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2018/12/29

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  • #053 竜山鉱山

    北は津山からも遠く、南は赤穂からも遠い。そんな山深い中に地域を代表する大規模な鉱山がありました、旺盛時には鉱山夫住宅が幾軒も並んだのは半世紀以上前の事。現在は大自然に飲み込まれつつ歴史ある鉱山跡をご紹介します、蜂と虻に追いかけられながら現地調査したレポートをじっくりとお楽しみください。

  • #052 三川坑坑外職場棟

    現在は多くの工場が乱立する元三川坑エリア、有明海沿岸道路に分断され発電所や当時の鉱山施設やトロッコ軌道は撤去されてしまい東端に住宅跡などを残すばかり。この様変わりした場所に殆ど知られていない施設棟がありました、報道取材で幸運にも内部見学できたその時の様子を少しだけご紹介します。

  • #051 梨沢 七ッ釜渓谷

    都心から程近い房総半島に県内では唯一と言える沢登りができる場所が存在します、細き流れではありますが遡行、シャワークライム、鬱蒼としたゴルジュなど歩く者を高揚させます。その名は梨沢、台風被害によってその姿を大きく変えてしまいましたがいつかその美しさが戻るよう、スゴログも復旧作業に協力しています。

  • #051 梨沢 七ッ釜渓谷

    都心から程近い房総半島に県内では唯一と言える沢登りができる場所が存在します、細き流れではありますが遡行、シャワークライム、鬱蒼としたゴルジュなど歩く者を高揚させます。その名は梨沢、台風被害によってその姿を大きく変えてしまいましたがいつかその美しさが戻るよう、スゴログも復旧作業に協力しています。

  • #050 東伊豆町隔離病舎

    仰々しいエピソードが多く語られる廃病舎、結核隔離病棟として知られてはいるものの当時は既に結核根絶末期で実際に受け入れられていたのは軽症患者が殆どの一般的な医療施設。歴史を紐解くと自然災害によって閉鎖に追い込まれただけで凄惨な物語は存在しないこの東伊豆町隔離病舎を史実のみを抜粋してレポート。

  • #049 赤沢八幡野連絡橋

    長年放置された山奥の廃橋、崩落したその姿は余りのインパクトで見る者を驚かせていましたが歴史を掘り下げると世情と行政、そして民間企業の杜撰な開発計画が。そして崩落後人が入らなくなった開発地を目指して入山、その形跡を辿ります。小さな造成痕から現在の姿を調査しました。

  • #048 清華寮

    戦後処理の狭間で揺れた台湾人学生寮だった清華寮、国際法と近隣住民を巻き込んだ長い懸念と共に一つの歴史を産み落としたこの建造物のエピソードを辿ります。多国籍化した独自の自治形態を形成した非常に珍しいこの集合住宅、解体によって薄れてしまいそうな事実をレポートします。

  • #047 府中米軍基地

    1939年に陸軍燃料廠として建設が開始され、翌年運用開始。日中戦争を経て大戦後はアメリカ軍に接収されて府中通信施設として稼働し1952年に米軍基地として長年運用された府中米軍基地。その歴史と現在この地が抱えている数々の問題をレポートします、情報は旧サイトから引き継ぎ2022年の最新の情報も掲載。

  • #046 御嶽教大山祇教社

    震災の年から追い続けた通称、大山祇神社。旧サイトでも度々取り上げ、それがキッカケとなり沢山の人に知って頂くに至りましたが2021年、遂に完全崩落。約10年間に及んだ経過観察も終え、新たな聞き取り証言やそれらの整合性を確実にするために再調査。可能な限りの歴史を掘り下げ、より正確な史実をレポートします。

  • #045 南牧村立尾澤小中学校

    消滅可能性日本一と称されながら地道な地域再生活動を続けている愚直な山村、群馬県南牧村。その地域のランドマークとして愛された廃校がありました。南牧村立尾沢中学校跡です、都市部からの移住者や県内のNPO団体と共に地元に根付いた経済活動が失火により焼失しました。

  • #044 トビ岩

    低山しかない千葉県房総半島、その中で本格的な沢登りができると人気のある梨沢渓谷。その梨沢地区にはもう一つ知られた絶景眺望の地があります、その名はトビ岩。古くは江戸時代から続く地場産業の作業道や旧道など複数の登山道からアクセスできるトレッキングルートをご紹介します。

  • #043 上暮地の石碑

    2010年の来訪時に発見出来なかった謎の石碑、2014年の情報提供からいたずらに経過した空白の4年間。再訪となる2018年、果たして上暮地の石碑は発見できるのか。8年越しのレポートが今回、完結します。

  • #042 熊ノ木小学校西高原分校

    山々に囲まれた地場産業のなかった開拓集落、移民追従児童の山間教育現場として設けられた分校の歴史を少しだけ除いてみましょう。そこには少ない児童数と、たった一人で四苦八苦した地域教育の現場と住民に支えられて素晴らしい環境がありました。たった18年間の歴史に刻まれた様々な思いをレポート。

  • #041 二入の石祠

    地元の人々の記憶から消え去った小山の山頂に残された小さな祠、そこには地場産業と密接に関わる設置理由と長い歴史がありました。地域住民との共同調査によって判明した祠のバックストーリーをレポート、二入隧道で知られる二入地区の歴史を一緒に辿りましょう。

  • #040 秩父鉱山 ②

    前回から引き続きニッチツのレポート。戦国時代から続く歴史ある秩父鉱山、一般には知られていない坑口や自然埋没した鉱床経路。また人道外の吊橋や架空索道の存在など調査は多岐に、公開できる範囲で多くの魅力と国内の鉱山史に名を刻む物語をお伝えしたいと思います。

  • #039 秩父鉱山 ①

    峠を越える為に通過した金山志賀坂線(林道)、途中大きな現役鉱山が姿を現し、周囲には廃墟群が。この現役施設と廃墟が隣接する風景がとても奇妙に覚え、翌年には元鉱山夫(ニッチツ職員)を伴って施設取材。現場と貴重な当時の話から山深い鉱山の歴史が見えてきました。

  • #038 君津エースゴルフクラブ

    房総半島では釣り人や登山者に特に有名だった廃橋がありました、全国的に見てもその規模は大きくて見るものを驚かせたといいます。深い山中で揺れた娯楽産業開発とバブル崩壊、その後二転三転する再開発の顛末を徹底調査。現在は太陽光発電区画なった現場の歴史をご紹介します。

  • #037 岩塔ヶ原 ②

    2000年初頭、ネット黎明期に登場した都市伝説「岩塔ヶ原」。山窩と呼ばれる漂浪民族の終焉の地とされるその場所は、現在特別天然保護区域に指定された尾瀬の立入禁止地区でした。戦前の創作と史実に揺れた謎多き岩塔ヶ原へ、約20年の時を経て今回はいよいよ現地へ向い調査を行います。

  • #036 小浦海岸

    房総半島にはプライベートビートと呼称するに相応しい日常と隔離された浜辺が複数存在します、そこへ到るには絶壁の昇降であったり深い藪を漕いだりと一筋縄ではいきません。しかし険しい道程を越えたその場所は非常に美しく、噂に違わぬ人独りいない静けさと波の音が支配する非日常的な風景が広がっていました。

  • #036 小浦海岸

    房総半島にはプライベートビートと呼称するに相応しい日常と隔離された浜辺が複数存在します、そこへ到るには絶壁の昇降であったり深い藪を漕いだりと一筋縄ではいきません。しかし険しい道程を越えたその場所は非常に美しく、噂に違わぬ人独りいない静けさと波の音が支配する非日常的な風景が広がっていました。

  • #035 霊仙 保月集落

    峠越えの宿場町としても栄え、近代史では周辺集落の随一の規模をほこった保月集落。都市部から離れた山村として行政機能の代理業務を行い、多岐に渡る産業も維持し続けた特異な集落でもありました。現在でも元住民による保存活動や冬季を除く期間村民の存在など変動し続ける生きた廃村、この保月集落の詳細な調査内容をご紹介します。

  • #035 霊仙 保月集落

    峠越えの宿場町としても栄え、近代史では周辺集落の随一の規模をほこった保月集落。都市部から離れた山村として行政機能の代理業務を行い、多岐に渡る産業も維持し続けた特異な集落でもありました。現在でも元住民による保存活動や冬季を除く期間村民の存在など変動し続ける生きた廃村、この保月集落の詳細な調査内容をご紹介します。

  • #034 霊仙 杉集落

    旧脇ヶ畑村三集落で一番古い集落として知られる杉集落、そのルーツはやはりご神体にも選ばれた杉の大木から。土着の樹木信仰と山間部では珍しい平地に恵まれた農耕文化、地域性を色濃く残した集落形態は歴史的価値も高いのでした。全国的にも稀な一行政地域一斉離村など語りつくせぬ杉の歩みにフォーカスしたいと思います。

  • #034 霊仙 杉集落

    旧脇ヶ畑村三集落で一番古い集落として知られる杉集落、そのルーツはやはりご神体にも選ばれた杉の大木から。土着の樹木信仰と山間部では珍しい平地に恵まれた農耕文化、地域性を色濃く残した集落形態は歴史的価値も高いのでした。全国的にも稀な一行政地域一斉離村など語りつくせぬ杉の歩みにフォーカスしたいと思います。

  • #033 霊仙 向之倉集落

    霊仙の廃村群の中に一際異彩を放つ集落が一つあります。長い歴史が確かに記録されてはいる、なのに集落形成時期や形成当時の模様がはっきりしない。そんな謎多き「向之倉集落」は幾つもの呼称で呼ばれたことでも知られる、近年に急速に倒壊数が増えたこの集落の歴史とそこで生活した人々の様子をレポートしたいと思います。

  • #033 霊仙 向之倉集落

    霊仙の廃村群の中に一際異彩を放つ集落が一つあります。長い歴史が確かに記録されてはいる、なのに集落形成時期や形成当時の模様がはっきりしない。そんな謎多き「向之倉集落」は幾つもの呼称で呼ばれたことでも知られる、近年に急速に倒壊数が増えたこの集落の歴史とそこで生活した人々の様子をレポートしたいと思います。

  • #032 霊仙 後谷集落

    当初の事前調査では2006年頃の段階で行政記録上の廃村が確認されていました、しかし実際に赴くと明らかに人の気配。2009年には住民が戻り冬季は無人となる限界集落であることが判明しました。道路の突き当たりに位置し、現在では多賀鉱山跡と砂防ダムが当時を語るのみ。この小さな集落の歴史を少しだけ紐解いてみましょう。

  • #032 霊仙 後谷集落

    当初の事前調査では2006年頃の段階で行政調査上の廃村が確認されていました、しかし実際に赴くと明らかに人の気配。2009年には住民が戻り冬季は無人となる限界集落であることが判明しました。道路の突き当たりに位置し、現在では多賀鉱山跡と砂防ダムが当時を語るのみ。この小さな集落の歴史を少しだけ紐解いてみましょう。

  • #031 霊仙 桃原集落

    今も残る滋賀県多賀町の霊仙山麓に位置する廃村群、その中で現住世帯が一つでしかも住人が1人という限界集落がありました。一見すると廃村寸前とは思えないほどの人の気配、そして整然と並ぶ家屋たち。この山深い桃原集落の歴史、そして少々珍しいエピソードをご紹介したいと思います。

  • #031 霊仙 桃原集落

    今も残る滋賀県多賀町の霊仙山麓に位置する廃村群、その中で現住世帯が一つでしかも住人が1人という限界集落がありました。一見すると廃村寸前とは思えないほどの人の気配、そして整然と並ぶ家屋たち。この山深い桃原集落の歴史、そして少々珍しいエピソードをご紹介したいと思います。

  • #030 霊仙 比婆神社

    未だに幾つかの謎と、調査が終わっていない岩窟と。男鬼集落や高取山城(城男鬼城)との関係、創祀や御祭神の由来など兎にも角にも興味が尽きないこの神社。地域文化との繋がりも非常に強く、そして何故この地に祭られたのか。神社までの現在の参拝道と旧道の存在、明らかに創祀より古い時代の古道なども調査。「比婆」という名に隠されたこの地との関係を紐解いていきます。

  • #030 霊仙 比婆神社

    未だに幾つかの謎と、調査が終わっていない岩窟と。男鬼集落や高取山城(城男鬼城)との関係、創祀や御祭神の由来など兎にも角にも興味が尽きないこの神社。地域文化との繋がりも非常に強く、そして何故この地に祭られたのか。神社までの現在の参拝道と旧道の存在、明らかに創祀より古い時代の古道なども調査。「比婆」という名に隠されたこの地との関係を紐解いていきます。

  • #029 霊仙 男鬼集落

    男鬼集落は他の霊仙廃集落群とはやや趣が異なります、一見すると同系統の集落と思われますが山岳産業の収益方法や極々限定的な統治、文化などとても面白い特徴を多く兼ね備えていました。また神社の信仰性にも他との違いが見て取れ、何より実は周囲の集落群の中で断トツに古くて長い歴史を誇ります。この不思議で興味深い男鬼集落を少しだけ、現地見聞と共に掘り下げていきたいと思います。

  • #029 霊仙 男鬼集落

    男鬼集落は他の霊仙廃集落群とはやや趣が異なります、一見すると同系統の集落と思われますが山岳産業の収益方法や極々限定的な統治、文化などとても面白い特徴を多く兼ね備えていました。また神社の信仰性にも他との違いが見て取れ、何より実は周囲の集落群の中で断トツに古くて長い歴史を誇ります。この不思議で興味深い男鬼集落を少しだけ、現地見聞と共に掘り下げていきたいと思います。

  • #028 霊仙 落合集落

    霊仙廃集落群の中で最大規模を誇る落合集落跡、霊仙には沢山の集落が形成されていましたがこの落合集落は家屋の密集度や平地開発の工夫、旧行政との連携など他の霊仙集落に比べると組織的で運営も近代化された素晴らしい地域でもありました。

  • #028 霊仙 落合集落

    霊仙廃集落群の中で最大規模を誇る落合集落跡、霊仙には沢山の集落が形成されていましたがこの落合集落は家屋の密集度や平地開発の工夫、旧行政との連携など他の霊仙集落に比べると組織的で運営も近代化された素晴らしい地域でもありました。

  • #027 霊仙 今畑集落

    実は多くの人に知られた存在である今畑集落、それは登山道へのルートの脇に残されているから。同様の廃村群の中で唯一車道などの近代化整備が行えなかった地理的条件とそれでいて離村時期は一番遅いという矛盾したこの集落の歴史に触れることにしましょう。

  • #027 霊仙 今畑集落

    実は多くの人に知られた存在である今畑集落、それは登山道へのルートの脇に残されているから。同様の廃村群の中で唯一車道などの近代化整備が行えなかった地理的条件とそれでいて離村時期は一番遅いという矛盾したこの集落の歴史に触れることにしましょう。

  • #026 霊仙 入谷集落

    高度成長期が終焉を向え、国内の山村集落は尽く廃村の一途を辿った。高齢化、過疎化の波に飲み込まれた霊仙山麓の集落たち。今回から数回に分けてこの霊仙の廃村群をレポートする、最初のエントリーは入谷集落です。

  • #026 霊仙 入谷集落

    高度成長期が終焉を向え、国内の山村集落は尽く廃村の一途を辿った。高齢化、過疎化の波に飲み込まれた霊仙山麓の集落たち。今回から数回に分けてこの霊仙の廃村群をレポートする、最初のエントリーは入谷集落です。

  • #025 白雲瀧

    危険なアプローチの先に待っていたのは何処を切り取っても絶景としか表現できない、そんな美しい場所でした。偶然の発見から一世紀が経過した白雲瀧と呼ばれるその滝を取り巻く史実を詳細にレポート、華厳の滝との関連性や過去存在した観光道なども紹介する。

  • #024 岩塔ヶ原①

    2000年初頭、ネット黎明期に登場した都市伝説「岩塔ヶ原」。山窩と呼ばれる漂浪民族の終焉の地とされるその場所は、現在特別天然保護区域に指定された尾瀬の立入禁止地区でした。謎多き岩塔ヶ原へ向い、現地来訪へ向けての事前調査の内容を公開します。

  • #023 向山炭鉱

    国内屈指の軍需工場だった浦之崎造船所(川南造船所)、その創業者だった川南豊作が経営権を取得した向山炭鉱。造船所に隣接する炭鉱遺構の稼動当時を振り返りながら数奇な運命を辿ったその歴史を紐解くレポート。

  • #022 浦ノ崎変電所

    川南工業浦之崎造船所と密接な関係にあった浦ノ崎変電所、その運用は果たして軍需だけだったのか。民間企業や一般家庭への送電は行われていないのか、半世紀以上を経過した森の中の小さな送電施設の歴史を辿る詳細レポートです。

  • #021 川南工業浦之崎造船所

    非常に美しい廃墟として知られていた軍需工場「川南工業浦之崎造船所」、川南造船所という通称で沢山の来訪レポートが存在しますがその詳細な歴史は余り知られていません。土地問題で揺れた解体に至るまでの全経緯を沢山の資料と共にご紹介します。

  • #020 岡本川源流未開発区域

    秘境や未踏の地、廃墟などの産業遺構等の史実を検証して詳細レポートを公開しているアウトドアチームです。

  • #019 鹿沼市立石裂小学校

    山岳信仰で栄えた山深い石裂集落、その僻地における唯一の教育施設であった石裂小学校を周囲の歴史と共にご紹介します。実に多くのエピソードを提供して頂けたこの地域と現在の過疎化問題、そして住民の今をレポートしました。

  • #018 白石工業桑名工場

    白亜の迷宮と呼ばれ、廃墟フリークの憧れの的だった三重県の鉱山跡の白石工業桑名工場。惜しまれながら2012年に解体されましたがその残照は未だ人々の記憶に、意外と語る事の多いのこの工場跡を公開当時のレポートを基に再編集しました。

  • #017 浸透実験池

    長い間謎とされていた房総の古代魚半島、盤州干潟。先端に残る浸透実験池と共に様々残留物を検証していきます。千葉県に大きな産業型人材需要を齎した企業誘致の歴史を基に、現在の周辺状況もご紹介したいと思います。

  • #016 古河鉱業水掛社宅

    足尾銅山関連施設として語られる事の少ない掛水地区の役員住宅と社宅群、そして現在でも現役運用されている古河機械金属株式会社福利厚生施設。足尾駅の眼前ながら着目される事なく残るこの地区の歴史を少しだけ掘り下げてみたいと思う。

  • #015 石舟沢鍾乳洞

    2010年から継続的に続けてきた奥秩父の石舟沢鍾乳洞探索、東日本大震災時の小規模崩落や無計画伐採と時期を同じくした記録的豪雪や連続台風の為の渓谷内大崩落。それらの諸問題と共に、美しかった当事の石舟沢をご紹介します。

  • #014 東赤谷連続洞門

    紆余曲折の歴史を辿った鉱山専用軌道、そして軍需に沸いた戦略物資輸送線としての顔。美しい景観とは裏腹に数々の運営譲渡を繰り返した日鉄鉱業赤谷鉱山専用線の連続洞門をご紹介します。

  • #013 細尾第一発電所

    国内では三番目に古い発電所となる細尾第一発電所、その長い歴史の中には数々の驚くべき事実が眠っていました。モダンで美しいレンガ造りの発電所が今に伝える数々エピソード、それらを少しだけご紹介します。

  • #012 通洞動力所

    2011年の衝撃的な崩落の知らせ、貴重な足尾銅山関連施設の中でも異彩を放っていたレンガ造りの通洞動力所と隣接建造された新梨子油力発電所の在りし日の姿をご紹介しよう。

  • #011 宇都野火薬庫

    1954年にその役目を負え、2007年には国史跡指定と成った産業遺構となる宇都野火薬庫。国史跡指定から10年以上の月日を経過してから保存活動に着手すると言う蔑ろにされ続けたこの廃墟の歴史を振り返る。

  • #010 開墾場の滝

    房総半島の隠れた景勝地、そして林業型の川廻しと言う特色を持った美しい造形を見せる開墾場の滝。季節毎に全く違う姿で来訪者を楽しませるこの滝の歴史的背景と造成による地形の変化をレポートした。

  • #009 深沢集落

    かつて足尾銅山の深沢集落は先に紹介した愛宕下集落同様、飛火の火事によって集落が全焼した歴史を持つ。絶えず火の恐怖と隣り合わせだった銅山集落の歴史を今回もご紹介します。

  • #008 愛宕下集落

    足尾銅山の愛宕下集落は山火事跡に開発され、一時期は銅山としては最大規模を誇った住宅群。現在はその殆どが解体されてしまったが残存当事の写真と共に歴史を振り返る。

  • #007 高宕渓谷

    房総の秘地、T秘境と名付けられた高宕渓谷。その美しさは千葉県随一とも言われ、沢山の人々を惹き付けた。景勝地としてだけでなく、県内でも特殊な造成目的を過去にもつ歴史的価値のある川廻しでもありました。

  • #006 湯ヶ滝集落

    戦後復興に取り残された房総半島の山中集落、湯ヶ滝集落。温泉地としても知られる七里川温泉の対岸に今もひっそりと残る廃屋と残された残留物。それぞれの歴史を辿る為、ヤマビルだらけの山行へ。

  • #005 遠沢新道

    深い谷に沿う様に延びた林道、そこには各時代を支えた生活道路としての側面の他に物資運搬にりも利用された産業道路と言う顔も。苔生す美しき廃道へ、そしてまだ見ぬ連続隧道へ想いを馳せて挑む。

  • #004 追原集落

    公式に廃村認定は存在しない千葉県、そんな房総半島において実は廃集落が幾つか存在します。その中でもダム建設で揺れに揺れた山中の追原集落は地域住民を巻き込んだ特別な経緯がありました。

  • #003 翁島ペンション

    幽霊ペンションを恐れられた心霊スポットも歴史を辿ればリゾート開発に右往左往させられた地元観光開発の残骸だった、完成に至らなかったリゾート開発の様々な謎と歴史に迫ります。

  • #002 鹿島海軍航空隊基地

    茨城県霞ヶ浦に残る戦争需要遺構、海軍鹿島航空隊基地。戦時下の目まぐるしく変化する状況に翻弄された運用形態と現在までの歴史を追う、近年大きく改修された敷地内の今は驚くほどの変貌を遂げていた。

  • #001 竹内農場

    茨城県龍ヶ崎市の鬱蒼とした森の中に静かに佇む赤レンガ西洋館、竹内農場。吉田茂の実父だった竹内綱が建造し、赤レンガ西洋館の名で親しまれ、現在は地元NPOが保存に向けた活動も活発化している歴史的建造物。

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