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  • 私の果てしない旅はここに終る~日本の旅

    ・昭和44年(1969年)7月6日(日)晴れ(私の果てしない旅はここに終る)朝食を済ませ、出立準備を整えてから女将に勘定をお願いした。彼等に「ここの旅館代は私も払う」と言ったが、彼等は「Yoshiにはお世話になったから」と言って私の分を払わしてくれず、6人で割って各自出し合って払ってしまった。一昨日も昨夜も、『Yoshiにはお世話になっているから』と言って飲み代は彼等が払っていた。今日、彼等はこれから日光見物へ出掛けるのでした。「私も付き合う、行かせてくれ」と言ったのに、彼等は「Yoshiは1年振りの故国、家族が待っているので早く帰って上げなさい」と言って、私の同行を許してくれなかった。私の気持としては、彼等といつまでも旅をしたかったが、実を言うと私にはもう日光へ行く金が無い状態であった。もし旅館代を払っていた...私の果てしない旅はここに終る~日本の旅

  • 名古屋、東京見物~日本の旅

    ・昭和44年7月5日(土)小雨後曇り(名古屋、東京見物)16日間航海したチルワ号ともこれで永遠の別れとなり、私は昨日、鳥羽へ行った乗船仲間と共に名古屋へ行った。私の案内で名古屋城や熱田神社を見物後、新幹線ひかりで東京に来た。日本の新幹線は、彼等にとってその速さ、鉄道技術の高さ、施設にビックリするやら、感心するやらの新幹線の旅であった。曇りの為、富士山を見る事が出来ず、彼等は本当に残念がっていた。 ▲熱田神社前にて-左からエバンス、私、タン、メアリー、ベンドレィそしてフレッド 東京駅観光案内所で今夜のホテルを予約しようと思ったら、今日、明日と世界ライオンズ・クラブ東京大会が行なわれる為、何処のホテル・旅館もいっぱいであった。それを彼等に説明したら困り果てた様子であった。私は所員にこちらの事情を説明し、もう一度何処...名古屋、東京見物~日本の旅

  • 四日市入港と鳥羽見物~日本の旅

     日本の旅・昭和44年(1969年)7月4日(金)小雨(四日市入港と鳥羽見物)朝起きて、日本本土が見えるか、甲板に出てみた。小雨が降っていて視界が悪く、まだ何も見えなかった。南太平洋の海は紺碧の色をしていたのに、日本近海の海は、余りにも濁っていた。日本経済の発展の裏で、環境や自然が破壊され、海や河川が汚染されていたのだ。何も見えなかったが、暫くの間甲板に佇んでいると、何処かの島か本土が遠くぼんやりと見える様になって来た。そして何日も何日も見えるのは大海原だけであったのに、行き交う船も見られる様になって来た。『日本だ!日本に近づきつつあるのだ!嬉しい!やっと帰れるのだ!』という気持と、『私は、もう旅人ではなくなるのだ』と言う一抹の寂しさが入り混じった、おかしな気分になって来た。朝食が済み、間もなくしてから日本船が...四日市入港と鳥羽見物~日本の旅

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