ダイニングテーブルの上にカーネーションの花が挿してありました。それを何気に見ていたら、花びらが一点にシュッと束ねられていることを気持ちいいなと感じている自分に気が付きました。一点に絞られているというのは潔さとか簡潔とかを連想させて、自分の中に潜在的にこうなりたい願望があるからいいなと感じるのかもかもしれません。そこで自分が一つに束ねられるのはどういうことなんだろうかとふと思いました。そのことを考えていたら、そのことのヒントになる言葉がある本のなかに書かれていました。「『自分が自分が』と自分自身のことをまるで確固としたもののように言う人がいますがそんな確固とした自分の核なんてあるんでしょうか。少なくとも世間でいう『自分』などというものは、単なるキャラクーであり、役どころのようなもので、そのようなものは関係性の変化...カーネーションの花びらが束ねられている一点(向きあうもの)
ダイニングテーブルのうえにカーネーションが挿してありました。そのカーネーションをみていたら、花びらを束ねている一点に目がとまりました。その一点を見ながらなにげにいろいろ思い巡らせていたら、これはコア・核心といえないこともないなと思いました。コアというのはどんなことを言うのかと考えてみると、たとえば私が毎日の食材を買いに行った場合何のコアもないと、これも安いからこれも食べたいから買おうと買っていきます。でも何らかコアがあるとこれこれの基準のもとに買い物をして、一ヶ月いくらいくらで食費を納めようとすることです。コアがないと何基準に買い物をしたらいいのかわからなくてパシッとしません。そういう点に関連して、龍樹の『中論』の註釈書を読んでいて、私はこれがコアというのに今まで気がつかなかったという点がありました。それは以下...カーネーションの花びらが束ねられている一点(コア)
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