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救済先行 信仰後続 https://user2018.hatenablog.com/

神は、世界の基が据えられる前から(中略)みこころの良しとするところにしたがって、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。(エペソ1:4~5)

シェアル・ヤシュブ
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2019/04/28

  • 「従属的三一神信仰」の再発見 ―「キリスト中心主義」を乗り越えて―

    「三位一体」に関して、冒頭、高尾利数氏の言葉を引用します。 「三位一体の神・・・この神観は、確かにキリスト教に独特のものであるが、イエスは夢にだにこういう『展開』を考えたことはなかった。こういう議論は、あの時代特有の文化史的背景のなかで、特定の意味を持っていたものにすぎず、それを実体化・永遠化・形而上学化することは、ほとんど迷信的であろう。」(高尾利数著『キリスト教を知る事典』〔東京堂出版 212頁) 以下は、「キリスト論論争、三位一体論論争の意義」についてです。 「これは本来、実体論的な論理によって解決などできる類いのものではなかったのだ。それを実体論的な論理によって遂行しようとしたから、『…

  • 救いの土台としての信仰対象…神観。 救済第1、信理 第2

    国木田独歩は、「神を忘るゝ時程薄弱なるわれは非ず」と「欺かざるの記」に書いているが、まさに対神関係は、人間の側が意識ない場合にも神ご自身によって維持されている関係なのであって、人間側が神を忘れても神側が支えておられるかぎり問題はない。パスカルの「人間は考える葦である」という言葉は、「葦」という植物と人間とを優劣比較して、思考者としての人間の尊厳を語っているようであるが、人間は思考していない時間もかなり長いのであって、そこでは尊厳は保たれていないかと言えばそうではなく、重い病や障害ゆえに思考を制限されている人々の状況もあわせて、対神関係においては人間の尊厳は神が保持していてくださるのだ。されど信…

  • 絶対主・聖霊エホバ

    「神は靈なれば、拜する者も靈と眞とをもて拜すべきなり」(ヨハネ4:24) 肝要なるは、現実に自分自身が置かれている「(対)神関係」の自覚である。人間に内在するといわれる「神」は、「神」御自身というより「父の霊」(マタイ10:20)と解することもできる。前述のとおり「父(なる神)」と「父の霊」とは「不可分」ですが「不可同・不可逆」なのだ。「神は霊なり」(ヨハネ4:24)という言葉は、神を物体などのように対象化する(=偶像化する)ことの誤りを戒める主旨であり、「神」本体とその「霊」とを混同して示しているのではない。それを単純に直解すると対象性そのものを否定する言葉とみなされてしまう。 旧約聖書では…

  • 聖霊他力による救い ~「絶対」と「他者」とを分かつ高柳氏と小田垣氏~

    宗教に関して、学者はとかく個人主義的傾向をまるで劣等コンプレックスのように嫌って、社会主義的であるべきだ、本来は共同体主義的であるのだ…といった趣旨のことを言いたがります。「こころの時代」の「無宗教からの扉(6)慈悲の実践」(2022年)における阿満氏の解説にもそのような傾向が感じられました。高木顕明師の思想は宗教社会主義というか念仏社会主義といったものであったにせよ、それが真宗ないしは宗教の唯一の見方とか生き方というわけではないはずです。同じ浄土真宗においても、結果的には本願寺派(西本願寺)のスローガンでもある「御同朋の社会をめざす運動」の推進ということにはなるにせよ、そこに至る過程が、道が…

  • 聖書的精神療法・・・対人関係だけを前提とする「認知・行動療法」を媒介して、対人関係だけではなく対神関係を第一の前提とする「聖霊感知・行動療法」へ

    「認知・行動療法」ならぬ「聖霊感知・行動療法」について書きます。結論から言えば、当然のことながら対人関係だけを前提とする「認知・行動療法」によっては人間の精神的な問題は根本的な解決を得られないし、患者の究極的救済は望み得ないということです。それはいわゆる「精神療法」全体に対して言えることであり、ケースバイケースにおいて、せいぜい局所的救済にとどまるということです。とは言え、無論、「認知・行動療法」というものを全否定するものではなく、むしろ受害体験の省察…それこそ認知の点では大いに参考になり、宗教的観点から研究し霊的療法を現実的・実践的に確立するうえではその媒体として有益だと思います。しかし重要…

  • 聖霊のはたらきとメンタルヘルス セロトニン分泌促進、信仰的認知行動療法

    「私は知った。神が行うことはすべてとこしえに変わることがなく加えることも除くこともできない。こうして、神は、人が神を畏れるようにされた。」(共同訳 コヘレト3:14) 「神の前に言葉を注ぎ出そうと焦って口を開いたり、心をせかしたりするな。神は天におられ、あなたは地上にいるからだ。言葉を控えよ。」(同上 5:1) 「見よ、私が幸せと見るのは、神から与えられた短い人生の日々、心地よく食べて飲み、また太陽の下でなされるすべての労苦に幸せを見いだすことである。それこそが人の受ける分である。」(同上 5:17) 「人は人生の日々をあまり思い返す必要はない。神がその心に喜びをもって応えてくれる。」(同上 …

  • 矢内原氏の「キリスト教入門」批判

    自分は日本のキリスト教指導者の中でも思弁の巧みさという点では北森嘉蔵氏と並んで矢内原忠雄氏の著述にも関心を持ってきました。従って批判対象としての価値もその分高いと思います。ここでは矢内原氏の『キリスト教入門』を批判してみたいと思います。 矢内原忠雄 キリスト教入門 (aozora.gr.jp) 「新たにキリストを学ぼうとする人々は、導かれるままに教会に行ってもよいが、しかしまた教会で洗礼を受けなくてもキリストを信ずる道のあることを、知っておくことが有益であろう。それによって教会の不当な束縛から解放される人々も少なくないであろう。」という点は「無教会」の良いところだが、自分は基本的にカルヴィニズ…

  • メンタルヘルスと神観…コヘレトの神…非人格神、「創造的空」の自己限定…自己対象化、聖定信仰の捉え直し、認知行動療法的宗教論

    神信仰はメンタルヘルスにおいて自己治療(self healing)になる(一般的な「信仰治療」…特にオカルティックな療法などとは無関係。信仰治療 ― どのような効き目がありますか — ものみの塔 オンライン・ライブラリー (jw.org) )。それが最も現実的な神信仰の実効性である。心理療法でも認知行動療法(CBT)などある程度は自分でやれるようだし、とにかく脳内のセロトニン分泌を増やすことが肝要。日光を浴びての朝散歩励行。 「セロトニンの分泌には日光を浴びることが欠かせません。運動に関しては一定のリズムで行う運動がセロトニンの分泌を高めてくれます。リラックスして朝、太陽の光に当たりながら毎日…

  • 創造的空(超「意味ー無意味」)と世界の現実(戦争と平和)と「倫理と理論と直観」

    世界宗教について、一般的には一神教は好戦的であり多神教は平和的であるかの如く云われますね。私はそこに多くの誤解や誤謬が混じっていると思っているのですが、それはともかく。ところで、チャンネル桜の【討論】戦後日本と宗教[桜R5/12/20]の中で、乙骨正生氏が言われた宗教の多元主義的なあり方というのは、世界史の現実が自分で言っておられるとおり、「世界宗教者平和会議」(WCRP)のバチカンにおける祈りとか決め事とは違う結果になっているとおりで、「神」の御意は成るべくして成るわけで、人間が自発的に何を言い、何を行おうとも、それが神の定めに一致していな限り実現しないのです。いくらその場で乙骨氏が感動した…

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