マシュマロ球に立ち向かった男
2000年読売ジャイアンツ【再現チームパワナンバー・パワプロ2024】
ミレニアムVをもう一度
異彩を放ち続けた暴れ球
守乱チームの強肩守備職人
阿波野、西崎、そして関
世紀の失言男!?
NPBの元祖ドクターK
ハイレベルなゴロP
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マシュマロ球に立ち向かった男
絶叫の復讐神
病と戦いながら01年Vに貢献した左腕
巨人新時代を支えたキャップ
勇者最終年のSFFルーキー
ミレニアムVをもう一度
異彩を放ち続けた暴れ球
守乱チームの強肩守備職人
阿波野、西崎、そして関
世紀の失言男!?
NPBの元祖ドクターK
ハイレベルなゴロP
イ・リーグ年間最多登板記録保持者
球界の草刈正雄
小柄な守備職人
エリート打撃職人
内海 哲也(うつみ てつや、1982年4月29日- ) 敦賀気比高‐東京ガス‐巨人(04~18)‐西武(19~22) 2004年成績 防御率5.14 豪腕内海 統一球時代の打たせて取るピッチングのイメージが強い内海だが、高校時代からプロ入り2年目迄は速球とカーブが主体で制球に難のある豪腕左腕だった。 オリックスの1位指名を蹴り社会人に進むも肩痛もあって本領を中々発揮出来ず、あまりいい思い出は無かったという。それでもドラフトの注目株として香月良太、森大輔と共に"社会人三羽烏"を形成した。 ちなみに高校時代のカーブは縦割れのドロップカーブだったが、肩を痛めたことと、腕の振りを速めた事でそれまでの縦…
森 大輔(もり だいすけ、1982年8月31日 - ) 七尾高校−三菱ふそう川崎−横浜(04〜06)−BC石川 1軍公式戦出場なし 能登の怪腕 豪快なフォームから繰り出される真っスラ質の快速球と高速スライダーを武器に活躍した能登の怪腕。 高校3年の夏には14回で36奪三振の驚異的なピッチングで全国にその名を轟かせ、一躍ドラフトの注目株に。ただ森を囲い込みたかった横浜は「ドラフト解禁後すぐにドラフト指名する」という密約を森の周囲と勝手に結んでしまい、卒業後すぐにプロに行きたかった当人の意向に反した社会人入りとなる。 2年目の02年にはベーブルース杯でチームを優勝に導く活躍を見せてMVPを受賞。内…
細野 晴希(ほその はるき、2002年2月26日 - ) 東亜学園−東洋大−日ハム(24〜) 最速158kmの快速左腕 脱力して投じる最速158kmの超速球とキレのあるスラーブやSFFで三振の山を築く東洋の快速左腕。ただしその代償で四球も非常に多い令和の石井一久。 今年の春は東都の2部でタイトルを総なめにし、日本代表に選出。伝説となりつつある高校代表との壮行試合では158kmを始め150km台後半を連発するなど1人次元の違う投球を披露。これで競合間違いなしと目されたが、結果としては外れ1位と意外な結果に。 牽制やクイックにも定評があるが、その一方で走者を過剰に気にする傾向にもあり制球を乱す場面…
度会 隆輝(わたらい りゅうき、2002年10月4日 - ) 横浜高−ENEOS−DeNA(24〜) 約束されしスター 天性の打撃センスと父親譲りの明るさを持つ次世代スター。 横浜高校で活躍も指名漏れを経験。ENEOSに進み2年目は都市対抗で4本塁打・打率.429を記録しチームの優勝に貢献。橋戸賞・若獅子賞・打撃賞の三冠に輝き、来年のドラフト1位候補として一躍注目を浴びた。 ただ3年目は打球が上がらず引っ張る打撃も出来なかった。そのためやや評価は落としただろうが、それでも3球団が競合。横浜が交渉権を獲得した。 天才故の波の激しさと所謂「来た球を打つ」タイプだけに出塁でアドは取れないだろうが、3…
西舘 勇陽(にしだて ゆうひ、2002年3月11日−) 花巻東−中央大−巨人(24〜) 大学通算 12勝10敗 防御率1.95 総合力No.1右腕 最速155kmの速球とカットを軸にパワーカーブやSFFと豊富なレパートリーを持つ今ドラフトの総合力No.1右腕。最大の特徴は常時クイック投法。 花巻東時代は佐々木朗希の夢を阻むなど甲子園に3度出場。中大に進学すると当初は抑えを務め3年から先発転向。秋に155kmを計測し一躍ドラ1候補に名乗り出た。 今季は春は不振で代表からも漏れてしまったが秋は絶好調。これまで不安要素とされた制球力を改善。やや出力を落とした形だがそれでも奪三振率は保ったままと圧巻の…
高橋 由伸(たかはし よしのぶ、1975年4月3日 - ) 桐光学園−慶応−巨人(98〜15) 2000年成績.289 27本塁打 74打点 稀代の天才、苦悩の1年 選手紹介 パンダの愛称で親しまれた希代の天才ウルフ。 1年目から巨人の中心選手として活躍。しかし度重なる怪我と漢村田に泣かされ打撃タイトルとは無縁だった。15年限りで引退すると3年間に渡り監督を務めた。 2000年の高橋由伸 前年の骨折の影響もあり序盤はらしくない打撃が続く。後半戦は打率3割以上で8月には10本塁打で月間MVPを獲得したが3割30本には届かなかった。 それでも人生初となるサヨナラ本塁打を放ったりと主軸としては一定の…
鄭 珉哲(チョン・ミンチョル、韓国語:정민철、1972年3月28日 - ) KBO−巨人(00〜01)−KBO 2000年成績 2勝 防御率4.82 韓国屈指の好投手 KBOでは1年目から二桁勝利。以降も日本移籍までの8年間、二桁勝利を挙げ続けた韓国球史に名を残す投手。 99年オフにカブスとの争奪戦を制したのが我らが大正義巨人軍。大きな期待を背に受け鳴り物入りで入団した。ただ、ガルベスと鄭以上の年俸で獲得したメイが既にいたのだが。 結局開幕は2軍スタートも流石に格の違いを見せつける。ガルベスの不振で5月にようやくデビューすると初登板初先発で初勝利を記録。その後は再び2軍調整もメイの「To Hi…
はじめに 今年の巨人は71勝70敗2分の4位、2年連続Bクラスでフィニッシュ。 原辰徳監督が1年の任期を残して退任、阿部慎之助新監督が誕生しました。 吠えろ慎之助 "2年連続Bクラス"。ここだけを切り取って「歴史的低迷」と銘打ちアンチさん大興奮間違いなしのクソ記事を週刊誌が連発する季節になりました。 しかし僕は今年に関してはよくやったと思っています。転換期を迎え将来を見据えながらも最後までAクラスを狙える位置にいたんですから。さすが巨人だなと思います。 ...なんて書いたけど大城バントと中盤までのマシンガンを思い出したらやっぱ苛ついてきたな、うん。 まぁ、そんなこんなで今年も残すはドラフトです…
大城 卓三(おおしろ たくみ、1993年2月11日 - ) 東海大相模-東海大学-NTT東日本-巨人(18〜) 2023年成績.281 16本塁打 55打点 強打のドス城 巨人軍と俺達が誇る強打のドスドス捕手。 23年は侍Jに選出されWBCの世界一のメンバーに。もっとも、受け慣れている大勢の球を緊張のせいかポロりまくった印象しかない。 シーズンでは開幕から好調をキープ。初の規定打席に到達し、6年目にして遂に押しも押されぬ正捕手へ。長打重視のプルヒッティングが目立ったものの打撃三部門全てでキャリアハイをマーク。WARもリーグ5位とチームに必要不可欠な存在に。 やはり、かねてからパワプロ村の筆者が…
笠原 祥太郎(かさはら しょうたろう、1995年3月17日 - ) 新津高−新潟医療福祉大−中日(17〜22)−横浜(23) 2018年成績 6勝4敗 防御率4.14 2018中日の希望① 魔球とも評されたチェンジアップの使い手。 1年目から存在感を残し2年目の18年は開幕ローテ入りを果たす。開幕当初は打ち込まれたが... 6月以降に限ると、6勝2敗防御率2.70の成績。オフには日米野球の侍ジャパンに初招集され、先発登板し5回途中4安打無失点と好投。投壊に泣いたチームの救世主となった1年だった。 しかし翌年は開幕投手を務めるも不静脈の影響で登板機会が激減。以降も怪我や不振もあって18年の様な成…
ルイス・メルセデス・エスコバル・サンチェス(Luis Mercedes Escobar Sánchez、1953年8月24日 - 2005年2月4日) MLB−巨人(86〜87) 1986年成績 4勝1敗19S 防御率2.32 カリブのトラブル怪人 王巨人のストッパーとして加入し強烈なインパクトを残したカリブのトラブル怪人。 10代の頃から「誰にも負けない才能を持っている」と言われ続けたが、幼稚園児並に不安定な精神面が才能の開花を阻み続けてしまった。それでも30歳を迎える前にようやくMLBに昇格すると、すぐに適応しエンゼルスでクローザーを務めるのだから流石である。 86年に巨人補強の目玉として…
グスタボ・カリーム・ガルシア・アグアヨ(Gustavo Karim Garcia Aguayo, 1975年10月29日 - ) MLB−オリックス(05〜06)−LMB 2005年成績.307 21本塁打 60打点 2試合連続3本塁打 新生オリックス補強の目玉として期待されたMLB通算66発の大砲。 しかしOP戦から苦しみ開幕4番はブランボーに譲ることに。以降も調子が上がらず1度2軍に降格となったが、6月の再昇格後は打ちまくりチーム最多の21本塁打を放った。 しかしファンサービスには定評があった一方で見た目通りの短気や気分屋の一面もあり、それがプレーにも顕著に現れていた。 調子が良い時はアグ…
クリフォード・マイケル・ブランボー(Clifford Michael "Cliff" Brumbaugh , 1974年4月21日 - ) MLB−KBO−オリックス(05〜06)−KBOなど 2005年成績.263 19本塁打 57打点 新生オリの初代4番打者 近鉄と合併し、新たに"バファローズ"を名乗るようになった新生オリックスの初代4番打者。前年はKBOで首位打者を獲得していたが本質的にはアベレージタイプでは無く、飛距離自慢の長距離打者である。 開幕直後から不振が続いたが交流戦の時期から徐々に調子を上げていく。交流戦を過ぎると再度調子を落としたものの、最終的には19本塁打57打点と3倍打…
相川 良太(あいかわ りょうた、1977年1月18日 - ) 暁星高−東海大−オリックス(99〜10) 2006年成績.257 11本塁打 26打点 空気の読めない!? オリ期待の和製大砲 オリックスで長年期待されていた細見の和製大砲。 球種・コース問わず巻き込んで打つ生粋のプルヒッター。当然三振は多いが、長打力もまた申し分ない。 アマ時代から怪我が多くそれはプロに入っても同様。06年に195打席という少ない打席ながら11本塁打を放ち、ようやく花開いたかに思えた。しかし勝負の07年を大不振で終えてしまったのが非常に勿体なかった。 そんな相川、通算28本塁打という成績だが360本塁打の某漢氏にも…
ジョン・ゲーリー・グローバー(John Gary Glover、1976年12月3日 - ) MLB−巨人(06)−MLB−KBO 2006年成績 5勝7敗 防御率4.97 G・"LOVER"・・・ それが意味するものは ヤクルトの名スカウト、中島国章が巨人に移って初めてスカウトした選手がMLB通算21勝右腕(当時)ゲーリー・トマソングローバーである。 2m近い長身を活かした角度と制球力が武器。決め球はスライダーでツーシームやカーブなどを投げるほかに、サークルチェンジをベースにした"クロスチェンジ"というオリジナルの球種を持っていた。 ちなみにグローバーのスペルは『G・"LOVER"=ジャイア…
鳥谷 敬(とりたに たかし、1981年6月26日 - ) 聖望学園-早稲田大学-阪神(04〜19)-ロッテ(20〜21) 2004年成績.251 3本 17打点 猛虎の黄金ルーキー 早稲田大学では2年春に三冠王を獲得するなど、通算で打率.333(345打数115安打)、11本塁打、71打点に5度のB9を獲得。走攻守三拍子揃った超逸材としてドラフト解禁年前からドラフト1位候補として注目されていた。 当然複数球団の争奪戦となるが、鳥谷は土のグラウンドでのプレーを希望していた事もあって阪神を逆指名し入団。キャンプ・OP戦から「黄金ルーキー」として注目を一身に浴びる中で、一定の成績を残すと前年3割の藤…
比嘉 寿光(ひが としみつ、1981年4月19日 - ) 沖縄尚学−早稲田−広島(04〜09) 最強早稲田の主将 沖縄のイケメン長距離砲。 沖縄水産で県勢初の甲子園優勝を果たし、早稲田では同期の鳥谷・青木・由田と早稲田四天王を形成。彼らを中心に早稲田はリーグ4連覇を成し遂げ黄金時代を築いた。比嘉は持ち前の長打力と「包み込むような人柄」と評される人間性で4番とキャプテンを兼任。 ドラフトは下位指名が予想された中で広島に3位指名。当時の早稲田には「主将はドラ3以下ならプロ入りを拒否しなければならない」暗黙の決まりがあったため、これは早稲田に配慮した繰り上げ指名か?と言われた。比嘉自身も「今の実力で…
由田 慎太郎(よしだ しんたろう、1981年7月20日 - ) 桐蔭学園−早稲田−オリックス(04〜12) 早稲田四天王の一角 センスに優れた左の好打者。 早稲田大学では同期の鳥谷・青木・比嘉と早稲田四天王を形成。彼らを中心に早稲田はリーグ4連覇を成し遂げ黄金時代を築いた。由田は4年春に首位打者を獲得している。 しかし、左投げでポジションが限定されることや弱みはないが強みがある訳でもないためプロからの評価は低く、オリックスに8位で指名されこれは全体でも最後の指名だった。 プロではやはり伸びきれず入団以降2軍では安定した成績を残すも1軍ではどうしても物足りなさが残った。9年間の現役生活で通算32…
2004年のバファローズ ・03年オフの近鉄はローズとの残留交渉決裂や命名権売却騒動など、年間40億円の赤字を抱える近鉄の厳しい財政難が浮き彫りになるばかりで、チームの前途が不安視された中で04年の開幕を迎える。 ・チームはやはり開幕から低調だったが6月13日にオリックスとの合併が発表され球界関係者や野球ファンに衝撃が走る。ここでは省略するがこの合併は球界再編問題にまで発展するなど揉めに揉めた。最終的にはチームの譲渡・合併を避ける事は出来ず、近鉄バファローズは55年の歴史に幕を閉じることとなった。 チーム成績 ・5位 61勝70敗2分 勝率.466 チーム打率.269 121本塁打 59盗塁 …
真喜志 康永(まきし やすなが、1960年5月3日 - ) 沖縄高−東芝−近鉄(87〜94) 1989年成績.254 7本塁打 30打点 仰木近鉄内野の要 近鉄が最も熱かった2年間、正遊撃手として活躍した内野の要。 打力はお世辞にもあるとは言えず、強肩を武器にした堅実な守備と小技で魅せる脇役。ただダイビングスクイズを決めたり10.19では園様からダメ押しの一打を放ったり9番ながら7本塁打と意外性を秘めていたり...と印象に残る選手であったのも確か。 90年以降は膝の怪我に悩まされ出場機会は激減する。94年の引退後は複数の球団でコーチを務め、22年の楽天退団までNPBのユニフォームを着続けた。 …