「神は靈なれば、拜する者も靈と眞とをもて拜すべきなり」(ヨハネ4:24) 肝要なるは、現実に自分自身が置かれている「(対)神関係」の自覚である。人間に内在するといわれる「神」は、「神」御自身というより「父の霊」(マタイ10:20)と解することもできる。前述のとおり「父(なる神)」と「父の霊」とは「不可分」ですが「不可同・不可逆」なのだ。「神は霊なり」(ヨハネ4:24)という言葉は、神を物体などのように対象化する(=偶像化する)ことの誤りを戒める主旨であり、「神」本体とその「霊」とを混同して示しているのではない。それを単純に直解すると対象性そのものを否定する言葉とみなされてしまう。 旧約聖書では…