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1955年に建てられた小さな木造校舎。1977年に廃校となった。
1961~75年に建築されたキリスト系学校の合宿施設跡。複数の木造建築から構成されている。湖畔に臨む山中にあり、朽ち果てて半壊状態にある。
百島は瀬戸内海に浮かぶ小さな島。人口は500人に満たず、本土からフェリーで小一時間かけて到着だ。
風情ある敷地をゆく。
別名SGホテル。バブル期に建てられたもので、様々な施設を兼ね備えた大規模ホテルだった。2000年頃まで開業していたらしい。
1973~2000年頃まで営業していたラブホテル跡。地元では別名「幽霊ホテル」と呼ばれている心霊スポットだ。一見三階建てだが一番下がピロティー構造となっており、実際は斜面に立つ二階建て建物である。
1951年に開業し2011年に幕を閉じた。地下1階地上4階、全50室の大型ホテル。霧ヶ峰という名の通り、深い霧に包まれている。
『変わる廃墟vs行ける工場夜景展2020』が終了致しました。廃墟と工場夜景のコラボは実に4年ぶりでした。コロナの影響で時短や、日程の短縮を余儀なくされましたが、無事に終える事が出来て本当に良かったです
1970年代からある不動建設の社員寮。黄色い縦横のラインが印象的な建築だ。四階建てと三階建ての二棟の集合住宅から構成されている。2000年前後から不使用になった。
1951年に開校。駒ヶ原は満州から引き揚げた人々が原生林を切り開いて開拓した集落で、そういった石碑も見受けられた。ここはその子弟の為の学校だった。
山間の静かで美しい土地に立地し、一帯は静謐な空気に包まれている。もう近い、あの川怒温泉橋を渡った先だ。
日本の主力銅山の一つであった尾去沢鉱山。軍旗のようにそびえ立つ大煙突を目指す。
風光明媚な鳩ノ巣渓谷。一帯には風流な旅館が建ち並び、少し登った先にある双竜の滝は落差18mで迫力がある。
1956年にオープンした遊園地。2007年に閉園した後も、ロープウェー乗り場が残っている。
片田舎の畑の真ん中に忽然とあらわれる結婚式場。経営は順調であったが、本業以外の投資事業につまずいて倒産、閉鎖に追い込まれたという。その後、不審火による大規模な火災に見舞われた。
通称「もう一つの軍艦島」。島全体が亜鉛工場となっていて、昼夜を問わず操業が続けられている。関係者以外は立ち入りが許されていない。
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