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自称「世界遺産ハンター」の旅好き会社員が限られた時間と資金で世界を旅する一人語りの備忘録

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2019/04/17

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  • セビリア大聖堂とヒラルダの塔

    www.churobird.work トリウンフォ(勝利)広場の北側には、ゴシックとルネサンスの建築様式が混合した壮大なセビリア大聖堂(カテドラル)が建っています。「後世の人に正気の沙汰ではないと思われるような大聖堂を建てよう」というキリスト教会らしからぬ発想のもと、15世紀から約120年もの歳月をかけて建造されました。世界でもヴァチカンのサンピエトロ寺院、ロンドンのセント・ポール大聖堂に次ぐ規模で、当然ながらスペイン最大規模です。レコンキスタ以前に建っていた巨大なモスクの跡に建てられたものなので、長い身廊と翼廊による十字型をした一般的な大聖堂と違って、奥行116m・幅76mという幅広の長方形…

  • 大航海時代に栄えた世界遺産の街セビリア

    www.churobird.work またまた早起きしてコルドバ駅からスペイン国鉄の旅です。旅というのも大袈裟で、セビリアのサンタ・フスタ駅まではたった45分。目的地セビリアは、70万人が暮らすスペイン第4位の都市にしてアンダルシア州の州都です。レコンキスタ前後の2つの文化が融合した建築群や複数の世界遺産のある見所満載の都市です。 駅から南西に歩いて突き当たったルイス・モントト通りという大通りの中央分離帯には紀元前1世紀頃に建設されたローマ水道橋の一部カニョス・デ・カルモナが残されていました。セビリアから15km離れたアルカラ・デ・グアダイラから運ばれた水はアルカサルの大きな貯水池を満たし、各…

  • コルドバ歴史地区 後編(メスキータからローマ橋)

    メスキータ最大の見所の1つは、アルハカーム2世の命で作られた豪華なミフラーブです。金色や青色のモザイク装飾が施された馬蹄型アーチの周囲にはぐるりとコーランの一節が刻まれています。モザイクでできているとは信じ難いような美しく緻密な装飾は、どれほど眺めていても飽きることがありません。世界中のイスラム教徒はサウジアラビアのメッカにあるカアバ神殿の方向に向かって1日5回の礼拝を行いますが、その方角(キブラ)を示すのが、モスクの壁に作られたミフラーブという聖なる窪みです。偶像崇拝を禁じられたイスラム教では方向を示す目印にも像や絵画といったシンボルになりかねないものを用いることができません。草花や幾何学模…

  • コルドバ歴史地区 前編(旧ユダヤ人街からメスキータ)

    見るからに新しいピカピカのマラガ・マリア・サンプラーノ鉄道駅にやってきました。まだ時間が早いこともあってひと気が少ないですが、このターミナル駅はスーパーマーケットや飲食店街があるだけでなく、ショッピングモールとも繋がった複合施設になっています。 あらかじめWebで購入していたチケットでお馴染みのスペイン国鉄の列車に乗り込みます。ここから次の街コルドバまで高速鉄道AVEでわずか1時間の旅です。 あっという間に到着したコルドバ駅。クリスマスから1週間は経つというのにこちらもまだまだクリスマスムード。中華圏だと旧正月まで続くことも珍しくないクリスマスシーズンですが、スペインではいつまでこのツリーが飾…

  • 断崖の上に築かれた絶景の街 ロンダ

    ロンダ駅から真っ直ぐ伸びるマルティネス・アステイン通りを南下し、新市街の繁華街エスピネル通りに入ります。モザイクタイルの貼られたお洒落な通りは、アンダルシアで最も長い歩行者天国。閑散とした駅周辺とは対照的にとても賑わっています。 通りの突き当たりにある円形ドームの白い建造物はロンダ闘牛場です。近代闘牛の生みの親フランシスコ・ロメロの出身地にして、闘牛発祥の地として知られるロンダにスペイン最古の闘牛場が完成したのは1785年でした。直径約66mの円形ドームの中には5000人もの観客を収容することができます。 闘牛場のお隣の三木春日広場にはアーネスト・ヘミングウェイの像がありました。 著名人が1度…

  • アルヘシラスからモロッコのタンジェを目指してみた

    夜中のお祭り騒ぎがウソのように静まり返った明け方のこと。アンダルシア上陸からまだ24時間もたっていませんが、南部の港町アルヘシラスに向かい、そこからジブラルタル海峡を渡ってアフリカの玄関口であるモロッコのタンジェに行くため、マラガのバスターミナルにやってきました。 タンジェは初めて訪れる街ですが、モロッコは周遊経験があるので、今回の目的は街歩きというより、ただ単にジブラルタル海峡を船で渡ってアフリカ大陸に上陸すること。アフリカ日帰り旅行できるなんて想像しただけでテンションがあがります。 年末年始と週末が重なっていたので、スペインからアフリカに帰省する人も多いかもしれない・・・と、6時45分発の…

  • コスタ・デル・ソルの中心都市マラガ

    市街地を西に向かって進むと古代ローマ劇場が見えてきました。紀元1世紀にアウグストゥス皇帝によって建設され、 3世紀まで使用されていた由緒ある劇場です。この半径31m・高さ16mの大きな劇場は、ちょっとしたイベントならこのままでも使えそうな感じですが、何世紀にもわたって土の中に埋もれていたのを、ごく最近の1951年に発見されたばかりなんだそうです。 ローマ劇場は無料公開されているので、公園のベンチのように利用する人も多いようです。ぜいたくな時間の過ごし方ですね。劇場の観覧席の背部には隣接する城砦(アルカサバ)が見えています。 アルカサバと言えば真っ先にアルハンブラ宮殿を思い浮かべますが、もともと…

  • アンダルシア上陸・マラガ

    2017年、年の瀬も押し迫った頃、年末年始を暖かいところで過ごしたくて、航空券漁りをしていたわたしは、スペインのマラガ行きの格安航空券をみつけてしまいました。暑いのも寒いのも苦手なわたしにとって、同じスペインでもマドリードやバルセロナでもなく、コスタ・デル・ソル(太陽の海岸)沿いにあるこの時期のマラガの温暖な気候は願ってもないところです。地方都市にも関わらず、アメニティのクオリティに定評のあるトルコ航空が就航していて、イスタンブール1回乗継で行けちゃうという掘り出し物のチケットでした。 56万人が暮らすマラガの街の規模は、スペインで6番目、アンダルシア州で2番目になります。1年のうち約300日…

  • ドバイで寄り道とアリバイ工作

    アンマンから帰国のために搭乗した飛行機の乗継時間を利用してドバイ観光です。 数十年前まで遊牧民が暮らす砂漠地帯だったドバイは、石油の発掘とともに、あっという間に世界有数のリゾート地となりました。なんと年間約1,500万人を超える観光客が訪れるそうです。正直なところ、遺跡 > リゾートのわたしにとってはそれほど魅力のある場所ではありません。ドバイに行くと言って、ヨルダン・イスラエルに行ってきた手前、嘘をついたわけではない・・・ということにしたくて立ち寄ったというところです。それもこれも、エルサレムでオリーブの丘からの景色をFacebookにUPした時点で全てのアリバイ工作が台無しになったわけです…

  • トランスフォーマーのロケ地にもなったペトラ遺跡

    目の前が広場のようになったエル・ハズネから再び短めのシークを抜けるとアウター・シークと呼ばれる広い通りにでます。40以上の墓が神殿のファサードのように並ぶファサード通りが見えてきました。どのファサードも屋根が階段状に装飾され、下部には地面に埋もれかけた長方形の入り口が口を開けています。このデザインは紀元前7~6世紀のメソポタミア、アッシリア帝国の影響が見られますが、墳墓だと考えられているこの遺構自体はもっと古いもののようです。外壁には見事なレリーフが刻まれていますが、内部は立方体に岩を切り出しただけの空間でレリーフや壁画といった装飾はありません。墓の上部が階段状になっているのは、この階段で天国…

  • インディ・ジョーンズで見たペトラ遺跡

    ヨルダンに数十年ぶりに降った大雪のせいで、ほとんど諦めかけていた今回の旅のハイライト「ペトラ遺跡」にやってきました。旅程を変更して粘った甲斐があって、夜には帰国便に乗らないといけないので、時間は限られていますが、帰国直前にして最初で最後のチャンスを楽しみたいと思います!! ペトラ遺跡に興味を持ち始めたのは、多くの人がそうであるように映画「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」を見た子供時代でした。ハリウッドの2大巨匠が手掛けた映画の中で登場した聖杯が隠された神殿「エル・ハズネ」の壮大な姿を見た時の感動は、それが映画のために作られたセットではなくて、実在する遺跡であると知った瞬間に何倍にも増幅され、…

  • イスラエルからペトラ遺跡を目指して再びヨルダンへ

    イエスが頻繁に祈りのために訪れていたというゲッセマネの園はオリーブ山の麓にあります。現在まで受け継がれているオリーブの木は8本だけですが、かつてのこの辺りは一面のオリーブ畑でした。盛んにオリーブオイルの精製が行われていたため、ヘブライ語で油絞りを意味するゲッセマネという名前が付けられたそうです。処刑前の最後の夜をイエスが祈りながら過ごしたとされているゲッセマネの園に建てられたのがこの万国民の教会です。血の汗を流すほどにイエスの祈りが苦悶に満ちたものだったことから苦悶の教会とも呼ばれています。 繊細で美しいビザンツ様式のモザイク画が描かれたファサードが特徴的です。万国民の教会の基礎となる教会が建…

  • イエス・キリスト生誕の地「ベツレヘム」

    朝早くにベツレヘムに向かいました。ベツレヘムは、ヨルダン川西岸地区南部にある3万人超が暮らすベツレヘム県の県都です。第3次中東戦争以降、イスラエル占領下にありましたが、1995年にパレスチナに返還され、現在はパレスチナ自治政府が治めています。未だに国際的にも微妙な立場にあるベツレヘムですが、世界最古のキリスト教共同体が存在していたことが知られていて、イスラム教徒が多数を占めるパレスチナの中にあって今でも最大のキリスト教コミュニティーが存在しています。 ベツレヘムとイスラエルとの境界に築かれたコンクリート製の分離壁が見えてきました。ベツレヘムに入るには、あの壁にある検問所を通らなくてはならなりま…

  •  イエスの歩いた最後の道「ヴィア・ドロローサ」

    イエスが処刑された当時のエルサレムはローマ帝国の支配下にありました。ユダヤ教徒ではない総督のピラトにとって、イエスのキリスト自称など取るに足らないことでしたが、ユダヤの指導者たちに扇動された群衆を納得させるためにはイエスの処刑を認めざるを得ませんでした。ユダヤ教のあり方を批判し、人々に神の教えを説いたイエスに対する指導者たちの怒りは、イエスを亡き者にしなくては収まらないほど大きいものになっていたのです。処刑の権限を持たない彼らは、権限を持つローマ帝国側にそれ相応の罪状でイエスを引き渡す必要がありました。そのためにイエスにつけられた罪名は「ローマ帝国に対する反逆罪」という最も重いものでした。 十…

  • 嘆きの壁にみる悲しきユダヤの歴史

    www.churobird.work シオン門をくぐった旧市街の南西部はアルメニア人地区です。アルメニア料理のお店やお土産物屋さんが並んではいますが、人通りも少なくとても静か。アルメニア人地区がキリスト教地区・イスラム地区・ユダヤ人地区と並ぶエルサレムの4地区に数えられることが意外にも思えますが、アルメニアは世界で最も早くキリスト教を国教とし、エルサレムに早くから教会や住居を建設して確固たる地位を築いてきました。他の宗派とは一線を画した独自性のおかげでイスラム支配時代でさえその地位を保ってきたんだそうです。 長く迫害を受けてきた少数派のアルメニア人は、城壁に囲まれたエルサレム旧市街の中にさらに…

  • ダビデ王の墓と最後の晩餐の部屋があるシオンの丘

    www.churobird.work エルサレム旧市街の南西のシオン門の外の一角はシオンの丘と呼ばれています。真っ先に思い浮かぶのは、イスラエル建国の父ヘルツルが起こしたシオニズムですが、シオンとはエルサレムの古い呼び名です。ヘルツルがヨーロッパ中のユダヤ人に「祖先の土地シオン(エルサレム)へ還ろう!」と呼びかけたことで1948年のイスラエル建国が実現しました。かつてユダヤ教の司祭や貴族が多く住んでいたシオンの丘はユダヤ教徒にとって所縁のある土地のはずですが、なぜかこの辺りにあるのはキリスト教会ばかりで、シナゴーグの姿はほとんど見当たりません。それもそのはず、ソロモン王の時代にあったオリジナル…

  • 死海とヨルダン・イスラエル国境超え

    www.churobird.work 次の目的地はペトラのはずでしたが、ペトラに向かうハイウェイは相変わらず不通のままだし、雪に埋もれたアンマンに戻っても仕方ないので、目的地を変更して死海に向かうことにしました。死海近辺に積雪がないのはネボ山からも確認済みだし、死海を眺めながら旅程を立て直してこの旅を仕切り直したいと考えたからです。 ネボ山から死海のほとりのリゾートホテルに向かう道沿いにロマ民族らしき人々の姿がありました。あんまりジロジロと見てはいけないと思いつつも、荒野のど真ん中に身を寄せ合うように張られた粗末なテントで流浪の民がどんな暮らしをしているのかは興味があります。この生活を選ばざる…

  • モザイクの街マダバで見た世界最古のマダバ地図

    www.churobird.work ネボ山の次に向かったのは10kmほど南東に位置するマダバという地方都市です。マダバは、マダバ県の県都で約60,000人の人が暮らすヨルダンで5番目に大きい街、そして「モザイクの町」として知られています。アンマンからそれほど離れていないというのにマダバの市街地に雪はほとんど残っていませんでした。観光スポットだけでなくレストランやショップが街の中心部に集まっているので徒歩で十分に観光できます。何より人が親切!英語が理解できない人もジェスチャーを交えて一生懸命にこちらの質問に答えてくれます。 特筆すべきは、この街がキリスト教徒の街だということです。ヨルダン国民の…

  • モーセの約束の地「カナン」を望むネボ山

    www.churobird.work 2015年2月、やってきたのはヨルダンです。 行ってみたいと思っていた国ではありましたが、いつもながらの「安かったから」で来ちゃいました。安いのも当たり前。ヨルダンのお隣の国シリアのアレッポで2名の日本人がISILとみられる過激派武装集団に拘束され、殺害されるという痛ましい事件が起きたばかりだったのです。アメリカ人とイギリス人以外の民間人の人質がISILに殺害されたケースは初めてだったので、世界中に激震が走り、ニュースは毎日その話題で持ち切りでした。もちろん、ISILがドンパチやっているのも、外務省が渡航を禁じているのもヨルダンではなくシリアです。でも、隣…

  • オーストラリア初の世界文化遺産と最古の保存鉄道

    www.churobird.work ガートルード通りやニコールソン通りからトラムを下車してすぐのところの街の北東部に王立展示館とカールトン庭園がありました。 1856年に開園したカールトン庭園は、アカシア並木やポプラ並木もある広大で美しい庭園です。メルボリアンの憩いの場所としてよく手入れされていますが、都会の喧騒など一切感じさせない静かな雰囲気でした。2004年には、敷地内に建つ王立展示館とともにオーストラリア初の世界文化遺産に登録されています。それまでは、自然遺産かアボリジニ関係の自然遺産と抱き合わせになった複合遺産しかありませんでしたから、記念すべき第1号文化遺産になりました。ちなみにシ…

  • 独断と偏見で選んだメルボルン動物園の総選挙

    www.churobird.work せっかくオーストラリアに来たので、オーストラリアらしい動物を見たいなぁという思いつきでメルボルン動物園に行ってきました。https://www.zoo.org.au/melbourne 1862年開園のメルボルン動物園は、オーストラリア最古であるばかりでなく、世界でも3番目に古いという歴史ある動物園です。古いだけではなく、22ヘクタールという広大な敷地の中には、オーストラリアの固有種を始めとするたくさんの動物達が暮らしています。150年以上もの間、人々に愛されてきた動物園は、メルボルン中心部からトラム1本で行けてしまうアクセス至便な場所にありました。 32…

  • クイーン・ビクトリア・マーケットとセントキルダ

    www.churobird.work ランチを兼ねてメルボルン最大規模の市場「クイーン・ビクトリア・マーケット」に行ってきました。1878年創業の140年以上の歴史を誇る屋外市場は、実は南半球でも最大規模。その広い敷地内は、新鮮な野菜や肉・魚といった食料品以外にも服飾雑貨・日用品・土産物などのお店が1,000店以上も出店していると言われています。以前は卸売り市場だったというだけあって新鮮さやお手頃感はメルボルンで一番。地元のお客さんの台所であるだけでなく、お土産探しをする観光客にも人気の観光スポットです。 クイーン・ビクトリア・マーケットは、メルボルンの市街地から徒歩圏内、ビクトリア通りとエリ…

  • グレートオーシャンロードで巡る2つの国立公園

    www.churobird.work 美しい海岸線を疾走する自動車のCM映像を撮影するために、世界中の自動車メーカーがこぞって訪れるというグレートオーシャンロード。SHARPの「IGZO」のCMやMr.ChildrenのPV(Tomorrow never knows)の撮影地としても知られるその景色を映像で目にしたことがある人は多いはずです。わたしなんかCGを疑ったこともあるくらい・・・。その絶景が本当に実在するのか(CG合成は無いのか)を確かめるためにグレートオーシャンロードに行ってきました。 メルボルンの南西部に位置するトーキーからアランズフォードまでの243kmに及ぶグレートオーシャンロ…

  • 旧メルボルン監獄で囚人体験

    www.churobird.work 旧メルボルン監獄は、ビクトリア州立図書館のすぐ北側のビルに囲まれた市街地の中にありました。 入植によって治安の乱れが生じたこの地域に、イギリスのペントンビル監獄をモデルにした監獄の建設が始まったのは入植開始から6年後の1841年のことでした。完成当初は、留置場・裁判所・女性用刑務所などを内包しつつ、主に刑期の短い軽犯罪を収容するためのコンパクトな施設でしたが、ゴールドラッシュに伴う治安の乱れで、犯罪件数も増加していったため、規模も拡大し、重犯罪者も収監されるようになって行きました。実際にこの監獄内で136名が死刑執行されているそうです。一時期はメルボルンで…

  • 死ぬまでに行きたい世界の図書館 (ビクトリア州立図書館)

    www.churobird.work メルボルンには、2015年に「死ぬまでに行きたい世界の図書館」に選出された美しい図書館があります。 死ぬまでに行きたい世界の図書館 (サクラムック) 出版社/メーカー: 笠倉出版社 発売日: 2015/11/12 メディア: ムック この商品を含むブログを見る ビクトリア州立図書館は、メルボルン・セントラル駅の目の前、スワンストン通り・ラトローブ通り・ラッセル通り・リトルロンズデール通りの4本の通りに囲まれた1ブロック四方の敷地にありました。かつて鉄製のフェンスと門が設けられていた前庭は、1939年に一般に開放されるようになりました。芝生の上には公園さなが…

  • イーストメルボルンとアーケード巡り

    www.churobird.work 市街地の東側(イーストメルボルンエリア)にやってきました。 パーラメント駅に降りると、スプリング通りに面してビクトリア州議事堂が建っています。原住民族アボリジニの聖なる集会所であったこの場所に、ビクトリア植民地の議事堂としてこの建物が建てられたのは、ゴールドラッシュ最盛期の1856年でした。メルボルンが臨時首都だった1901年から1927年までは、この場所でオーストラリア連邦議会が開かれていました。 ギリシャ神殿のようなコリント様式の柱廊とロンドンのリーズタウンホールをモデルにした立派なファサードの建物に鋳物製のランプが趣を添えています。大英帝国植民地の建…

  • フリンダーストリート駅とヤラ川沿いの景色 in メルボルン

    www.churobird.work 2017年5月、メルボルン。またまた懲りずに、航空券が安いというだけで(広州を経由して)やってきてしまいました。航空券の安さを抜きにしても、ヨーロッパ風の歴史的建造物も見れそうだし、都会の割にのんびりとした雰囲気があって、自然に触れる機会も多そうだし、まあ悪くはない選択かな・・・と。 格安航空券ならではの遠まわりはしましたが、無事にメルボルンに到着。時差がないので、長旅でも時差ボケによる体力消耗が少ないのがオーストラリアの良いところ。すぐに街歩きを開始しました。 フリンダースストリート駅がフリンダース通りとスワンストン通りの交差点に見えてきました。1854…

  • 新シナゴーグからの帰国トラブル

    www.churobird.work サン・スーシ庭園の美しい景色を目に焼き付けてベルリンを後にしようと思ったのですが、帰国日の朝にホテルから見えた朝焼けがあまりに美しすぎて、もう少しだけベルリンを散歩してみることにしました。 今回の旅で一番足を運んだミッテ地区。新シナゴーグはオラニエンブルグ通り沿いに建っていました。道路の幅があまり広くないので、建物全体を写真に収めることに苦労しましたが、道行く人に不審がられながらも地べたに這うようにしてなんとか撮影。周囲に出来た高層ビルに囲まれてはいるものの、独特のオーラをまとった煌びやかな建物はハッとするくらいの存在感を放っていました。 最大で3000名…

  • フリードリヒ2世の愛したサン・スーシ宮殿

    www.churobird.work ポツダムという地名で日本人の多くが真っ先に思い浮かべるのは、第二次世界大戦の際のポツダム会談とポツダム宣言です。連合国側からの降伏要求の最終宣言(ポツダム宣言)を日本が最終的に受け入れたことで終戦に至ったことは有名ですが、戦後70年以上たった今もなおこのポツダム宣言が日本の領土問題(北方領土や尖閣諸島)や外交問題に影を落としているのもまた事実。領土問題のニュースを見てはエキサイトするわたしにとってこの地名に良いイメージなどあろうはずもありません。ところが、テレビ塔で出会った出張ついでに観光中という日本人ビジネスマンとの立ち話で知ってしまったポツダムの「宮殿…

  • ザクセンハウゼン強制収容所

    www.churobird.work フリードリヒシュトラーセ駅からSバーンで北に向かうこと約45分、ブランデンブルク州のオラニエンブルク駅に到着しました。この街がオラニエンブルクと呼ばれるようになったのは17世紀。この街をとても気に入っていたフリードリヒ・ヴィルヘルム選帝侯の王妃ルイーゼ・ヘンリエッテ・フォン・オラニエンが、彼女の出身地のオランダ風のお城を建ててオラニエンブルク城と名付けたことが街の名前の由来です。となると、ここまでお城でも見に来たのかと思われるかもしれませんが、これから向かうのは、悪名高きナチスのザクセンハウゼン強制収容所・・・。 収容所行きのバスに乗ろうとバス停に行っては…

  • カイザー・ヴィルヘルム記念教会とイーストギャラリー

    www.churobird.work ヴィッテンベルク広場駅の地下鉄出口は中央分離帯の中にありました。地上に出た瞬間に、この場所の雰囲気がこれまで観光してきたエリアとなんだか違うことに気が付きます。それもそのはず、降り立ったこの場所はかつての西ベルリン。 すぐ目に前にKaDeWe(カーデーヴェー)が建っていました。アメリカのデパートをモデルにして1907年に建てられたデパートで、Kaufhaus des Westens(西のデパート)の頭文字をとって名づけられました。東西分裂時代の西ベルリンの富の象徴だったそうです。今でもドイツ最大級のデパートとしてこの場所に君臨しています。多くの観光客がそう…

  • ベルリンテレビ塔からの眺めとアレクサンダー広場

    シュプレー川岸の護岸にDDR博物館がありました。こんなところに博物館があるなんて思いもしないので、船着き場かと思ってしまいました。館内には、ドイツ国内でもポジティブに語られることが少ない旧東ドイツ(DDR)の日常生活をテーマごとに展示してあるそうです。ドイツの経済エネルギー省観光局の「ドイツで訪れるべき名所100選」に選出されている博物館なので、時間があれば訪れてみたかった・・・。 マルクス・エンゲルス・フォーラムは、大聖堂の近くの広場にありました。左に座しているのがカール・マルクス、右に立っているのがフリードリヒ・エンゲルスです。共産主義国家の経済を支え、一時は東ヨーロッパ経済をリードした二…

  • 遺跡まるごとペルガモン博物館

    www.churobird.work 1都市1博物館・美術館が芸術キャパシティの限界と自認しているわたしですので、初めから興味のある博物館を狙い撃ちすることに決めていました。博物館島にある早々たる施設の中で、わたしが躊躇なく選んだのはペルガモン博物館です。ペルガモン博物館には、館名の由来にもなった「ペルガモンの大祭壇」を始めとするギリシャ、ローマ、中近東のヘレニズム美術品、イスラム美術品などが展示されています。博物館島の中でもとりわけ人気が高く、というか恐らく一番人気だと思うんですが、行きあたりばったりさんの呼び声高いわたしもさすがに事前予約をして臨みました。 館内に入っていきなり目に飛び込ん…

  • ベルリン大聖堂と博物館島

    www.churobird.work シュプレー川にかかるシュロス橋を渡ります。早く大聖堂に行きたくてあまりよく見ていませんでしたが、あらためて見ると欄干のデザインも凝っています。 ボーデ美術館の周りには何台もクレーンが立っていて、「絶賛工事中」ですが、歴史ある建物にはもれなくついてくるお馴染みの風景なので仕方ありません。 そして、とうとうベルリン大聖堂とご対面!近くで見ると、その荘厳な雰囲気に圧倒されてしまいます。ターコイズブルーが印象的な高さ114mのドームとそれを支えるネオバロック様式の建物の放つオーラ、とうてい写真では表現することが出来ません。堅実で芯の強い民族性の表れたドイツの建築物…

  • 戦勝記念塔の女神と建国の立役者たち

    www.churobird.work 何のイベントなのかお祭り騒ぎのブランデンブルグ門をくぐって東側に伸びるウンター・デン・リンデンを歩こうと思っていたのですが、振り返ると、人だかりの向こうに映画「ベルリン天使の詩」でもその印象的な姿がおなじみの戦勝記念塔が見えていました。1㎞以上は離れているというのに頂上に輝く女神のオーラがスゴイです。というわけで、方向転換して勝利の女神を目指して歩くことにしました。 ベルリン・天使の詩 コレクターズ・エディション(初回生産限定) [Blu-ray] 出版社/メーカー: ジェネオン・ユニバーサル 発売日: 2012/11/02 メディア: Blu-ray ク…

  • ベルリンに残された東西分断の名残とアンペルマン

    遡ること4年前、2015年5月のベルリン旅行記です。 ゴールデンウイークにも関わらず、6万円という破格の安さで航空券が売りに出ていたので飛びついてしまいました。円高バンザイ!の時代です。お気付きかと思いますが、わたしの旅先の8割は航空券の値段だけで決まっています。となると、それまで考えてもなかった場所に急に決まることが多く・・・ベルリンも例外ではありません。長らく東西を分断していた壁が壊される歴史的瞬間の映像を見たことがあるせいで知った場所だと思い込んでいましたが、よく考えたら社会の教科書に書いてあること以外の知識は皆無。慌てて本屋に走っては見たものの、地球の歩き方「ベルリンと北ドイツ」の初版…

  • Harumi Sea Terrace ランチビュッフェレポート

    常日頃から旅先でその土地の美味しいものを食べることをミッションの1つにしていますが、普段から食べ歩きは大好きです。どちらかというとお気に入りの店はあまり人に教えたくない派ですが、期間限定のレストラン「ハルミ シーテラス(Harumi Sea Terrace)」のランチビュッフェに行ってきましたので、ちょっとだけレポートしてみます。 ハルミ シーテラス(Harumi Sea Terrace)は、ほっとプラザはるみという中央区の公共スポーツ施設の2階にありますが、区民や会員以外でも気軽に入れる340日間限定のレストラン・カフェ。https://www.chuo-hot.com/ お店の外観です。ビ…

  • グランド・プリズマテッィク・スプリング

    www.churobird.work いよいよ、わたしが一番見たかったグランド・プリズマテッィク・スプリングのあるミッドウェイ・ガイザー・ベイスンに向かいます。 ミッドウェイ・ガイザー・ベイスンはビスケット・ベイスンよりさらに6kmほど北上したところにあります。 駐車場からファイヤーホール川にかかる橋を渡ります。川沿いにゆらゆらと蒸気が立ち昇り、散在する間欠泉から時おり熱水が噴き上がる不思議な光景。「地球上で最も奇妙な川」という評価にあらためて納得します。 湧出した熱水が流れ込む川の土手は、繁殖したバクテリアで鮮やかに彩られています。流れ込む量は1分間に1900リットル!!ミネラル豊富な川には…

  • ブラック・サンド・ベイスンとビスケット・ベイスン

    www.churobird.work オールドフェイスフル・ガイザーからスタートしたガイザー・ヒルのトレイルには、これでもか!というくらい多くの間欠泉や熱水泉が並んでいましたが、広大なガイザーカントリーにはまだまだたくさんの見どころがあります。 まずは、ブラック・サンド・ベイスンから。オールドフェイスフル・ガイザーの西側一帯のこのエリアには黒曜石の砂が見られることに由来しています。でも、あちこちで立ち昇る蒸気にどうしても気が急いてしまい、足元など見ていなかったので、どれが黒曜石かなんて全く気にもしていませんでした。 ブラック・サンド・ベイスンで最も人気のある熱水泉がエメラルド・プールです。68…

  • 忠実な間欠泉「オールドフェイスフル・ガイザー」

    www.churobird.work いよいよ、ガイザーカントリーに戻ってきました。まずはこの国立公園で最大のビレッジがあるアッパー・ガイザー・ベイスンからスタートします。 ビレッジの中心はオールドフェイスフル。宿泊施設、レストラン、ジェネラルストアやカーリペアの出来るガソリンスタンド、郵便局、医療機関・・・なんでもありました。 アッパー・ガイザー・ベイスンには公園内で最大の目玉と言える間欠泉オールドフェイスフル・ガイザー(Old Faithful Geyser)があります。公園内で最初に名前をつけられたことを考えると「Old」は容易に想像がつきますが、「忠実な」を意味する「faithful」…

  • ヘイデンバレーからウエストサムに見る多彩な景色

    www.churobird.work わたしがロッジから外に出たのは早朝というにもまだ早い時間で、周囲は真っ暗でした。周囲に点在するロッジの人々をなるべく起こさないように夜逃げみたいに静かに出発しました。こんな時間に活動しているのは、決して時差ボケのせいではなくて、これから訪れる場所で夜行性の動物たちに出会えるチャンスを期待したからです。早朝の方が人が少なくてゆっくり出来るし。 オールドフェイスフルから反時計回りでイエローストーン湖沿いをフィッシングブリッジに向かいました。フィッシングブリッジにはビジターセンターがありますが、開いている時間でもないのでそのままヘイデンバレーに向けて北上します。…

  • ルーズベルトタワーとキャニオンカントリー

    www.churobird.work 黄葉が見れることを期待して、ブラックテイル・プラトー・ドライブというダートロードを走りたかったのですが、雪で閉鎖されていたのでグランドループで次の目的地に向かいました。 30分ほどでルーズベルトカントリーに到着。やたらと何でもかんでも「ルーズベルト〜」と呼ばれるエリアですが、セオドア・ルーズベルト第26代大統領に因んで名付けられたものです。多くのスポーツの中でもとりわけアウトドアスポーツにご執心だった大統領は、この辺りでキャンプを楽しんだそうです。 北ゲートもルーズベルトアーチと呼ばれているので、元大統領が訪れたのも1回や2回ではなさそうです。キャンプサイ…

  • 地球の息吹を感じるマンモスカントリー

    www.churobird.work 初日はUpper Loopからスタートしました。 最初の目的地マンモスカントリーはイエローストーンの8の字グランドループの左上にあります。ウエストイエローストーンからノリス経由で向かう予定でしたが、ノリスからの北上ルートは数日前から雪で不通。当面は開通しないようなので、キャニオンカントリーとルーズベルトカントリーを経由して向かいました。 ちなみにこの遠回りルートも雪による通行止めが前日に解除されたばかり。道路は除雪されていましたが、道中は完全な雪景色でした。 マンモスカントリーの手前の北口ゲート近くには、ホテル以外にもレストランやガソリンスタンドや診療所も…

  • グランドティトン国立公園 後編 ~パークロードを走る~

    www.churobird.work グランドティトン国立公園(https://www.nps.gov/grte/index.htm)後半に入ります。 ティトン・パークロードを南下し始めるとすぐにジャクソンレイクダムが見えてきました。このダムの堰から流れた先がスネークリバーです。国有地が原則の国立公園内にダムがあるという違和感・・・。農業用水の確保のためにグランドティトンが国立公園に指定された1929年より前に作られたものなんで仕方ないですよね。 このダムを出資・建設し、現在も所有しているのはアイダホの農家さん達です。実はこの公園の敷地の0.4%がまだ個人の私有地で、ダム以外にも空港や牧場まで…

  • グランドティトン国立公園 前編 ~名作シェーンの舞台~

    www.churobird.work 前日までの天気予報ではずっと雪マークだったグランド・ティトン国立公園(https://www.nps.gov/grte/index.htm)、朝の天気予報ではまさかの晴れマーク!!また雪や雨に変わったりしたら困るので、善は急げとばかりに車の窓ガラスにへばりついた霜を慌ただしく取り除いてアイダホ・フォールズを後にしました。 まずはスワンバレーを目指してスワンバレー・ハイウェイ(26号線)を東に向かいます。スワンバレーから31号線を北上し、次の町ビクターへ。ここからティトンパス・ハイウェイ(33号線→22号線)を東に向かえば、グランドティトン国立公園とイエロー…

  • 一夫多妻の家とユタ州議事堂

    www.churobird.work ソルトレイクシティ観光は続きます。 白い支柱が印象的なビーハイブハウスはブリガム・ヤングの自宅兼事務所として1854 年に建てられたものです。ヤングの義兄弟であるトルーマン設計の邸宅は1世紀以上前に建てられたとは思えないほど良好な保存状態でした。内部はモルモン教の歴史やヤング家の生活を紹介する博物館になっていました。 入場は無料ですが、もれなくモルモン教の宣教師ガイドがつきます。それが嫌で受付で引き返す人もいました。英語でかまわないと言ったのですが、日本語の話せる方をわざわざ呼び出してくれました。アサインされたのは日本人の母親を持つ若いアメリカ人女性で、研…

  • モルモン教会の総本山テンプルスクエア

    www.churobird.work 冬季オリンピックの開催が最近のことのようにも思えるソルトレイクシティ(2002年)は、迫害を逃れてこの土地にやってきたモルモン教徒が開拓した宗教都市として広く知られています。全世界にいる1500万人の信徒のうち14%がソルトレイクシティのあるユタ州に住んでいて、この街に暮らす人々の多くがモルモン教徒だと言われています。だから、モルモン教のことを知らずにこの街の観光を楽しむことはまず出来ません。 簡単に解説すると・・・モルモン教会というのは教典「モルモン書」に由来する通称で、立ち上げたのはわずか14歳のジョセフ・スミス・ジュニアでした。教派間の争いや矛盾に疑…

  • レンタカーで行くボンネビル塩湖

    2017年9月下旬、少し遅めの夏休みを取ってずっと行ってみたかったイエローストーン国立公園を訪れることにしました。 イエローストーン国立公園は、1872年に世界で初めての国立公園に指定されました。アイダホ州・モンタナ州・ワイオミング州の3つの州にまたがる8,980㎢の広大な敷地内に火山活動による観光スポットが散在しています。さらには地上に残された数少ない手付かずの巨大温帯生態系に暮らすたくさんの野生の動植物を間近で見ることができるので、アメリカで最も人気の高い国立公園なんです。 色々と検討しましたが、念願のイエローストーンを自分のペースで楽しむためにレンタカーでのひとり旅を決行することにしまし…

  • 各国首脳が歩いた歴史の舞台バンドン

    www.churobird.work 最終日、ホテルからタクシーでムルデカ(モナス)広場の東側にあるガンビル駅にやってきました。ジャワ島の主要都市を結ぶターミナル駅の割にはちょっと不便な場所です。その証拠が駅前に並ぶタクシーの列。 前日にコタ駅で買っておいた切符でジャカルタの東南200kmに位置するバンドンという街に向かいます。ここから3時間の列車旅です。 途中でスコールに降られながら、東南アジアらしい景色の中を抜けて列車は進みます。 列車は約3時間で定刻通りバンドンに到着しました。日本では知名度の低いバンドンですが、約250万人もの人が暮らすジャカルタ・スラバヤに続くインドネシア第3位の都市…

  • イスティクラルとジャカルタ大聖堂

    www.churobird.work イスティクラル・モスクは、モナス(独立記念塔)のある広場に面して建っていました。壁が格子状になった白亜の巨大な現代建築の建物は大きなドームがなければ普通のオフィスビルと変わらない形をしています。外壁には他のモスクで見かけるようなアラビア語の装飾文字が一切見当たりません。国の重要施設であることが窺える立地ですが、それもそのはず。イスティクラル・モスクはインドネシア国家がオランダからの独立を記念して1978年に建てた国立モスクなのです。だから、アラビア語で独立を意味するイスティクラルがモスクの名前になっているんですね。モスクのシンボルであるドーム屋根の直径は4…

  • ジャカルタ旧市街「コタ地区」と独立記念塔

    ジョグジャカルタから1時間のフライトでジャカルタにやって来ました。ジョグジャカルタに比べると観光スポットはかなり少ないようですが、少し街を歩いてみます。 当時のジャカルタ市内にはまだ地下鉄網が出来ていませんでした。市民の足はもっぱらトランスジャカルタというバスです。ジョグジャカルタのトランスジョグジャが普通のバスなのに対して、こちらは大型バスよりもかなり高い位置にドアがついていて、駅のホームのように地面より高くなっている停留所から車内に乗り込みます。専用道は道路の中央にあるので、停留所は中央分離帯の上にあり、利用者は歩道橋を使って停留所に渡るという交通量の多いジャカルタならではのしくみになって…

  • 女神の支配するパラントゥリティス海岸

    www.churobird.work ジョグジャカルタ最終日、せっかく東南アジアまで来たので、少しくらいはビーチリゾート気分を味わいたい・・・ということで、ジャワ島の南端にあるパラントゥリティス海岸まで行ってみることにしました。 パラントゥリティス海岸へは街の南側にあるギワガンバスターミナルからローカルバスが出ています。ギワガンバスターミナルは、中長距離バスも出る市内随一のバスターミナル・・・のはずですが、田舎のロータリーみたいな場所にボロボロだけどカラフルにペイントされたミニバンが数台並んでいて、想像とは違ったところでした。バスとは名ばかりのバンに乗車し、本当にこの車でたどり着けるのか・・・…

  • プランバナン寺院群 後編(プラオサン寺院・カラサン寺院・サリ寺院)

    セウ寺院から約1㎞ほど東に行くと美しい田園地帯の中にプラオサン寺院が姿を現しました。現在は南北の仏堂を中心にわずかな数の小祠堂が残るのみとなっていますが、周辺に積まれた瓦礫の量を見るとかつての規模の大きさがうかがえます。仏堂は西向きに建っていて、手前が北堂・奥に見えるのが南堂です。中央に並び建つ両堂の尖った屋根が逆立った髪のように天を衝いている様がとても印象的です。 こちらは北側から両堂の背面をみたものです。9世紀頃に建造されたプラオサン寺院は当時栄えていた王家同士の結婚を祝う為に建造されたと言われています。しかも結婚したカップルはヒンドゥー王朝のラカイ・ピカタン王と仏教王朝出身のスリ・カフル…

  • プランバナン寺院群 前編(ロロ・ジョングラン寺院とセウ寺院)

    www.churobird.work 次に二つ目の世界遺産プランバナン寺院群を目指します。といってもこちらもアクセス至便なジョグジャカルタの近郊にありました。寺院は郊外東側の5km四方の史跡公園内外に無数に点在しているということなので今回もタクシーを利用しました。 まず、向かったのはプランバナン寺院群の中心とも言えるロロ・ジョングラン(痩身の乙女)寺院群です。仏教遺跡のボロブドゥール寺院遺跡群と並ぶジャワ建築の最高傑作の一つであることは疑いようもありませんが、こちらは古マタラム王国のバリトゥン王が建立したヒンドゥー教の遺跡。ボロブドゥールの仏教寺院と同じ7〜8世紀頃に建造されています。争い事の…

  • 密林に覆われていたボロブドゥール寺院遺跡群

    ジョグジャカルタへ来た目的は2つの世界遺産を観光すること。まず1つ目、カンボジアのアンコールワット遺跡群やミャンマーのバガン遺跡群と並ぶ世界三大仏教遺跡の一つであるボロブドゥール寺院遺跡群を目指すことにしました。 目指すとは言ってもボロブドゥール寺院はジョグジャカルタの近郊にあり、市内からはバスでも行けちゃいます。個人でもハードルは全く高くありません。ただ、今回は朝日に照らされた密林の中のボロブドゥール寺院を見るというミッションのためタクシーを利用することにしました。 夜明け前にホテルを出発したタクシーは1時間30分弱でSetumbuの丘の麓に到着しました。Setumbuの丘は寺院から西に5㎞…

  • 古都ジョグジャカルタのクラトンとタマンサリ

    真夏の日本から真夏のインドネシアにやって来ました。首都ジャカルタから1時間ほどのフライトで降り立ったのはアジスチプト国際空港。 どこ?と言う声が聞こえてきそうですが、ジャワ島中心部の南岸に位置する古都ジョグジャカルタの玄関口です。インドネシアの京都的ポジションですね。 マリオボロ通り近くのホテルの窓から活気溢れるジョグジャカルタ市内をパシャリ。遠くにムラピ山が見えています。活火山のムラピ山が噴火すると山から一斉にムササビが滑降してくるので、ムササビ山とも呼ばれているとか。想像したらカワイイ・・・いや、ここは怖がるとこかな。 街を南北に貫くメインストリートのマリオボロ通りを歩いてみました。特別な…

  • ケルン旧市街とドイツグルメ

    www.churobird.work 大聖堂のすぐ南にローマ・ゲルマン博物館がありました。今回は入場しませんでしたが、ここにはローマとゲルマン文化が融合した時代の文化財が展示されているそうです。こんな一等地にローマ博物館?と思いましたが、ケルンはローマ帝国の植民地だったので、当然と言えば当然です。街の名前Cologneだってラテン語の植民地Colonia(コロニア)由来ですし。しかも、この土地に目をつけたのは初代皇帝アウグストゥスの盟友アグリッパ。つまり、街の歴史はローマ帝国と共に始まったと言っても過言ではありません。最盛期には3万人が暮らしていたそうですから、文化財がザクザク出てきたって不思…

  • 世界最大のゴシック建築 ケルン大聖堂

    www.churobird.work 帰国日前日、ユトレヒトから列車で2時間。空港のあるデュッセルドルフを通り過ぎてケルンに向かいました。ケルンの街の中心部に入るずっと手前から壮大なゴシック建築が見えていて、ケルン中央駅が近いことにはすぐに気が付きました。いやはや遠くから見ても大迫力。 ケルン中央駅すぐの広場から見たケルン大聖堂(ザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂)の正面像です。広場の端っこまで下がってみましたが、カメラではその全景を収めることが出来ません。世界最大のゴシック建築の圧倒的迫力を表す言葉はそう簡単には見つかりませんよ。天を衝くようにそびえる2本の尖塔のドイツらしい荒々しさと…

  • ミッフィーの故郷ユトレヒト

    www.churobird.work アムステルダムから列車で南に30分、やってきたのはミッフィーの生まれ故郷としても知られるオランダ第4の都市ユトレヒトです。 中世の街「ユトレヒト」で、お出迎えしてくれたユトレヒト中央駅のあまりの近代的な様子にびっくりです。ユトレヒト中央駅は1973年に開業した駅舎を基に再構築されたオランダ最大の駅です。人口30万に満たないユトレヒトにあって、この駅の利用者は1日17万人以上と国内最多。オランダのほぼ中央に位置しているので接続列車の数も多く、1日あたり最大900本以上の列車が発着します。つまり、この駅でトラブルや事故が起こるとたちまち国中の鉄道網が乱れるとい…

  • ザーンセスカンス風車村とオランダグルメ

    www.churobird.work 午前中にチューリップ畑を見た後は・・・次なるオランダらしい風景「風車」を目指してみたいと思います。 オランダには二つの有名な風車村があります。一つはキンデルダイク風車村。世界遺産にも登録された絶景スポットですが、ロッテルダムの郊外にあります。残すところ滞在半日のわたしにはちょっと厳しい・・・。そこで、今回はアムステルダムから片道40分で行けるアクセスが便利なもう一つのザーンセスカンス風車村に行ってみることにしました。 アムステルダムからザーンセスカンス風車村へは、アムステルダム中央駅から発着する列車かバスでアクセスできます。今回は15分毎に出ている列車を選…

  • チューリップ咲き誇るキューケンホフ公園

    www.churobird.work オランダの景色と言えば・・・果てしなく広がるチューリップ畑。あまりに有名な春の風物詩ですが、オランダならどこでも見れるというわけではありません。アムステルダム市内を観光していてもせいぜい花市や植え込みの花を見ることが出来るくらいです。そこで、ザ・チューリップの国という景色を見るためにキューケンホフ公園に出かけることにしました。 キューケンホフ公園はアムステルダム郊外の南ホラント州リッセにあります。32ヘクタールにも及ぶ巨大な庭園内に800種類以上、700万株以上ものチューリップをはじめとする春の球根植物が咲き誇る世界最大の花の公園です。 キューケンホフ公園…

  • アムステルダム国立美術館 後編

    東インド会社の全盛期、17世紀のオランダで活躍した木造帆船プリンス・ウィレム号の模型です。全長73.5m、約2000トンは当時のオランダで最大規模でした。大きさにもびっくりしますが、木造船が通算5回もバタビア(現在のジャカルタ)まで航海したということにビックリします。何故だか、なんとなくこの船に懐かしさを感じていましたが・・・実は以前、日本にもこの船の復元模型がありました。しかも実物大!1985年に長崎の旧オランダ村が、実物大の復元模型をオランダの造船所に14億で発注。観光の目玉でしたが、経営不振のため購入時の10分の1以下でオランダのテーマパークに売却されました。オランダに帰れて良かったのか…

  • アムステルダム国立美術館 前編

    www.churobird.work チューリップ、風車、ハイネケンのイメージの強いオランダですが、多くの芸術家(それも巨匠と呼ばれるレベル)を輩出していることでも知られています。ゴッホやフェルメール、レンブラントならわたしでも聞いたことある名前・・・なんだったら作品を鑑賞したことだってありますもんね。実は、アムステルダムは大小様々な博物館や美術館がある芸術の街でもあります。運河巡りに疲れたらどっぷり芸術に浸かってみるのもあり!? とは言ったものの、今回は数ある美術館・博物館の中から国立美術館一本に絞って鑑賞することにしました。名だたる美術館が他にもたくさんあるのに勿体ない!とお叱りを受けるか…

  • 運河の廻る街アムステルダム 後編 

    www.churobird.work 王の休日に訪れたら、お祭り騒ぎの人ごみと移動遊園地で身動きが取れなくなったドム広場。移動遊園地の撤去を見計らって再訪してみました。左手に見えるのが王宮で、右側の美術館のように見える建物が新教会です。 1655年に建造された王宮は、1808年にナポレオンの弟ルイ・ボナパルトが接収するまではアムステルダムの市庁舎でした。貿易で栄えていたアムステルダムの底力を見せつけるような立派な建物です。返納された王宮を市が王室に献上し、現在は迎賓館として使用されています。 王宮の隣に建つ後期ゴシック様式の新教会は名前ほど新しい訳ではなくて15世紀の建物です。初めて見た時から…

  • 運河の廻る街アムステルダム 前編

    www.churobird.work アントワープから列車で約1時間30分。国境は超えたけど意外と近かった今回の目的地はオランダのアムステルダム。 宿泊先はアムステルダム中央駅にほぼ直結のホテル。窓から駅前広場や運河が見えています。それにしても駅前の駐輪場が半端ないことになっています。 駅前広場からは運河クルーズが次々と出航していました。人混みとクルーズの呼び込みを掻き分けて駅舎観光からスタートです。 3階建てのレンガ造りのアムステルダム中央駅はネオゴシックとネオルネサンス様式のミックスで、アムステルダム国立美術館と同じくカイペルスらの設計です。だから、国立美術館とそっくり!実は・・・今回の旅…

  • 印刷博物館と鉄道の聖堂

    www.churobird.work アントワープ大聖堂を出て、かつてアンティゴーンという巨人がそこを通る船に法外な通行料を課したというスへルデ川沿いまで出てきました。振り返るとネーデルラントでは最も高い建築物だというアントワープ大聖堂の123mの尖塔が空を突き刺すのように伸びています。ちなみに2位はブルージュにある聖母教会の122m。聖母教会が先に建造されたことを考えると明らかにこの1mは意図的だな・・・と思えます。 スヘルデ川沿いを歩いてみましたが、地図で見るよりも川幅が広く感じました。伝承では巨人がこの川を跨いで立っていたことになっていますからかなり背が高かったはず。鬼と一寸法師みたいな…

  • アントワープ大聖堂でネロが最期に見たルーベンス

    www.churobird.work フランダースの犬はアントワープ郊外のホーボーケンという架空の村が舞台になっています。そして、ネロとパトラッシュが天に召されたクライマックスシーンの舞台はアントワープ大聖堂。その聖堂内にはそこらの美術館も敵わない傑作の数々が収められていることでも知られています。ルーベンスに限ってもネロの憧れた「キリスト昇架」や「キリスト降架」だけではありません。いよいよアニメの聖地にして芸術の殿堂アントワープ大聖堂へ入ってみます。 この旅行記を読んでくださってる方はお気づきかと思いますが、わたしは芸術への造詣がゼロに近い不粋なタイプですので、深く理解する事はまずもって苦手で…

  • ブラボー隊長と巨人の手首 in アントワープ

    今回、飛行機から降り立ったのはドイツのデュッセルドルフ国際空港。ここを選んだ理由は今回もいつもと同じ・・・安かったから!そこからまずは列車で15分弱のデュッセルドルフ駅へやってきました。駅の近くのバス停から最初の目的地へ向かいます。 バスで3時間弱、最初の目的地ベルギーのアントワープに到着しました。実はこの旅行は2016年4月。3月22日にベルギーのブリュッセルで空港とマールベーク駅を標的にした連続爆破テロがあったばかりでした。多数の死傷者を出したテロの直後、空港や駅にはいつにも増して緊張感のある重い警備が敷かれていて、日常を取り戻しつつある人々の表情も怒りと悲しみで曇っているように感じました…

  • スペイン公共交通機関のストライキからの帰国

    www.churobird.work バスク地方は ・人が親切!拙いわたしのスペイン語も根気よく相手してくれました。 ・街がキレイ!歩きやすく整備されていて、ゴミなんか転がっていません。 ・治安が良い!夜間の一人歩きも心配なし。むしろ千鳥足の酔っ払いの無事をこっちが心配するくらい。 ・観光客がそれほど多くない!人混みがほとんどなく絶景も独り占めのチャンス多し。 ・何よりも食べ物が美味しい!これに尽きます。 到着早々にビルバオを含めたバスク地方をとても気に入ったわたし。マドリードからの帰国便が出発する当日ギリギリまでビルバオに滞在することに決めていました。 行きと同じようにネットでスペイン国鉄の…

  • ゲルニカの悲劇にみたバスクのプライド

    ビルバオの旧市街にあるバスク鉄道駅にやってきました。旧市街にぴったりのレトロな駅舎です。ここからバスク鉄道で次なる目的地に向かいます。 バスク鉄道という名前からトロッコ列車的なレトロさを想像していたら、やってきたのは予想に反して今時の列車。ガステルガチェに行く時にも立ち寄ったベルメオに向かう途中に今回の目的地があります。 バスク鉄道45分の旅で到着したのはゲルニカ駅。駅がある辺りは街の中心地なんですが、長閑な田舎町という感じでこじんまりとした駅舎がぴったりの雰囲気。さらっとゲルニカと書きましたが、このワードに聞き覚えのある人も多いはず。真っ先に思い浮かぶのは、ソフィア王妃芸術センターに展示され…

  • 海に浮かぶ教会ガステルガチェ

    www.churobird.work バスクで外せない観光地の一つは、2014年に調査会社がスペイン人対象で行った調査で、他の名だたる名所を抑えて「自然が美しい観光名所」第1位に選ばれたサンフアン・デ・ガステルガチェです。もちろん、わたしがこんな調査の存在を知る由もありません。この長い名前の景勝地を知っているの理由はただ一つ・・・「ゲーム・オブ・スローンズ」シーズン7のロケ地だからです。例えドラマファンでなくても、スペインの万里の長城ともモン・サン・ミシェルとも例えられるガステルガチェを見たらハートを射抜かれることは間違いありません。 思いつきでやってきたバスクなので、ガイド本は持っておらず(…

  • ビルバオ旧市街でバル巡り

    www.churobird.work ネルビオン川に沿って旧市街へ向けて南下し、ホテルの近くまで戻ってきました。降りしきる雨のせいでわたしのように川沿いを歩いている人もあまりいません。 アレナル橋を渡るとネルビオン川に面して見えてくるネオバロック様式の建物がアリアーガ劇場です。ビルバオ市庁舎と同じくホアキン・ルコバの設計で1890年に開場した。これまでには火災や集中豪雨による川の氾濫で深刻な被害を受けたこともありましたが、1985年には大規模修繕工事が行われました。 アリアーガ劇場に面するように建っているのはサン・ニコラス 教会です。1756年に完成したバロック建築のカトリック教会はイグナシオ…

  • 巨大パピーと巨大蜘蛛のいる街ビルバオ

    www.churobird.work マドリードの混雑にちょっと疲れてきたわたしが次に向かったのはバスク州ビスカヤ県の県都ビルバオでした。 今回の旅でバスク地方に足を伸ばしてみようと思ったのは旅するスペイン語というNHKの語学番組がきっかけです。2016〜2017年放送の第1シーズンで俳優の平岳大さんが旅した舞台がバスク地方で、その雄大な自然と独特に発達した文化(特に食文化)・・・かねてから絶対に行ってみたいと思っていました。 カンタブリア山脈とピレネー山脈に挟まれたイベリア半島の北端に位置するビルバオは地理的にバスク地方の玄関口であるだけでなく、その都市圏に北部スペインで最も多い約100万人…

  • マドリードの家庭料理と雑感

    www.churobird.work スペインでの最初の食事はベタに食前酒のサングリアと前菜の生ハムでスタートしました。すっかり忘れてしまっていましたが、スペインの食事は大容量。おつまみとして最適の塩加減の美味しい生ハムもこんなにあると最終的には苦行に変わります。 マッシュルームのスープとシーザーサラダ。ヨーロッパでは良く目にするマッシュルームスープ。ただでさえキノコ好きなのに旨味成分が詰まった程よい塩加減のスープはついついパンに手が伸びてしまいます。シーザーサラダはチーズも海老もたっぷり。大容量の料理を見るたびに来日したスペイン人が日本のレストランでひもじくないかちょっと心配になりますね。 …

  • 古都トレドの旧市街を歩く

    前回のマドリード旅行ではスケジュールの都合で世界遺産の街のうちトレドかセゴビアか2択でした。迷わずトレドを選んで、その時に買ったトレド名産の金細工のブローチが奇跡的に家に残っていました。↓前回はツアーだったため要所を抑えることが出来たものの、ただ街をブラブラするというゆとりはありませんでした。今回は主にブラブラする目的で古都トレドまで行ってきました。 またまたマドリードからバスで1時間。トレドのバスターミナルから観光をスタートすると一般的なルートとは逆走気味になります。 すぐに旧市街を取り囲むアラブ城壁と石造りの大きなビサグラ新門が見えてきます。門の中央に刻まれたトレドの紋章はハプスブルク家の…

  • 城塞都市セゴビアとローマ水道橋

    マドリードから日帰りでやってきたのは城塞都市セゴビアです。マドリードから80kmの5万5000人が暮らす地方都市には10年前に行き損ねた因縁の世界遺産「セゴビア旧市街と水道橋」があるんです。世界遺産ハンターを自称する以上、今度こそ見逃すことはできません。 セゴビア駅が郊外なので列車を諦め、安くて便利なバスを利用しました。地下鉄モンクロア駅と直結のバスターミナルから出発したバスは約1時間でセゴビアのバスターミナルに到着。ここからお目当てのローマ水道橋まで歩いて約10分です。 バスターミナルから水道橋に向かって歩き初めるとすぐにムハデル様式の教会がありました。10世紀頃に建築されたセゴビア最古の教…

  • 贅を尽くしたスペイン王宮

    www.churobird.work 10年前にも訪れたマドリード。写真をあまり撮ってなかったこともあり、だいぶ記憶が薄れていました。おかげで?新鮮な気持ちで王道観光を楽しめました。 さて、10年前の記憶を掘り起こしてみると・・・王宮に行った記憶がないんです。なぜこんなメジャーな観光スポットをスルーしたのか・・・やっぱり思い出せません。 王宮はカサ・デ・カンポを見下ろす小高い丘に建っています。最寄駅はオペラ駅。地下鉄の出口から出るとすぐに王立劇場(テアトロレアル)がありました。1850年に落成した歌劇場は1997年のリニューアルを経て、バレエやダンスの公演、クラッシックコンサートも開かれるマド…

  • 10年ぶりのマドリード

    2018年のGW。思いつきでマドリード旅行を決行しました。なぜ思いついちゃったかと言うと、2年前にアンダルシアを旅行した時に買ったガイド本が「マドリッドとアンダルシア」だったから!ただそれだけのことです。アンダルシアの部分しか使ってないのでガイド本の情報が古くならないうちにマドリードにも行っとこ!と思い立ったわけです。 バラハス空港に降り立ったのは10年ぶり。友人とマドリードとパリというベタな旅行をして以来です。あの頃は初々しかった・・・警戒し過ぎて海外慣れしてないのがバレバレでかえってぼられたっけ・・・なんて昔の痛い思い出を振り返りながら、空港から宿泊先のホテルにまで地下鉄で向かいました。 …

  • 聖なる泉セノーテで泳ぐ

    チチェン・イッツァ遺跡観光を終えた正直な感想は・・・こんな密林な高度な文明を築いたマヤ人のことはとても尊敬できるけど、おどろおどろしい話が多すぎる・・・でした。彼らなりのちゃんとした理由や根拠があっての儀式なので、どんなに意味不明で残酷に見えても今の物差しで断じることは出来ませんけど、それでも心臓の弱い人はピラミッドを眺めて写真を撮ったらガイドの説明に耳を閉ざすくらいの方がいいのかもしれません。 www.churobird.work アグア・デ・ハマイカを飲んで気を取り直します。甘味と酸味があって汗をかいた後にはピッタリのハイビスカスジュースでした。 チチェン・イッツァ周辺には川や湖沼がなく、…

  • チチェン・イッツァのマヤ遺跡

    夜間のお祭り騒ぎが嘘のようなカリブ海の夜明けです。 カンクンのホテルゾーンから車で2-3時間かけてチチェン・イッツァにやって来ました。1988年に世界遺産に登録されたマヤの遺跡のチチェン・イッツァは後古典期には北部マヤの中心地として栄華を極めた広大な遺跡群です。 さっそく、旧チチェン・イッツァ領域からスタートです。 お土産物屋さんの並びを抜けると高僧の墓と呼ばれる小さめのピラミッドが見えてきました。8段の石積みの上に建つ数本の石柱は恐らく神殿跡で、ここでなんらかの儀式が行われていたと思われます。高貴な身分の人のお墓でもあったみたいでここから複数の装飾品が見つかっています。階段の最下部にはマヤの…

  • カリブ海を空中散歩

    www.churobird.work メキシコシティで宿泊したホテルはヨーロッパにもチェーン展開しているグループなんですが、英語がほとんど通じませんでした。レセプションスタッフの一人がちょっと話せるくらい。しかも彼は新人さんでホテル周辺のレストランさえ案内できない頼りなさ。朝食を食べれないのでランチボックスが欲しいと伝えたのに、それも通じてなかったみたいで・・・出発しようとすると朝食レストランに案内されてしまいました。出発時間にはまだ朝食レストランは開いてないからムリって言ったのあなたじゃん!と思いながら朝からしっかりタコスを頂きましたけど。さらに食後にランチボックスまで渡されて・・・???サ…

  • 国立人類博物館 後編

    www.churobird.work メヒカ(アステカ)室はこの博物館のなかでも最大のスペースをとっていました。展示品の多くはメキシコシティの地下から発見されたものです。 かつてのメキシコシティでもあるアステカ帝国の首都ティノチティトランは湖に浮かぶ都市でした。伝説の地アストランで暮らしていたアステカ族は「サボテンの上で蛇を食べている鷲がいる地」という予言に導かれて13世紀にメキシコ盆地に到着しましたが、当時のメキシコ盆地には新参者の住む場所はありませんでした。先住国の攻撃を逃れるように移ったテスココ湖の小島で「サボテンの上で蛇を食べている鷲」を目撃し、小島に定着し、その地を都として国を建てま…

  • 国立人類博物館 前編

    この日の最後に訪れたのはチャプルテペックの森にある国立人類博物館です。メキシコ各地の遺跡から集められた出土品やレリーフなどの貴重な文化財が13万点以上あり、そのうち6000点が展示されている世界有数の博物館です。つまり、ほとんどがお蔵入りなので展示されてる=すごく価値があるってことです。 展示室の建物が中庭をコの字型に囲んでいて、その中央にはレリーフが施された金属製の巨大な柱状噴水がありました。かなりの水量で涼しげな空間を作り出していました。 1日中かかっても全て回るのは難しそうなのにわたしに与えられた時間は2時間。思い切って、午前中に訪れたメヒカ(アステカ)とテオティワカン、そして観光予定の…

  • テオティワカン遺跡のピラミッドに登る

    www.churobird.work バスが向かったのはメキシコシティから約50km北にあるテオティワカン遺跡。 紀元前2世紀頃に建造されたメソアメリカ最大の古代都市はその最盛期の人口が20万とも言われています。ところが600年頃に何故だか滅亡しています。テオティワカンに対抗できるような勢力はなかった時代なのでクーデターが原因だと考えられていますが、真相は不明のままです。そして20万人もいた人々がどこに消えてしまったのか?という疑問も残ったまま。廃墟と化したこの都市遺跡を13世紀に見つけたアステカ人がテオティワカン(神々の集う場所)と命名しました。1987年には世界文化遺産にも登録されているメ…

  • バチカンとNASAが認めた奇跡

    メキシコシティでは街を歩いていると、地元の人に「写真を撮って」と話しかけられます。写真を撮るのが上手そうに見えるのか旅先で撮影を頼まれることが本当に多いので今回もシャッターを頼まれたと思いましたが、そうではなく一緒に写真に入ってくれという意味でした。これはガイド本にまだ書いていない新しい詐欺か?と警戒しましたが、どうしたって犯罪者には見えない人の良さそうな親子連れや中・高校生くらいの若者にモジモジしながら頼まれると断ることもできず・・・何組も写真を撮る羽目になりました。もしかしてこっちのアジア系有名人に似てるのか?とも思いましたが、そんなわけでもなさそうです。あとで現地在住の日本人に聞くとメキ…

  • メキシコシティ上陸

    www.churobird.work 夜通し続いた「VIVA!!MEXICO!(メキシコ万歳!)」の叫び声が聞こえなくなってきたのは夜が白み始めた明け方のことでした。 ホテルのスタッフから屋上テラスで朝食をとるか聞かれたので、迷わず外で食べることにしました。朝靄のかかるグアナファトの街は昨日の喧騒(夜中のどんちゃん騒ぎ)が嘘のようにひっそりとしていました。朝食はトースト・フルーツ・フレッシュジュース・コーヒーのシンプルなものでした。海外のホテルのビュッフェスタイルの朝食では食べ過ぎて後悔することが多いので、ちょうど良いと感じました。この景色の中ならコーヒーだけでも十分に贅沢な朝食になったかもし…

  • シルバーラッシュのその後に

    www.churobird.work この赤茶色の壁の建物は有名な壁画作家ディエゴ・リベラの生家です。現在では博物館になっていて彼が住んでいた当時の調度品や家具だけでなく、壁画作品なども飾られているそうです。残念ながら独立記念日のため閉館していました。家の大きさからするとかなり富裕だったことが伺えます。20歳以上も若い妻フリーダ・カーロも画家として有名ですが、映画にもなった波瀾万丈の人生とその才能から妻の方が有名と言えるかもしれません。 ディエゴ・リベラの生家から1〜2分歩くと幅広く長い石段が特徴的な白亜のグアナファト大学が見えてきました。子弟の教育のためにイエズス会が1732年に建設したグア…

  • 太陽の国のコロニアル都市

    GW直後から今年の夏休みはどこに行こうか・・・と思案していた2016年夏。いくつかの候補地から選んだ行き先は↓↓↓見所の多いメキシコを旅先に選んだというのに取れた休みは土日を含んで7日。あんなに広い国を5泊7日で・・・?ということで、普段の気ままさを封印して見所を最大限に盛り込んだ弾丸旅行計画の出来上がり。その名も・・・ 世界遺産とちょっぴりビーチリゾートの旅 1日目 成田からグアナファトへ 成田 11:15発→(NH174)→ヒューストン9:30着/11:25発→(UA6181)→グアナファト13:40着 グアナファト市内観光 グアナファト泊 2日目 グアナファト市内観光 バスでメキシコシテ…

  • 寄り道帰国とその他諸々

    とうとう迎えた帰国日。 ブラチスラヴァからウィーン国際空港まではわずか50kmほど。国境は超えるものの通勤圏内の距離なので、物価の互いウィーン前泊を避けてブラチスラヴァ中央駅からの列車に乗りました。ドナウ川に後ろ髪を引かれながらの空港到着。 全日空の直行便で羽田に帰るツアーの皆さんを羨望の眼差しで見送り・・・人は人と自分に言い聞かせながらの長〜い飛行機の旅が始まりました。帰りの行程は、 ウィーン→北京(中国入国→出国)→金浦(韓国入国)→仁川(韓国出国)→岡山→羽田 通しの発券ではないので、行きと同じく中国と韓国でそれぞれ入出国の手続きが必要です。それに加えて、空港変更もある韓国では同日の日本…

  • 取り壊し寸前だった王宮とスロバキアグルメ

    聖マルティン大聖堂のすぐ目の前にはホロコーストの犠牲者を悼む記念碑がありました。忘れないという言葉が添えてあり、お花だけでなくブダペストのシナゴーグと同じように朽ちないことで永遠を意味する石がたくさん備えられてありました。 その南側にあるスロバキアの詩人の名を冠したフヴィエズドスラヴォヴォ広場にはペストの終焉を記念して建てられた三位一体の像がありました。プラハやブダペストで見たものに比べるとこじんまりしています。それにしても、ペスト終結の記念像はヨーロッパのあちこちの都市で見られますが、人口が大きく減るような大惨事の終焉は本当に本当に嬉しいニュースだったんですね。 旧市街の南にあるドナウ川沿い…

  • 半日で歩く中世の街

    www.churobird.work 再びやってきたのは、ブダペストのケレティ駅。料理も美味しいし、見るものも多いし、出来ればもっと滞在していたい・・・。でも、帰国便のでる翌日のお昼前にはウィーンの飛行場にいなければなりません。当日の朝にブダペストから空港に向かうことも考えましたが、宿泊したホテルが満室で延泊できなかったこともあり後ろ髪を引かれながらお気に入りのブダペストを旅立つことにしました。 ネットで予約したばかりのチケットを発券機で受け取り、列車に乗ること2時間半。 着いたのはスロバキアの首都ブラチスラヴァ。またまたウィーンを避けてしまいました。オーストリアに1ユーロのお金も落とさない!…

  • 魅惑のハンガリーグルメ

    www.churobird.work ハンガリーと聞いて真っ先の思い浮かぶのはトカイ地方産地「トカイワイン」。貴腐ワインと言えばピンと来る人も多いかも?フルーティながら蜂蜜のような甘さは食前酒・食後酒にぴったりです。2つの川が合流するトカイ地方では、秋から冬の朝方に濃霧が発生する独特の気候でブドウに貴腐菌というカビがつきます。カビと聞くと「ウェッ」な気もしますけど、貴腐菌のついたブドウは水分が少なくて糖度が高くなるので、甘い貴腐ワインが出来上がるというわけです。果物は腐りかけが美味しいってやつですね。 きっかけはオスマン帝国の侵略。人々が村を離れている避難している間に、ブドウが収穫時期を逃して…

  • ゲッレールトの丘の悲劇

    www.churobird.work ブダ地区には王宮の丘を含めた3つの丘が連なっています。北から高級住宅地のあるバラの丘、観光名所の集まった王宮の丘、そして一番南にあるのがゲッレールトの丘。このゲッレールトの丘から見える景色がブダペストで最も素晴らしい!!らしい。それに、わたしには遠くから見えるこの丘にずっと気になっていたものがありました。。 リバティ橋をペスト側から渡って来ると川岸に面したゲッレールトの丘の麓の大きな岩の上に十字架が立っているのが見えます。わたしが気になっていたものの1つ目はこれなんです。 もう少し近づいてみると・・・岩をくり抜いたような白みがかった建物が見えてきました。こ…

  • 巨大シナゴーグが見たユダヤの嘆き

    www.churobird.work ブダペストにはヨーロッパ最大規模のシナゴーグ(ユダヤ教会)があります。ちなみに、エルサレムのベルツ・シナゴーグ、ニューヨークのエマニュエル・シナゴーグに次いで世界第3位の規模。プラハにもゴーレム伝説の残る新旧シナゴーグがありましたが、タイミングが悪くお休みとぶつかって中に入れなかったので、ここには絶対に行きたい!と思っていました。www.churobird.work お目当てのシナゴーグはペスト地区のドハーニ通りにありました。かつてのユダヤ人移住地区らしく、現在でも多くのユダヤ系住民が暮らしているようです。独特の服装のユダヤ教徒らしき人もチラホラと見かけ、…

  • 世界一美しい国会議事堂

    www.churobird.work 観光客でごった返すフニクラ頂上駅を後にし、大統領公邸を右手にみながらドナウ川に沿うように北上して行きます。ブダの街を眺めながら歩いて、たどり着いたのは三位一体広場。 そこで、目に飛び込んできたのはゴシック様式の尖塔が特徴的なマーチャーシュ教会でした。約80mのマーチャーシュの塔が、天を突き刺すようにそびえ立っています。この教会の起源は1015年に遡りますが、ここで登場するのが予想通りの初代国王イシュトヴァーン1世。建国の父は戴冠式だけでなく二度の結婚式をここであげています。それ以降、歴代国王の戴冠式はほぼここで行なわれてきました。ザ・聖地ですね。 正式名称…

  • 王宮の歴史と青きドナウ

    www.churobird.work くさり橋を渡ると、アダム・クラーク広場の向こうに大きく口を開けたようなトンネルが見えます。ハンガリー国内道路の0km地点にあたるこの場所からブダ城の下を抜けるブダ城トンネルは、映画通の方ならエディ・マーフィーとオーウェン・ウィルソンの「アイ・スパイ」でのぶら下がりシーンを思い出すかもしれませんね。アイ・スパイ以外にも多くの映画の撮影に使われてきたこのトンネルの設計者は広場の名前にもなっているアダム・クラークです。 トンネルの横にはブダの王宮の丘へ登っていくフニクラ(ケーブルカー)乗り場があり、観光客の行列ができていました。聖イシュトヴァーン大聖堂でエレベー…

  • 大聖堂とくさり橋と二人のイシュトヴァーン

    www.churobird.work ブダペストをより深く知って町歩きを楽しむために、絶対に知っておかなければいけない人物がいます。何度も耳にするその方の名前はイシュトヴァーン1世。六端十字架を手に他の英雄を率いる堂々とした英雄広場でのお姿が記憶に新しいあのお方です。↓↓↓アジア系の遊牧民を祖先に持ちながら初代国王となり、国の発展のためにキリスト教をハンガリーに根付かせた聖王とも呼ばれる英雄の中の英雄。凄すぎて1083年には列聖されました。つまり、聖人になっちゃったってことですよね? その英雄の名を冠した聖イシュトヴァーン大聖堂は、美しいブダペストの街並みの中でひときわ存在感を放っています。路…

  • ドナウの真珠、温泉都市の英雄達

    www.churobird.work まだ夜明け前のプラハ中央駅。旧駅舎のメインエントランスとは違って近代的かつ機能的な造りのコンコースからチェコ国鉄で6時間の旅が始まります。 長旅になるので念のため予約した座席は、6人用コンパートメント貸切の快適な移動でした。ガラガラだったわけではないので、人々が伸び切って爆睡している怪しげなアジア人を敬遠したのかもしれませんね・・・。 しばらくするとブラッドリー・クーパーを頼りなくした感じのお兄さんが車内販売にやってきました。2ユーロのコーヒーに5ユーロ札で払ったらすまなさそうに小銭を掻き集めてお釣りをくれました。今日が勤務初日か?と思うような辿々しい手つ…

  • 百塔の街はビール天国

    www.churobird.work チェコと言えば・・・ビールの個人消費量が世界第1位の国!ビールと言えばドイツだと思っていたのに、ドイツやベルギーを抑えての堂々の首位!!(ちなみに日本は40位) チェコ人は水代わりにビールを飲むと言われるようですが、ミネラルウォーターより安くで飲めるので、あながち嘘じゃないのかもしれません。実際にモーニングと思しき食事でコーヒー代わりにビールを飲んでいる場面には何度も遭遇しました。 チェコにはたくさんのブルワリーがあり、ビールの種類も多彩です。その中でも最もメジャーな銘柄がピルスナー・ウルケル。現在、世界で流通しているビールのほとんどはピルスナーで、チェコ…

  • ジョン・レノンとフランツ・カフカ〜トラムで巡る百塔の街〜

    トラムの旅は続きます。 www.churobird.work カレル橋を渡ったマラーストラナ地区の南側に一面が落書きされたカラフルな壁があります。この壁、本人がプラハを訪れたことは一度もないというのにジョンレノンの壁と呼ばれています。 元々はなんの変哲もない白壁。ジョンレノンが亡くなって以降、その白壁に彼への哀悼を示す人々が彼の肖像画やメッセージを書き込み続けてきました。ジョンの思想に共感した落書きで埋め尽くされた壁は、共産党体制の政府や警察によって白く塗り替えられましたが、再びすぐに落書きで埋め尽くされたそうです。 こんないたちごっこが延々と繰り返されたのは、チェコ国民が単にジョンを愛してい…

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