chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
『天理教ブログ』 神の道 http://niwoigake.blog.jp/

おさしづ、おふでさきに基づき信仰をさせて頂き、その中で気が付かせて頂いた事を書いていきます。

まさお
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2018/08/28

arrow_drop_down
  • とばしり(とばっちり)の道

    明治二十四年五月十五日 午後十一時二十五分刻限―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――さあ/\やれ/\、さあ/\何が言い掛けるやら分からん。さあ/\えらい道が出掛けた。さあ/\一寸なら何も知らん。知らん者が何

  • 神様を「信じる心」と「信じ切る心」

    明治二十四年二月八日(陰暦十二月晦日)夜刻限―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――さあ/\仕切って話する。この事しんばしらに伝え。さあ/\どういう事伝え。親族切って切られん中、捨るに捨られん中、一戸々々の事

  • 真実誠の親心

    明治二十四年一月二十九日 午前二時刻限御話(増野正兵衞より今晩前のおさしづの様子を本席に御話し下さる時に)―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――半七様のような足は悪ろし、顔色の悪い、医者に掛けんならんような

  • 神一条の道

    明治二十四年一月二十三日 午前一時刻限御話―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――さあ/\/\/\、これ/\どんな事もこんな事も、これまでは神一条で始めた道を、人間の心で始めたように思うて居れば、結構と思う。

  • いかん事はいかんと陰で言わず前でいう(一部改訂)

    明治二十三年十一月二十二日(陰暦十月十一日)御諭―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――さあ/\一寸話掛けたら始まる。長らえ/\ての事情、よき旬という事情の定まりある。いつ幾日何年という証分からん。これまでの

  • お道の中の大掃除

    明治二十三年八月三十日 午後十一時刻限―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――さあ/\どんな事言うやら知れん。これまで/\、時々筆に付けたゞけは通さにゃならん、通らにゃならん。通す。よく/\聞き分けくれ。一寸

  • 徳について 「目に見える徳 目に見えない徳」

    教祖伝逸話編に教祖が、ある時、山中こいそに、「目に見える徳ほしいか、目に見えん徳ほしいか。どちらやな。」と、仰せになった。こいそは、「形のある物は、失うたり盗られたりしますので、目に見えん徳が頂きとうございます。」 と、お答え申し上げた。というお話しがあ

  • 親族の理(一部改訂)

    明治二十三年四月二十日(陰暦三月二日)午前四時刻限御話―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――さあ/\一寸一つ事情尋ね掛ける。初めてさあ/\うちのしんばしらを初めとして、親族一同の者一人々々どういうものや。一

  • 心一つが難しい

    明治二十二年十一月九日(陰暦十月十七日)午後十時半刻限御話―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――さあ/\だん/\話掛ける。どういう事を話掛けるなら、一寸難しいように思うやろう。余儀無き外一つの理は諭さん。何

  • どんな事でも神様のおさしづに尋ねる心が誠の精神

    明治二十年三月十九日(陰暦二月二十五日)午後十二時刻限御話―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――さあ/\思やん/\、今一時直ぐ、早く/\。これからだん/\刻限話。さあ/\もうその場踏んで、後はあちらこちら聞

  • 因縁あって神の道に引き寄せられる

    おさしづで「性根という性根無き者、なんぼ聞かしても何もならん。答の所へ持って行た処が何もならん」と教えて頂いております。私の所属している教会の初代会長様が「この道は自分で聞いているのではないんだよ。神様が引き寄せてお話しを聞かせて下さるんだよ。もうこ

  • おさしづに従う道 「追従は一つも要らん」

    ※この記事は2012年 上級教会で行われた青年会例会で前席をさせて頂いた時のお話しを編集したものです。至りませんが前席を勤めさせて頂きます。よろしくお願いします。先月青年会総会が行われ、委員長、副委員長さんが新たに任命されました。新たな出発の門出でもあるよ

  • 三年千日「七分三分の理」

    明治二十二年四月二十七日(陰暦三月二十八日)午前九時刻限御話―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――さあ/\いかんで/\、すっきりいかんで/\/\。さあ/\日々三名難しい/\。さあ/\暫くの処はさづけを止める

  • だんだんの道 (雑談)

    (個人的見解が含まれておりますのでご了承ください)明治20年から40年にかけて、親神様が御本席様の口を通して御話し下さった御神意であるおさしづ。100年以上の時を経て、様々な道の模様を経過しながら、ようやく本道に繋がる為の足掛かりとなるおさしづに真剣に向き合う信

  • お道(天理教)を根本から見直す(一部改訂)

    明治四十年三月十三日(陰暦正月二十九日)午前八時三十分平野楢蔵とお話しありし時、俄かに刻限の話―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――一万二千足らんと聞いた。そんな事でこの道どうなるぞ。これでは働けるか働

  • 古き道復習えてくれ

    勝手という理は、この道には一つも要らん。同じ兄弟同志なら兄親という。ぢば一つの中に、互い互い苦情ありては世界の聞こえはどうなるか。もう古い者は、ほかして了うたらと言うようではならん。西も東も分からん時から、始めかけたる理が第一。一掴みに言うてはいかん。こ

  • おさしづに従う精神を定めてから始まる神の道

    明治二十二年三月二十一日 午後五時四十分刻限御話―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――さあ/\自由々々、どんな自由して見せるやら知れんで。さあ/\朝の掛かりはあちらからも出て来てくれるで。さあ/\何

  • 世界情勢はお道の者の心次第で変わる

    2020年7月24日に父から送られて来たおさしづの解釈です。大変重大な話だと感じましたので、そのまま掲載させて頂きます。さあ/\多く/\のその中に、今の道ほど偉い道、今の道ほど堅い道は無い。さあさあ今の話は皆今までの言い残りやで。 (さあ/\多く/\の者が、破滅

  • 今はまだ仮の道

    2011年青年会前席明治20年5月9日のおさしづ「さあ/\一寸刻限話、さあ/\どういう事、どういう道が付くやら分からん。急がし。どういう道が付くやら、ちゃんと分かりてある。何時やら分からんで。多くの人数が要るで。さあ、あっちもこっちも忙しいで。手が足らん。十分

  • どうでもおさしづに従う精神が心の成人への道

    今回の記事では、なぜおさしづに従う心がお道にとって重要な事なのかをお話ししていければと思います。このお道の目的は、「世界一列の陽気暮らし」を実現しようとされている神様の思惑の為であります。私達用木は、その神様の思いを実現すべくお手伝いをさせて頂く道具にな

  • おさしづは受け取る心によって理が変わる

    2012年 青年会前席 今回も父親が勉強したおさしづを勉強させて頂くつもりでお話させて頂きます。おさしづに「長らくのさしづ、何にもならせん/\。」とあります。このおさしづは明治29年3月21日に出たおさしづです。おさしづは明治20年から始まっていますが、その

  • 親の理について

    現在、天理教で主流になってしまっている「理の親を立てる事で神様がお喜び下さり御守護を頂ける」という、所謂「理の親制度」(教理ではないので、あくまで制度と表現させて頂きます)が、この神様の道をややこしくさせてしまい、信者さんが混乱している原因の一つになって

  • 失敗から学ぶお道の心得違い

    私は今大工をしております。この間三件の現場で全く同じ間違いをしている事に気が付きました。何故同じ間違いが三件も続いてしまったかと言うと、納まりを勘違いしたまま覚えてしまっていたからなのです。だからといって、確認もせず、自分の記憶を頼りに作っていたわけでは

  • 2011年 10月 青年会お話し

    「ひながた通らねばひながた要らん」と教えて頂いています。お道を通らせて頂くと言う事は、常に教祖のお通り下さった道を心において通らせて頂く事だと思います。教祖は、恵まれてくらしている中を、神様の思し召しに従って、貧のどん底に落ち切ってお通り下さいました。

  • 悪風、悪説、悪理につながれないよう

    2012年9月 青年会お話し教祖逸話編のお話の中に、こういうお話があります「加見兵四郎は、明治十八年九月一日、当時十三才の長女きみが、突然、両眼がほとんど見えなくなり、同年十月七日から、兵四郎もまた目のお手入れを頂き、目が見えぬようになったので、十一月

  • 鏡の理

    2012年 青年会お話し「神は世界四方正面として鏡に皆映してある。」鏡とは、自分の姿を映すものであります。神様は鏡となって、自分の心、またお道の姿を世界に映して下さっているのだと教えて頂いきます。もし鏡に映る自分の姿が汚れていたらどうしますか?もちろん

  • 神様の道具のお話し 強き者は弱くなり、弱き者は強くなる

    2011年青年会お話し今回も父が勉強したおさしづを、自分自身の勉強もかねてお話しをさせて頂きます。神様は、このお道を通らなければならない因縁ある人を引き寄せて、お話を聞かして下さり、人間としての通り方を教えて下さっています。この道は「心次第の道」と教えて

  • 赤き赤きに 黒きは黒きに連れられる

    2012年 青年会お話し今回も、父親が勉強したおさしづの中から心に残ったところをお話させて頂きます。明治20年3月19日の午後12時に神様からおさしづが有りました。「さあ/\思やん/\、今一時直ぐ、早く/\」このお言葉に込められた意味は、さあ/\思やん/

  • 心澄み切る道

    父親が勉強した明治20年3月22日のおさしづに「人の言う事を腹を立てるところでは、腹を立てるのは心澄み切りたとは言わん。心澄み切りたらば、人が何事言うても腹が立たぬ。それが心が澄んだんや」とあります。父親の解釈からしますと、人の言う事を腹を立てるようで

  • 鳴り物の理

    平成12年2月 青年会お話し明治21年8月12日に鳴り物に出る人に対してのおさしづがありました。そのおさしづから感じさせて頂いた事をお話しさせて頂きます。一月十九日の祭典で、座り勤めの鼓を当てて頂いていましたが、その当時、座り勤めの「ちょいとはなし」がちゃん

  • 教祖のひながた 陽気くらし実現の為に 千里の道も一歩から

    ※この記事は、私が布教所に入り込ませて頂いていた当時、青年会の支部長をつとめさせて頂いていた時に青年会でお話ししていたものです。家を片付けていたら、その当時に使用していたUSBがみつかり、前席のデータが約一年分ほど残っておりましたので、編集後定期的に投稿させ

  • 「今夜のさしづはえぐいさしづ」 ~どうにもならなくなってしまう前に~

    ※この記事は、私が布教所に入り込ませて頂いていた当時、青年会の支部長をつとめさせて頂いていた時に青年会でお話ししていたものです。家を片付けていたら、その当時に使用していたUSBがみつかり、前席のデータが約一年分ほど残っておりましたので、編集後定期的に投稿させ

  • 「心一つの理」 二つを一つに

    ※この記事は、私が布教所に入り込ませて頂いていた当時、青年会の支部長をつとめさせて頂いていた時に青年会でお話ししていたものです。家を片付けていたら、その当時に使用していたUSBがみつかり、前席のデータが約一年分ほど残っておりましたので、編集後定期的に投稿させ

  • 脱!理の親制度 その2

    今日の道に人間心でする事はその場は治まる。人間の心の事情は皆々苦情となる明治23年6月21日さしづの理をもってすれば、苦情は無きもの明治32年5月14日脱!理の親制度その1では、理の親制度が定着した原因の一つとして、一般信者さんの意識の問題をあげました。しかし、当然

  • 理の親制度に文句を言っても意味がない

    「さあ/\仕込み/\/\、さあ/\仕込み/\/\。道これ一つ/\古き者より皆改め。互い/\知らせ合い、皆仕込まにゃならん。皆これ/\いつ/\まで子供子供言うて居てはどうもならん。・ ・中略・・みんなどんな者でも、神の話知らんようではどうもならん。いつ/\ま

  • 心通り身はどうでも出きる

    神様はおさしづで「心鎮めてしっかり聞き分けてくれ。生涯のさしづ一度にしておこう。神一条の道、身の内かしもの道具、心通りに身はどうでも出ける。身の処道具、誠と心定めば、誠は弱いものである。なれども、長い堅いものや。誠は天の理や。それ神が直ぐと受け取る・・・

  • 心をうつす 縦の伝道

    神様はおさしづで「もう道というは、小さい時から道を心写さにゃならん。そこへそこへ年取れてからどうもならん。世上へ心写し、世上からどう渡りたら、この道付きにくい」明治33年11月16日と教えて下さっております。お道では、よく「縦の伝道」という言葉を耳にしま

  • 天理教の体制を変えるには

    教祖の逸話編に、このような教祖のお言葉があります。「人言伝ては、人言伝て。人頼みは、人頼み。人の口一人くぐれば一人、二人くぐれば二人。人の口くぐるだけ、話が狂う。狂うた話した分にゃ、世界で誤ちが出来るで。誤ち出来た分にゃ、どうもならん。よって、本人が出て

  • 現在の天理教は神の道を通れていますか?

    おさしづで「神の道を一つも立てず、あっちの顔を眺め、こっちの顔を眺め、人間の義理を立てる。神の道とは言えようまい」また「あちら眺めこちら眺め、義理を思うからどうもならん。神一条の理と人間と人間との理をよう聞き分け。人間の理を病んで神の理を欠いてはならんと

  • 「神様にもたれる」とは

    みかぐらうたで「なんでもこれからひとすじに 神にもたれてゆきまする」と教えて頂いております。よく「神様にもたれ切る」と教えて頂く事がありますが、どうも漠然としていて「じゃあ具体的には何をするの?」ってなりませんか?今回はそんなお話をしてみようと思います。

  • 理は立たたせるものではない

    おさしづで「理は立たんやない、立てんのや」と教えて頂いております。理は神様の思いであり、お働きでもあると思います。神様がお働き下さる事を「理が立つ」と表現される事があります。人はなにか困った事、苦しい事があると神様にお働きいただけるように、理が立つように

  • 「自分の為」の信仰は自分の為にならず

    天理教を信仰されている皆様は、なんの為にお道の信仰をされていますか?自分の為、家族の為ですか?それとも神様の為ですか? 信仰をさせて頂く理由は人それぞれではありますが、大体の方は自分の為、子供の為、家族の為、家柄の悪因縁を切る為と言った理由だと思

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、まさおさんをフォローしませんか?

ハンドル名
まさおさん
ブログタイトル
『天理教ブログ』 神の道
フォロー
『天理教ブログ』 神の道

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用