カーネーションの花をなにげに見ていたら、花びらを束ねられている一点に気をとられました。ある一点に花びらが納められてられているのを見るとなぜか安心感を感じます。そんなことを感じながらある一点をみながら、これって「ゼロ」と関係あるんではないかとふと思いました。なんである一点にすべてが納められているのに「ゼロ」と関係あるんだろうと思いますが、仏教でいう「ゼロ」というのは、私たちが目の前にものがあるかないかの「ゼロ」とは違って、あるものとの相対関係で「ゼロ」とします。たとえば電車が走っている速度と電車の外の景色が同じ速度で動いていれば、こころが気を取られるものがないので「ゼロ」とします。また、綱引きで左右どちらも同じ力で綱を引けば、綱の中心は動かないのでこころが気を取られるものは何もありません。そのように互角の力がある...カーネーションの花の中心(ゼロ)
カーネーションの花びらはある一点から出ているのと、アットランダムにあっちこっちから出ている差を考えていて、こういうことではないかとふと思いました。ある一点から出ているということは、ある一つのものがいろいろに変化して他のもののように見せて別個なものだと私たちをだましているけれども、実は根っこは同じだということです。昨日寝ながらふと考えてました。うちの猫は二匹とも死ぬときは本当に身ひとつで死んでったよな、と。それと、カーネーションの花びらがある一点からでているのとなにか関係があるような気がしてその関係を明らかにしてみたくなりました。猫は、目にみえない根っこの一点を見据えていて、その一点がいろいろ変化していて私たちをだまそうとしているのに気がついていたから、その変化しているものは無視してある一点をジーッと観じていたの...カーネーションの花の中心(虚妄)
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