chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を https://blog.goo.ne.jp/t2885totty8885

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を

息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2018/01/03

arrow_drop_down
  • あなたへ 7 働き者

    かくして「一人っ子」の恩恵は、新たなきょうだいの誕生まで。その最たるものは、夕飯である。前橋時代に、肺炎を患い、入院したこともあり、あなたは、体の線が細く、風邪を引きやすい「心配な子」であった。一年生の身体計測では、体重が17kgほどで、背もクラスで前から三番目だったと、あなたは記憶している。最初の子として、子育ての経験のない両親は、ずっと心配であったに違いない。夕飯の場面。タマネギが嫌い、食が細いあなた。食事が始まると、ご飯の盛られた器に、父から母から、おかずが投げ入れられる。たとえば、すき焼きが出た時には、糸こんにゃくしか取ろうとしない私の茶碗に、父から牛肉が、母から、白菜、春菊、椎茸が、次々と載せられていく。野菜炒めのときには、肉の脂身だけ摘まんでいるあなたに、人参、キャベツ、タマネギの攻勢が始まる...あなたへ7働き者

  • 無罪判決 当然だが虚しい

    裁判長が、判決のあとに、袴田姉に声をかけたとのことだが、それでも「真の自由」は来るはずもない。時間は後戻りはしない。厳氏の過去は、取り返せるわけはない。捜査過程の、脅迫やら捏造やらは、解明されることもない。ただ、当たり前の日常に戻されただけだ。しかし、寿命の尽きる少し前の時空に。虚しい、無罪の告知だ。無罪判決当然だが虚しい

  • 明日 再審判決 司法は何を示すのだろうか

    袴田事件の再審判決が、明日出される。これほど杜撰な捜査、自白強要、公判における支離滅裂な警察、検察の論理が白日のもとになった現在、まだ有罪を言い渡せるのかと単純に思うのだが、油断はできないだろう。権力とは、残念ながらそういうものだ。白も黒とさせることは、これまでの歴史が、何度も証明してきた通りなのだから。単純明快に、「疑わしきは罰せず」無罪判決が出されることを祈るばかりだ。明日再審判決司法は何を示すのだろうか

  • あなたへ 6 東長崎十字会商店街

    東長崎の北口から、東に向かって、ものの一分も歩けば、ぎっしりと思い出の詰まった十字会商店街にたどり着く。南口がたしか「銀座商店街」という名称だったはずだから、華やかさでは劣るのかもしれない。毎月5のつく日は、その銀座商店街には縁日が立つ。くろおば、あなた流で言えば「財布のおばちゃん」が、露店を構えていた場所だ。縁日は、あなたの世代では、それこそ家族そろって楽しみにしていた「祭り」であった。駅前の広場や、「銀座通り」には、たくさんの露店が並び、人でごった返していた。セルロイドのお面、べっこう飴、プラモデルの景品の当たる(はずがなかった)くじ屋、綿アメ、金魚すくい、バナナのたたき売り(そうだ、バナナは当時高級品だったのだ)、ヒヨコの販売、七味唐辛子(その場で調合して、お好みのブレンドに仕上げてくれる)、あんず...あなたへ6東長崎十字会商店街

  • あなたへ 5 東長崎 新居の周り

    新しく移った借家は、6歳から10歳まで。約5年間過ごした家だ。この5年間は、あなたの長い人生において、とりわけ色彩の鮮やかな、そしてとてつもなく豊かな量の思い出を与えてくれた時間である。あなたの父と、そしてまだ20代半ばに差し掛かりつつある、若々しい母は、あなたにすばらしい環境を与えてくれた。まだ小学生の前半という幼いあなただったが、年老いた今でも、すぐに一つや二つの思い出やエピソードを子細に語ることができるのだ。まず、新宅の間取りが鮮明に記憶の中に残っている。入り口、玄関を入ると、すぐに台所である。二畳ほどの広さだったろうか、左手に流しがあり、その奥がガスコンロだ。(ここでよく一人でお気に入りの、エースコックの「ワンタンメン」を作って食べたものだ)右奥には冷蔵庫。右のガラス戸を開けると、6畳の居間、兼食...あなたへ5東長崎新居の周り

  • あなたへ 4 夢多き父母の東長崎時代

    中学生になり、初めて読んで泣いた小説があったことを、あなたは忘れていた。店の二階の布団の中で、ごろっと寝ころんで読み、ページの上に水滴が落ちて、紙がやや黒ずんだことに驚いたあなただ。山本有三の「路傍の石」。極貧の家に生まれ育った主人公の母親が亡くなる場面だった。そうだ、あなたはそれからずっと、「親子」ものの物語には、とてつもなく胸が締め付けられることになる。小学生時代に、くろおばと東長崎にある長崎東映で、「あんじゅとずしおう」のアニメ映画を観たとき。片手にポップコーンの袋を握り、もう一方の手でせわしく口に運びながら、最後の場面(目の見えなくなった母親との再会)では、スクリーンが霞むほどの涙をためていたこと。これが伏線なのだろう。(当時、小学校4年まで住んでいた東長崎の街には、平和シネマ、長崎東映と、二つの...あなたへ4夢多き父母の東長崎時代

  • 情緒に流され 事実が見えない 残念な松任谷由美

    思い出を美しく飾るのは、誰にとってもあることだろう。しかし、この「美しき思い出」はいけない。もっと学んでほしい。理由は、引用のあとに書く。「私は当時の天皇陛下(現上皇陛下)の「御即位三十年奉祝感謝の集い」で美智子皇后の御歌を奉祝曲「御旅」として歌い、皇室との御縁を頂きました。昭和天皇は私の出身地東京八王子市の武蔵野陵にお眠りになっています。昔は多摩御陵といって、近くに住む祖父の家を訪ねると、何度か御陵の奥まで一緒に歩いたことを思い出します。大杉の列にいざなわれるように玉砂利を踏んでたどり着くその場所は、昭和天皇のご両親である大正天皇と貞明皇后の御陵。広々として森閑として、いつも時が止まっているような得も言われぬ安らぎを与えてくれました。その祖父が3歳の母を負ぶって逃れた関東大震災のはなし。母がモガだった戦...情緒に流され事実が見えない残念な松任谷由美

  • あなたへ 3 読書とのささやかな出会い

    かくして、あなたは、10代の後半までは、テレビとともに育ったと言えるほど、ブラウン管はなくてはならないものだった。中学校に入っても、下校し、帰宅するや、鞄を玄関に放り投げて、毎日「人生の並木道」に見入っていたことを記憶していることだろう。世間に翻弄される可愛い妹と、妹を必死で守ろうとする兄、の物語だっただろうか。あなたは、こんなものを見ていたのだ。中学校は池袋にあるキリスト教系で、授業に「聖書」という名称のものもあった。当時、たけだ神父とにしむら神父という二人の担当教官がいたことを、あなたは記憶している。たけだ神父は、でっぷりした体。髪も口ひげも真っ白の、定年したか、定年を過ぎたかと思われる方。一方のにしむら神父は、まだ働き盛り。スマートで、髪も七三にきっちりと分け、さらにポマードによる艶が映える。そうだ...あなたへ3読書とのささやかな出会い

  • あなたへ2 テレビとともに

    1953年、テレビ放送が始まった年に、あなたは群馬県前橋で産声をあげた。あなたの父がホームグランドとしている競輪場近くの借家で。今はもう町名として残されてはいないが、「神明町」という町。広瀬川という、やや大きな川のそばであり、メイン通りから少し奥まった、静かな住宅街だった。(もちろん、そんな情景を記憶しているはずもなく、この当時の思い出らしき事柄は、すべて両親からの伝聞である)この時、あなたの母は21歳、父は28歳。若い二人だ。この「テレビ開局の年」が、あなたとテレビとの密接な関係を築いていく宿命にあったのだろう。もちろん生まれてすぐに見たというわけではないし、当時の受信機の普及度からして、もっと後から、あなたはテレビ漬けになっていくのであるが。まだテレビが一部の特権であったころ、街頭テレビと呼ばれる受信...あなたへ2テレビとともに

  • 1 鏡の前のあなたへ

    玄関先の、やや小高くなった壇にしゃがみ込んで、ケントの1mgをくゆらせているあなたがいる。高校三年生に「峰」からスタートし、マイルドセブン、缶ピース、そしてVOGUE(なんと読むのかも知らないで吸っていた)、そしてケントと続く歴史を振り返っている。なぜ代えたのか。もう思い出せないでいるあなただ。値段なのか、健康のためか、気まぐれなのか。まあそんなことはどうでもいい。風呂上がりの至福の一服なのだから。さきほど洗髪した後の半乾きの髪を、あなた専用と指定されている茶色のブラシで整えた。そのときに見ざるを得なかった鏡、いや鏡に写ったあなたの顔を改めて思い出す。この朽ちた人物が、はたして自分なのかどうか、あなたは不思議がる。もちろん鏡が歪んでいるとか、傷ついていると、少しは信じたい気持ちもあるが、それはすぐに吹き飛...1鏡の前のあなたへ

  • 加藤氏 総裁選立候補 ん なんか変な?

    所得倍増が目玉だそうだ。記者会見では、「私は、安倍、菅、岸田総理の神髄を受け継ぎ」と発し、その後に、この「所得倍増」の公約が続く。あれ、おかしくない?この三代の首相は、倍増どころか、実質賃金を下げ続けてきたのではないか。口では確かに「上げる」と言ってきたのだろうが。もう騙されないぞと思う。加藤氏に聞きたい。どうやって倍増させるのか。資本側に、内部留保を吐き出せ、法人税を上げるぞと言えるのか。聞こえはいいが、やはり「嘘つき」かなと思ってしまう。加藤氏総裁選立候補んなんか変な?

  • パラリンピック終わる が

    競い合わない、順位をつけないスポーツなど、面白くないのか。国威の競い合いのない大会にはできないものか。商業的な、金まみれにならない大会運営はできないのか。観衆の熱狂が、さらに哀しさを誘う。パラリンピック終わるが

  • 立民には、日本の中立化が視野にないのか

    「日米同盟を基軸とした現実的な外交・安全保障政策の継続」この「現実的」の言葉が曲者。立民結党はなんのためだったのか。失望の極み。立民には、日本の中立化が視野にないのか

  • 教員の長時間労働については共産党が一番私の感覚に近い

    中教審は、教員の長時間労働について、なんともお粗末な提言をした。金さえ払えば働かせ放題ともとれる内容であり、さらに見逃してはならないのは、教員にこまかな階層をさらに設けて、教員を分断、孤立させるおまけまで打ち出してもいる。馬鹿げた、しかし支配層にとっては、巧みな内容なのだろう。赤旗に載った、提言の評価が、私には一番実感に近い。ぜひ読んでもらいたい。引用する。「教員の長時間労働中教審は真の原因に目向けよ教員が専門職としての役割を発揮し子どもたちに向き合うには、教員の異常な長時間労働をなくす必要があります。現状を放置すれば、専門性が発揮できないばかりか過労死や教員不足をますます悪化させます。8月末に出た中央教育審議会(中教審)の「質の高い教師の確保」に関する答申は、教員不足を「憂慮すべき状況」だとし「教師を取...教員の長時間労働については共産党が一番私の感覚に近い

  • 立憲民主党に未来はない

    立憲民主党は、小池百合子氏の新党旗揚げの際に「排除」された議員が作り上げた党だ。その「排除」のときに、踏み絵とされたのが、憲法「改正」と安保体制の容認だった。だから、立憲主義と安保法制の廃止が、この党の原点だと思ってきた。それが、今やすっかり霞んでしまったかのような、今回の代表選。維新、国民民主と共闘を平気で口にする一方で、「共産党とは理念が違う」ことを強調する。都知事選挙で小池陣営を応援した、「労働者の似非味方」の連合に配慮して、何も語らない「ずる」。こんな立憲民主党に、未来はあるのだろうか。立憲民主党に未来はない

  • 本多勝一氏の退任 ああ来るべきときが

    高校を卒業し、一浪を決め、御茶ノ水にある駿台予備校に通うことになった。しばらくして、予備校の入口付近で、ビラを撒いている青年たちと出会い、たいした知識も問題意識もないくせに、誘われるまま、「ベトナム人民支援委員会」に入った。当時、ベトナム戦争により、アメリカはベトナム南部に傀儡政権を建て、北に連日絨毯爆撃を行い、港湾には水雷を沈めて、経済的に封鎖を企てるという戦術を繰り広げていた。その攻撃には、沖縄の基地が自由に使われて、日本はベトナムの人々を殺戮する最前線となっていた。素人目にも、理不尽なアメリカ、日本の蛮行である。小田実のベ平連が、有名な反戦活動だが、私の周りには、そのメンバーがいなかったこともあり、身近な予備校仲間の活動する、ベト支(ベトナム人民支援委員会)に入り、よちよち歩きながら、反戦活動を行い...本多勝一氏の退任ああ来るべきときが

  • 採択する空虚な理由 自由社の採択に

    産経新聞が伝えた記事。自由社の教科書が、「時代の特色と世界の動きを概観することができるように配慮されている」「敬意をもって根源的視点を学習できる」という理由で採択されたとするが、なんと空虚な言葉群なのだろうと呆れてしまう。こんな理由なら、どれを選んでも構わないはずだ。馬鹿げた採択の詳細を知りたいものだ。記事は以下の通り。茨城県常陸大宮市は2日、令和7年度から市立中学校で使用する歴史と公民の教科書について、新しい歴史教科書をつくる会(会長・高池勝彦弁護士)が主導する自由社版を採択(選定)したと発表した。採択は7月29日付。自由社の歴史教科書が公立校で採択されたのは、15年ぶりとなる。同市はこれまで、ひたちなか市など近隣の4市町村とともに教科書を選ぶ「共同採択」を行ってきたが、市独自の教育改革を加速させるため...採択する空虚な理由自由社の採択に

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、息苦しい世の中で 自由に語り合える空間をさんをフォローしませんか?

ハンドル名
息苦しい世の中で 自由に語り合える空間をさん
ブログタイトル
息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を
フォロー
息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用