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2010年、トビ岩の現状確認の登山時にお世話になった妙蔵寺、その住職さんから教えて頂いた地域に古くから語られいる伝承から調査が始まった石田村。当時行政も余り把握してなかったこの石田村には伝承と共に不思議な景観が残されていました。
戦後観光洞として一般公開された鍾乳洞、しかしその歴史は地域土着の山岳信仰の対象として古くから人々が集まる場所でした。都内有数の広大なケイブシステムを擁し、地底湖も複数存在するケイビングビギナーには非常に好ましいロケーション。現在は入洞禁止となり、一般調査は不可能となりました。
北は津山からも遠く、南は赤穂からも遠い。そんな山深い中に地域を代表する大規模な鉱山がありました、旺盛時には鉱山夫住宅が幾軒も並んだのは半世紀以上前の事。現在は大自然に飲み込まれつつ歴史ある鉱山跡をご紹介します、蜂と虻に追いかけられながら現地調査したレポートをじっくりとお楽しみください。
現在は多くの工場が乱立する元三川坑エリア、有明海沿岸道路に分断され発電所や当時の鉱山施設やトロッコ軌道は撤去されてしまい東端に住宅跡などを残すばかり。この様変わりした場所に殆ど知られていない施設棟がありました、報道取材で幸運にも内部見学できたその時の様子を少しだけご紹介します。
都心から程近い房総半島に県内では唯一と言える沢登りができる場所が存在します、細き流れではありますが遡行、シャワークライム、鬱蒼としたゴルジュなど歩く者を高揚させます。その名は梨沢、台風被害によってその姿を大きく変えてしまいましたがいつかその美しさが戻るよう、スゴログも復旧作業に協力しています。
都心から程近い房総半島に県内では唯一と言える沢登りができる場所が存在します、細き流れではありますが遡行、シャワークライム、鬱蒼としたゴルジュなど歩く者を高揚させます。その名は梨沢、台風被害によってその姿を大きく変えてしまいましたがいつかその美しさが戻るよう、スゴログも復旧作業に協力しています。
仰々しいエピソードが多く語られる廃病舎、結核隔離病棟として知られてはいるものの当時は既に結核根絶末期で実際に受け入れられていたのは軽症患者が殆どの一般的な医療施設。歴史を紐解くと自然災害によって閉鎖に追い込まれただけで凄惨な物語は存在しないこの東伊豆町隔離病舎を史実のみを抜粋してレポート。
長年放置された山奥の廃橋、崩落したその姿は余りのインパクトで見る者を驚かせていましたが歴史を掘り下げると世情と行政、そして民間企業の杜撰な開発計画が。そして崩落後人が入らなくなった開発地を目指して入山、その形跡を辿ります。小さな造成痕から現在の姿を調査しました。
戦後処理の狭間で揺れた台湾人学生寮だった清華寮、国際法と近隣住民を巻き込んだ長い懸念と共に一つの歴史を産み落としたこの建造物のエピソードを辿ります。多国籍化した独自の自治形態を形成した非常に珍しいこの集合住宅、解体によって薄れてしまいそうな事実をレポートします。
1939年に陸軍燃料廠として建設が開始され、翌年運用開始。日中戦争を経て大戦後はアメリカ軍に接収されて府中通信施設として稼働し1952年に米軍基地として長年運用された府中米軍基地。その歴史と現在この地が抱えている数々の問題をレポートします、情報は旧サイトから引き継ぎ2022年の最新の情報も掲載。
震災の年から追い続けた通称、大山祇神社。旧サイトでも度々取り上げ、それがキッカケとなり沢山の人に知って頂くに至りましたが2021年、遂に完全崩落。約10年間に及んだ経過観察も終え、新たな聞き取り証言やそれらの整合性を確実にするために再調査。可能な限りの歴史を掘り下げ、より正確な史実をレポートします。
消滅可能性日本一と称されながら地道な地域再生活動を続けている愚直な山村、群馬県南牧村。その地域のランドマークとして愛された廃校がありました。南牧村立尾沢中学校跡です、都市部からの移住者や県内のNPO団体と共に地元に根付いた経済活動が失火により焼失しました。
低山しかない千葉県房総半島、その中で本格的な沢登りができると人気のある梨沢渓谷。その梨沢地区にはもう一つ知られた絶景眺望の地があります、その名はトビ岩。古くは江戸時代から続く地場産業の作業道や旧道など複数の登山道からアクセスできるトレッキングルートをご紹介します。
2010年の来訪時に発見出来なかった謎の石碑、2014年の情報提供からいたずらに経過した空白の4年間。再訪となる2018年、果たして上暮地の石碑は発見できるのか。8年越しのレポートが今回、完結します。
2010年の来訪時に発見出来なかった謎の石碑、2014年の情報提供からいたずらに経過した空白の4年間。再訪となる2018年、果たして上暮地の石碑は発見できるのか。8年越しのレポートが今回、完結します。
山々に囲まれた地場産業のなかった開拓集落、移民追従児童の山間教育現場として設けられた分校の歴史を少しだけ除いてみましょう。そこには少ない児童数と、たった一人で四苦八苦した地域教育の現場と住民に支えられて素晴らしい環境がありました。たった18年間の歴史に刻まれた様々な思いをレポート。
地元の人々の記憶から消え去った小山の山頂に残された小さな祠、そこには地場産業と密接に関わる設置理由と長い歴史がありました。地域住民との共同調査によって判明した祠のバックストーリーをレポート、二入隧道で知られる二入地区の歴史を一緒に辿りましょう。
前回から引き続きニッチツのレポート。戦国時代から続く歴史ある秩父鉱山、一般には知られていない坑口や自然埋没した鉱床経路。また人道外の吊橋や架空索道の存在など調査は多岐に、公開できる範囲で多くの魅力と国内の鉱山史に名を刻む物語をお伝えしたいと思います。
峠を越える為に通過した金山志賀坂線(林道)、途中大きな現役鉱山が姿を現し、周囲には廃墟群が。この現役施設と廃墟が隣接する風景がとても奇妙に覚え、翌年には元鉱山夫(ニッチツ職員)を伴って施設取材。現場と貴重な当時の話から山深い鉱山の歴史が見えてきました。
房総半島では釣り人や登山者に特に有名だった廃橋がありました、全国的に見てもその規模は大きくて見るものを驚かせたといいます。深い山中で揺れた娯楽産業開発とバブル崩壊、その後二転三転する再開発の顛末を徹底調査。現在は太陽光発電区画なった現場の歴史をご紹介します。
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