高松に滞在している間に一番足を運んだお店、それは何と言ってもダントツで「ガブマル食堂」。毎日毎日、しげしげと通ったお店だ。名前からして行き易い、なんたって「食堂」だもの。おまけに寿司中川の並び、徒歩1分、さっさっさっさっさと歩いて行ける。が、初めてお店の前まで来た時、「うーん、これが食堂?」と、ストリート・アート並みに描(書)き込みされた木枠のガラスの引き戸に、もろ「平成」の違和感を感じる。少なくとも「昭和」の香りがそのまま「食堂」のイメージの私には、完全にはみ出した世界だ。 辛うじて悪戯描きの中に「ガブマル食堂」の文字をを見つけ、そのドアを開けると、これまたレトロな食堂とは裏腹に、いきなり「あーっ、カウンター!」ハイカラで、またまた昭和のイメージがぶち壊される。おまけにそのカウンターの上には、「何だこれ?パエリェーラ(パエーリャ用の薄鍋)じゃん!」と、大きさの異なるものが色々かけてある。とすると、ここはメゾン(MESÓN)?つまり、スペインの古風な居酒屋や料理屋のことだけど、メゾンを日本語に訳したら、やっぱり「食堂」、であるか。 ドアを開けて一瞬のタイムラグの後、「はい、いらっしゃい!」とターボ全開で、絵文字の笑い顔のような満開の笑みがひょっこり現れた。昨年スペインで初めて出逢った高松CHAVALSの一人、通称「ガブちゃん」こと、ドゥエンニョ(主)の有村和彦さんだ。でも、見慣れぬものが…。胸元で金バッジならぬソムリエ・バッジが眩い。「知らなかった、ガブちゃんはソムリエなんだ。」このお店、ネット上でよく、「高松一敷居の低いソムリエのお店」と紹介されている(実はお店の入り口の上の大看板にそう書いてある)。もしかして、食堂じゃなくて飲み屋なの? いずれにせよ、確かに敷居は低い、と言うよりも、「敷居なんてあるのかい(ない!)」というくらい、気さくなお店だ。なにしろ、店主のガブちゃんがカウンターの裏にいることなど、殆どない(少なくとも私たちがいた時はそうだった)。いつもこちら側にいて、みんなとワイワイギャアギャア、和気藹々とやっている。だからと言って、単なる呑んべい親父のお店とは違う。
天馬が見つからない。百間町を行ったり来たりするが、ない…。何度か通り過ぎた末に、「もしかして、ここ?」と、看板も何もない、ただ戸の開け放たれた入り口の中を覗いて見ると、「あっ、いた。」酒肴天馬の女将、馬渕雅子さんが、カウンターの中で何かゴソゴソやっている。「こんにちは。探しましたよ、もう。」「ええ、そうなんですよね、うちはのれんしかないから。」 なるほど、のれんか。確かに、かかっていなかった。まぁ、のれんは開店している時にかけるもの。閉まっている時は無用で、それで場所が分からなくても関係ない。正論だ。そもそもその日、天馬は定休日だった。ただ中川さんが「鯛鍋をやろう」と、それで休みの天馬が閉店稼業状態になったわけ。ありがとう、中川さん。お休みの日に、どうもすみません、雅子さん。 そののれん、黄地(和色の黄支子色?)に黒の跳ね馬。となれば、フェラーリの格好良い跳ね馬を連想するけど、ここのはちょっと小太りのペガサス(翼のある馬=天馬)。のれんの唄い文句「酒と旬魚とうまい時間」でほろ酔い加減か、赤いほっぺが可愛いらしい。なんとなく、グレイスフル(みやび)! お鍋は最初雅子さんが用意し、途中からガブマル食堂の有村さんが見張り番。そろそろいけるとみんなでつまみ出したところに中川さんが現れて、「喝!」順番が違うぜと、新若布(これが美味しい!)から入れ直し、次に二つに割った鯛のお頭を両方ともドカッ、しばらくして煮立ったらできあがり。豪快で滅茶コクのあるお鍋は、さすがです! 鯛鍋を食したところで連れが、「明日のための連絡を入れなければ」と、訪問先に電話を入れると、なんだか明日の朝7時に鳴門へおいで、と言われているみたい。「いいよ」と気安く受けたが後で駅探で調べると、「えっ…」(また)「ない。」明日の朝7時に鳴門にいるには、今晩21時に高松を出るしかない。はてさてどうしたものか。う~ん、もうレンタカーしかない! でも、そこでハタと気がついた。「早朝、レンタカー会社は閉まっているよね。」つまり、今日中に借りるしかない。そしてその時、ヨーロッパでは思いもよらぬことが頭の中をよぎった。「もしかして、私、飲んでる?ヒェー。」すると雅子さんが、「うちの若い子に頼んであげる」と電話で「代行」を交渉。おまけに、レンタカーまで予約してくれた。助かった、本当にありがとう!
長いヨーロッパ生活の中で、私は10年ほどパリに住んでいた。正確には、そのほとんどをパリから15mのところで、そして最後の3年を13区の中華街のすぐ横で、暮らした。13区に住んでいる時は、時間が不規則なコーディネイトの仕事のせいで、朝6時から真夜中過ぎまで開いている中華街が、とても重宝した。そして本場から来た人たち(と言っても華僑が多い)の同胞のために作る料理が美味しかった。 たまに日本へ戻ると、よく母と中華を食べに行った。母が中華が好きだったからだ。しばしばホテルや銀座のお気に入りの有名店に、連れられて行ったものだ。が、何を食べたか、今はうろ覚え。どんな高級な店の料理も、さして美味しいと思ったことはなかった。 それに比べ、パリの中華街の味はよく覚えている。美味しいし、早いし、安い。当時の私には、全てを兼ね備えた料理だった。もっとも、パリは10年も住めばもう十分な街。一度離れてからは、滅多にパリを訪れることはないが、行けば必ず中華街に足を運ぶ。これが私にとっての中華だ。 さて昨年の高松CHAVALS来西の折、Cantonese 楓林の関幸志さんは、残念ながら来られなかった。だから、ここ高松が初対面となる。と言っても、すでに一緒に大岡さんの所へ行っていた。それで、ヘア・スタイルに凝ったニヒルな関さんは、飲むのが好きな人だと分かっている。だからお店には「あれ」を携え、意気揚々に入ったが、「あら、ない。」目の前に広がるお洒落な空間には、(中華=)赤いテーブルが一つもなく、私の偏見、先入観は見事に打ち砕かれた。それどころか、なんとじょかーれ(GIOCARE)同様、カウンター席があるではないか!「うわっ、カウンター中華。やるじゃん、高松CHAVALS!最高だ。」 実際に座ってみると、とりあえず厨房側と仕切るために色々なものが置かれていて、ちょっと邪魔(失礼!)な気もする。が、それでも桜の蕾や壺等の合間から、関さんの作業が垣間見え、楽しい。あの馬鹿でかい中華包丁が図体に似合わず華麗に舞い、丸い中華鍋が大きく踊るのに、ついつい見とれてしまう。ただ一つ可笑しいのが、関さんの左胸で輝くソムリエ・バッジ。何故料理人が、と思うけど、まぁいいや、ここは日本、見逃そう。 次の瞬間、左のグラス棚に「Catherine
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