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脳出血と腰痛の戦いそして沖縄逃避行さんのプロフィール

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ブログタイトル
脳出血と腰痛の戦い 1999年10月16日発症から20年目
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https://blog.goo.ne.jp/seiko0621
ブログ紹介文
https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gi
更新頻度(1年)

14回 / 278日(平均0.4回/週)

ブログ村参加:2018/11/25

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ハンドル名
脳出血と腰痛の戦いそして沖縄逃避行さん
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脳出血と腰痛の戦い 1999年10月16日発症から20年目
更新頻度
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脳出血と腰痛の戦い
1999年10月16日発症から20年目

脳出血と腰痛の戦いそして沖縄逃避行さんの新着記事

1件〜30件

  • 沖縄 新都心「おもろまち」

    過去は沖縄と言えば「国際通り」であっが、今は副都心の「おもろまち」で有る。勿論「国際通り」も素晴らしい。おもろまちは商業施設ホテル、博物館等々有ります。以下紹介します。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/4e/4cf1b1468b6f559c9daac1444240d47c.jpg"border="0">モノレ-ル「おもろまち」おもろまち商店街の一部沖縄新都心「おもろまち」

  • 沖縄 副都心「おもろまち」

    過去は沖縄と言えば「国際通り」であっが、今は副都心の「おもろまち」で有る。勿論「国際通り」も素晴らしい。おもろまちは商業施設ホテル、博物館等々以下紹介します。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/4e/4cf1b1468b6f559c9daac1444240d47c.jpg"border="0">沖縄副都心「おもろまち」

  • 沖縄県  ビックなス-パ-

    沖縄県で一番大きなス-パ-一番就職したい企業であるサンエー本社ビル(宜野湾市大山)種類公開会社(株式会社)市場情報東証1部2659本社所在地日本の旗日本〒901-2733沖縄県宜野湾市大山7-2-10設立1970年(昭和45年)5月28日業種小売業沖縄県ビックなス-パ-

  • 沖縄 国際通り 首里城

    国際通り(こくさいとおり)は、那覇市の県庁北口交差点(パレットくもじ前交差点)から安里三叉路にかけての約1.6kmの通りの名称である。戦後の焼け野原から目覚しい発展を遂げたこと、長さがほぼ1マイルであることから、『奇跡の1マイル』とも呼ばれる。また、一般的には「こくさいどおり」と呼ばれているが、通りの入り口には「こくさいとおり」と彫られた石碑がある。沖縄県で最も賑やかな通りであり那覇最大の繁華街。「国際通り」の名の由来は、1948年に建設されたアーニーパイル国際劇場から[1]。首里城沖縄国際通り首里城

  • 沖縄 逃避行

    イオンモール沖縄ライカム(北中城村)沖縄県で一番大きなモ-ルである。目的によっては一日係る。上記で検索してください。写真は本部町の「欄博」の優勝した欄沖縄逃避行

  • 青森「ねぶた祭」

    例年8月2日から7日迄ねぶた祭が行われている。250万の人がくる。青森市の最大のイベントである。しかし今年は「コロナ」で中止が決まった。館が毎年24台程出る「跳ねと」「囃子」がねぶたをカキたける。青森「ねぶた祭」

  • 沖縄 3日目

    3日目ホテルから8.30分頃出発名護市を通過して58号線を南下恩納村途中女納村道の駅に立ち寄る。残波岬に立ち寄り、嘉手納の道の駅に立ち寄り、ここからアメリカの嘉手納基地を展望、運河良ければ飛行機の離発着が見える帰りの飛行機の時間を合わせて時間が有れば北谷町の街を見て回る。レンタカ-に車返却そして空港迄送迎してもらい帰宅となる。沖縄3日目

  • 沖縄 2日目 美ら水族館

    2日目高速で那覇インタ-から名護IC迄、1時間朝は8時頃出発。古宇利島に行く、高速を降りて58号線を北上奥武島に入り屋我島を通過最高の美しい景色感動!!一周して505号線に出て水族館へ一直線、水族館では、海岸、「花博」等もある。一日かかると思う。本部町のホテルを予約してここで一沖縄2日目美ら水族館

  • 沖縄には最低2泊3日

    3泊4日は欲しい。レンタカ-を予約しておく事。移動するにはこれしかない。2泊3日の場合朝9時か10時に那覇空港に到着して、レンタカ-の手続きをしてみるとやはり10時頃の出発となる。沖縄には最低2泊3日

  • 沖縄県 逃避行

    国道58号線国道330線国道329線の3本が南北に走っている。58号線は那覇市(明治橋)を起点に北谷街~嘉手納~読谷村~恩納村~名護市~国頭村~辺戸岬迄を走る道路330号線は沖縄市~宜野湾市~浦添市~那覇市迄のル-ト329号線は宜野座村~金武町~石川町~うるま市~沖縄市~西原町~与那原町迄のル-ト331号線は与那原町~南城市~糸満市~豊見城市~那覇市迄のル-ト高速道路が糸満市、那覇市、~名護市迄の約1時間である。沖縄県逃避行

  • 逃避行 沖縄県

    これからは「沖縄県の色々」を発信逃避行沖縄県

  • 逃避行 三年目 ③

    青森⇒羽田⇒宮古島⇒石垣島⇒那覇の計画で一か月の逃避行那覇市の「ハ-バ-ビュウマンション」を宿泊とした。此のマンションは週月何か月でも宿泊OK。まず「石垣島」を案内しましょう。ここは先島列島の一番の島。西表島黒島ETC逃避行三年目③

  • 沖縄逃避行 回顧録②

    宮古島に1週間泊まる。「ピ-ス企画」というマンスリ-ホテルを経営。しかし当時「腰痛」が激しく、整骨院を探すのに、手間暇をかけた。先島列島では、一番奇麗な島である。島そのものはそれほど広く無く、2日も有ればレンタカ-で廻れる。山の無い沖縄県である、だから奇麗である。街の中は小さなア-ケ-ドが有。見て回るのは楽しかった。沖縄逃避行回顧録②

  • 沖縄逃避行 回顧録

    17年前がその走りであった。当時JALANAがどの区間でも1万円ど言う企画が有りそれを利用して沖縄県に逃避行の始まりであった。3泊4日であったと思う。那覇市内に2泊名護市に一泊であった。とにかく「海」が奇麗であった。沖縄逃避行回顧録

  • 片岡鶴太郎さん

    3.片岡鶴太郎さん俳優として又画家としてそして元プロボクシング世界ライト級チャンピオン畑山隆則のマネ-ジャ-もやられた超多忙な方である。知り合ったのは元世界ライト級チャンピオン畑山隆則が96年東洋太平洋の頃である、宮川オ-ナ-と柳トレ-ナ-と畑山隆則さんと片岡鶴太郎さんの4名が一緒に青森にこられたのが最初の出会いでした。それから半年近く青森にいらっしる機会が無かったですのが、暫らくして青森県三沢市に有る「古牧温泉」のK常務の招待で旅行したのが2回目の出会いでした。。マイクロバスで片岡鶴太郎さん,奥様,子供3人とリ-ス会社、保険会社と手広くご商売をやられているO社長と奥様、保険会社社長のS社長,それと私達夫婦の9名で出発である。ガイドさんが居ないので私が女ガイドに変身して旅を盛り上げた。青森県の八甲田連邦を通って...片岡鶴太郎さん

  • 心の支え プロボクシングライト級世界チャンピオン 畑山隆則

    2心の支えプロボクシング世界ライト級チャンピオン畑山隆則私が知り合ったのは今から25年位前だった。デビュ-してから1年半位してからだったと思う。青森で後援会を作ろうと話し合ったのが始まりである。初めは勧業リ-スのO社長,O夫人、S不動産のS社長,保険代理店のS社長、アラスカ会館のK副社長そして私と女房の7名て立ちあがりました。その後は当時何処で誰がどうして知り合ったのか情報が入り畑山隆則と後援会のパイプが太くなってまいりました。何処へでも応援に駆けつけたもんです。全日本新人王,東洋太平洋のチャンピオンの頃はファイトマネ-も低くチャンビオンも苦しい時期であったと推測します。その時発足当時の後援会の皆が協力しあって応援したものです。今となっては良い思いでと成っております。そんな時娘さんと,R君が青森に来ました。R君...心の支えプロボクシングライト級世界チャンピオン畑山隆則

  • 脳出血⑥仕事への復帰

    4.仕事へ復帰の夢52歳で倒れた私は現役バリバリの会社人で有り、責任ある職域で頑張っておりました。それだけに自分としてやり残して来た仕事が有り又、これからやらなければならない仕事がありました。(倒れる直前の仕事でも述べています)それだけに誰よりも誰よりも,そして一日でも早く現場に復帰したいと毎日毎日、日中のリハビリのスケジュ-ル以外に夜の時間に自分自身の決めたリハビリをやってきました。社長からは半年だなと言われた記憶があり,会長からは1年だなと言われました。良い意味で私に元気付け元の体になって会社に復帰せよとおっしやった事と思います。入院した10月16日から12月一杯まではまだまだ時間は有ると思っていました。しかし1月に入り3月30日迄の退院の日迄いくら頑張っても自分の体は元にはもどっていなかった事が、会社への...脳出血⑥仕事への復帰

  • 脳出血⑤リハビリ 女房に感謝

    2.女房に感謝二人三脚今回の事件(脳出血)の時ほど女房に迷惑と負担を掛けた事は無い。又女房が居てくれる事への感謝、有り難味を実感として痛切に感じた事は無い。過去を振り返った時、私は女房には顔を上げられない。私はこんな病気になって女房に捨てられても仕方が無いとも思う。良き夫では無かったからだ。世間では良くこの病気になった人が捨てられると聞かされます。それは経済の問題、看病の問題、夫婦間の問題で有ろうと思います。1999年10月16日は女房にとっても、私にとっても忘れる事の出来ない日になってしまいました。冬の2月と3月は本当に厳しかったようです。毎朝10時には病院にくれました。夜7時頃帰りますが、時には積雪、吹雪、そしてアイスバ-ンと道路事情が悪いのです。無事に帰っただろうか?気が気では有りませんでした。女房がアパ...脳出血⑤リハビリ女房に感謝

  • 脳出血④リハビリ③精神的ショック

    3.精神的ショック11月24日は月1回のリハビリ科の相馬先生と診察の日であった。それ以前にリハビリは10月26日から実質入っていた。勿論この1ヶ月は車椅子の生活でる。リハビリの時間帯は午後1時からである、腕の方が約30分、脚の方が40分~50分ぐらいの治療である。しかしこの1ヶ月位の治療で他の患者さんと治療が違うことに気づき不思議に思いながら治療を受けていました。担当の理学療法士は早川先生でしたがその30分位の治療の中で15分位はインタ-ンの女性に私の右半身の顔,腕,脚の感覚をチェック(これは2日間で終った)。次にズボンのはきかた、トイレのしかた等々である。これらのリハビリを他の患者が行なわれていたのを見たことが無い。但し時間帯によって行われていたのかも知れない。それから10分位はテ-ブルを囲んで長さ5センチ位...脳出血④リハビリ③精神的ショック

  • 脳出血③入院生活リハビリ②

    入院生活1気がついたらベッドの上私の町は青森市から40分位離れた東津軽郡平内町小湊という町です。全国的に有名な「ほたて」の町です。この町に平内町立中央病院があります。救急車で最初に運ばれたのがこの病院でした.この病院へ運ばれたとき自分の意識は90%無かったと思います。何か話し声が聞こえているのか、機械の音なのか,頭の中はぐっしゃぐっしゃで有ったと思います。後で女房に聞いて判ったことは、既に夜8時過ぎていたので先生が当直の先生だけであった。症状からみて脳出血の疑いがあるとの事でCTを撮る準備にかかったそうです。しかし肝心のCTを撮る先生が居なくて呼び寄せる迄40分位かかった様です。その結果脳出血と判明本来この病院ですぐ手当して段取りと流れるのでしょが,設備不足なのか対応が出来ないのか仮の手当てをして青森市民病院へ...脳出血③入院生活リハビリ②

  • 脳出血② リハビリ1

    2.リハビリ生活その110月20日から6人部屋に移された。この頃のはっきりとした記憶が無い入院以来まだ4日である。3ヶ月間の女房の日記から取り合わせてリハビリ生活を振りかえりたい。「話は色々と前後しますがこの頃から患者がどんどん増えている。青森の冬はやはり寒い、積雪は人口約30万人以上の都市では世界で一番だそうである。年々少なくなっているとは言うものの実際住んでみて,多いということは実感として判る筈だ。こういう状況と関連あるかどうかは判らないが患者は多くなっている。」20日からの1週間は車椅子と大便と小便との戦いで有る。体の状態が変わったのかウンチが出ないのである。そのたびに浣腸をかけてもらった。車椅子でトイレに行くがトイレに座るまでの段取りがうまく行かない。用を足した後も女房の力を借りて始末しなければならない...脳出血②リハビリ1

  • 脳出血前の仕事

    3.倒れる直前の仕事本社は東京都立川市の家庭日用品の卸商社であります。創業73年の老舗です。ビジネスエリアは関東周辺から北は青森県までです。その中で関東事業部と東北事業部に分かれております。私は東北事業部で取締役として特に営業を担当しておりました。東北の本部は仙台ですがその他に青森営業所と秋田出張所があり郡山に駐在所があります。東北6県のエリア管轄です。在職年数は25年になろうとしています。私達の商売は家庭日用品が主ですから主としての得意先は東北の皆様でしたらご承知の青森であればS様、K様、S様。秋田であればHP様、A様、岩手であればR様、山形であればJ様、宮城であればTK様、EN様、福島であればD8様、RI様等々が主とした得意先様であります.これらの得意様を営業とのコミニケ-ションで私のロ-テ-ショント合わせ...脳出血前の仕事

  • 脳出血

    私のプロファイル名前:長岡弘干支:イノシシ年生まれ血液型:O型出生地:三重県津市現住所:青森県青森市発病:1999年10月16日夜8時:52歳に3日不足年齢:1947年10月19日(55歳)家族:妻(56歳)と二人暮し私のル-ツ三重県の津市に18歳迄生活。18歳~21歳迄名古屋で生活21歳~23歳迄仙台で生活。23歳~27歳迄秋田で生活27歳~29歳迄仙台で生活。29歳~53歳迄青森で生活三重県の津市で生まれながら、今日本の本土最北端の青森で生活している事を誰が考えたでしょう。私自身も想像できなかった。これも人の運命と思う。今では青森は私の故郷である。脳出血

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