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  • 昨日の続き

    を書いて見ると、田中さんは、「97,8年はトサキン保存普及会の会員が200名を超えたけど、それは他の金魚と違って店で購入してもよく死んじゃうし、流金と違って高いし何度か殺すうちに意欲を失って会員を辞めちゃうと言うパターンになっちゃう」「だから一応会員は30名位が集まるけど、集まる会員は前回とほぼおんなじだし、1,2年で辞めちゃう会員がほとんどだから、会員の数は毎年減少してるんです」。「続けて池袋西武百貨店の現状を言うと、土屋観賞魚店が取り仕切ってるけどあまりぱっとしなくてせいぜい後2,3年で品評会はできなくなるんじゃないかと思うんですよ」「違う場所でと言うと、他の百貨店は観賞魚店が次々と撤退している現状なんですよ」。で、その後は2012年までは品評会は全国大会まで無事に開かれたが、田中さんの口から、「来年は工事...昨日の続き

  • 2005年の12月に

    私は始発の新幹線に乗って、名古屋駅で泉さんと合流し、向かった先は東京の八王子市の田中さんに呼ばれての事だった。私が田中さんのお宅にお邪魔するのは2度目で、泉さんは初めての訪問だった。11時半頃にやっと着いたのだが、和室にお邪魔すると早速和机に机いっぱいに資料を広げて講義。ビデオを回してデジカメで取ろうとすると、「写真は後でいいから」と、休む暇も無く野中さん(野中進さん)近森さん、長澤さんの事を土佐錦魚歴30数年の田中さんが1970年から2005年までの事をしゃべって下さるのだから、正に金言だった。何しろ15年も前の事なので部分部分しか覚えていないのだが、Kさんの事、Tさんの事、Iさんの事など色んな事を加味して田中さんに話して戴いた。初めに「泉さん、小川さん、東京じゃ土佐錦魚は無理なんですよ」「八王子じゃ10月に...2005年の12月に

  • 土佐錦魚は

    95年の5月から先生にタダで分譲させて頂いたが、「いやーー、すまんねーー」「本当に貰っていいの」「島根じゃ見れない良く腹の出た土佐錦魚だがね」。3個程の丸鉢を置いているのだが、私も初心者なので、何も言えない。この稚魚の親魚はプラ船に実験的に2月中旬からヒーターで(最初は13度)、1週間後に15度、2週間後には18度と水温を徐々に上げていって、3月上旬には21度に達した。まだ大潮がどうのとかは言っていない頃で、ホテイアオイを5~6個並べただけの物だったが、運よくオスがメスをおいかけて自然産卵。田中さんに分譲して貰った親魚(5歳になっていた)が1対1で産んだものだ。ヒーターを5月上旬までは入れているので、成長は速い。前年の正月に野中さんに戴いた「あゆみ」を参考にして育てた。当然まだモルタルの丸鉢はなくて、プラ盥のみ...土佐錦魚は

  • 97年は

    島根県の野尻さんの養魚場を度々訪れていた。出雲ナンキンを飼うのが目的では無く、とても大切な間柄だった。10時前に野尻さんの家を訪れると、既に水替えと餌やりは終わっていた。「野尻さんはこれだけのコンパネで作ったナンキンの入れ物をどうやって水替えをするんですか?」「簡単だわね、木で作った栓を抜けばいいわね」「勿論先にナンキンを他のコンパネに移すのが先だよ」「だけど水道水だけん起きてる間は出しっぱなしだわね」「井戸水も出るけど金気がいけんわね」。そろそろ12時近くになると野尻さんは、「焼肉するけん」。「広島牛ゆーちょるけど、あれは全部島根牛だけん」12時前になると会員らしき人が数名集まってくる。その前に11時過ぎに品評会クラスの当歳魚を5,6匹洗面器にコンクリートの角鉢から網で取り出した。「これで5,60万はするわね...97年は

  • 96年の

    品評会は3回目の品評会に出品したと思うが、2歳魚は辛うじてベストテン(9位)に入った年だった。トラ禿の2歳魚が9位に入ったのだが、あの頃はまあ「極めて順調に」な年だった。前にも言った様に数多くのベテラン、中堅が控えているのだから、新参の私が割って入ることは極めて難しい事だった。特に親魚は田中さんが2人の息子と本人が合わせて9匹出すのだから勝ち目は全然無い。17位と22位に入るのがやっとだった。それだけに2歳魚の9位は嬉しかった。3回目で9位とは望外だった。この2歳魚は自分で採った2歳魚で、それだけに余計に嬉しかった。前にも言ったけれど、ベテラン、中堅の方が数多い中で9位は嬉しすぎる。当歳魚も最高順位は13位と健闘した訳だから、十分な成績だったと思う。欲を戎てはろくな事は無いので。前にも言ったが、当歳魚は100匹...96年の

  • 詳しく99年を

    振り返ると、出品魚は全部で7匹。親魚が1匹だけ出品して13位、2歳魚は3匹出品して1位、5位、8位、当歳魚は2位、10位、19位とベスト10に5匹も入ってしまった。親魚の13位はもう少し上でもいいんじゃないかと思ったけれど、「まあこんなもんだろう」と納得して見た。素赤で丸手で尾も大きいが、尾身の先端が空回っている。続いて2歳魚は私の魚が尾身にしわたるみが全くなくて、未褪色ながら返しも十分で私的には文句のつけようが無い魚だった。昨日も言った様に田中さんには2位にならなきゃいけない理由があった。94年の6月に10万円の土佐錦魚を譲って戴いた恩は決して忘れない。田中さんあっての私だからだ。続いて2歳魚の5位は赤勝ちの更紗で、しわもたるみも全くないがサイズが少し小さかった。8位の土佐錦魚は未褪色の土佐錦魚でしわもたるみ...詳しく99年を

  • 99年に

    初めて2歳魚の未褪色のオス魚が優勝魚になったが、その年は田中さんに譲った魚(実際には3歳親魚)が2歳魚で準優勝した年でもあった。初心者から中堅になりつつある40歳過ぎの私だが、前年の98年に初めて当歳魚で準優勝を果たして、やっと名前が認められた年でもあったが、99年は「小川さん、小川さん」と名前で呼ばれる年でもあった。99年の田中さんに譲った2歳魚は本当は3歳親魚であり、後日田中さんに、「あの金魚は2歳魚でしょ?」「ええ、まあ」3歳親魚とはどうしても言えなかった。確かに3歳親魚としては小振りでどう見ても2歳魚見しか見えない。前年の春に隣の家に勝手に薬を撒かれて、大半の土佐錦魚が死んでしまうと言う不幸に見舞われてしまっていた。「何も言えなかったんですか?」「言っても聞いてくれる人じゃない」「今度撒かれたら本当に全...99年に

  • 96年の

    高知の秋の品評会を見てみると、高知城の近くの神社の境内で行われていた訳だが、当歳魚は3Lに満たない洗面器で、2歳魚はプラ盥、親魚がFRPの洗面器とそれぞれ分かれていた。入賞魚は優勝魚が金紙、2位から10位までが銀紙と別れていてとてつもなく大きい広葉樹の影に見え隠れしていた。初心者故高知の品評会は見学だけで済ましていたのだが、東京の品評会と比べても、ほとんどが長手で丸手は1匹もいなかった。親魚、2歳魚と出す魚は少なくて、特に親魚は入賞魚よりも等外の魚の方が少なかった。後ろはとても立派だが、体は鰓と体型がほぼ同じと東京の金魚とは真逆だった。仲が良かった井上さんと寺澤さんとは大変親しくさせて頂いたが、2000年頃には井上さんは品評会には出ず、秋の品評会の後に飼育場を見に行っても土佐錦魚は入ってはいるものの濃い青水で、...96年の

  • 昨日の夕方に

    暇な時はDVDを見返している訳だが、そんな中でもうビデオを取らなかった2008年の関東土佐錦魚保存会と2008年のトサキン保存会(第36回)のDVDが出て来たので割とじっくりと見てみた。勿論関東土佐錦魚保存会の会員の人の誰かが私に郵送して下さったのではと思う。住所氏名は全く忘れてしまったが。私見だが親魚に関しては圧倒的に関東土佐錦魚保存会の方がレベルが高い。2歳魚に関しては優勝魚が私の魚なので何とも言えない。何とも言えないが、2週間後の第1回の全国大会(トサキン保存会の)では順位が違っているので、あくまでも愛好家目線で判断をして欲しい。第1回の全国大会は11月の第4週の日曜日に開催された訳だが、この時は西日本トサキン保存会が11月の第3日曜日、池袋のトサキン保存会が第2日曜日、第1日曜日が高知のトサキンの集いと...昨日の夕方に

  • 水曜日の夕方過ぎに

    女房が、「2階の食堂を片付けていたら土佐錦魚のDVDが出て来たから、はいこれ」。30枚ちかくのDVDが見つかった。思いもよらぬ出来事だ。食事の後にDVDを見たが、まず95年のトサキン保存会(池袋の)第23回品評会を最初に見た。忘れもしない自分で採った当歳魚が18位になれた事だ。初めて池袋のトサキン保存普及会に出したのは前年の94年の事だが、まだ自分で採った土佐錦魚では無く、当歳魚は田中さんに譲って貰った土佐錦魚3匹と高知の野中さんに譲って貰った2歳魚2匹と順位は2歳16位が最高順位だった。その頃はモルタルの丸鉢と言うものはなくて、プラ盥で飼っていた。アスファルトの地面に直接置いていたので、夏は板を置いても40度近くになる。当然その頃は自然産卵で田中さんに分譲して貰った2歳2腹と4歳1腹と小規模な物だった。高知の...水曜日の夕方過ぎに

  • 油性のラッカーは

    一昨日の朝に業者に届けて貰った。月曜日は1日中雨で、泉さんが1時前に来られたこともあって、4時前までずっと金魚小屋の中にいた。本降りの雨ではあったが、女房が2日がかりでかたずけてくれたお陰で綺麗になっていた。私はかたずける事が全く苦手な性格なので、大変助かっている。泉さんは早速スマートフォンを取り出して、昨日の高知の品評会の様子を次々と見せて戴いた。「何名位参加されたんですか?」「30名位ですかねーー」「見物客は例年より多少少なかったですけど」「30名位なら参加人数は多いですね」。数年前よりも格段に土佐錦魚の質は向上している訳だし、東京の品評会と比べても当歳魚の尾の大きさが格段に違う。一昔前の高知の土佐錦魚よりもぐっと腹も出ていて目先は鋭く、目幅も狭い。私見だが当歳魚に限っては圧倒的に高知の土佐錦魚の方に軍配が...油性のラッカーは

  • 今朝水替えが

    あったが、余りにも冷たいので8時前から始めた。で、昨日の夕方にプラ船2個だけ予め水を貯めて置いたのだが、余りにも寒くて3分の2位で止めた、暗くなってきたし。で、8時前から水替えを始めたが手前のプラ船の水がほとんど残っていない。プラ船の横を覗くと掃気口が昨日業者に頼んだところが緩んでいる。よく見ると下の角材が掃気口に空回っていて、そこが漏れ出した理由だ。幸い他の空のプラ船が開いていたから良かったものの、空いていなければ致命傷だ。何とか角材を左手で推して掃気口を全部押して何とか直ったものの、危ないところだった。久しぶりの日記だったので忘れていたいたが、11月1日は高知の土佐錦魚の全国大会だ。多分もう審査は終わりかけだと思うが、(多分終わっている)福山市でも晴れなので高知も晴れだろう、全く関係ない事だが。。朝はデニム...今朝水替えが

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