している地帯だが、業平が生きた時代にはドの付く田舎である。 ここ
河童国の東上りは前回で終わってしまったが、人間国の東下りはまだ続く。 一行は歩きに歩いて駿河の国まで来た。今でいう静岡県である。 「宇津の山」というところに至ると、一行の行く道はどんどん人気の無い心細い道になってゆく。 「えうなき者と思いなし」(自分を役
河童国の東上りは前回で終わってしまったが、人間国の東下りはまだ続く。 一行は歩きに歩いて駿河の国まで来た。今でいう静岡県である。 「宇津の山」というところに至ると、一行の行く道はどんどん人気の無い心細い道になってゆく。 「えうなき者と思いなし」(自分を役
「業平、都辞めるってよ」の報に「え、一人で行くってヤバくね?」「ヤベーよ!」と色めき立った不良貴族たち(決めつけるな)に連れ添われて、東へと向かう列車で、じゃなかった、勿論その頃にはそんなものはないので、徒歩で東へと向かった業平一行は三河の国、八橋と云うと
「業平、都辞めるってよ」の報に「え、一人で行くってヤバくね?」「ヤベーよ!」と色めき立った不良貴族たち(決めつけるな)に連れ添われて、東へと向かう列車で、じゃなかった、勿論その頃にはそんなものはないので、徒歩で東へと向かった業平一行は三河の国、八橋と云うと
冒頭の絵と内容が全く関係ないことをお詫びします。 私の本職(前職?)の言語聴覚士国家試験の過去問に次のような問題がある。 第16回PM8 40歳の男性、商社の営業課長。几帳面な性格。休日も出社して仕事をしていたが、2週間前から不眠、全身倦怠感、食欲減退がみら
冒頭の絵と内容が全く関係ないことをお詫びします。 私の本職(前職?)の言語聴覚士国家試験の過去問に次のような問題がある。 第16回PM8 40歳の男性、商社の営業課長。几帳面な性格。休日も出社して仕事をしていたが、2週間前から不眠、全身倦怠感、食欲減退がみら
「芥川」と云われれば多くの人は芥川龍之介を思い出すであろう。 ただ、伊勢物語第6段に同名の話があり、私は平安朝に関する知識が深く「王朝物」と呼ばれる小説群を残した芥川龍之介はこの段から自分のペンネームを取ったのだろうと長いこと思っていた。 芥川龍之介の「
「芥川」と云われれば多くの人は芥川龍之介を思い出すであろう。 ただ、伊勢物語第6段に同名の話があり、私は平安朝に関する知識が深く「王朝物」と呼ばれる小説群を残した芥川龍之介はこの段から自分のペンネームを取ったのだろうと長いこと思っていた。 芥川龍之介の「
どういう風の吹き回しか国語の教師をしている。 教師は授業をしなければいけないから授業の準備をする。 今年の3月までは医学の授業をしていたから準備では医学のことを調べていたが、今は国語のことを調べている。 これまでに「羅生門」「宇治拾遺物語」「竹取物語」の
どういう風の吹き回しか国語の教師をしている。 教師は授業をしなければいけないから授業の準備をする。 今年の3月までは医学の授業をしていたから準備では医学のことを調べていたが、今は国語のことを調べている。 これまでに「羅生門」「宇治拾遺物語」「竹取物語」の
以下の文章は4年ほど前にある言語聴覚士県士会の会報に掲載されたコラムである。定年に伴って県士会理事を引退したので改めて個人的なブログとして掲載する。 なお、まだパンデミックの最中に書かれた文章であるため、現在では変化している情報が含まれていることをお断り