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  • イギリス in 1977 (その8)

    日暮らし通信発信元:赤とんぼ●この項のタイトル:二番エンジン異常?●さて次の給油はデンマークのコペンハーゲン空港。この空港は遥か地平線まで続くように広い。ここでは日本の老婦人から話掛けられて時を過ごした。そのご婦人は独りでもう何回もヨーロッパに行ったとその印象などを聞くことができた。ところで気になることがあった。給油中は機外へ出てロビーで待機するのだが、ロビーからは私が乗ってきた機体が見える。整備員が点検しているが私が良く見ていると二番エンジン(飛行機のエンジンは後視左から一番、二番と数える)にオイルを補給している。自分の仕事柄それが何であるかがすぐ判った。アラスカでも二番エンジンに補給していたのでこのエンジンだけがオイル消費が多いようだ。通常、異常が無ければオイルはそう減るものではない。このエンジンは何...イギリスin1977(その8)

  • イギリス in 1977 (その7)

    日暮らし通信発信元:赤とんぼ●この項のタイトル:羽田から英国・ヒースロー空港へ●初めて海外に行くことに多大な期待と不安があったが、最も心細かったのが一人での往きの空の旅であった。当時の国際空港は羽田、そこから英国の玄関・ヒースロー空港まで一人で行くなんて考えもしなかっただけに不安が募るばかりであった。英語も達者でないので隣の席に外人でもいたらどうしようとか、通関はどうなるのかと考えれば考えるほど心配ばかりしていた。予定で一緒に行く人がキャンセルされたことを聞いた時は出張を辞退しようかと思ったほどである。ええ~い、どうにもでもなれと、いささかやけっぱちな気持ちであった。何時の便であったか忘れたがテイクオフは夜の8時頃だった。航空会社はBA(英国海外航空)で機体はBoeing707であったように記憶している。...イギリスin1977(その7)

  • イギリス in 1977 (その6)

    日暮らし通信発信元:赤とんぼ外国へエンジンを送るなんて社内でも経験しなかったことだから、いろいろな戸惑いやら不安が交叉する中で準備が進められたがエンジンは二台、それも船便だった。なぜ船便なのかは定かではないが、航空便より安全性を優先させたのだろう。おそらくは東京港から英国のサザンプトン港へ向かったようだ。その中で印象に残ることが一つある。エンジンは木製のコンテナーに格納して送るが問題があった。それはトレーラーで輸送中のショックがエンジンにどのように影響するのかということである。エンジンを格納するコンテナーのベッドにはショックを和らげるアブソバーが付いていて走行中の振動が直接エンジンに伝わらないようになっているのだがその効果が判らなかった。そこでコンテナー内のベッドやエンジンの数箇所に加速度計を取り付けデー...イギリスin1977(その6)

  • イギリス in 1977 (その5)

    日暮らし通信発信元:赤とんぼ42年半の会社勤めでは出張することも多かったが、最も印象に残るのは通産省の大型プロジェクトで開発された「FJR710/600Sターボファン・エンジン」の高空性能試験の一員としての英国出張であった。エンジン高空性能試験を簡単に説明しよう。ジェットエンジンは航空機に搭載されて地上から一万数千メートルの上空までの広範囲で使用されるが、高度が上がるに従い気温と気圧が減少する。ジェットエンジンは連続燃焼であるが空気が薄くなっても空燃比が一定になるようにFCU(FuelControlUnit:燃料制御装置)はエンジンに入る空気温度と気圧を感知して自動的に制御するように設計されている。しかし地上における通常の運転試験では高空での制御が設計通りに作動していることを確認することは困難である。そこ...イギリスin1977(その5)

  • イギリス in 1977 (その4)

    日暮らし通信発信元:赤とんぼ海外出張者に選ばれたのは名誉なことだが、普段着で行く訳にも行かず、困ったと思ったがそれを助けてくれたのは妻の計らいだった。お金もかかるが、当時会社からは支度金が10万円支給されたので少しは助かった。まずは三つ揃いのスーツを二着作ることにした。しかし、今のように紳士服専門店もないので、いつもお世話になっている知り合いの洋服店に頼んで作ってもらった。またコートも必要だから妻と池袋の西武百貨店に行き、パーバリのコートを買ったが、ついでに革靴を二足買った。だいぶお金もかかったが、総計幾らだったのかは妻しか知らない。だがその他持っていく物もほとんで新しく整えたので、その準備も大変な事だった。その他、いろいろと用意する物も多く、パスポートを申請したり、運転免許証を国際免許証に切り替えるため...イギリスin1977(その4)

  • イギリス in 1977 (その3)

    日暮らし通信発信元:赤とんぼ先日、エリザベス女王の国葬をテレビで見た。さすがイギリス連邦女王の国葬だけに盛大で威厳のあるシーンが連続していた。BBCによるテレビ制作だから、天皇、皇后両陛下の姿を見ることはなかったが、あのような国葬は今後世界中を探してももう見ることはないと思った。外国の建物はあのような国葬にはマッチした雰囲気があって、歴史の深さを感じた。それと全体の動きが時間を計っているかのように同じスピードで過ぎていくのはどのような仕組みで統制しているのだろうかと、不思議だったが、総体的に見て女王陛下の国葬に相応しい大がかりな行事だった。さて日本では阿倍元総理の国葬が近づいてきたが、ある世論調査では反対が六割にもなるが、それでも続行するのだろうか?女王陛下の整然とした盛大な葬儀を見たから、日本の国葬は比...イギリスin1977(その3)

  • イギリス in 1977 (その2)

    日暮らし通信発信元:赤とんぼ先日、もう45年前にもなるイギリス出張の話を投稿したが「38歳の時に外国出張した先祖がいるのか?」と、我が家の後孫が想い出すように何かを書き留めておきたくなった。私がイギリスへ出張するという噂が広まると、びっくりしたことが起こった。それは多くの同僚、知人、そして親戚から餞別を頂いたことだった。今は外国へ行くのは当たり前のことだが、当時はまだまだ海外に行くのは珍しいことだったから中にはいろいろと想像した人もいたのかもしれない。先日、隣の奥様がご主人の出張先であるアフリカのアブダビへ行き、帰ってから話を聞いたが、成田から経由地を経てのアブダビまでの航空機運賃は約20万円とのことだった。だが45年前は羽田からアラスカのアンカレッジ、コペンハーゲン経由でイギリスのヒースロー空港までは約...イギリスin1977(その2)

  • イギリス in 1977 (その1)

    日暮らし通信発信元:赤とんぼエリザベス二世女王陛下(在位:1952年2月6日-2022年9月8日)が崩御された。心から哀悼の誠を捧げます。女王陛下の棺が置かれたウエストミンスター・ホールを弔問のために訪れる市民の列は途切れず、予想待ち時間は一時、24時間を超えた。待ち時間が想定を上回ったため、行列に加わることが一時、中断されたとのことだった。イギリス国民の王室に対する敬慕の念が如何に深いかを示す行動だろう。そんなニュースを聞きながら、私は1977年、会社業務で10月から約二ヶ月間イギリスへ出張したことを想い出した。出張業務はイギリス王立の研究施設を利用して国産大型ターボファンエンジンの高空性能を確認するテストのため、私は現場の責任者として派遣された。イギリス滞在中はいろいろな習慣に戸惑いを感じたが、イギリ...イギリスin1977(その1)

  • 私の決断

    日暮らし通信発信元:赤とんぼ私は9月に入ってから「もう車の運転をしない」と、心に決めた。この二ヶ月あまりの間に車のバック中、二度も壁やフェンスに接触、車の左後部を傷つけてしまった。幸いにも人身が絡まなかったので助かったが、神様が「もう、運転をするな」と、警告してくれたようで、いろいろな葛藤もあったが「もう車は運転しない」と、決めた。そして車を処分することも考えたが、要介護のMの通院などを想定すると車無しの環境はどうしても思いつかなかった。今後、車の管理は長男夫婦に任せることにしたが、特にいつも傍にいるH子さんに車の運転を頼むことにした。同時に「免許証返納」も考えたが、運転しなくても免許証は持ちたいと思ったので、今後も免許証更新は出来る限り挑戦するつもりだ。何故かと言うと、更新時に受ける「認知機能検査」で私...私の決断

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