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救済先行 信仰後続 https://user2018.hatenablog.com/

神は、世界の基が据えられる前から(中略)みこころの良しとするところにしたがって、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。(エペソ1:4~5)

シェアル・ヤシュブ
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2019/04/28

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  • 絶対主・聖霊エホバ

    絶対主・聖霊エホバ

    「神は靈なれば、拜する者も靈と眞とをもて拜すべきなり」(ヨハネ4:24) 肝要なるは、現実に自分自身が置かれている「(対)神関係」の自覚である。人間に内在するといわれる「神」は、「神」御自身というより「父の霊」(マタイ10:20)と解することもできる。前述のとおり「父(なる神)」と「父の霊」とは「不可分」ですが「不可同・不可逆」なのだ。「神は霊なり」(ヨハネ4:24)という言葉は、神を物体などのように対象化する(=偶像化する)ことの誤りを戒める主旨であり、「神」本体とその「霊」とを混同して示しているのではない。それを単純に直解すると対象性そのものを否定する言葉とみなされてしまう。 旧約聖書では…

  • 聖霊他力による救い ~「絶対」と「他者」とを分かつ高柳氏と小田垣氏~

    聖霊他力による救い ~「絶対」と「他者」とを分かつ高柳氏と小田垣氏~

    宗教に関して、学者はとかく個人主義的傾向をまるで劣等コンプレックスのように嫌って、社会主義的であるべきだ、本来は共同体主義的であるのだ…といった趣旨のことを言いたがります。「こころの時代」の「無宗教からの扉(6)慈悲の実践」(2022年)における阿満氏の解説にもそのような傾向が感じられました。高木顕明師の思想は宗教社会主義というか念仏社会主義といったものであったにせよ、それが真宗ないしは宗教の唯一の見方とか生き方というわけではないはずです。同じ浄土真宗においても、結果的には本願寺派(西本願寺)のスローガンでもある「御同朋の社会をめざす運動」の推進ということにはなるにせよ、そこに至る過程が、道が…

  • 聖書的精神療法・・・対人関係だけを前提とする「認知・行動療法」を媒介して、対人関係だけではなく対神関係を第一の前提とする「聖霊感知・行動療法」へ

    聖書的精神療法・・・対人関係だけを前提とする「認知・行動療法」を媒介して、対人関係だけではなく対神関係を第一の前提とする「聖霊感知・行動療法」へ

    「認知・行動療法」ならぬ「聖霊感知・行動療法」について書きます。結論から言えば、当然のことながら対人関係だけを前提とする「認知・行動療法」によっては人間の精神的な問題は根本的な解決を得られないし、患者の究極的救済は望み得ないということです。それはいわゆる「精神療法」全体に対して言えることであり、ケースバイケースにおいて、せいぜい局所的救済にとどまるということです。とは言え、無論、「認知・行動療法」というものを全否定するものではなく、むしろ受害体験の省察…それこそ認知の点では大いに参考になり、宗教的観点から研究し霊的療法を現実的・実践的に確立するうえではその媒体として有益だと思います。しかし重要…

  • 聖霊のはたらきとメンタルヘルス セロトニン分泌促進、信仰的認知行動療法

    聖霊のはたらきとメンタルヘルス セロトニン分泌促進、信仰的認知行動療法

    「私は知った。神が行うことはすべてとこしえに変わることがなく加えることも除くこともできない。こうして、神は、人が神を畏れるようにされた。」(共同訳 コヘレト3:14) 「神の前に言葉を注ぎ出そうと焦って口を開いたり、心をせかしたりするな。神は天におられ、あなたは地上にいるからだ。言葉を控えよ。」(同上 5:1) 「見よ、私が幸せと見るのは、神から与えられた短い人生の日々、心地よく食べて飲み、また太陽の下でなされるすべての労苦に幸せを見いだすことである。それこそが人の受ける分である。」(同上 5:17) 「人は人生の日々をあまり思い返す必要はない。神がその心に喜びをもって応えてくれる。」(同上 …

  • 矢内原氏の「キリスト教入門」批判

    矢内原氏の「キリスト教入門」批判

    自分は日本のキリスト教指導者の中でも思弁の巧みさという点では北森嘉蔵氏と並んで矢内原忠雄氏の著述にも関心を持ってきました。従って批判対象としての価値もその分高いと思います。ここでは矢内原氏の『キリスト教入門』を批判してみたいと思います。 矢内原忠雄 キリスト教入門 (aozora.gr.jp) 「新たにキリストを学ぼうとする人々は、導かれるままに教会に行ってもよいが、しかしまた教会で洗礼を受けなくてもキリストを信ずる道のあることを、知っておくことが有益であろう。それによって教会の不当な束縛から解放される人々も少なくないであろう。」という点は「無教会」の良いところだが、自分は基本的にカルヴィニズ…

  • メンタルヘルスと神観…コヘレトの神…非人格神、「創造的空」の自己限定…自己対象化、聖定信仰の捉え直し、認知行動療法的宗教論

    メンタルヘルスと神観…コヘレトの神…非人格神、「創造的空」の自己限定…自己対象化、聖定信仰の捉え直し、認知行動療法的宗教論

    神信仰はメンタルヘルスにおいて自己治療(self healing)になる(一般的な「信仰治療」…特にオカルティックな療法などとは無関係。信仰治療 ― どのような効き目がありますか — ものみの塔 オンライン・ライブラリー (jw.org) )。それが最も現実的な神信仰の実効性である。心理療法でも認知行動療法(CBT)などある程度は自分でやれるようだし、とにかく脳内のセロトニン分泌を増やすことが肝要。日光を浴びての朝散歩励行。 「セロトニンの分泌には日光を浴びることが欠かせません。運動に関しては一定のリズムで行う運動がセロトニンの分泌を高めてくれます。リラックスして朝、太陽の光に当たりながら毎日…

  • 創造的空(超「意味ー無意味」)と世界の現実(戦争と平和)と「倫理と理論と直観」

    創造的空(超「意味ー無意味」)と世界の現実(戦争と平和)と「倫理と理論と直観」

    世界宗教について、一般的には一神教は好戦的であり多神教は平和的であるかの如く云われますね。私はそこに多くの誤解や誤謬が混じっていると思っているのですが、それはともかく。ところで、チャンネル桜の【討論】戦後日本と宗教[桜R5/12/20]の中で、乙骨正生氏が言われた宗教の多元主義的なあり方というのは、世界史の現実が自分で言っておられるとおり、「世界宗教者平和会議」(WCRP)のバチカンにおける祈りとか決め事とは違う結果になっているとおりで、「神」の御意は成るべくして成るわけで、人間が自発的に何を言い、何を行おうとも、それが神の定めに一致していな限り実現しないのです。いくらその場で乙骨氏が感動した…

  • 救われた者としての余裕によるアガペー実践

    救われた者としての余裕によるアガペー実践

    人は倫理的にどうであって、そこからどうならねばならないか…といった話は、仏教僧侶の説法であれ、キリスト教司祭 , 牧師の説教であれ、大要は全部聴かずともわかりきっているものです。問題となることはそれをいかにしてなし得るのか…?という方法です。宗教は理論・教説に傾いて、実践の方が弱いのです。曖昧であり、ケースバイケースの面があるにせよ具体性を欠くのです。だから説法者や説教者は実際的な質問を嫌がるのです。人が自己中心的な状態から他者と協調してゆく状態へと変わることが大切だとか、世間的な量的価値観から実存的な質的価値観へと変わることが大切だとか、そういった趣旨の話は、宗教関係者は特に、もうさんざん耳…

  • 救済福音として要請される、「けっして自我の中に吸収され解消されることのできないもの」である「絶対的な霊的実体」としての神

    救済福音として要請される、「けっして自我の中に吸収され解消されることのできないもの」である「絶対的な霊的実体」としての神

    ">遠藤周作氏がエッセイ『私にとって神とは』で述べているような「神」は、私見では「自我の中に吸収され解消される神」です。遠藤氏にとって「神」は人格でもなければ実体でもなく、存在とも言えないような「はたらき」であるとのことですが八木誠一氏が指摘しておられるように単に「はたらき」と言っても現実にはその「主(ぬし)」があって三分節されるわけです。< 神ご自身とは、「神のはたらき」(作用的一)の主(ぬし)のことである。「はたらき」にはその「主」がある、とわれわれは考える。それはこういうことである。言表は必ず主語と述語とから成っていて、主語だけ、述語だけでは文にならない。だから、われわれは作用を述べると…

  • 救拯学入門 ―救い(生前、死後)、「聖定」信仰、 信仰共同体主義(脱個人主義)、神の自己限定(啓示)、人の自己限定(聖書のみ、啓示内神認識)

    救拯学入門 ―救い(生前、死後)、「聖定」信仰、 信仰共同体主義(脱個人主義)、神の自己限定(啓示)、人の自己限定(聖書のみ、啓示内神認識)

    (※ 以下は、noteとmimemoに投稿している「救拯学入門」とは内容が異なります!) 「救拯学」という言葉は聞きなれませんが、下リンクの、アメルマン著, 井深梶之助訳『救拯学』(出版:明治学院)を垣間見ますと、これは「~学」と言うより「~論」と称するべきものであり、キリスト教(の新教の)神学における「救拯論(=救済論)」にほかなりません。救拯学 - 国立国会図書館デジタルコレクション 私はそのような意味での「救拯論(=救済論)」ではなく、さりとて宗教全般に共通する「救拯論(=救済論)」といったことでもなく、以下、キリスト教(の新教)の福音主義という特殊性に徹することを通して宗教的普遍性へと…

  • 「従属的三一神信仰」の再発見 ―「キリスト中心主義」を乗り越えて―

    「従属的三一神信仰」の再発見 ―「キリスト中心主義」を乗り越えて―

    ">「キリスト教」という名称からして、すでに従属的関係を表しています。「キリスト」とは「油を注がれた者」という意味です。すなわち、「イエス・キリスト」とは、イエスは油を注がれた者であるということです。「聖書にはイエスキリストは福音を広め、罪に囚われた人々を解放するために、神によって聖霊をもって油注がれた者であると書いてあります(ルカ4:18-19; 使徒10:38)。」油を注ぐとはどういう事?油注がれた者とは? (gotquestions.org)「キリスト教」とは、イエスという人物が「キリスト」すなわち「油を注がれた者」であるという信仰を告白する宗教です。そして、イエスに「油を注いだ者」は「…

  • 聖定論的人生観 ―― 「絶対」と「絶体(絶命)」…拝一神教では神にも不可能が存在している(~深津容伸氏)、絶対性は普遍性を含意する(~八木誠一氏)。メンタル問題から終末、聖書と死後生(来世)――

    聖定論的人生観 ―― 「絶対」と「絶体(絶命)」…拝一神教では神にも不可能が存在している(~深津容伸氏)、絶対性は普遍性を含意する(~八木誠一氏)。メンタル問題から終末、聖書と死後生(来世)――

    「古代イスラエルでは、拝一神教(神々の中で、一つの神のみを自分の神とする)であったので、存在自体も、力においても、超越性は高いものであったが、それは相対的なものであって、絶対的なものではなかったと考えられる。つまり、神にも不可能が存在していることは、人々も知っていたのである。むしろ、彼らにとって、神は人間に常に目を注ぎ、関わり続け、人の喜び、悲しみを自らのものとして受けとめ、ともに歩む存在なのである。」(~深津容伸氏の論文「全能の神」)ja (jst.go.jp) 上記の内容には異論がある。拝一神教だから神の全能性や絶対性を否定することにはならないからだ。要は、真に絶対なる神においては全能性は…

  • 「言」(ダーバール)よりも「出来事」(ダーバール)を求める。与えたまへ 救いたまへ (テナー ウゼカー ヴェホーシーアー)

    「言」(ダーバール)よりも「出来事」(ダーバール)を求める。与えたまへ 救いたまへ (テナー ウゼカー ヴェホーシーアー)

    その「主のみわざ」(The works of the LORD)は、アッシリア帝国に対するユダ王国の…すなはち総合力がず~っと上の相手に対する奇跡的な勝利‼その点では、👑#森保ジャパン 👑#SAMURAIBLUE ⚽️🇯🇵🏃‍♂️🏃‍♂️🥇🏆のW杯でのブラジルとスペインに対する勝利と一致してます😆✌️🙆🙋😸🐰🐻🐶そしてさらに…勝つ‼ https://t.co/cIgr9EdQYH — 福音SAMURAI (@kourakudou) 2023年2月9日 主よ、大きなみわざを、見せとくれやす‼⚽️🇯🇵🏃‍♂️サッカー日本代表をドン底から引き上げ、死の組と云われたグループを1位で突破させた奇跡的な力…

  • 聖書の体験的読み、現在的救済、他力信仰

    聖書の体験的読み、現在的救済、他力信仰

    聖書の体験的読み、現在的救済、他力信仰

  • 聖書の「神の国第一希求」なしにはメンタルヘルスも何も無い!

    聖書の「神の国第一希求」なしにはメンタルヘルスも何も無い!

    やれ、メンタルヘルスや、レジリエンスや、セロトニン神経活性化や、などいろいろ言うても、わてらクリスチャン(基督者)は何よりもまずキリストの神の国を求める輩だす! そのことをよう頭に入れたうえでこのブログ読んでもらわんと、大きな誤解を招きます。 ほな、あんじょうよろしゅう、おたの申します。しおし!しおし!(以下、twitterより引用) 誰もが求めている「幸せ」。 その実現のために誰もが抱えている「悩み」。 その解決のために誰にも伝えられる「福音」。 その中心はキリストによる罪の贖い。 「まず神の国と神の義を求めよ」 (マタイ6:33/ルカ12:31参照) 神の国(=神の支配)における霊魂救済な…

  • 聖定信仰と諦観

    聖定信仰と諦観

    五木寛之氏は、「覚悟」とはあきらめることであり、「明らかに究める」こと。希望でも、絶望でもなく、事実を真正面から受けとめることであると述べておられます(~『人間の覚悟』新潮社)。 まさに、キリスト教の聖定信仰も、自分の人生を「明らかに究める」こと、諦観として実践されると言ってもよいと思います。 その点で、下に引用する説教では、この点が「あきらめる」という言葉を消極的意味でしか理解できないことが現われています。 日本の、神学者を兼務した牧師には、ドイツ語ができても日本語があまりできない人が珍しくないのです。 < 運命と摂理とは全く違います。「運命」とは得体のしれない、暗い不可解な力です。それに対…

  • 聖書の実践的解釈(1) 捨てても失われない自分

    聖書の実践的解釈(1) 捨てても失われない自分

    結論から先に言います。主イエスは、自分を捨てて自分の十字架を負って自分に従えと言いました。自分を捨ててるのに自分の十字架を負うことはできません。自分の十字架を負う者は自分以外にはあり得ないからです。 自分を捨てるというのは、自分自身すべてを捨てるという意味ではもちろんありません。あくまでも過剰な自尊心とか承認欲求なんかに囚われている自分を捨てろ…ということです。そうでないと人はへり下れないからです。へり下らなければ、人と人との間に「シャーローム」…すなわち真の平和・キリストの平和を実現することはできません。平和の関係がないところでは心の平安などありません。心の平安なくして魂の安らぎもないのです…

  • 聖書の実践的解釈(2) 紫苑説の宗教的批判的考察④

    聖書の実践的解釈(2) 紫苑説の宗教的批判的考察④

    ここで扱うテーマは自分にとってメンタルヘルスにおける主要な問題であり、キモとも言えるところです。すなわち自他の優劣比較という問題です。 紫苑先生は、レオン・フェスティンガーという一般には知られていないアメリカの心理学者の言葉「人間は他人と比較してしまう生き物である。」を引用しています。 自分などは、そんな言葉を引用するまでもなく、人間が他人との比較なしに生き得ないことは他でもなく自分自身および周囲の人間を見ていれば明らかすぎることです。実際、へたな心理学者の話なんかより、自分自身と周囲の人間を観察してるほうが、よっぽど生きた現実の人間の心もようを知ることができると思います。 ではなぜ、人はそれ…

  • 聖書の実践的解釈(2) 紫苑説の宗教的批判的考察➂

    聖書の実践的解釈(2) 紫苑説の宗教的批判的考察➂

    朝散歩の効果については、紫苑先生は動画でもよく言っておられます。 <私は25年間以上、精神科医として、メンタル疾患が治りやすい人と治りにくい人の特徴を観察してきました。メンタル疾患が治りにくい人の特徴は、「昼まで寝ている」ことです。>(p36) 特に疾患がなくてもメンタルが弱い人は早起きが苦手だと感じます。かつての自分もそうでした。現実逃避願望があるとなおさらフトンの中が居心地よいのです。 <実際に「昼まで寝ている」という患者さんが、「朝散歩」をはじめた途端に、症状が急激に改善する事例を多数観察し>云々。 その「朝散歩」の効能は…?と言うと、「(1)セロトニンの活性化」、「(2)体内時計のリセ…

  • 聖書の実践的解釈(2) 紫苑説の宗教的批判的考察➁

    聖書の実践的解釈(2) 紫苑説の宗教的批判的考察➁

    「悩み」については、聖書においてイエスご自身も人として悩んでおられます。 「そして、ペテロ、ヤコブ、ヨハネを一緒に連れて行かれた。イエスは深く悩み、もだえ始め、」(マルコ14:33 新改訳2017) 「そこで彼は、ペトロとヤコブとヨハネとを自分と共に連れて行く。するとイエスは、ひどく肝をつぶして、悩み始めた。」(同上 岩波版 佐藤研訳) ここで「悩み」と訳されている動詞は「アデーモネオー」で「苦悩」だけではなく「不安」や「当惑」も表わします。従って対訳(川端由喜男訳)では、「悩み始めた」ではなく「不安になり始めた」となっています。 さて、紫苑説では、「悩み」とは「ある問題について、苦しみ、思い…

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