2021年07月09日/発売開始☆ワンダーJAPON3~関西編~にDepartureが記事を寄稿しました!!!↓↓ワンダーJAPONとは?↓2005年~2012年の間に20本に渡り刊行されたサブカルチ
東京都八丈島。かつて日本のハワイとまで言われた楽園。飛行機で小一時間という便の良さもあり、連休などは今も観光客で賑わう。八丈島には総延長60キロにも及ぶ巨大地下壕が眠っている。戦時中に八丈島を守備する
大生(たいせい)紡績株式会社東浦工場。1919年に創業し1992年に閉鎖された。知多半島は繊維工業が盛んな地域で、このような工場群が数多く残る。
1961年に開業した二階建ての国民宿舎。1970年代に那須休暇村ができたことで閉業したと聞く。濃い藪をジャブジャブかき分けて到達だ。
南砺市利賀村(なんとしとがむら)は、世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り」で有名な地域だ。この辺りには、このようにモノリス型のユニークな分校が複数残っている。一つ目は利賀小学校百瀬川分校。体育館の緑屋根
娯楽施設である別府ラクテンチと志高ユートピアを繋ぐ、壮大なる志高ロープウェイ。「別府ラクテンチ - (リフト) - 立石山駅 - (ロープウェイ) - 船原山駅 - (リフト) -志高ユートピア」↑今
1967~76年に開設。養護学校の児童・生徒の生活訓練のための校外学習施設だった。利用者の減少のために2004年に閉所された。
変わる廃墟展2021が終了致しました。去年はコロナという状況下、なかなか足を運ぶのが難しかったものの、今回は少し復調の兆しが見えました。同様に世の中も徐々に落ち着くことを願っています。お越し下さった方
大正時代初期の建築。操業時はここに坑夫の昇降や、石炭の搬出に使用する巻揚機が設置されていたという。1968年に閉山した崎戸炭鉱の関連遺構で最も古いものだ。
この唯一無二の面構え。
山深い限界集落をひた走る。細い坂道を窮屈に縫っていると、校庭が見えてきた。山中に何とか平地を確保して作った、そんな苦労が伺える。
1964年に廃校となった。木造平屋建て校舎が残る。廃校後に陶芸家のアトリエとして使われていたと聞くが真相はいかに。
1933年に操業開始。一日に100トンの鉱石処理が可能な巨大な浮遊選鉱場を有していた。1973年の閉山後も、2000年頃まで多くの施設が残り、日本中の廃墟マニアに注目された。
1970年に開業したホテル。絶景を楽しめ、新鮮な海産物が食べられるホテルとして繁盛した。ブームが去り、70年代の後半には休業状態に。コンクリート二階建て、地下一階の施設であった。地元では有名な心霊スポ
1970年代に開業した結婚式場と宿泊施設を兼ねた巨大な複合施設。新館と旧館からなり、収容人数は150名、複数の宴会場を備えていた。
1879年に開校し、1988年に閉校した。美しい木造の平屋建て校舎が残っている。校庭には草木が茂り、錆び付いた遊具も点在する。
南国風のオレンジ屋根が印象的な三階建て、28室全室オーシャンビューの豪華リゾートホテル。1988年に瀬戸大橋の開通に合わせて建設された。
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