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  • 如来の教えに宗派なし

    慈雲尊者飲光の遺訓に[釈尊在世に宗派なし]という言葉があります… 真に仏道を歩まんと欲するならば、宗派などというものに捉われ.拘り.愛着していては到底、自分自身ばかりか衆生を堅固で実存的な幸せ.平穏.安楽.歓喜.静逸へと導く事など不可能であり、妄想的な得体の知れない神仏や他力などからの救済を空約束するか、愚かな民衆を染脳(洗脳)して無明(無知)の闇を深めさせ盲目的に無思考に隷属的に追随する事が幸せだと錯覚させ、折角の人生と金財を無価値に浪費させ、因縁深く輪廻を継続させてゆくのです… 弓矢の喩えに説かれる如く、先ず.心に刺さった矢(苦)を抜いてあげる事こそが第一なのですが、それは飽くまで応急処置…

  • 本質的気付き

    目覚め(覚醒) 乗り越え(超越) 解き放て(解放) 人間とは、無明(本質的無知)な状態で生まれついているのです… そしてその生まれついての無明(本質的無知)の闇を振り払い、盲目的に手探りで生きねばならない不安定(ドゥッカ.苦)な人生を、真理(真実)の灯りで照らし出し開明的で安定的な人生へと転換させてゆく法則を説くのが仏の教え[仏教]なのです… それは無明ゆえのドゥッカ(不安定さ.不完全さ.苦しみ.悩み.迷い.憂い.哀しみ.怖れ.悔い.心痛.不安.不満.儚さ.脆さ.弱さ.空しさ.実質のなさ.惨めさ.欲望…)の呪縛から逃れようと.盲目的に得体の知れない神仏や霊や魂や、物理法則に逆らう怪しげな超能力…

  • 幸せへの道

    幸せに包まれた生き方の為の仏教この世界の本質…そして生きる事の本質とは苦(ドゥッカ)なのです。 ドゥッカとは[不完全性.不安定性による苦しみ.悩み.迷い.心痛.怖れ.憂い.哀しみ.悔い.不満.儚さ.脆さ.弱さ.空しさ.無明.欲望…]などを言います… しかし人は苦しむ為に生まれてきた訳ではありません、寧ろ.喜び.楽しみ.幸せ.満足(スッカ)を味わう為に生まれて来ているのです… ですから喜び.楽しみ.幸せ.満足を望まぬ者など居ないのです… つまりそれは苦(ドゥッカ)があるから.楽(スッカ)があるのであり、死があるから生きる事に価値が生じるのです…もし不死であったら.生きる事に価値など見い出せず.死…

  • 価値観

    高級車なんかに乗るよりも、歩いて健康のほうが、遥かに価値がある… 立派なお屋敷に住むよりも家族団欒であるほうが、遥かに価値がある… 地位や肩書を得るよりも、人から信頼される人間のほうが、遥かに価値がある… 立派な勲章を付けるより、他人に恥じない人格のほうが、遥かに価値がある… 金持ちになるよりも、喜びに包まれて生きるほうが、遥かに価値がある… あたら長生きするよりも、人間らしく生きて死ぬほうが、遥かに価値がある… 所有による感覚的な喜びよりも、存在による生命の喜びのほうが、遥かに価値がある… せっせと身体を磨くより、律して心を磨くほうが、遥かに価値がある… 所有物で輝きよりも、存在として輝きの…

  • 幸せへの願い

    世界中には信仰と宗教が沢山ありますが、2500年前..お釈迦さま在世の当時はバラモン教(現在のヒンデュー教)を中心として迷信と妄想と無明(無知)の闇に満ち溢れていました… そんな時代に於いて、真理(真実.事実.現実.実相)を理解され.真実を説かれた.唯一の教えこそ、仏教なのです… 皆さんは、宗教というと.得体の知れない神や仏や超越的な能力者.預言者への信仰だと勘違いして、多少は現実が見え認識できる現代人は、幸せ(安定)に生きる為の.宗(む)ねとなる教えである仏教をも毛嫌いしたり.宗教アレルギーを起こしたりして.堅固な依り処(精神的支柱)を失ない.糸の切れた凧のように.世間の風に翻弄されながら盲…

  • 謙虚と貪欲

    己れを高めるに、謙虚に振る舞い、貪欲に学べ… 真理に向かうに、謙虚に振る舞い、貪欲に学べ… 学ぶに臆し躊躇い謙虚な者に.進歩なく、​​振る舞いに傲慢で、学ぶに謙虚な者は、​何事も成し難し… 我欲に貪欲で、他利に謙虚.無欲な者は.満ち足りる事を知らず決して幸せにはなれない… 他利に貪欲で、我欲に謙虚.無欲な者に.福は訪れ、堅固な満足と幸せを得る… これ万古の摂理なり… のもの事を、無闇に信じたり鵜呑みにして受け入れてはいけない… 人間、疑念がある限り真には先には進めないもの…先へ進む為に必要なのは信じる事ではなく理解することであり、単なる現象に過ぎないもの事に捉われ拘り執着.愛着する事ではなく.…

  • 景教の影響

    唐代にもたらされた東方キリスト教(ネストリウス派)を中国では景教と呼び唐代三夷経の一つとして尊ばれ、中国の大乗仏教はその影響を強く受け、より妄想的な得体の知れない神や仏や怪しげな力への他力思想へと変質して、その景教を内包する中国仏教は日本に伝播され、より景教思想を強めた阿弥陀仏の他力に縋る浄土宗.浄土真宗が興り、観音菩薩の他力に縋る天台宗や日蓮宗が興り、バラモン教.ヒンディー教の神仏や真言(マントラ)の他力に縋る天台宗(天台密教)や真言宗(真言密教)を興し、仏教の基本思想である[諸行無常]に説かれる神性.仏性とは異質な神や仏を妄想し、[諸法無我]に説かれる魂.霊魂.霊体の不在を否定した実体的.…

  • スペンドとゲット

    今という瞬間々々に歓び.満足感. 多幸感.安定感を見い出せない人は、煩悩(存在欲)の衝動により不満.苦しみ.渇き.退屈感.不安定感に苛まれ、大切な時間と財を無駄に浪費(ウェスト.スペンド.)し、大切なものを獲得(ゲット)し損なう。 愚かな人は.喜んだり.満足したり.幸せに浸ったり安定感を得てしまう事は.チャレンジ精神や新たな努力の道を自ら閉ざすことだと勘違いしてか、苦行を礼讃したがるが、全ての苦しみを基本とする苦行とは[怒り]に依って立つ.怒りと苦のエネルギー反応に依拠する事に他ならない… 苦や怒り.不満に根差した心には、本当には優しさや慈悲や利他など生じるわけがないのだから… 何かしらをして…

  • 超越瞑想

    前項の負担量(ストレス)にも通じるのだが、適度な負担や負荷は無くてはならないものであり.要は負担量や負荷値に配慮してストレスを溜め込まないように心掛け、幸せホルモン(セロトニン)や.快楽.歓喜.安心.顕貴ホルモン(ドーパミン.​内在性カンナビノイド.​アナンダミン(アナンダマイド).​ドーパミン.​β.エンドルフィン)などをバランスよく分泌​させることが重要であり、安眠.休息.適度な運動.バランスの取れた食事なども大切ですが、それにも況して自律神経も調える超越瞑想(安寧の瞑想)が最適なのです。 瞑想.禅那.観照.阿字観.止観.瑜伽(よが).内観.ビッパサナー.トランセンド…と色々な名称で語られ…

  • ストレス(負担量)

    今日はあれをしたい…明日はこれをしたい… 今日はこれを食べたい…明日はあれを食べたい… 今日は彼処に行きたい…明日は何処そこに行きたい… 欲望は果てしなく、更なる欲望を生みだし、しかも満たされる事なく、心.休まる事なし… やがては消え去る泡沫(うたかた)の.空しい記憶の残滓を積み上げてゆくだけ… それが生きるという事なのか? それが生きる目的なのか? もしもそうだとするならば、煩悩の欲望に従って唯、感覚.感情に刺激を与え続けてゆくだけの人生…煩悩の欲望に幾ら応えた処で更なる要求をしてくるだけで決して満たされる事のない儚く.虚しきものに如かず… 生きるとは負担(ストレス)を増し.蓄積してゆく事に…

  • 世相

    「世に与える者と貰う者があれば、あらゆる功徳は与える者に果報として現れる。 この理法により聖者への施与は功徳が増す」 如来への施与.寄進は満願を成就させ.福徳を生じさせる。 我田引水なれどもサァ~エ〜♫ この理法に照らして観るならば〜♪ 東日本のときも~このコロナ禍の前も~♪ 托鉢の施与がヨ〜♪ 酷く~落ち込んだものだよ〜♫ 昨日も~今日もよ〜♪♪ 施与は~酷いものだからよ〜♪ この先が〜心配なの~よ〜♪ まったく~世相はよ〜♪ すぐ~現れるものだからよ〜♫

  • 詐欺師の発想

    仏道修行とは究極から言うならば、至難な道なれど.お釈迦さまが到達された境地へと向かう事であり、如何に理路整然と語ろうが如何に深く理解しようが、実際にお釈迦さまを目指して歩いていないのならば、それは学者かお宅か単なる信者に過ぎず.人々を真理を依り処とした堅固なる安心.安全.静逸.歓喜.こよなき幸せへと導く導師とも修行僧とも言い難い。 [教条主義]の項にも書いたように[自灯明経][法灯明経]という無記の経典こそ仏の教えの最上経典であるのは、お釈迦さまの遺された御言葉と検証された理法(法)を戒めに、自分に具された理性や智慧を頼りに、この場合.お釈迦さまなら どう考え.どう振る舞い.どう為さるかのかと…

  • 受難

    今日はちょっと厄介な[受難]をテーマとして語ろうと思いつく… 受難と聞くと先ずキリスト様が思い起こされ、キリスト教にも触れるが批判や否定ではなく[分析]だと心得て頂きたい…キリスト教とはキリスト様の数々の受難を語る書物であり、その数々の受難について加害者を悪と定義し、罪深き人類に代わって受けた聖なる受難であるという定義により成り立っている…その真偽や善悪は別として、キリスト教の素晴らしい処はその演出力に尽きるとも思う….壮麗な教会な教会から流れ聞こえる.その美しき旋律の賛美歌や儀式.儀礼に、感覚的.感情的.情緒的.主観的な無明な人たちが心奪われてしまうのも当然である… しかし愛と救いという耳障…

  • 招提(しょうだい)

    招提(梵-caturdiśa)四方全土 寄進する貴徳な人も無かりせば 我れ在る招提を精舎とす… 偶像崇拝から捨て離れ(捨離)、目覚め(覚醒).乗り越え(超越).解き放たれ(解放)、真理(真実.事実.現実.実相)へと向かうのが真の仏道であり、寺という偶像(仏像)の安置建物は信仰宗が造り出した外道であり、真の仏の教えとは得体の知れない神や仏や怪しげな力(他力)への信仰からの捨離.覚醒.超越.解放であり本来的には仏教建築とは言い難く.僧侶の住居は庫裡(くり)庵(いおり)と言い、サンガとして集う処を精舎.学舎と言う… そして住まいへの執着から目覚め.乗り越え.解き放たれ.捨て離れる為に招提(四方全土)…

  • 教条主義

    道は語るものではなく、歩くもの… 教条主義者が崇高な仏の教えを歪め、貶め、そして滅ぼす… 凡僧は道に阿り.愚僧は道に惑い、無自覚な僧は無思考に追従し、違えし道を疑う事もなく、俗物僧は金財勘定で余念なく、道.違えしも疑うことなく、教条主義者となり果てて不毛な盲目的系譜を紡いでゆく… 歴史を鑑みれば.全て.これこそが衰退の因であり、滅亡の果を現わす。深淵なる先見の明により.お釈迦さまが、アーナンダの冀求に応じて遺された御言葉こそ無記なる最上聖典[自燈明経][法燈明経]という一対の経典であり.有難い道標である… 自燈明と法燈明 アーナンダよ…今でも、私の死後でも、此の世では[自分を依り処(燈明・島)…

  • 悠久の流れ

    心を汚したくはないから…俗世の愚劣に触れて胸を痛めたくないから…なるべくメディア情報などに触れる事を避けていても、通信機器を活用している以上、溢れ返る下劣の法から全く逃れる事は至難でもある…吐息 ことに春先ともなると.やたらと可笑しいのが出て来るもので、[悟った詐欺]でもあるまいが、[私は悟った!]とか[私はブッダの生まれ変わりだ!]と嘯く寝呆けた阿呆が現れる…笑 それらの殆どが、自己顕示欲や承認欲求のかたまりであったり、自意識過剰なパラノイアなのには辟易とさせられる… 先ず[悟り]という言葉のもつ神秘性と深淵性に心惹かれ.憧れるのだろうが、悟りとは汎ゆる[気付き]の全体性の統合に過ぎず、大悟…

  • 自己暗示

    世間に氾濫する自己啓発..潜在能力開発..引き寄せの法則..イニシエーションとかは言わば[自己暗示]を掛けているのだか、その本質は[気分を変える]程度の次元のものでしかなく.ヤクザ映画を観たあと弱虫が肩を怒らせて歩くような無常なものだから、始めは良い効果があるように感じて少なからぬ費用をかけても大概の人が後悔する結果となるのです… 確かに自己暗示も含めて潜在意識に良い波動や想念を送り続ける事が重要であり良い自己暗示によりモチベーションを高め.前向きな人格を育成していけるのですが、確信のない単なる妄信や思い込みなどは常に[信じる]の裏には[疑い]が同居し、信じると疑いの暗示を同時に潜在意識に積み…

  • 勝利への道

    勝利への道 真の勝利への道を如来は説く… 如来とは、如実の道に乗じて、正覚を来成するが故に、如来という。 (如来者乗如実道来成正覚故曰如来) 真の勝利とは此れ即ち.無明から生じるドゥッカ(苦)からの解脱であり、激流の如きドゥッカ(苦)な継続である輪廻転生からの解脱をも指し示す。 [幾百人の敵に勝つよりも、己自身に勝つ者こそ、真の勝利者である] 私の話は全て.我れを離れて、深淵なる真理の象徴としての如来が高次元に於いて.私(多々方路傍石)に向かって語っているのであり、私はその愚かで未熟な頭と心と行ないを以って拝聴し.思惟し.思推し.分析し.検証し.確証を得て.理解しているだけなのだから… 聖なる…

  • 吝嗇(りんしょく)

    辻立ち托鉢場を上野不忍に定めて凡そ15年を経るが、その前は日本各地をあちらこちら随分と行脚もしたが、今.改めて思い返してみると.其々に土地柄があり出会う人々にも其々の風情があるものだと懐かしく回顧する想い出である。 しかし時代は変わり、若者は将来への期待を持てず.不安を抱きつつ、新たな挑戦をするより.保身へと奔り、老人は社会への配慮や尽力を欠きながら.我欲を貪り[年の功より亀の甲]とも揶揄されている… 飽食.物欲に魅入られた時代も過ぎ、安定的な精神世界へと昇華し.正に進化せんとした時、利権に塗れ.腐敗と堕落に汚れた政治や偏った観念.思想.カルトなどに翻弄され.心の豊かさと余裕と真実を見通す叡智…

  • バンカース

    若い人には人生ゲームのようなものだと言ったほうが理解しやすいかも知れないが、私の子供の頃にはバンカースゲーム(銀行ゲーム)というスゴロクゲームがあった… 人生を思うとき、何を得ようが.何を失おうが.諸行無常なこの世界、バンカースゲームに熱狂して世界中の土地や建物を買い占め、莫大な財を築き、世界中を旅して汎ゆる娯楽を享受し尽くしても必ずゲームは終わり、空虚さを後に遺すだけ … 感覚に刺激を与え続けることが、喜び.幸せと錯覚している無明な人達は、このバンカースゲームに熱狂していた子供時代のまま成長して現実世界でも、その本質的な空しさに気付くことなく、現実世界でもバンカースゲームこそ人生の目的だと見…

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