前回、綱取り回数の1番2番として小錦と旭富士の両大関を紹介しました。今回はIfの話になりますが、もし連続優勝原則の時代だったあの大関が昭和の時代にその成績だったならという仮定の話で綱取りを見ていく事にします。武蔵丸の場合小錦以上に好成績の連続だった武蔵丸
これまで、様々な綱取りの事例を紹介してきましたが、今回は綱取り経験の多かった大関は誰かというのを紹介しましょう。綱取り最多の大関、それは小錦です。小錦の綱取りの起点、または継続となった場所が以下になります。①1988年1月 13勝次点②1989年11月 14勝優勝③1990
これまで過去において、1970年頃までは準優勝ですらない11勝以下でも甘めの綱取りの継続となる場合もあると紹介しました。例で言いますと柏戸の13勝優勝―12勝次点―10勝―11勝―12勝同点北葉山の12勝次点―12勝―11勝―8勝豊山の13勝次点―11勝―10勝玉の海の13勝優勝―10勝
現在、相撲協会より諮問を受けたものの、横綱審議委員会が横綱昇進を見送った事例は3例あると言われています。それが1968年5月場所後の玉の海、1969年11月場所後の北の富士、1994年9月場所後の貴乃花であります。ですが実はもう1例、相撲協会からの諮問を横審が見送った事
以前、私は2つのトリプル綱取りの事例を上げておりましたが、研究の結果さらにもうひとつ、トリプル綱取りの事例を発見致しましたのでご報告させていただきます。それは以前、続・史上稀に見るトリプル綱取りで紹介した1964年9月場所の翌場所に当たる1964年11月場所において
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