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にせ茶人の歴史ブログ http://nisechajin.livedoor.blog/

『毛利家文書』、『明智軍記』、『宗長日記』、そのほか茶道関係の史料を読んでいます。

にせ茶人
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2018/12/26

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  • 毛利了禅〈時親〉譲状案(『毛利家文書』13-2号)

    毛利了禅〈時親〉譲状案(『毛利家文書』13-2号)

    今日は、南北朝時代の建武四年(1337)に作成された、毛利了禅〈時親〉譲状案(『毛利家文書』13-2号)を読んでみたいと思います。 毛利了禅は吉田庄の地頭職を孫・毛利親茂に譲るとした上で、親茂が死去したのちは、その嫡子・少輔太郎師親(毛利元春)に地頭職を相続させるよう

  • 毛利了禅〈時親〉譲状案(『毛利家文書』13-1号)

    毛利了禅〈時親〉譲状案(『毛利家文書』13-1号)

    『毛利家文書』13号には、毛利広房重書案として13通におよぶ重要文書の案文(控え)が所収されており、毛利氏関係の譲状、本領安堵や地頭職、軍忠などを認める文書から成ります。 文書が作成されたのは、建武(1334~36)から、康暦(1379~81)ごろになります。 今日は毛利了禅

  • 【16】現代語訳『明智軍記』巻第三・下「三好一族、将軍の御館攻むる事、付けたり、二条城を築かるる事」

    【16】現代語訳『明智軍記』巻第三・下「三好一族、将軍の御館攻むる事、付けたり、二条城を築かるる事」

    新年に改まり、永禄十二年(1569)になりました。 正月の恵みを得て、南に枝をのばした梅が気色立ち、軒のウグイスの声がほころんで、里山は霧が晴れて、上下の人々がにぎわうころであるのに、淀・山崎のあたりから、馬を走らせる煙がおびただしいものがありました。 これは

  • 足利義満下文(『毛利家文書』12号)

    足利義満下文(『毛利家文書』12号)

    今回は、室町幕府の三代将軍・足利義満が、毛利元春に与えた下文(くだしぶみ)を読んでみたいと思います。 (毛利元春は南北朝時代~室町時代に活躍した毛利氏の当主で、戦国時代の吉川元春とは別人です) 下文とは、身分が上位の者から、下位の者へ下される文書です。 袖(古

  • 現代語訳『明智軍記』巻第三・下 (1)信長、義昭公を伴い奉り上洛の事、付けたり、三好党退治の事

    現代語訳『明智軍記』巻第三・下 (1)信長、義昭公を伴い奉り上洛の事、付けたり、三好党退治の事

    こうして織田信長は観音寺城に安座して、国民を撫育する仕置きを命令されました。 そうしたところに、佐々木六角義秀をともなって、蒲生賢秀・氏郷父子が日野谷から参上しました。 そのとき、信長の幼い弟である喜六郎殿・半左衛門殿の両人も、蒲生氏に同道していました。

  • 犬の歴史その2 島津氏と南蛮犬

    犬の歴史その2 島津氏と南蛮犬

    今回は、天正十二年(1584)ごろの、島津氏と「南蛮犬」に関する史料を読んでみます。 『上井覚兼日記』は島津氏の家臣・上井覚兼が記した日記で、そこに「南蛮犬」が登場します。   【史料1】『上井覚兼日記』天正十二年十月二十四日条一、廿四日、(中略)、鎮貴より南蛮

  • 犬の歴史その1 島津義弘の鹿喰犬

    犬の歴史その1 島津義弘の鹿喰犬

    今回は、文禄三年(1594)に豊臣秀次が島津義弘の家中に宛てて、犬の進上を命令した史料を読んでみます。  【原文】(文禄三年)十月二日豊臣秀次朱印状(『島津家文書』412号)嶋津兵庫家中、鹿喰犬餘多有之由、被及聞召候、然者、御用候間、逸物之犬可上之候、兵庫事、高麗在番

  • ヘンな史料を読む その8 細川政元邸に妖怪出現す

    ヘンな史料を読む その8 細川政元邸に妖怪出現す

    今日は、管領・細川政元(1466~1507)の私宅に起こった謎の怪異現象について書かれた史料を読んでみます。  【原文】『蔭凉軒日録』長享二年(1488)七月七日条(前略)太郎右衛門来、宴之、話云、有人云、細川殿私弟南庭水上浮者有之、見之則人之頸也、其色白、近之則不見、遠

  • 小和田哲男先生の思い出

    小和田哲男先生の思い出

    ◆はじめに 今日は、「小和田哲男先生の思い出」について、語りたいと思います。 小和田先生は、戦国史に関する数多の書籍を執筆されており、また大河ドラマの時代考証なども担当されています。 NHKの歴史番組にも、しばしば出演されてますね。 今回は、にせ茶人の人生に

  • 史料にみる毛利氏の茶 その2 毛利元就、茶で妙玖を弔う

    史料にみる毛利氏の茶 その2 毛利元就、茶で妙玖を弔う

    今日は、毛利元就と茶の湯に関する初見史料を読んでみたいと思います。  【史料1】天文十六年五月二十六日付毛利元就書状(「防長寺社証文」『萩藩閥閲録』4冊―236頁―1号) 尚々御茶湯物たるへく候米一石渡可申候、北土居名年貢之事、来秋渡可申候、可有御心得候、恐々

  • 史料にみる毛利氏の茶 その1 「数寄者」毛利豊元

    史料にみる毛利氏の茶 その1 「数寄者」毛利豊元

    今回は、大内政弘(1446~95)の重臣である安富行房から、毛利豊元(1444~76)に宛てて出された書状を読んでみたいと思います。 発給年次は不明ですが、豊元が三十三歳で亡くなったのが文明八年(1476)五月二十八日なので、だいたいそのころまでに書かれたものだと思います。 

  • 【書評】橋本素子『中世の喫茶文化――儀礼の茶から『茶の湯』へ――』(吉川弘文館、2018年)

    【書評】橋本素子『中世の喫茶文化――儀礼の茶から『茶の湯』へ――』(吉川弘文館、2018年)

    ■内容の紹介著者は、通説における抹茶の歴史を、以下のようにまとめています。 ・鎌倉時代:栄西が宋から持ち帰り、禅とともに広まった・南北朝時代:闘茶が流行したが幕府は禁止。室町将軍は会所に唐物を飾り豪華な茶会・戦国時代:珠光が禅の思想を背景に「茶の湯」を生

  • 現代語訳『明智軍記』巻三・上 (3)箕作落城の事、付けたり、佐々木城々開け退く事

    現代語訳『明智軍記』巻三・上 (3)箕作落城の事、付けたり、佐々木城々開け退く事

    さて、佐々木六角氏を追討するため、信長は諸士を集め、近江の詳しい絵図で軍議を終えると、足利義昭公へ仰せになりました。 「近江の敵を退治するために義昭公が御出馬するには及びません。ですので、しばらくここにおられて、ご報告次第、ご動座なさってください」 その

  • 石田三成と「益田壺」 (『益田家文書』460号)

    石田三成と「益田壺」 (『益田家文書』460号)

    『益田家文書』460号所収の「進上道具覚書」を、抜粋して読んでみたいと思います。 これは、毛利氏家臣の益田氏が、毛利氏へ献上した刀・絵・茶道具などを記した史料になります。 益田氏の先祖は、足利義政から茶壺を拝領して、代々これを秘蔵してきました。 桃山時代、こ

  • 歴史エッセイ「是非に及ばず」

    歴史エッセイ「是非に及ばず」

    「是非に及ばず!」とは、織田信長が本能寺の変で亡くなったときにつぶやいた、最期の言葉として有名です。 『日本国語大辞典』で「ぜひにおよばず」を調べると、「よしあし、やり方などをあれこれ論議する必要はないとか、もはやそういう段階でない状態をいう。どうしよう

  • 志道広良 その1

    志道広良 その1

    【原文】志道広良言上状(『毛利家文書』593号)此 御書御両通、昨日今朝被下候、御拝見ニ入申候へとハ御意候ハねとも、某か拝見申たるはかりハ無曲候条、進上候、如此之御庭訓ハ誠之金言ニて御座候歟、御家来之事、武具衣装ハ結構ニ見え申候、人々の嗜うすく候歟、 大将を御

  • ヘンな史料を読む その7 武田信玄と不良僧侶

    ヘンな史料を読む その7 武田信玄と不良僧侶

    元亀二年(1571)、武田信玄が甲斐の慈眼寺に出した史料を読んでみたいと思います。 信玄は、六名の家臣を「祈祷奉行」という役職に任命しています。 そして、慈眼寺の僧侶たちがちゃんとお経を読んで、武田氏のために祈祷をするように、7ヶ条にわたる取り決めをしています。

  • ヘンな史料を読む その6 糞尿は遠くへ捨てろ

    ヘンな史料を読む その6 糞尿は遠くへ捨てろ

    天正九年(1581)、北条氏が相模国の浜居場城を守る番衆たちへ出した掟を読んでみたいと思います。 北条氏は、重臣である松田憲秀の代官として、須藤源二郎・村野安芸守・小澤孫七郎の三名を任命しました。 そして彼らが一人ずつ交替で、城代として守りを固める態勢をとった

  • 現代語訳『明智軍記』巻三・上 (2)信長江州発向の事、付けたり、勢ぞろえの事

    現代語訳『明智軍記』巻三・上 (2)信長江州発向の事、付けたり、勢ぞろえの事

    こうして、足利義昭が美濃へ移ると、織田信長は拝礼して申し上げました。 「将軍様がこの国へ御動座されたことは、織田家にとって面目の至りであると思います。それなので、急いで軍勢を催して、怨敵の三好一党を誅罸することは、時間を置くべきではありません。ただし、上

  • 現代語訳『明智軍記』巻三・上 (1)義昭公、濃州へお移りの事

    現代語訳『明智軍記』巻三・上 (1)義昭公、濃州へお移りの事

    ここに、将軍足利義輝の弟である足利義昭は、織田信長をお頼みになって、逆徒・三好義継を滅ぼし、御本意を遂げようとしている、ということでした。 そもそも足利義輝は、足利尊氏から八代目の末裔であり、将軍になってからは十三代目に当たり、足利義晴の嫡子でした。 弘

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