昨年7月、スペインに高松CHAVALS(「高松若大将連」とでも言っておこうか)がやってきた時、中川さん以外は全員初対面だと思っていた。が、違った。以前、高松で入った高知料理の店が酷過ぎて、飲み直しならぬ食い直しに中川さんの店へ行った時、「おっ、外したな。うちに連チャンで来た人、初めてや」と笑いながら食べさせてくれた後、「一緒に飲みに行こう」と連れてこられたのが酒肴天馬、馬渕雅子さんの店だった。また別の機会に、「うちのイタリア料理の店へ来てや」と、中川さんの自宅一階にあるレストランへ招待された時、シェフの上野賢司君とも会っていた。でも、(ゴメン!)記憶が混在していた。 上野君のお店「GIOCARE」のドアを開けると、カウンター席が目に飛び込んでくる。それも全8席、全てカウンターだ。「最高だ。」食は作り手との対話さ。私たちにとって、カウンターで過ごすことほど至悦な時はない。ただこの日本では当たり前の文化も、ミラノで自らのレストランを立ち上げ中の玄ちゃんが、「イタリアはまだ、カウンターでシェフと差しで食事というレベルじゃない。やっても採算がとれないでしょう」と言う通り、宮廷料理思考から抜け出せない人たちには、難しすぎるのだろう。フランスの巨匠の一人、故ジョエル ロビュションが数寄屋橋次郎の影響を受け(?)、ラトリエというオープン・キッチンの店を開いた程度だ。だから私たちにとって、「イタリア料理」でカウンター席というGIOCAREのスタイルは、とても新鮮で、衝撃的だった。それにしても一人で仕切るには、やはり8席というのは本当にギリギリ(最高限)の数、大変だろうなと思う。 席に着き、最初に出てきたお通し(?)は、瀬戸内のニシガイと菜の花のマリネ。スライスしただけでなく、細かく包丁が入ったニシガイの口当たりがたまらなくいい。おまけにヴィネグレットが全然嫌らしくなく(失礼、実は私、お酢があまり得意ではないのです)、いける。 次の皿は、瀬戸内渡り蟹とガスパチョのサラダ仕立てだ。名前だけ見ると、もろイタリアン(いや、半分エスパニョル=スパニッシュか)だが、やけに凝ったトマトソース(ガスパチョ)がくどくなく、塩茹でした蟹と良く合う。
大岡さんと別れた後、岡山で寄り道したせいで、高松へ戻るのが遅くなり、その日はお昼を食べずに終わった。しかも午後から雨になり、ちょっと憂鬱。夕食は八時半なのでまだ時間はあるが、雨は止みそうにない。今晩行くれんげ料理店は、ホテルからちょっと離れている。どうしよう。歩こうか、それとも、タクシーにしようか。 結局、八時を過ぎても雨が止まず、ホテルを出てすぐにタクシーを拾う。が、それがちょっと裏目に…。正確な住所を伝えると、タクシーはちゃんと裏道まで行ってくれたのに、レストランらしきものが見えない。どこだろうと、タクシーを降りた後、人間(それとも私?)の習性か、前へ進み探すがみつからない。そうするうちに、雨の中、結局その区画を歩いて一回りする羽目になった。そして元の場所へ戻り、小さな看板に気がついた。えっ、ここがレンゲ料理店?一軒家(?)なんだ。タクシーが5mオーバーランしてるじゃないか。 ドアを開けると、いきなり熱気が伝わってきた。滅茶苦茶賑わっている。連れによると、高松で人気の居酒屋だとか。これじゃぁ、「隠れ家的で分からなかった」なんて言えそうにない。そうか、ここが昨年中川さんと一緒にスペインにやってきた「憧れ」の阿部隆彦君の店か。やっぱり人気があるんだ。その阿部ちゃんが、「いらっしゃい。どうぞ」と、入り口側のカウンターの後から、笑顔で声をかけてくれた。 何が「憧れ」かと言うと、実は私、阿部ちゃんの包丁さばきに惚れこんじゃったんだ。とにかく凄くて、見とれちゃう。昨年、ジョアン・ラモン エスコーダのレストラン、トッサル グロスでのことだった。牛の生肉ステーキを作ろうと私が肉を切り出した時、阿部ちゃんが「やりましょうか」と言ってくれた。それじゃお願いしますと頼んだら、二刀流と言うよりはまるで二丁拳銃をぶっ放すように、両手に持った包丁でダダダダダッとまな板を引っ叩き、肉を切りだした。そしてあっという間にカルネ クルーダ バッテュータ ア コルテッロ(二刀流だから「コルテッニ」か)ができあがった。うはぁ~、早い。いやはや、その凄まじさに、呆気にとられる。よくプロとは?と尋ねる人がいるけど、アマとの違いは、絶対に仕事の速さですよ。
高松二日目、私たちは中川さんたちとドライブに出た。行き先は岡山。フランスで「Hirotake」の愛称で親しまれていた大岡さんが、突然日本に引き揚げ、岡山にワイナリーを開いて、すでに久しい。大岡さんとは、ある真夏の日、ローヌの井戸底の気温14度のカヴで、Tシャツ1枚、4時間も話し込んだ想い出がある。その大岡さんに会いに行く。 最初は、私たち二人で電車で行こうと思っていた。そのことを中川さんに告げると、一緒に行きたいと言う。おまけに、奥さんが運転する車で。勿論、問題はない。取り敢えず、岡山空港まで迎えに来てくれると言っていた大岡さんにその旨を伝えるが、ガブマル食堂の有村さんと風林の関さんも参加することになり、結局6人で行くことになった。 瀬戸内海を車で渡り、岡山市に入り郊外の山道へ。順調にナビに従い進んで行くが、最後でズレる。ヨーロッパではよくあること。酷い時にはナビが、とても車が通れぬ細い道や階段を、或いは人のうちの中(私有地)を突っ切れ、なんて言ったりする。だから慣れっ子だが、日本でそうなることが可笑しくて、黙って見ていた。 結局、電話を入れ場所を確認した後、来た道を少し戻り別の道に入りるとほどなく到着。ワイナリーのある農業倉庫の前で、大岡さんが待っていてくれた。が、先客と思しき人と一緒だ。よく見ると、あれ、外人さん?誰かと思えば、フランス人の造り手、ルシオン地方のドメンヌ デュ ポッシブルのロイック ルールだ。 凄いな、大岡さん。外国からの訪問者もいるんだ(まぁ、私たちもそうだけど)。そう言えば一年ほど前に、やはりフランスのBIOのビールの造り手から、「日本で大岡さんを訪ねたいので連絡を取って欲しい」と頼まれたっけ。でもあいつらは、実際に来たのだろうか。 中に入ると、早速大岡さんがワイナリーの構想を話してくれた。まず第一に、立ち上げに当たりできるだけ費用をかけないこと。だから、周りにある機材は殆ど全て中古、ヤクオフ(?)などで手に入れたそうだ。そして樽はフランスの自分の蔵で使っていたもの。よくもまぁ、これだけ寄せ集めて、(ある種の固定観念からすれば)全くドメンヌらしからぬドメンヌ(失礼!)をつくったものだ。その上そこで、とんでもないワインを造っている。全く驚異だ。
小豆島を後に、さぁ、高松入りだ。高松と言えば、言わずと知れた寿司中川。もう何年になるだろう。ずいぶん前に、金毘羅山の麓にある酒蔵「悦び凱陣」を訪れた際、「美味い寿司屋があるから」と蔵元の丸尾忠興さんに連れられて来たのが、最初だった。その日丸尾さんは酒の仕込みの最中で、「中川さん、後はよろしく!」と私たちをおいてすぐに帰られた。今でも忘れられない出来事が起こったのは、その後だ。 先客がいるカウンターにつきボンヤリ眺めていると、中川大将がなにやらこしらえている。「ああ、軍艦巻きか。それにしても大層豪勢なウニの盛方だなぁ。」すると突然、大将がウニの板を手にとり、逆さにひっくり返し残りのウニを軍艦の上に全部ぶっかけた。「うわぁー、誰だ。こんなもの頼むのは」と辺りを見回していると、「はい、お待ちどうさん」と、いきなりその軍艦が私たちの前に突き出され、「ヒェー!」と本気でぶっ飛んだ。 我が人生、寿司屋でこれ以上の衝撃の出逢いなし。 断固断言する。以来、岡山(備前焼)方向へ来れば、そのままマリンライナーに乗って高松へ、と何度か通うようになった。もう、私の中では次郎も水谷もない。寿司なら中川の中川大将、そして築地(豊洲は行かない)の大和の入野大将と決まった。
フェ 松山からは電車で高松まで行くことになった。そしてフェリーで小豆島へ。当初は時間に余裕をみて、池田港行きのフェリーに乗ろうと思っていたが、ATMを探しているうちにフェリー乗り場へ来てしまい、草壁港行きのフェリーにまだ間に合うと言うので、そのまま乗ってしまった。船上から電話を入れると、真渡寛君が迎えに来てくれると言う。 実は今回の一時帰国、高松へ行くことが大きな目的だった。と言うのも、昨年のH2O Vegetal試飲会(7月29日と30日)に、高松から6人のシェフがやって来て、和食の会を開いてくれた。そのご縁で、今度は彼らのお店を回ろうということになったわけ。ただ、その中の一人が実家の旅館の別館開業のために小豆島に戻っていた。最初は高松の後に寄ろうと思っていたが、週末は予約で一杯、全く空きがないと言う。そこでまず、小豆島の島宿真里へ行くことになった。でも一体、どういうところなのだろう? 港に迎えに来てくれた寛君は、旅館のユニフォームの出で立ち。様になっている。早速宿へ案内してくれるが、見るからにシックな外観。館内に入ると、木調の新旧の調和が美し造りに見とれてしまう。しかも堅苦しさを全く感じない、暖かな雰囲気だ。そして部屋に通されて、ビックリ。「うわぁ、豪勢!広~い!」と思ったら、「こちらは一番小ぶりのお部屋ですが…」だって。唖然。 私たちはヨーロッパを旅する際、食べ物(レストランなど)には(金の)糸目を付けないが、その分、ホテルはかなりはしょっている。宿泊施設付きのレストランは数少ないし、そもそも一晩限りの仮の居、それで十分だ。だから尚更、突然こんなところへ不時着すると、「いいの、こんなところへ泊まって?」となる。まぁ、なるようにしかならないが、でも、本当にいいのかな? 夕食時、前もって予約した食堂のカウンター席へ案内される。その黒調ベースの落ち着いた空間で、カウンター越しに黒のサムイ姿のスタッフを見た時、謎が解けた気がした。ここはもしかして料亭旅館?それなら私、大好きなんだけど。とにかく、私が嫌いな旅館の作り置き料理ではなさそう。期待しちゃおう。
フランスにいる時は、結構YouTubeで日本のテレビ番組を観ている。中には当然グルメ番組もあり、「孤独のグルメ」もその一つだった。松重豊が演じる井之頭五郎のお話は、結構楽しく観ているけれど、それじゃ実際に「行ってみたい」と思う処は、意外とない。そんな中、松山にある「さかな工房 丸万」だけは、絶対に行きたかった。 その松山は広島の対岸。となれば、船で渡るしかないじゃん。広島からはスーパージェット(高速船)もあるが、高い。それじゃぁ、ゆっくり瀬戸内海を眺めながらとクルーズフェリーにしたら、あいにくの雨模様でほとんど何も観ることなく対岸についた。まぁいい、道後温泉で一風呂浴びて、丸万へ行こう。 と呑気にしていたら、あらら、道後温泉にはあまりタクシーがいない。ようやく空車に乗り込み行き先を告げると、「祇園町?どのへんや?」知るわけないじゃん、初めてなんだから。「たぶん、あそこやと思うんやけど…。わしら地元の人間は瀬戸内の魚やないとあかんから、行ったことない。あそこはいろんなもんだしてくれますよ。」えっ、なんじゃ、それ。 戸を開けると、土間?踊り場?何かわけの分からない空間があって、その向こうにカウンターが見える。その上に、これでどうだとばかり魚が並べられている。その後ろで、大将の丸山さんが一人で魚をさばく。さらにその奥の厨房では、奥様らしき人が揚げ物などを用意する。 私たちが魚の真ん前の指定席に着くと、早速大将の丸山さんが、「うちじゃ、おまかせでもいいし、ここの魚のどれかを指差して、それ何じゃ?どうやって食べるんじゃ?でもええし、この魚、焼いてくれ、炊いてくれ、どうしてくれでも、何でもありだから。」と説明してくれる。「それじゃ、お勧めは?それから、穴子のたたきを食べたいな。それに鯛丼!」ここで大将、ニヤッとすると、「えーと、今日は穴子、あります。穴子は鍋も美味いけど、どうする?」このアナゴ鍋、「こんなに美味い穴子は今まで食べたことない」と思わず叫ぶほどの絶品だった!本当に美味い。そして鯛丼、「孤独のグルメでみた、あれや!これを食べなきゃ、ここへ来た意味がないぜ!」 ところで丸万さん、元々仕出し屋さんらしい。そこで明日の朝食昼食用に2食x2人分=4つのお弁当を作ってもらったら、「あらまぁ、なんと豪華絢爛なことでしょう!」
「大丈夫、一時間に一本バスがある。なにせうちはメインストリートに面しているから」と、ヒトミワイナリーの岸本代表が笑いながら言った一言が、忘れられない。これって凄いんだ。今まで車で40万キロ以上もヨーロッパのワイナリーを巡っていて、こんなこと、一度も考えたことがなかった。なにしろ、飲みすぎなければ、常に運転していたから。その点日本は、(特に東京での乗り換えのための早歩きや階段の登り降りを除けば)なんて楽なんだ。 バスの時間を気にしたのには、理由があった。その日の夕刻までに、広島に行かねばならなかったから。朝、東京を新幹線で出て、米原(JR東海道本線)近江八幡(近江鉄道八日市線=何十年ぶりかで再会した「硬券」に感激、記念にもらってきた!)八日市(近江バス)ヒトミワイナリーに着き、ここからは近江八幡まで戻り、JR東海道本線で新大阪に出て、新幹線に乗り換える。広島にはどうしても行きたい寿司屋があった。 舟入中町のさかもと屋市兵衛の直吉大将は、ちょんまげおやじとして有名な、カウンター越しのエンターテイナーだ。YouTubeで大将のことを知って以来、是非一度会って見たいと思っていた。その思いが、フランスを出る前に購入したJAPAN RAIL PASS(「のぞみ」と「みずほ」を除けばJR全線乗り放題)のお陰で、叶ったわけ。 日本に戻って最初の本格的なお料理は、「うん、瀬戸内の幸は美味しい!」の一言で始まり、そしてその一言で終わる。お通しからお造り、酢の物、焚き物、焼き物、握り(一体全部で何品出たんだ?)と、江戸前のコハダに涙した大将の仕事はさすがだ。一品一品に(エンターテイナー以上の)芸がこもっている。ただ、中でもビックリしたのは、魚もさることながら、出される野菜の美味しさ。「ウワァ~」とつい口をつく。ここまで野菜に凝る寿司職人は、あまりいないだろう。喝采、喝采。 一方お酒の方は、最初からほぼ私たちの口に合わないのが分かっていたのだから、言及しまい。それでも、私たちが漏らした「自然派が好き」の一言に、直吉大将がピーンと反応。裏から持ち出した雨後の月の「残りもの(澱)」には、気を取られた。にごり酒(?)の上澄みだけを飲んじまった後、残り物を冷蔵庫の中に放ったらかしておいたらしい。真っ白でドロドロ、でも、これが結構いけた。ただ自然酒でないぶん、やはり後はちょっとこたえたけど。
ヒトミワイナリー - 岸本邦臣&石本隼也 今回の一時帰国、私たちはほとんど地方で過ごすことになった。丸一日東京にいたのは、買い物で初めて豊洲市場を訪れた2月28日だけ。それにしても豊洲はなんと味気のないところか。築地という日本の文化が、また一つ葬り去られた。この事実は否めまい。何故、時の流れを止めずに、変わらぬ夢を流れに求めないのか。残念というよりも、悔しい。 反面、3月2日に訪れたヒトミワイナリーでは、そんな夢を見させてもらった気がする。信楽焼でのワイン造り、信楽茶壺仕込み、なかなか妙味な話だ。すでに十年も前からやっていると言う。それどころか、発掘された1200年前の焼き物の破片に葡萄がこびりついていたという、なんとも想像を掻き立ててくれる話もある。ああ、知らなかったのは私たちだけ。世界のVoyage en Amphoreを掲げるには、まだまだ役不足のようだ。 ネット検索で、茶壺仕込みとして、Sindo Funi TsuBo 2014が出てくる。Sindo Funi「身土不二」とは、「地のもの食べると長生きできる」という意味らしい。データを見ると、滋賀県産マスカットベリーA 100%使用、天然酵母での自然発酵でアルコール10度と、いかにも飲み易そうなワインだ。ちなみに2018年の茶壺仕込みは、白がデラウェア+ソービニョン ブラン、赤がシラー+カベルネ フラン。ボトル詰め間もないが、口当たりよくいける。 ヒトミワイナリーでは、元々にごりワインを謳い文句に商品化しているが、日頃澱満杯のワインを飲み慣れている私たちにとってはむしろ綺麗なワインであり、これに疑義を呈する輩がいるなら、その心中が図りかねる。個人的には願わくば、全房でもっと長期浸漬の、或いは日本固有の山葡萄で、いわば縄文風茶壺仕込みに挑戦してみてもらいたい気がする。
久しぶりの日本、久しぶりの超えた味 約三週間ぶりの投稿。久しぶりに、本当に久しぶりに、日本へ行っていた。四年半ぶりの一時帰国。その間フランス(ヨーロッパ)とはずっと音信不通のまま、だからFBもブログもみんなお休みして、「十割日本」を楽しんだ。そもそも、家を出たらナヴィ(+日本では駅探)以外、基本的にモニター(スマートフォンやノートブック)なんて見たくない。だってもったいないもの。小さな画面には収まりきらない、目の前で起こっている面白い色々なできごとを見逃すなんて。そのために、自由でいたいんですよ、自由で。囚われの身にはなりたくない。まぁ、小さな世界に縛られるのも、その人の自由だけど。 さて今回は、もう十年以上(?)乗っていなかったAF(エールフランス)で、パリ経由の成田着。個人的にはトルコ航空の方が好きだけど、AFがとにかく安かった。おまけに成田到着が朝。つまり、空港から直接寺田本家へ行ける。寺田優さんとは、毎年スペインやジョージアで再会していたけど、お蔵はやはり四年半ぶりの訪問だ。 いつもの板間で、初めて醍醐の泡を飲む。「仕込んで日が浅いので、まだ泡が出ていかも…」との優さんの心配をよそに、僅かに発泡しだしたお酒がやけに美味しい。グイグイいけてしまい、「おう、よいよい、いけるよ、これ、優さん」と、駆けつけ四、五杯でようやく本題へ。「優さん、ところで例のもの、どうですか?」、「じゃぁ、やりますか」、「やりましょう、やりましょう」と表に出る。 さて例のものとは、備前の大徳利に入れ地中に埋めて寝かした醍醐の雫のこと。もともとは、トリノで隔年に開催されるスローフッドのサローネ デル グスト2014年大会で、2002年以来続けてきた私たちの研修会の集大成のテーマ「かめ壺熟成」用に、優さんに頼んで14ヶ月熟成させてもらったものだ。これが滅茶美味しくて、是非同じものをと再び埋めてもらったが、結果的にその後私たちが一度も一時帰国することなく、そのままずっと地中で眠っていたものを、「掘り出そう」ということになったわけ。でも、自然はすごい。五年も放っておくと、「こんなにも根が張って…」と、優さんが四苦八苦しながら、なんとか掘り起こす。とりあえずかめ壺の表面の土を洗い流すと、口からほんのり香りが…。「これは、あっ、あれだ。」
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