先日注文した秘密道具が届いた。 iPad Proが届きました。なんだかとんでもない過ちをおかした気がします。金銭的に。— 大豆/イラスト (@mamemameko_12) 2019年9月23日 photoshopの使用を見越して買ったのは12.9インチの1TB。ipadの中では最高スペック。…豚に真珠という言葉があるけど、その豚がついにこんなものにまで手を出してしまった。 Apple Pencilとペーパーライクの保護フィルムも併せて購入したので、大体19万くらい。無職という身分の豚がこんな高価なものを購入してしまって今凄い後悔してる。 迷いに迷って色々考えた末のことだけど、私なんかが買ってよ…
時々、意識だけが周りの空間からブツッと切り離されて、自分が今何をしていたのか、何故そこにいるのか分からなくなる事があった。次元が急にズレるというか、なんだかヴェールに覆われてる感じだ。 私は“こちら側”からみんなのいる“向こう側”の世界を呆然と見つめていた。それは学校とか、職場とか、兎に角人が大勢いる場所で起こる事が多かった。 言っておくけど、スピリチュアルがどうこういう話では無い。 夢から覚めた瞬間に似ていて、状況がまるで把握できない。別にうたた寝をしていたわけでは無くて、ただ普通に過ごしていただけなのに、突然周囲の空間から意識だけがズバッと切り離されるのだ。 ヴェールの向こう側には言葉を機…
地道な投稿の甲斐あって最近はブログの1日のアクセス数100越えも珍しくなくなってきた。先日WWEの記事を投稿した時はアクセス数0という自己最低記録を更新し、どうしたものかと思ったけど。 ところで私はいま、複数のSNSを利用しているのだけど、正直使いこなせているとは言い難い。初めてTwitterに絵を載せた時は全然「いいね」をもらえなくて、いく日も経たない内に投稿を削除した。ちなみにそれ以降も絵をアップロードしたり消したりの独り相撲を繰り返している。『いいね』されてない事が、ネット上でもぼっちである現実を突きつけられているようで気になるのだ。 評価される事に意義を感じていて、やる事なす事全て承認…
昔は好きだったのに、今は微塵も興味を持てないというものがある。私は実は社会人になってからコンシューマゲームへの熱が薄れてしまって、面白くないと思いながらゲーム会社でゲームを作ってた。 昔は休みの日に必ず起動していたものだけど、今ではPlayStationは“子ども時代の名残り”としてもう何年も部屋の片隅で埃を被っている。注ぎ込んだお金の事を考えると笑えない…。私のゲーム歴はポポロクロイス物語に始まり、アサシンクリードに終わった。凄い趣向の遷移だな、と自分でも思う。 印象に残っているゲームの1つに【ギルティギア】という格闘ゲームがあって、最近何気なくそのサウンドトラックを聴いたのだけれど、「そう…
こんな可愛い子にも弱点があります。フサフサの毛並み故なのか、たまに尻にウンコが付着しているのです。それを床にポトンと落とし、それを父親が踏みつけるという事件が多発しています。でも許しちゃう。可愛いから。 多分2010年から飼い始めたと思うんだけど、それが正しければこの子は今年で9歳になる。びっくり仰天である。 ここまでくると流石にいつか来る別れを意識せずにはいられない…。その時を思い浮かべては今から胸がぎゅーっと締め付けられる思いになる。 どうか長生きしてほしいと思う今日この頃。 +++++++++++++++++++++++++++++ ▼ブログランキングに参加しています。ポチッとしていただ…
「私」と言っている子供を見ると、この子は「大人びた子だな」と思う。自分の事を【〇〇ちゃん】と言っていた時期は彼らにもあったはずだけど、一体どのタイミングで自称詞を【私】に切り替えたんだろう?その際違和感は無かったのだろうか? 例えば、私の名前が「大豆」ちゃんだったとして。 外では【わたし】、家では【大豆ちゃん】という風に、子供の頃の私は場面に応じて自称詞を使い分けていた。 私のような子がどのくらいいるのか知らないけど、自分の事を【○○ちゃん/くん】と言う子の多くはいずれどこかのタイミングで【私/僕】に変わると思う。 でも私は、そこに物凄い抵抗を感じていた。 「自分の事を【大豆ちゃん】と言ってい…
最近はだいぶ過ごしやすくなってきたけど、今年は結構暑かった気がする。夏は薄着なので、外に出るとつい他人と比べて自分の腕の太さを気にしてしまう。 注視するのは関節と二の腕の太さの比率。小柄な人間はそうでない人に比べてずんぐりして見えるというデメリットがあるけど、重要なのは二の腕が関節より細いかどうか。要は二の腕に脂肪がついてるかついてないかなんだけど、ここで自分がまだ辛うじて痩せの範疇に入っている事を確認する。だから私は鏡の前で腕を伸ばして二の腕を確認せずにはいられない。 が、しかし自分が痩せの部類に入っていたとしても、細身の女性って案外多いもので、私はそんな自分より細い人が存在する現実が許せな…
最近メンタルの調子がガクッと落ちていて、希死念慮が前面に出てきてしまう。 希死念慮そのものは元々幼少期から抱えていたモノなんだけど、普段抑え込んでるそれが何かの拍子にドバーッと溢れてしまう。 内科のかかりつけ医はそんな厄介な私に20分も30分も時間をかけて話を聞いてくれるような先生なのだけれど、昨日の診察では「生きてることが辛い〜」と号泣してしまった。 薬で抑える事もできるけど、薬を飲んでまで自分の本心を無理やり抑え込んで生きていかなきゃらならない事も辛い。 既に楽しみなんてなくて、認められたい気持ちだけでなんとかつないできた感じなんだけど、こうなると承認欲求も出番なし。どれだけ認められても、…
頭の中はませてた割に、流行や美意識には鈍感で、クラスメイトの発言に驚かされる事も度々あった。 小学生の頃の話だが、ある女子の言葉に私は耳を疑った。 「“鼻が低い”って言われた事ある?」「そんな失礼な事言う人いないでしょ」 えっ…( ⚆ᾥ⚆)…? 鼻が低いと言う事はどうやら失礼に当たるらしい。それを聞いた私は静かに驚いていた (わたし、言われた事ありますけど?!) 「アンタ鼻が低いね」と言われたのは小学校3年生の時だ。皆がその知識をどこで仕入れてきたのか知らないが、世の中には“鼻が低い”という概念が存在する事を私はそのとき初めて知った。「“鼻が低い”なんて、そんな失礼な事言う人いないよね」そんな…
矢沢永吉が写真展を開くってんで、チケットが飛ぶように売れたという話を聞いた。『写真展』と言うけど、大体そういうのってみんな『芸術としての写真』を見に行くんじゃなくて、『矢沢永吉が撮った写真』を見に行くのだ。 タレントが本業の片手間に個展を開く昨今、理解できないのがファンの中にいる『彼らの作品を「どこがどのように素晴らしいか」という芸術の観点から解釈をしたがる人』だ。特に美術の教養がない人がこれをやってるのは滑稽なのでやめた方がいいと思う。まあ、私も別に美術詳しくないけどさ、ただのファンが作品をニュートラルな視点で見られているとはとても思えない。『あの芸能人の○○さんが描いた』というバイアスがか…
「頑張ってまでそれをやる価値はあるのかな、どうせ最後には死ぬのに。」 という間違った方向に悟りを開いてから大分経つ。そう思ったら何に対しても興味は持てなくなる。 私を支えてきたのは「凄いね!」という賞賛の言葉なのだけれども、一時的に絵を描いてみてもふっと我に返って 「あれ、私何やってんのかな」 なんて思ったりする。 私が読むべきものは哲学かなと思って、先日「自分を知るための哲学入門(ちくま学芸文庫)」という本を購入してみた。 3分の1ぐらいまで読んだとこで内容全然わかんない事に気付いた。 “入門”を謳っている割に難しいじゃないか…。 「嫌われる勇気」も読んだけど、自己啓発というのは結局自分が行…
何故なら『かわいくなる』事を目的に摂食障害になったわけではないから。 (中にはそういう人もいるかもしれないけれど) でも周囲は当事者が何を考えてるかなんて知らないので、当然 「もっとふっくらした方が可愛い」 「ガリガリでおかしいよ」 「太るんじゃなくて、健康になると思え」 と言って、説得を試みる。 そうして「誰もわかってくれない…」という孤独感だけが一層強くなる。 自分の気持ちを共有してないから「わかってもらえない」のは当たり前なんだけど、思った事、感じた事をスムーズに言える程私は芸達者ではないんですねぇ…うまく言語化できなくて、もやもやと『言いたいのにうまく言えない』ジレンマに苦しんでいた。…
採血されただけで貧血起こすような人を、私は羨望のまなざしで見ていました。それがどんな形であれ、他人から気にかけてもらえるという事が羨ましかったのです。自分よりガタイのいい女子が貧血で倒れているのを見ては不満を募らせ、健康診断の結果には失望の色を隠せませんでした。悪い所といえば視力だけで、何も引っかからなかったからです。 子どもは『子ども』というだけで周囲からチヤホヤされたり守ってもらえますが、私はその欲求をずっと引きずっているようです。いつの間にか子どもでなくなっている自分の姿に気持ちだけが付いていきません。子どもの心をこじらせ、適応する事も死ぬ事もできないまま、社会的に責任を求められるような…
台風が来るともれなく希死念慮も強くなる。 無職が板に付いてきて忘れかけていたけど、そういえばこの時期は毎年憂鬱だった。 勤務先の名古屋までは電車で2時間かけて通っていた。夏場の電車通勤は拷問に近いものがあった。 ただでさえ人間の体温を身近に感じながらの通勤はキツいというのに、当時は『節電』などという東日本大震災に便乗した省エネがあちこちで猛威を振るっていて、微弱な冷房も虚しく車内は亜熱帯と化していた。そして息を吸う度、その体臭の入り混じった生温かい空気は容赦なく私の嗅覚を刺激した。 それに天候の影響か体調も思わしくなく、雨天時は朝から頭が重かった。なんなら予報を見なくてもその日の天気を予知でき…
女性として綺麗になる事が目的ならば、もう少し体重を増やすことに積極的になれたと思う。でも私は健康な人より不健康そうな人を美しいと思っている。その病的な所に、女性的なものとは違う美しさみたいなものをずっと感じてきた。 残念ながら私の脚が棒のようになる事はなかったけど、今でもまだ、小さな子供の、まだ男でも女でもない細い手足を羨ましく思っている。 大学病院の待合室には拒食症患者がゴロゴロ控えていたけれど、私は 「この人達と自分は種類の違う人間だ」 と感じていた。 全員がそういうわけではないと思うけれど、華美な服装、露出した脚、ゆるくウェーブのかかった髪型は、少なくとも彼女たちが女性である事を受容して…
ブログ村のランキングに参加しています。 記事の下にあるこれです。 これをクリックしていただくとブログ村に遷移し、私にポイントが加算されます。 そのポイントに応じてランキングが変わるのですが みんな押してくんないからずっと横ばいです。 -------------------------------------- 私の承認欲求を満たすために暇な人はクリックして。
炭水化物が圧倒的に不足している事を指摘されても、私は中々糖質を受け入ることが出来ませんでした。しかしこのままの体重を維持していれば、いずれ入院になってしまいます。 少しでも見た目の“痩せ”を維持しようとした私は、先生の「体重を増やせ」という指導に、筋肉増量という形で反抗しようとしました。 「そうだ!たんぱく質をもっと摂って筋肉量を増やせばいいんじゃね?筋肉は脂肪より重い。引き締まるし、それに代謝もあがって痩せやすい体になる。一石二鳥じゃん。」 そう思ったのです。 ところが それは知らなかった。 そして結局体重増量の道を進む事になったのです。 それは物凄く怖くて、ありえないほど辛い道のりでした。…
どこの病院かバレそうな外観。 2016年06月01日 私は精神科神経科外来の一角で検査を受けていました。 摂食障害のため受診したA大学付属病院でしたが、初診の1時間に及ぶ問診で発達障害の疑いをもたれたのです。 先生「拘りだったりとか、物事の全体像を捉えてスッと受け入れる事が、物事の細部が気になってしまってスッと入ってこない傾向がある。相手が思ったり感じている事、感覚的な所が、表情や口調抑揚を聞いていれば普通の人はなんとなく分かるんです。考えて分かるんじゃなくて、直感的に分かる。でも発達障害の人はそれを考えながらやってるから疲れるんです。」 で、waisⅢ(ウェクスラー成人知能検査)を受けたわけ…
服のサイズを訊かれる事が嫌だった。 「Sサイズです」 と言いたいところだったけど、実際は華奢とは程遠い「Lサイズ」。体重がある分、見た目もやっぱり重量感があって、それがずっとコンプレックスだった。 でも自分でもどうする事も出来ませんでした。 ところが20代後半で始めた糖質制限は、自分が思っていた以上に体重のコントロールを容易にしました。 あっさりと50kgを切った体重はそれ以降もするすると落ち、 あんなに抵抗があったのにも拘わらず、一度体重が落ちた事で弾みがついたのか、私はどんどんダイエットにのめりこんでいきました。 7~10kgほど落ちたところで、さすがに 「痩せた?」「綺麗になったね」 と…
「ブログリーダー」を活用して、大豆さんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。