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2019/04/13

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  • 人の計画と主の導き

    箴言19:21『人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。』知識のある人、力のある人、政治家、科学者、神学者、牧師、クリスチャンも自分の計画で人生を生きることが多いです。イスラエルの民も、自分たちに対する主の計画があるにも関わらず、それを無視して自分たちの計画や思いのままに進んで主のさばきを受けました。主の計画を無視することは、主に敵対することです。進化論を信じる人たちに創造主は存在しません。神もいない、地獄も天国もないと彼らは信じています。そしてすべての中心は人間だと思い、すべてを人間の思いのままに計画します。しかし神の目には彼らはみな愚かな者です。すべてを造ったのは神であり、神がすべてに対して計画を持っているので、彼らの計画はむなしいものになります。人間は明日のことが分かりません。自分の計...人の計画と主の導き

  • しあわせになるために

    申命記10:13『あなたのしあわせのために、私が、きょう、あなたに命じる主の命令と主のおきてとを守ることである。』アダムとエバがエデンの園にいた時、彼らには何の心配もなく、悩みもなく乏しいこともなく、互いに愛し合って幸せな者でした。しかしその幸せが一瞬にして消えました。そして彼らはエデンの園から追い出されました。彼らに何があったでしょうか。幸せが不幸に変わったきっかけは何でしたか?一つの理由がありました。彼らが主の命令を破ったからです。彼らが主の命令に従っていた時には何の問題もありませんでした。神の祝福の中に生きることが出来ました。しかし神の命令を破った者にあるのは呪いです。呪いの人生から幸せな人生になりたいと願うならば、主の命令を守ることです。今までの不従順を悔い改めて、主に従順するならば、主は呪いの人生を祝...しあわせになるために

  • 偽りのない愛

    ロ-マ12:9『愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。』真実な愛は誰もが求める愛です。しかし真実な愛はとても難しいです。真実な愛はどれくらい愛するのかで判断するのではなく、どれくらい相手に自分の真実を見せるのかで分かります。それも、その真実をずっと貫くことが出来る時に、真実の愛と言えます。偽りの愛ほど人を傷つけるものはないです。ですから神は愛には偽りがあってはならないと語りました。真実な愛は神が私たちにすでに示しました。ロ-マ5:8『しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。』また真実な愛はこのような愛です。第1コリント13:4-8『愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自...偽りのない愛

  • いつ報いを受けるのか

    マタイの福音書25:33-34『羊を自分の右に、山羊を左に置きます。そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。』神を信じた後の方が、信じる前よりも多くの戦いがあります。捨てなければならないもの、変わらなければならないこと、守らなければならなないものが増えます。またそして礼拝と奉仕で自分の時間もささげないといけないです。みんなが歩む広い道ではなく、狭い道を歩まないといけないのです。そこに戸惑って信仰を捨てる人たちもいます。昔のほうが楽かも知れないです。主に仕えても報いを受けない時もあります。しかし神は何一つ忘れていないです。どんなに小さな働きでも主は報いを供えてあります。神の国に入る祝福だけではなく、神の国で報い...いつ報いを受けるのか

  • いつも主を恐れる

    箴言23:17『あなたは心のうちで罪人をねたんではならない。ただ主をいつも恐れていよ。』罪人を妬むということは、どういう意味でしょうか。罪人が栄えている姿を見て羨む心です。詩篇73編には、もっと詳しく妬む心が書いてあります。詩篇73:2-5『しかし、私自身は、この足がたわみそうで、私の歩みは、すべるばかりだった。それは、私が誇り高ぶる者をねたみ、悪者の栄えるのを見たからである。彼らの死には、苦痛がなく、彼らのからだは、あぶらぎっているからだ。人々が苦労するとき、彼らはそうではなく、ほかの人のようには打たれない。』この世の主人は悪魔です。もちろん全宇宙を支配するのは神です。悪魔は罪を犯す人間たちを支配しています。悪魔が支配するこの世界では、罪人たちがもっと多くの財産を所有し、笑いながら楽しみながら好き勝手に生きて...いつも主を恐れる

  • 何一つ持っていくことが出来ない

    詩篇49:16-17『恐れるな。人が富を得ても、その人の家の栄誉が増し加わっても。人は、死ぬとき、何一つ持って行くことができず、その栄誉も彼に従って下っては行かないのだ。』沢山の富を得ているにもかかわらず、不正や悪いことをして、さらに富を得ようとする金持ちたちを見るとかわいそうな気もします。どんなに得ても、死ぬときは何一つ持っていくことが出来ないのにと思います。お金の奴隷になっていると思います。大金持ちであったヨブは真理を悟っていました。ですから、すべてを失った後も、絶望することがありませんでした。素晴らしい信仰告白をしました。『私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。』富を得ても、それを良いことに使うならば、主に喜ばれますが、自分のために蓄える...何一つ持っていくことが出来ない

  • 損失の原因

    ピリピ2:14『すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。』つぶやきと疑いで今まで何か良いものを得たことがありますか。つぶやきと疑いは寄生虫のようなものです。良いものをかじって悪いものにし、食べられないものにします。神は良いものを私たちのために備えておられます。それを受け取りたいならば、私たちの態度が良いものでないといけないです。信仰と感謝はすべて良いものを受け取る秘訣になります。感謝のことばはつぶやきを追い出し、信仰は疑いを追い出します。つぶやきが出るならば、それは感謝が足りないからです。疑いが出るならば、それは信仰が足りないことです。つぶやきと疑いは自分に損失をもたらすので、取り除かないといけないです。第1テサロニケ5:18『すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなた...損失の原因

  • 信じるだけで得る祝福とは

    ヨハネの福音書5:24『まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。』弱いから神に頼る、困ったから神を信じるというのは、霊的にまだ無知です。それは神を利用する発想です。この世にいる間だけ、神を必要とする姿です。信仰は自分の必要によって神を選ぶことではなく、神のことばを信じる時に信仰が生まれます。みことばを信じない信仰では救いは得られません。救いとは、みことばを信じて、神によって遣わされたイエス様を信じる時に得られます。救いの中にある祝福とは、『永遠のいのち、裁きに会わない、死からいのちに移される』ことです。神はこの素晴らしい祝福を人々に与えたいと願っています。ですから、『主イエスを信...信じるだけで得る祝福とは

  • 神の家族とは

    エペソ3:15『天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前に祈ります。』神の家族とは誰でしょうか。神を愛し、永遠にその方と共にいる人々が神の家族です。この世で家族と呼ばれるのは結婚という形で生まれます。そこから血肉の関係が生まれます。しかし神の家族は血肉の関係ではなく、霊的家族のことを言います。神を父と呼びながら集まった共同体が神の家族です。主を信じ、主の中にとどまる者が神の家族になる条件です。ヨハネの福音書1:12『しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。』また神のみこころを行う者が神の家族になります。イエス様がそのことを語って下さいました。マタイの福音書12:49-50『それから、イエスは手を弟子たちのほうに差し伸べて言われた...神の家族とは

  • 重荷を負い合う関係

    ガラテヤ6:2『互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。』ひとりで重荷を背負って生きることはとても大変です。しかし互いに重荷を負い合うならば、荷が軽くなるので負いやすくなります。今までの人生でどれほど多くの助けを人々から受けてきたか分かりません。倒れた時に起こしてくれた人もいました。慰めてくれた人もいました。困った時に助けてくれた人もいました。いつでも誰かの助けによって生きて来たと思います。もちろん助け主である主が、人を通して私を助けて下さったと思います。主は最初から重荷を負っている私を呼んで下さいました。マタイの福音書11:28『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。』このことばを素直に受け入れました。主はずっと私を助...重荷を負い合う関係

  • どんな人になるのか

    コロサイ3:15『キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。』皆さんはどんな人になりたいですか。私は幸せな人になりたいです。すべてを持っていても幸せでないならば、すべては虚しいです。幸せの秘訣は、『どういう心を持つのか』に懸かってあります。同じ状況でも、どのように反応するかによって私たちの人生は変わります。起きた事よりも自分自身がどう反応するかが、より重要です。箴言4:23『力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。』このように、私たちの心を何で満たすかによって、私たちの反応も変わって来ます。心が怒りや妬み、否定的なもので満たされてあるならば、いつでもその心で反応するので幸せを感じる...どんな人になるのか

  • 主を恐れるならば

    箴言19:23『主を恐れるなら、いのちに至る。満ち足りて住み、わざわいに会わない。』神を恐れることの結果は命です。いのちほど尊いものはありません。肉体のいのちも尊いものですが、永遠のいのちはその価値を図ることすら出来ないです。主を恐れることと、いのちに何の関係があるでしょうか。命の所有者が誰であるかを知れば分かります。人間を創造したのは神です。命を吹き込んだのも神です。ですから、このようにも主が語りました。マタイの福音書10:28『からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。』主を恐れない者、無視する者に神が永遠のいのちを与えることはありません。永遠の死が彼らを待っています。これを知っている人がどれほどい...主を恐れるならば

  • すべてのことが起こってしまうまでは

    ルカの福音書21:32『まことに、あなたがたに告げます。すべてのことが起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。』創世記から黙示録まで、神は多くのことを語りました。全世界に起こること、国々に起こること、自然界に起こること、人類に起こることを語りました。そして歴史を振り返ってみると、ほぼ言葉通りになり、残り少ない言葉だけが、これから起ころうとしています。罪に満ちた世界は滅びに向かって走っているように見えます。コロナという疫病を見ても、それによって世界に起きてあることを見ても、神のことば通りになって来たことが分かります。今の時代は黙示録に書かれたことが起こってあります。目を覚ましていないといけない時代です。もっとひどいことがこれから起こるからです。ヨハネの黙示録1:3『この預言のことばを朗読する者と、それを聞...すべてのことが起こってしまうまでは

  • ことばである神

    ヨハネの福音書1:1『初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。』神の姿を見た者はいません。見ることが出来ないです。人間は太陽の光もまっすぐに見ることが出来ないです。見ると失明するからです。神は光に包まれた方であると聖書は教えています。神はことばでご自身を現わしてあります。最初に記録されてある神のことばは、創世記1:3『光よ。あれ。』すると光が出来ました。ことばは神でありました。イエス様に対して語られた聖書のことばです。ヨハネの福音書1:14『ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。』ですから、神のことばを信じることは神を信じることであり、そのことばを信じないのは神...ことばである神

  • いつまで悔い改めないのか

    エゼキエル書14:6『それゆえ、イスラエルの家に言え。神である主はこう仰せられる。悔い改めよ。偶像を捨て去り、すべての忌みきらうべきものをあなたがたの前から遠ざけよ。』エゼキエルは、他のユダヤ人と一緒にバビロンの捕虜として連れて行かれた所で、神に召され預言者になりました。なぜユダヤ人はバビロンに連れて行かれたでしょうか。彼らの一番の罪は偶像崇拝でした。神を信じると言いながら、他の神々も一緒に信じていました。主は預言者たちを度々送り、彼らが罪を悔い改めるように言いましたが聞かなかったので、敵の手に渡しました。バビロンに連れて来られた時に彼らは自分たちの罪によって、災いが自分たちに降りかかったことを悟って悔い改めなければならなかったのに、頑なな心を持って悔い改めることはしませんでした。ですから神はエゼキエルを立てて...いつまで悔い改めないのか

  • 確信をもって祈る

    マルコの福音書11:24『だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。』今日の言葉で重要なことは、これから受けるのではなく、すでに受けたと信じるならその通りになるということです。確信に満ちて、まるで手に入れたかのように信じて祈ることです。しかしどんなに確信に満ちて祈ったとしても、まず私たちがしないといけないことがあります。それは汚い心に神は恵みを与えないので、心をきれいにすることです。きれいな心と信仰で祈る時に、神はその祈りを聞いて下さいます。心にあるつぶやき、不平不満、妬み、憎しみ、敵意などを捨てて、きれいな心で神のみこころに従って祈るなら主の恵みを受けます。【祈り】主よ。祈る前に、心を見て悔い改めます。【聖句をノートに書きましょう】-祈...確信をもって祈る

  • 人間関係の秘訣

    ピリピ2:3『何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。』争いと虚栄は人間関係を壊すものです。自己中心は周りの意見を無視し、自分の考えややり方を固執することです。それでは人間関係は壊れます。虚栄も自己満足、自分を誇ることです。両方ともそこに欠けているのは他人への配慮と謙遜です。謙遜は自分と他人に対して正しく見ることを意味します。謙遜な人は自分のことも顧みますが、他人のことも顧みます。他の人の利益も考えて助けの手を差し出します。しかし自己中心の人や虚栄心のある人は、他人のことは考えず自分のことしか考えないです。イエス・キリストが謙遜であったのは、自分のことはまったく考えず、いつも人のためになることだけを考えました。人間関係を良くするためには、自己中心的な思い...人間関係の秘訣

  • どこに根を下ろすのか

    コロサイ2:7『キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。』イエス・キリストを主として信じる人は、キリストの中に根を下ろさないといけないです。キリストの中に根を下ろすのは良い実を結ぶためです。キリストと共に歩む人はキリストの中に根を下ろし、頼り、みことばに従順する人です。主は次の箇所でこのように話しました。ヨハネの福音書15:5-6『わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃...どこに根を下ろすのか

  • いつ倒れるか分からない

    第1コリント10:12『ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。』今日のことばはいつも心に留めていることばです。信仰生活では、『私は大丈夫だ。』とは言えないです。死んで天国に入るまでは自分は大丈夫だとは思わないです。私たちが一番倒れやすい時は成功した時です。成功した時こそ一番気をつけないといけないです。信仰生活でも一番危険な時は成功した時です。聖書の中でも、困った時は必死に神を求めて祈り、神に頼りますが、問題が解決された後に、神に頼らず自分たちの力に頼って失敗した例はいくらでも出てきます。すると神は奇跡を起こして助けます。サタンはしつこく私たちを倒すために隙を狙っています。成功に酔っている人、立っていると思っている人が狙われやすいです。彼らこそ油断しているからです。高い所は危険なところです...いつ倒れるか分からない

  • その町の繁栄を求めなさい

    エレミヤ書29:7『わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、そのために主に祈れ。そこの繁栄は、あなたがたの繁栄になるのだから。」』敵の国に捕虜として連れて行かれた場合、その国に対して良い感情はないと思います。敵対心と憎しみがあります。心の中では滅びてほしいという呪いもあります。しかし神はイスラエルの民に呪いではなく、その町の繁栄を主に祈りなさいと言われました。なぜでしょうか。敵の国は神を知らないもっと悪い国でした。しかし神がイスラエルの民を彼らの手に渡したのは、イスラエルの民の罪でした。悔い改めるようにしつこいほど言われても心を頑なにして悔い改めない民を懲らしめるために、神は彼らを敵の手に渡し、70年間彼らを苦しめる計画でしたので、その町の繁栄を祈るように言われたのは、神の憐れみでした。彼らを完全に...その町の繁栄を求めなさい

  • 人の心に信仰心がある理由

    伝道者の書3:11『神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。』この世のすべてのことは神の摂理によって動いています。万物の背後には期限、目的、神の時があります。神はこの世のすべてに期限を決め、摂理通りに働きます。しかし人間はそれを全部理解することが出来ないです。悟る力や理解力もないので知ることが出来ないです。先のことも分かりません。ですから神は、人の心に永遠の思いを与えて下さいました。その思いをもって時を覚え、永遠の思いをもって神を恐れ、神に仕えるようにして下さいました。信仰心は神が与えたものです。それがないと神を信じることが出来ないからです。しかしサタンは人々を惑わし、真の神ではなく、自分を信じ...人の心に信仰心がある理由

  • 私たちの思いとは違う

    ルカの福音書6:27『しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行いなさい。』この世の教えと、神の教えはこれほどまでに違います。私たちはこの世の常識を行動のル-ルにする時が多いです。暗黙のル-ルです。常識から外れると非難や悪口を言われます。神のことばに従うことは狭い道を歩むことです。常識から離れることも多いです。敵を愛し、憎む者に善を行うならば、周りの人はどう思うでしょうか。最初の反応は『そんなバカな』みたいな反応があると思います。人間的に納得できないからです。納得出来ないのは当たり前です。しかし神は、人間的な思いを捨てて、神が望むことをしなさいと要求します。神が私たちに対してそのように行っているからです。罪を赦し、私たちに良いことをして下さいました。...私たちの思いとは違う

  • 不可能は一つもない

    ルカの福音書1:37『神にとって不可能なことは一つもありません。』この言葉ほど、自分に力と慰めを与える言葉はないです。神にも不可能があるならば、完全に神に信頼することは出来ないです。頼ることも出来ないです。自分にとって不可能と思われることが神も同じならば、助けて下さいと言うことが出来ないです。今までの人生の中で、多くの壁にぶつかりました。乗り越えられないような壁にもぶつかりました。その時に口を開いて告白しました。『神にとって不可能なことは一つもありません。』と。それによって祈り、忍耐しながら神の助けを待ちました。そして神は奇跡と思われることを色々として下さいました。それによって神にはどんなことでも出来る方である信頼が出来ました。人間と神の大きな違いは、神は全能なる方であることです。【祈り】主よ。今まで壁にぶつか...不可能は一つもない

  • 誰によって救われるのか

    詩篇7:10『私の盾は神にあり、神は心の直ぐな人を救われる。』詩篇7編でダビデは嘆きながら神に祈りました。なぜでしょうか?理由もなく自分を非難し苦しめる者がいたからです。根拠もない偽りのことばで非難を受けると、どのような気持ちになるでしょうか。悔しくてたまらないと思います。『事実ではない。』と訴えても、最初から嘘をつく者はそれを受け入れないので、話も通じません。ですから心に悔しさが募り、心苦しくなります。世の中でもこのようなことが多いです。それによって心に傷を受け、苦しむ人が多いですね。自分が悪いこともしていないのに、一方的に非難され苦しかったダビデは自分の悔しさと苦しみをもって神の前に出て祈りました。人に訴えても、人は真実を見抜く力もなく、誤った判断をするので、すべてを知っておられる神に祈りました。詩篇7:8...誰によって救われるのか

  • 主に仕えよ

    詩篇100:2『喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。』喜びをもって主に仕えていますか。喜びをもって主に仕えているならば、それは主に喜ばれることです。神は私たちの心と姿勢を見ておられる方です。嫌々しながら仕える人は顔に描いてあります。笑顔ではなく、不満ある顔をします。明るい顔ではなく、怒ったような顔をします。ネヘミヤ記で、ネヘミヤは王の献酌官で、王の前にしおれたことはなく、青ざめていたことはなかったです。しかし心に悲しみがあった彼はその顔に悲しみが現れました。それを見て王は、『あなたは病気でもなさそうなのに、なぜそのような悲しい顔つきをしているのか。きっと心に悲しみがあるのに違いない。』それを聞いてネヘミヤはひどく恐れました。王のことばが恐ろしいことばでもなかったのに、彼はなぜひどく恐れたでしょうか...主に仕えよ

  • あがめるべき方

    詩篇99:9『われらの神、主をあがめよ。その聖なる山に向かって、ひれ伏せ。われらの神、主は聖である。』神を正しく知って、神を信じる人ならば、神をあがめずにはおられないです。なぜそうなるでしょうか。神を信じると神が遠い存在ではなく、とても身近な存在になります。身近な存在になると神を知るようになります。神の偉大さが分かります。すべてを治めるのは神であり、人間ではないことが分かります。聖なる方、公義の神なのに、赦しの神でもあるので自分の罪も赦して下さったことで神に感謝し、神をほめたたえます。神に不従順した者なのに、祈りを聞き、また困った時に問題を解決してくださる方なので、ほめたたえます。愛される価値のない者を愛し、救って下さる方ですので主をほめたたえます。【祈り】主よ。いつも偉大な神を崇めます。【聖句をノートに書きま...あがめるべき方

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