思い出とも呼べないような断片的な記憶がある。小学三生生のとき、通学路沿いの用水路の淀みをじっと眺めていたことを今でも憶えている。こういった、自分でもどうして憶えているのか分からないようなワンシーンを、誰だって一つは持っているはずだ。君にだってあるだろ。 現在の自分を説明するための物語(人生と呼ばれる)を成立させるため、無意識のうちに修正されつづける他の記憶に比べて、こういう記憶の断片は修正を免れているように見える。それはそうだ。十何年前の用水路の淀みを、どうやって今の自分に結びつけるんだ? そのため、自分の記憶(≒同一性)に自信が持てなくなったとき、人はこういったものを手がかりにして、何とか自…
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