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  • 無明(本質的無知)

    ⚫信仰と宗教 信仰とは[情緒的]なものであり、仏教とは[真理]を語るものである。 仏教とは得体の知れない神仏や力への信仰ではなく、自らが眺め.思惟.思推.考察し、検証し、確証を得て理解する論理的ものであり、仏教とは釈迦尊(ブッダ)が遺された偉大な御教えへの信仰であり、釈迦尊(ブッタ)という故人信仰.偶像崇拝ではなく、その偉大なる教えへの信仰であり、宗となる教え(宗教)の実践なのである 信仰への盲目的な依存から目覚め.超越し. 硬直し血肉の通わね論理への依存から目覚め.超越した.真理(論理)と情緒の中道に於いて人は真の安らいを得るのである。 論理に偏り、血肉の通わぬ非情な者であってはならない。 …

  • 一切皆苦〈因縁起果報〉

    仏教が嫌厭される大きな原因として[苦]と[死]という2大テーマに対する間違った認識があると思う。幸せに生きたい…幸せになりたいと願い、賢明に生きてる人達にとっては耳障りなこれらの言葉が.これでもか!これでもか!と現れてくるものだから、辟易としてしまうのかも知れない。しかし無責任に天国や極楽を約束する信仰であっても、得体の知れない霊言を宣う新興宗教であっても、[死]と[苦]をテーマとしている事は変わらない処であり、もし仮に[死]と[苦]に対して何の問題もないならば、信仰も宗教も必要とされない無用の長物に他ならないのだから…しかし幸せや喜びを求める余り、避けては通れない[死]や[苦]から目を背けて…

  • 喜びの見つけ方

    井上陽水の昔の歌に[都会では自殺する若者が増えている〜♪]と言うのがあったが.若者の衝動的な自殺や.昔だったら狂喜なカルト集団の儀式のような前途ある若者の集団自殺のニュースに.よく御目に掛かる… 合掌…黙祷①人は誰でも喜び.愉しみ.多幸感を求め欲しながら生きている。❖喜び.愉しみ.多幸感を求め欲さずに生きている人など存在しない。②これから自殺しようとする人達も、その中に喜び.愉しみ.多幸感を見い出しているからに他ならない。❖煩悩(存在欲)に支配され.視野が狭まった感覚的.感情的.主観的な衝動による煩悩の暴走による反作用であり、苦しみと不満と空しさ(ドゥッカ)しか感じられない人生からの現実逃避で…

  • 頂乗仏教とは…

    路傍の如来は、何故?所属する宗派の教説や、その教えの内容が随分と近い上座部仏教でもなく、頂乗仏教を説くのかと偶に聞かれる事がある…先ず繰り返しの話しではあるが、現存する多くの仏教経典の内、釈迦尊(ブッダ)の真実の教えを色濃く遺し.伝えてる経典類は.ブッダゴーザ師の尽力により散逸を免れた上座部が保持する経典類である事は紛れのない事実であるが、大乗にしろ上座部にしろ三蔵思想(経・律・論)により現実には仏教思想は大分に歪められているのである。世の常ではあるが、傑出した人物の教えなり偉業なりを.伝え.継承してゆく時、多くの場合、その人物レベルは当然の如く劣化してゆくものであり、それは優れてはいるが傑出…

  • 頂乗への道

    放逸と不放逸 ⚫放逸とは…自分勝手で.気ままな事、 集中力を欠き.散漫で.気付けない事 ⚫不放逸とは…集中と気付きがある事 法句経(ダンマパダ)より 人々よ、放逸に耽ることなかれ 愛欲と歓楽に勤しむことなかれ 遊興と娯楽に浪費することなかれ 怠ることなく思念をこらす者は、 大いなる悦楽を得る 賢者は不放逸により.放逸を乗り越えた時.智慧の高楼に登り、 憂いに沈んだ人々を憂いなく見おろし 苦悩に沈んだ人々を苦悩なく見おろし 不満に沈んだ人々を不満なく見おろす 山頂にたった人が地上に居る人々を眺めるように 賢者は.集中と気付きが実践できない愚かな人々を観察する… 頂乗仏教の実践 (心身への集中と気…

  • 天地の理法

    膨大なるエネルギーの悠久なる流動こそが.この世界の実相であり、エネルギーの流動には始まりも終わりもなく、生じるものも死滅するものもなく.全ては変化してゆく悠久なるエネルギーの流動を分断.分別して捉えているだけに過ぎず、唯、現れては変化して消えてゆく現象であるこの世界の全ての運動は不安定性の安定化運動であり、一時的安定状態と不安定状態の流転してゆく運動であり.それは変化しながら膨張して行こうとする運動でもある。❖絶対安定状態なものは存在できない世界でもあり、絶対安定状態(空性.中道)なものは絶対安定世界に還りゆく故に唯物論に汚染され、輪廻の理法を否定する現代社会に満ちるものとは、即ち不安定性の増…

  • 俗事に感けて.仏事を疎かにするなかれ

    ⚫お釈迦様(ブッダ)が説きしは.覚醒への道であり.妄迷への道ではない.実存の錯覚の滅尽(諸行無常)⚫お釈迦様(ブッダ)が説きしは.宗教(宗ねとなる教え)であり.信仰ではない.❖信仰とは妄信(信心)することであり、物事が本当には見えていない盲目的な行為である。物事が本当に見えてる人には信じる(妄信)と言う言葉はなく、見えている.識っている.理解している(正信)だけである。自我の妄想の滅尽(諸法無我)⚫お釈迦様(ブッダ)が説きしは.この世界の実相への帰依であり.虚妄への帰依ではない.感覚的快楽への執着の滅尽(一切皆苦)⚫お釈迦様(ブッダ)が説きしは、真理への依拠であり、夢幻への依拠ではない無明の闇…

  • 自他同時

    [所有の次元の事物]とは生存に必要なものですが、決して[所有の次元の事物]を得る為.守る為.増やす為を目的として生きる理由ではなく、存在の継続に必要不可欠なものを欲する本質的な意志が、存在の為の手段として便宜的で.付随的な欲望を[所有の次元の事物]に求めているのであり.それ以上でも.それ以下でもないのに生きる目的であると無明な心は錯覚してしまい、[所有の次元の事物]に魅入られて翻弄され貪り.執着し.なりふり構わず我欲に翻弄され、やがて[存在の次元の事物]という存在の価値、生きる目的でもある真実(真理)に目覚めた時、大切な時間と心身と努力を.無常(常なく変化してゆくもの)に費やしてしまった事を後…

  • 有無同然

    物質文明の真っ只中に生き.無明(無知)ゆえに欲望に翻弄されてドゥッカ(不安定.不完全.苦しみ.憂い.悩み.心痛.不満.迷い.悔い.哀しみ.儚さ.弱さ.脆さ.空しさ.無常.…)の中にいる多くの人達が[有無同然]を理解してくれたら幸甚なのであるが…。現代人の多くは、資本主義社会に洗脳され、所有の次元の事物(金銭.財産.持物.地位.名誉.名声.肩書.称号.権力.勢力.評価.評判.承認.理解.家族...)に魅入られ.翻弄され.執着し.惑い.悩み.迷い.恨み.悔い.藻掻き苦しみながら、その所有の次元の事物を依り処(精神的支柱)としながら、それらによって得られる僅かな喜び.楽しさ.幸せと引き換えに.多くの…

  • 洗脳(染脳)の罠

    社会性には.欲望の罠が張り巡らされている.それを自覚する事も気付くこともなく、欲望の趣くままに.無明の闇の中を盲目的に手探りで進むが如く無警戒で生きてゆけば、必ず人はドゥッカ(苦.悩み.心痛.悔い.迷い.哀しみ.弱さ.脆さ.儚さ.空しさ.実質のなさ.惨めさ.無常.不安定さ…)へと行きつくもの。現代社会ではそれが特に顕著だと言え、我欲に焼き尽くされた者達は.自身の幸福の為には他者を犠牲とする事を厭わず、社会に罠を張り巡らし、生贄(餌食)が引っ掛かるのを待っているのである。 新聞広告やテレビコマーシャルやインターネットなど発達した通信環境世界に溢れ返る知識や情報.宣伝(コマーシャル)を.欲得に駆ら…

  • 悉有仏性

    何分、勤行と托鉢の合間を見て執筆しているので、湧き出る新しい着想に執筆が追い付かず、書き掛け.執筆途中.下書きばかりが溜まってゆく….xx 最近は富に仏教の枝葉ばかりを題材としている感もあり、畢竟.お釈迦様の説かれる仏教の根幹に今一度.フォーカスを当て直して書いて行こうと思っています・笑 先ずお釈迦様の教えへの幾つかの誤解について書けば、[煩わしい].[難解].[能書き].[堅苦しい].[古臭い].[不必要].と色々と誤解されている処が否めず、⚫お釈迦様の教えとはアァしろ.こうしろと他人様の生き方を否定して.型に嵌めるような煩わしい教えだろうと言う誤解、修養者ならいざ知らず、お釈迦様ご自身も王…

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