人生とは?幸せとは? 人間誰もが抱く「幸せになりたい」という欲求。 幸せになるために、人生を深く考えていきます。
しばらくぶりにブログを書いてみようと思った。どこかで、””書かなくてはならない””とどこかで感じてしまっている自分がいた。そう思えば思うほど、正解を探してしまい、何も書けない自分がいた。アーティストの歌詞で、「自分の書きたいことが分からないから、その葛藤
若い時の苦労は、買ってでもしろ、と言う言葉があるまさにそうだと思う。なぜか?人間は、なるべく苦労を避けるために、働き努力するのではないのか?それであるならば、苦労など少なければ少ない方がいいのではないか?しかし、実際はそうではない。なぜなら、苦労をして苦
人生をマリオカートで例えてみると将来のことばかり心配している人は、みんなでワイワイやっているゲームに参加せず、最後に必ず1位になれるアイテムが手に入るという約束を得て、後ろから体育座りで見ていて、最後の最後に参加して1位になったと喜んでいるようだ。買っても
世の中は、「はい」か「いいえ」で答えられることばかりではない。政治家の問答で、よくある「yesかnoのどちらかだと聞いているんだ!」という討論がある。しかし、煮え切らない答えを必ず返す政治家へ、国民は不信感を募らせる。もし、俺が政治家ならすぱっと答えるのに・・
人間の人格を形成しているものは、何か?親の教育か、学校での友人関係か、社会人になってからの恋愛か、読んだ本か、見たテレビか、すれ違った人の着ていた服か、カフェで隣に座っていた人達の聞こえてきた会話か。感情とはなにか、記憶喪失になったらどうか。我思うゆえに
木星の大赤斑、1万年後まであると言う。地球で言えば、恐らく台風の目、程度のもの。人の一生は長くて100年、人類が誕生して何年だろうか。木星の台風の目が発生して消えるまでの、何のことない間に、人類が生まれ、滅びるかもしれない。その中で、誰がブサイクだ、コンプレ
人間が人間らしい生き物である理由。その中の一つがスポーツマンシップだなぁと感じる、この頃である。ワールドカップや格闘技、すべてにおいてそうなのだが、スポーツの世界から学ぶことは多い。最近の世の中の犯罪や悪行。自分さえよければ良いという、自己中心的な考え方
戦争が起き、自分の中で何かが動いた。コロナが猛威を振るいだしたときも、同じことを感じた。人が簡単に死ぬという現実に直面し、そしてその死の一つ一つが、軽薄化していくことの恐ろしさを知った。誰がいつ、どこで、人生の幕を下ろしたのか。誰も知ることのできないよう
このテーマについて書くことは控えてきた。なぜなら、この世で最も不可解であり、難解であり、不明瞭であり、定義しがたく、形容しがたいものでありながら、誰の生活の中にも存在するという、最も厄介なものだからだ。語るには難しすぎるし、結論なんてホイホイ出るわけがな
「嫌い」。その正体はなんだろうか。最近思うことがある。嫌いは、本当は好きになりたい事なのではないか?ただ単純に、理解が及ばない事柄に対して、人は「嫌い」と反射的に言ってしまう、そんな気がしている。本当は憧れているはずなのに、自分にはそうなる方法がわからな
【学校っておかしくない?】昔から学校の教育に関しては、疑問を抱いてきた。もちろん、30歳を超えた私の生きた学生時代と、今の実態はだいぶ違うとは思う。だがどうなのだろう、やっぱりあまり変わっていないんじゃないかなぁ、と思っている。まず、なぜ日本は先進国という
最近、疲れている人が多い気がする。もちろん、自分がそう思うから書いているに過ぎないが、周りもそうなのでは、と勝手に思っている。いったいなぜだろう。いつから辛くなったのか思い返してみたが、それは恐らく、スマホが登場してからではないかな。私が学生の頃は、スマ
一生懸命働いた後の、休日の気分はなぜか晴れやかだ。労働や拘束、疲れなどは、単体で見れば明らかな不幸だが、その後に受け取る休息の安堵感や充実感を加味すれば、必ずしも悪いものではない。むしろ、その類の気分を受け取るには、まずは労働や拘束などの、一見すると不幸
充実とはなにか。 物を買うこと。 愛されること。 他人からの承認。 孤独という孤高。 自分は特別というオゴリ。 自分はみんなと同じ、世界標準から外れていないという安堵。 普通から外れた人間に対して思うことは? やはりあいつはおかしい、変わってる、変人、付
伝えたい思いは空虚で見せかけの言葉で消えた誰に見られてるわけでもないのに周りを気にして消したほんとうに大事なものってなんだっけ好きでもないのにすり寄ってほんとは好きなのに下向いたら足元に落ちてる自分の影を踏んで歩くのが癖になってた無理にリラックスして上向
哲学とは、答えのない学問とよく言われていますが、小難しいことは抜きにして「なぜ生きるのか」「どうすれば幸せになれるのか」「物事の本質とは実のところ何なのか」といった、私達が生きていく上で、ふっと考えずにはいられないといったような、基本的な疑問を解決するの
第4欲求というと大げさに聞こえますが、簡単な話。「幸福の欲求」が抜けていないか?ということです。人間の欲求と言えば「3大欲求」は有名で、生命維持のための根源的欲求。マズローの5段階欲求もまた有名ですね。社会性や共同体感覚、承認欲求や所属欲求、自己実現・・・。
よく「成功したい」とか「成功者になりたい」という言葉を耳にしますが、成功とは何でしょう?お金を得ること、地位を得ること、権力を得ること…俗に言う、富と名声というやつでしょうか?では、仮にそれ(成功)を手に入れたとして、成功=幸福となり得るでしょうか?成功
接客業というものに違和感を感じることがある。近年はどんどん自動化・機械化が進む中で、人対人の関係性が薄れている。経営する側も、自動化・機械化を進めることで、一度の導入費をかけるだけで、それ以降の人件費をカットできるというメリットがあり、顧客側としても、店
宇宙は広い。果てがあるのか無いのか、それすらも曖昧な程に広いです。そして歴史も長い。宇宙の誕生は、歴史上最も古い出来事です。人間の生まれた歴史など比べ物にならないほどに長い歴史があります。宇宙の規模感で物事を考えることで、私たちの人生においても様々な影響
最近めまぐるしく、youtuberが有名になってきていますね。私自身、youtubeは昔から見ていましたが、職業と言われるまでになるとは思っていませんでした。せいぜい、音楽を無料で聞くツールや見逃したテレビの映像がないかな位に利用していました。そこから、所謂「やってみた
テストや試験は、学生にとってはつきものであり、もはや日常でしょう。なぜテストや試験が必要なのでしょう。■テストと試験の違いテストと試験は、意味としてはほぼ同じですが、現実的に学生にとってはニュアンスが少し違うかもしれません。テストは日常的に行われる、学力
社会は厳しいぞ。社会人は甘くないぞ。こういったことをよく耳にします。果たしてそれは正しいのでしょうか?結論から言えば、そんなことは全くありません。社会は自由ですし、幼稚園児だって年金暮らしの老人だって、言ってしまえばみんな社会の一員です。社会に出るという
「死ぬ」という事について書くのは難しい。それは、人間の死が単なる生物の死とは違って、宗教と密接な関係を持っているからでもある。宗教については、また別の機会に触れるとして、ここでは単純な「死」について考えたことを書こうと思います。「死」の先には何があるのか
歴史というと、学校の授業が浮かぶでしょうか。日本史や世界史など、受験科目で仕方なく学ぶ、暗記するだけの授業。出来事や年号などを語呂合わせで覚えたりして、受験が終われば忘れる。「歴史」という言葉にそんなイメージを持つ人は多いと思います。せっかくたくさんの時
自分は常に今に満足していない。良く言えば向上心があるのかもしれない。でも悪く言えば、いつまでたっても幸せを噛みしめることの出来ない不幸な人間かもしれない。よく、今の積み重ねが明日になるとか言いますまさにその通りと、頭では何となく理解していても、実感するこ
人は誰しもが理想を持っています。どんな人でも、小学生の頃に一度は「夢」を書かされたのではないでしょうか。それはややこしい現実を抜きにして考えた、純粋な理想です。中にはすでに大人びていて、俗にいう現実主義的な人もいたかもしれませんが。次第に大人になるにつれ
お金が欲しい。それは、ごくありふれた欲求ですね。しかし、漠然とした欲求であるが故に、深く突き詰めて考えない人も多いでしょう。お金が欲しい。その欲求を正しく活用し、有意義な人生を送るためにはどうしたら良いのでしょうか?仮にお金をたくさん手に入れたとして、ど
幸せになるためにはどうすればいいでしょう?どう生きることが良いと思いますか?答えは単純です。「幸せの基準を他人に任せないこと」それのみです。あなたは他人に認めて欲しい人ですか?それとも他人を認める人ですか?今のあなたはどうでしょう?あなたの周りはどうでし
このブログの枠組みを作ってから、しばらく時間が経ってしまった。ここから始めようと思う。色んなテーマについて、自分なりの考えを書いていく。ただそれだけの場所。そのうち誰かに届けば良いなと思っています。
「ブログリーダー」を活用して、ぷっちまんさんをフォローしませんか?