標高1000mの地に建設されたコンクリートアパート群。学校、病院、娯楽会館などを完備し、「雲上の楽園」とも呼ばれた。鉱山の採掘は1911年に始まり、最盛期の1960年頃には鉱山町の人口は1万3594人
晩秋の候。一面に敷き詰められた落ち葉を踏みしめ、丸太で作られた簡素な橋を幾つも越えてやって来た。
1966年から1970年に作られた喜撰山ダム建設時に用いられた砕石施設。橋台のような構造物、およびホッパーのような施設で構成されており、隣接してズリ山もある。今回は仰天の出来事が最後に待っていた。
宇治川の岩風呂旅館としても紹介される。1960年代に開業し、会食と宿泊が楽しめる料理旅館だった。現在は建物の地上部分は解体されているが、地下部分の宴会場や岩風呂が残っている。
小川脳病院とも言われる。精神病院だったらしく、有名な心霊スポットでもある。1970年代には存在が確認されている。当時の入口は通行不能となっており、ここまでのアプローチには困難が伴った。
昭和10年代の築と推測される古い小学校。ここは廃校・木造校舎ファンの間では有名で、色々なサイトやブログで紹介されている。
虎杖(いたどり)小学校。1964年に開校し、1991年に宇川小学校に統合されて閉校となった。人里離れた山中の小高い丘の上に、二階建て校舎が残っている。
焼肉要塞ことブロックアート。全国のグラフィティーアーティストが腕を競い合い、訪れるごとに絵が変わり続けるという。数年の時を経て、どのように変貌しているのか。
1997年頃に閉業した湖畔にある廃旅館。「乙女の湖」の異名を持つ美しき鎌北湖に囲まれ、湖に浮かんだ旅館とも言えるロケーションは有名だ。
正式名「カーサマリーナ南熱海」2000年頃に放棄された未完成マンション。 三階部分まで完成したところで中断され、剥き出し鉄格子が牢獄のように見えることから、いつしか牢獄マンションと呼ばれるようになった
グリム童話やドイツ文化を意識したテーマパーク。広い敷地に草木が生い茂っており、本気で迷いそうになる。パンフレットを見ながら、ディズニーランドを周遊する子供のごとく園内を練り歩く。
1989年開園。園内は中世のドイツをモチーフとしたテーマパークとなっており、1992年にはシンボルとなる「ビュッゲブルグ城」が完成。城の中には会員制ホテル「シュロスホテル」が併設され、同時期に
戦前から開院している外科病院で、100年以上の歴史を持つ。建物の構造が「玉」の字状になっていることから、この名前がつけられた。
1962~67年に開業した宿泊施設。複数の建物から構成される山中の宿で、研修所やプールも備えていた。1987年11月頃に閉業。
別世界とも言える地下空間に別れを告げる。
昭和30年に建てられ、平成3年に閉校した小さな分校。最後の数年間は冬季分校扱いであった。廃村となった山深い集落にポツンと残されている。
1903年(明治36年)に完成した県内最古の木造校舎。名前は大谷村と防己村の一文字ずつを取って、大己(たいき)小学校。地域の過疎化により1970年に廃校となった。
変わる廃墟展2020が東京と名古屋で開催されました。コロナの影響で東京開催は短縮になりましたが、名古屋開催は無事に終えることが出来ました。マスク必須でちょっぴり緊張感が漂う展示会…。かつて経験したこと
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