耳を澄ますように古代を感じる試み。
京阪神を中心にフィールドワーク、五感を働かせて古代を感じるというコンセプトではじめました。
鴨川から松原通、鳥辺野方面への道はあの世へのアクセスポイント
松原通に漂う並々ならぬ気配の深層 賑やかな四条河原町を南下し、鴨川を渡った松原通は清水寺に至る、細く古い道だ。 はんなりと雅やかな雰囲気が多い京都の町のなかで、この通りは独特な雰囲気を漂わせている。 民家がひしめく道すがら、お地蔵さんや寺院に差し掛かり、さらに「幽霊飴」という奇妙な飴を売る店が姿を見せる。さらに、この一帯の住所は「轆轤(ろくろ)町」という。 ぱっと見、「髑髏(どくろ)町」に見間違うが、実のところ、この地は、江戸時代までそう呼ばれていたのだ。 かつて、この道の先にある清水寺の裏手、南側の一帯は墓地であり、鳥部野と呼ばれる京都の三大風葬地の1つだった。 平安時代、丁重に葬られる遺体…
東大寺はいうまでもなく、大仏殿が鎮座する奈良仏教の中心地だ。 広大な境内の石畳の参道から大仏殿を眺め、そこに青い空が広がると、 まるでタイムトリップしたような気分となる。 あおによし ならのみやこは さくはなの におうがごとく いまさかりなり 小野老 万葉集巻三 [訳 青丹も美しい奈良の都は、咲きさかる花のかがやくように、今盛りである] 天平勝宝4年(752年)の開眼供養会には2万人もの僧侶が集まり、伎楽や舞楽が奉納され、盛大な法会が行われた。 圧倒的な広さを誇る境内だが、かつて、そこにはゆるやかな春日山麓の尾根が延びていたという。 大仏殿は大仏を鋳造し、完成して後、大仏台座高106.75(標…
いまや、大阪湾といえば港区、大正区、住吉区、此花区や西淀川区の向こう側、であるが、大阪市の大部分は海の底にあった。 約2万年前、氷河期の終わりの頃は海面が低く、大阪湾や瀬戸内海は海のない干上がった状態だった。気温がじょじょに上昇し、氷が溶けて海面が高くなり、5500年前ごろになると大阪平野のあたりに海ができたのだ。 前回の投稿<淀川河口、西淀川区の地名の多くに「島」の字がつくわけ - Kodai-Note> と通じるトピックスだが、興味深く、そして重要なのでここで触れておく。 海には上町台地だけが半島のように浮かび、外海と河内港とを区切っていた。ちょうど河内港の中心にあたる大阪市鶴見区ではナガ…
「中島」「姫島」「御幣島」「歌島」「竹島」「出来島」「百島」「西島」……。神崎川と淀川に挟まれ、大阪湾に顔をのぞかせる大阪市の南西の角のエリア、西淀川区には島を冠する地名が多い。 淀川の河口付近に位置する地が「〜島」と名付けられた理由、それは古代、これらの地は実際に島として存在していたことに由来する。さらに、島々はあわせて「難波八十島」と呼ばれていたのだ。 日本列島が形成されて間もない太古の頃のこと。かつて、大阪市の多くは海の底であった。西は六甲山麓から東は生駒山麓まで大阪湾が深く入りこみ、上町台地だけが半島のように浮かんでいたのだ。そして、大阪市内には鯨が遊泳する大海原が広がっていたのだ。 …
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