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春夏秋冬 / 老い楽の詩 https://blog.goo.ne.jp/hennkyoujinn

老い始め老い逝くまで、楽よりも苦の方が多い。束の間だけでも喜びや感動、笑いあえる楽があれば幸せ。

星 光輝
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住所
福島県
出身
北海道
ブログ村参加

2017/04/09

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  • 家に帰りたい

    2022戦争を知る老人たちの思い冬の厳しさを知っているものほど、春を待ち焦がれている。それと同じように、さまざまな事情で家族から離れて老人保健施設などで生活している老人ほど、家庭復帰を待ち焦がれている者はない。「家なき老人」にしてみれば、「春」という言葉と「家族(家)」という言葉は同義語なのかもしれない。平成2(1990)年4月に入所した関かねさん(86歳、頚椎症による歩行障害、脳血栓、糖尿病)もいつ来るともしれない春に思いを寄せている一人である。一度、こんなことがあった。その年の12月、正月の外泊をひかえ、面会に来た長男(56歳)に対して、1泊でもいいから外泊したいという強い気持ちがありながらも、とうとう言えずじまいに終わった。なぜ、率直に外泊したいと言わなかったのか。家族に気兼ねしている理由はなんなの...家に帰りたい

  • 111歳のサタおばあちゃん

    2021長男が味噌汁を作ってくれたことが一番うれしかったサタおばちゃんが話してくれたこと私は、108歳の頃まで汗が流れるほど暑い夏の季節であっても、木枯らしが吹く寒い冬の季節であっても、毎日欠かさずシルバーカーを押しながら1時間余り散歩することを楽しみにしてきた。私は、明治41年10月22日、茨城県(旧)下館市五所村に生まれました。子どもの頃は、弟たちを背負い、着物と下駄で尋常小学校に通ったこともありました。尋常小学校4年の2学期まで通いました。その後17歳まで家事手伝い、18歳から農業を行ってきました。19歳のときに安達善一のもとに嫁ぎ、農業に従事しました。結婚後、1男5女の子宝に恵まれ幸せでした。夫にも赤紙(召集令状)が届き、戦地に赴き(おもむき)ました。留守を任されていた私の心は、いつも夫のことが心...111歳のサタおばあちゃん

  • 湯たんぽで躰を温めたヘルパー

    2020低体温犬も老いてくると体温調節が上手くできなくなる寒がりの”元気”、赤い服を着せた。ぐっすり眠っていたスマホの着信が鳴った。出てみると、ヘルパーから「小澤桐さん(67歳)が低体温の状態です」。低体温の様子を伺うと最近は雪が降り外気はかなり冷え込むでいる。部屋の中は寒々していて息は白い。マッチで点ける石油ストーブの石油タンクは「空」のまま。桐さんは尿で濡れたズボンを脱がすに薄い毛布を被っていたから余計寒く震えている。唇は紫、指の先まで氷のように冷たい。35.0を下回り、低体温症で死ぬところだった。濡れたズボンを取り替え(ガスは点くので)お湯を沸かし湯たんぽに熱いお湯を入れ彼女に抱きかかえさせた。熱いスープを作り食べさせた。躰は少しずつ温まり低体温から脱却できた。夫は、石油ストーブのタンクに灯油が入っ...湯たんぽで躰を温めたヘルパー

  • beagle元気と朝夕 8000歩 にチャレンジ

    2019福島健民アプリ昨日の散歩は「12345」と数字が並んだ福島県では県民の健康を増進していく取り組みとして「福島健民アプリ」をスマホにダウンロードし、万歩計により散歩推奨、体重、血圧も記録しています。自分は相棒のbeagle元気と、朝夕8000歩の散歩を行っています。歩く速度が遅くなり、40分かけ8000歩歩いています。大動脈弁閉鎖不全症のため走ることはできません。雨の日は元気は散歩に行きたがらないため、散歩は「お休み」雪の日は、元気が大ハッスルで雪の上を駆け回っています。今日日曜日はだらけた生活に終わってしまった。6時30分から1時間ほど6000歩の散歩をし、その後朝風呂。朝食後、那須ガーデンアウトレットへキャンバス(軽自動車、高速で20分、一般道路で60分)で買い物。仕事に履くアンダーアーマーのラ...beagle元気と朝夕8000歩にチャレンジ

  • ヘルプマーク

    2018”感謝”真っ白な路足跡のない路を歩くのは気持ちがいい3ヶ月に1回眼科受診すべきところを5カ月ぶりに行った。白内障術後の経過観察と緑内障眼圧のチェック。老いても眼が見えるのは幸せ。受診待ちのとき私の隣に座っている隣の女性(年齢は自分と余り変わりない哉)から「バッグにぶら下げているのは何ですか?」、と尋ねられた。「ヘルプマークです」。「ヘルプマークは、義足や人工関節を使用している方、内部障害や難病の方、または妊娠初期の方など、外見からは分からなくても援助や配慮を必要としている方々が、周囲の方に配慮を必要としていることを知らせることで、援助を得やすくなるよう、作成したマークです。私の場合は慢性腎不全症による内部障害で村役場福祉課に申請し頂きました。「過去に(15年前)人工透析の治療を受けていたことがあり...ヘルプマーク

  • .老人の呟き

    2017自分も老人冬の阿武隈川風景雪の風景を眺めると故郷(北海道尻別川)を思い浮かぶ「老人の呟き」老人は辛辣な言葉味のある言葉人生を振り返る言葉「無言」の言葉いろいろな言葉を発する老老介護老夫婦共々長寿の時代になった喜寿卒寿を迎え百寿の時代となった連れ合いのどちらかが寝たきりや重度の認知症を患い重度の要介護(要介護3~要介護5)になると老いた身の介護はしんどく辛いそれ以上に昼夜ベッド上で臥床しジッと天井を見つめながら呼吸(いき)をし拾年が過ぎた寝たきり老人寝返りも起きあがりも老妻(老夫)の手を借りなければできない我が身の不甲斐なさ、辛さ自分ならば拾年もジッとベッド上で耐えることができるであろうかそう想うと寝たきり拾年凄い忍耐力だと想う介護「受ける」介護「される」受身のある生活に見えてしまうけれど実際はそう....老人の呟き

  • 労いの言葉

    2016松さんが亡くなった2024年1月25日阿武隈川辺散歩路朝陽に照らされてbeagle元気と老い人の足跡ショート利用中食事中に詰まらせ亡くなった。予期せぬ死であった。薔薇の花を食べた89歳の認知症老人故松さん(女性)。無言でショートステイから家に帰った松さんの顔は、穏かな表情であった。言葉をかければ、いまにでも眼を覚ますかもしれない。自分は穏やかな表情で死にたい、と思った。老母の介護から解放され、本当に最後まで介護をされてきた長女。「できる限りのことはやったから悔いはない」「亡くなった父親が、もう俺のところに来いと母親を呼んだのでしょう」「ショートの施設に対しては恨みはなく、介護して頂いたことで感謝しています」「桜デイサービスには本当に助けてもらった。医院や病院の付き添いをしてくれたときは、本当に助か...労いの言葉

  • 老母の介護に疲れた その後2 「死んだように眠っていた」

    2015おかげ様で私も夜眠れるようになった冬の阿武隈川寒さを感じさせる白い川波令和6年1月23日撮影松さん(89歳)は、愛想はなく他のお客様が「おはようございます」と挨拶をしても無愛想で「・・・・」のまま自分から話しかけることようなことはない見るからに意地悪婆さんの雰囲気何もしないでいると「トイレに行きたい」と訴え椅子から立ち上がろうする傍に座り手を握ると落ち着く寂しがり屋なのか甘えん坊なのか昨夜は徘徊で活動していたせいか手は温かい眠いのかもしれない眠いからと言ってここで寝せては昼夜逆転を逆転させ昼起きて夜寝るのリズムに戻さねば桜デイサービスのスタッフはボールやゴムバンド、手拭いなどの小道具を使い手足を動かす運動を1対1で行ったときには他のお客様にも参加して頂き輪になり音楽に合わせ体操を行った午後は、スタ...老母の介護に疲れたその後2「死んだように眠っていた」

  • 「老母の介護に疲れた」その後

    2014老母松さん本当は、歩行介助は杖を着かない側に着くのがよいのですが、研修してもまだ理解ができていない介護職員もいます。反省しています。杖側の腕を持つと老人は歩きにくいですよね老母松さん(89歳)の夜間徘徊と3~5分間隔の「トイレに行きたい」という行動はいまも延々と続いているのかそれとも消失したのか気になるところです。松さんはⅡ型糖尿病の持病があり別の内科クリニックを受診中にあった。インスリン、服薬による薬物療法と長女真恵さん(62歳)の献身的な食事療法により(長女は、仕事をしていたので朝5時に起きて、老母のだけの糖尿病食を作っておられた。脱帽です)血糖値は安定していた安定していないのは不穏な行動「徘徊」と「トイレ頻回の訴え」私は長女の同意をとり隣市にある認知症専門医鎌田和志医師に電話を入れ初診の予約...「老母の介護に疲れた」その後

  • この先どうすればいいのか

    2013老母の介護に疲れた老いた母親の介護は疲れ果てた顔は一回りちいさくなり目は窪みどうしていいかわからないデイサービスからもショートからも「もうみられない」というようなことを言われてしまったこの先どうすればいいのかその夜ケアマネは駆けつけ長女の深く暗い悩みに耳を傾けた老母は,夜中十分おきに起きトイレへ行く数度夜中表へ出だし歩き始める外へでたときは後ろからついて行く「私の体のほうが悲鳴をあげている」「もう横になりたい」「もう眠りたい」と長女はか弱い声で話すようやく老母が認知症であることを始めて認めた長女長女は母親との軋轢を話してくれた娘からみれば母親ではなかった東日本大地震のとき「娘にやる米はない」と言われた「母ではなく鬼だと」思った母は何も変わってはいなかった子どもだったときから母親と温かい言葉を交わし...この先どうすればいいのか

  • とりとめのないブログ

    2013冬の雨阿武隈川冬景色那須連山の山々が眺望できる阿武隈川の辺1月21日冬の季節なのに雪はチョッとだけ降り朝から夜まで強い雨が降り続いた気が滅入り意欲喪失何もせずボォ~としていて怠惰な極まりない一日であったどこか近くの温泉にでも行き、ゆったりとし心まで洗ってきた方が良かったのかな明日は自治医大附属病院循環器内科外来受診夜明け前の4時に目を覚まし、4時半頃から40分間beagle元気と散歩5時30分には家を出る20:08点眼薬で瞳を潤したあと、至福の境地蒲団に滑り込む今日はとりとめのないことを書いてしまったおやすみなさいとりとめのないブログ

  • 「あの人は、どうして来ないのかなぁ~」

    2011”亡くなったときは知らせて欲しい”いつも違う場所から写した阿武隈川風景、右に見えるのは桜並木土曜日だと家族に会える家もあるので、在宅訪問をした。利用票に印鑑だけを押してもらう「宅配便」訪問にならない気をつけている。訪問を待ち焦がれている美代子婆さん(仮名91歳)。「いつも同乗しているお爺さんがいない」「どうして来ないのか気になる」来ない日が続くと、入院したのかな、施設に入ったのかな、死んだのかな、と頭の中で思い巡らしてしまう。1月9日デイサービスを休んだ。1月13日の福島民報のおくやみ欄にお爺さんの名前に目が留まった。「1月11日に亡くなっていた」。どうして来なくなったのか、そのときはじめて知った。デイサービスの責任者にそのことをお話ししたら「そう亡くなったの。他の利用者に言わないでね。動揺するか...「あの人は、どうして来ないのかなぁ~」

  • 笑えない話

    2010エンシュアと下痢止めエンシュア・リキッド(製):エンシュア食事がとれないときに用いる総合栄養剤です。栄養管理はどんな病気でも大事です。このお薬は、食事がとれないときや消化・吸収力が弱っているときに用いる総合栄養剤です齢は71歳で週3回人工透析の治療を受けている老人の話。一月当たりの年金受給額は20,000円僅か。偶数月15日年金が振り込まれると1週間位で食べ物に消えてしまう。お金も米もなく、食べる物がない。彼は「重度心身障がい者医療費受給証」を所持しておられ福島県内の医療機関、薬局での支払いは全額免除の適用を受けている。主治医にお願いし「食べる物がない」、と訴えエンシュアを1月分処方されます。透析治療を終えた後、ヘルパーが薬局までエンシュアを受け取りに行きます。ダンボール箱に入ったもので重量はあり...笑えない話

  • 息子の1周忌を送り、逝ってしまった老父

    2009居なくなるほど寂しいものはない2002このまま死にたいで紹介した板橋さんは、入院して4日後に逝かれた(合掌)。ご自宅で会った日が最後の別れとなってしまった。彼は、人工透析の他に胃癌、肺癌を抱え、在宅酸素されていた。息子の遺影がある下で死にたかった、その想いは痛いほど感じた。1年前、突然の心筋梗塞で亡くなったご長男。板橋さんは、「息子の生命(いのち)と自分が代わりになりたかった」、辛い想いで1周忌を迎え、ホッとしたのも束の間。きっと、息子さんがあの世から迎えにきたのかもしれない。「親父、今日まで頑張ったな」、と声なき言葉で話してくれたのかもしれない。今日まで居た人がもう居ない。「あなた」が居て「わたし」が居た。そのあなたはもう「居なくなってしまった」。居なくなるほど寂しいものはない。心にぽっかりと穴...息子の1周忌を送り、逝ってしまった老父

  • 寂しいと犬も話したがる

    2008話がしたいときどき、beagle元気の頭を撫でながら「何を考えているんだ」、と尋ねる83歳になるひとり暮らしの婆ちゃんがいる。歯は数えるくらいしかない髪は抜け落ち地肌が目立ってきた(そういう自分も後ろから見ると毛は抜け落ちた)糖尿病、心不全、脳出血があり毎日インスリン注射をされているが自己流で体調により単位数が変わってしまう。いまは、貧血が進み、血糖値コントロールができていない。そのため腎臓に負担がかかり、クレアチニンがかなり悪い。主治医からは「2週間入院すれば、血糖値も安定するからどうかな」と尋ねられるが、「入院できない」と断ってしまう。自宅には14歳になる老柴犬と暮らしている。「仲ちゃん(男の子)」と呼ぶと傍によってくる。寂しいのか、寄り付き頭をすりすりし甘える。犬は、人間(飼い主)の言葉はわ...寂しいと犬も話したがる

  • 鼠と棲む暮らし

    2007鼠と共生するひとり暮らし婆さん夕焼けの阿武隈川いま自分は、居宅介護支援事業所(介護相談、在宅ケアプラン作成、ケアマネ1名)と訪問介護事業所(ヘルパー常勤3名パート2名)の2つの介護サービスを行っている。70台半ばのお婆ちゃん(脳出血後遺症左半身麻痺)の生活援助(掃除、調理、服薬確認)のサービスを週3回担当することになった。それで、サービス担当者会議が行われ、訪問介護事業所のヘルパー(サービス提供責任者)と自分が参加した。(自分は契約書、重要事項説明書の説明をするために同席)そのケースのケアマネは事前に鼠屋敷であると聞かされていた。昔作りの家でポットん便所だったのかな・・・・。暖は、練炭が玄関に沢山置かれ、堀炬燵のなかに練炭がある。炬燵テーブルや畳、台所のテーブルやフライパンなどに鼠の糞が無数に散ら...鼠と棲む暮らし

  • 沢蟹の脱皮

    2006脱皮脱皮した沢蟹抜け殻腹部抜け殻背部那須町のグッドニュースに行ったとき道端で小さな沢蟹がジッとしていました。死んでいるのかな、と思いwifeが掌に乗せ様子を伺うと僅か横歩きをした。そのまま道端に置くの心配だった。人混みで、踏み潰されてしまうのではないか、と危惧し自宅に連れ帰った。虫かご用のプラスチック容器を買い求め食卓脇のカウンターに置いた。グッドニュースで出会ったので名前は「グッド」とつけた。毎日wifeは水を取り替え鰹節やご飯粒を与えてきました。朝、沢蟹が死んだのかな?と不安顔ネットで調べたら、脱皮の最中にあった。なかには脱皮が上手くできず死ぬこともある。それから1時間後、完全に脱皮した沢蟹死なないで脱皮できた。沢蟹は脱皮し、成長したのだ。老いた自分はもう脱皮できそうにもない。脱皮とは、次のス...沢蟹の脱皮

  • 僕らはみんな生きている

    2005犬の十戒日曜の朝wifeから「犬の十戒」の話を聴いたのです。「犬の十戒」は、犬だけでなく、人にもあてはまり生きていく上で大切な戒めであることに胸に深く刻まれました。何だか、惚け老人(いまは「認知症高齢者」と呼ぶ)に対するかかわり方にも共通する「犬の十戒」。犬と惚け老人を一緒にするな、と思われる方もいらっしゃるかもしれない。でも、犬も人も同じ生き物であり、同じ「生命(いのち)」です。認知症老人とかかわっていく上で「犬の十戒」から教えられました。・気長につきあう。焦らず「待つ」ことが大切です。・「また同じ話を何度もするの」「さっきも聞いた」「だれも財布を盗ってはいない」等など、否定されるが、私の話を聴いてください。・認知症になっても、感情は残っています。心があることを忘れないでください。・あなたから見...僕らはみんな生きている

  • ある言葉

    2004ゴールのないマラソン8年前のbeagle元気羽鳥湖近くのドッグランで力の限り走り抜ける(当時2歳)土曜日の午前中はチョッと息抜き韓国ドラマを観ていたとき、グッと胸にくる言葉に出会った。病気の家族の世話(介護)は、ゴールのないマラソンです。苦しくても誰も代わってはくれない。でも、止まりもしない。結局、戻りまた、走ります。家族のために走れます。日本も韓国も中国も家族を重んじ大切にします。家族だけに病気、障害の家族を押しつけ、本人にとり在宅で暮らすこと(家族と住むこと)が一番だ、と決めつけてしまうと重荷になってしまいます。その重荷をときには誰かが背負ってくれる社会の手が必要です。22時前には蒲団に入ろうと思うも今日は23時になってしまった。明日は日曜日、「寝日曜日」とし元気には悪いが7時過ぎに散歩に出か...ある言葉

  • 73歳まで働いていた

    2003(誕生日を迎えると)今年93歳になる。長生きしたな・・・・冬の那須連山今日は9時から11時過ぎまで介護タクシーの運転と付き添いをした(通院等乗降介助)。92歳のお婆ちゃんは、一度に内科医院と整形外科クリニック受診の日である。嫁さんが朝早く順番取りに行かれる(内科は10番目、整形外科は21番目)。いつも整形外科が先なのだが、今日は内科を先にした。車を降りてからは手をつないで歩く。ヘルパーの話だと、私と手をつないで歩くのが嬉しいみたいですよ、と冷やかす。杖はつくもふらつきはある。左手に彼女のバッグを持ち、右手で手をつかむ。院内は後ろから見守り。診察室まで同席し、医師から話されたことは、家族に報告する(不在のときはライン)。待ち時間のときは、世間話などいろいろと話に花が咲く。バッグに猿の飾り物を付けてあ...73歳まで働いていた

  • 躰がだるくて透析は休む

    2002このまま死にたい7時30分過ぎにスマホが鳴り、📞のマークを横に滑らせた。「本人が、朝来たらまだベッドのなかで寝ていて、今日は疲れて躰はだるく透析は休む」、と話しています。「介護タクシーには間に合わないので、病院までは私(妹)が車に乗せていきます」。「立つことも歩くことも覚束なく、車に乗せることが無理なときは救急車を呼び、病院(透析センター)まで搬送した方がいいかもしれませんよ」妹さんから電話頂いたあと、自分のスマホに「板橋」さんからの着信があり、電話にでた。まだ眠剤の効き目が残っているせいか、呂律が回らず発音不明瞭なところがあったけれど、「今日、透析に行かない」の言葉が聞き取れた。「躰がしんどいですか。飯は食べたか」「食べる気がしない」「躰は怠いですか」「布団(ベッド)から起きたくない、このまま眠...躰がだるくて透析は休む

  • ジッと死に向かって生きる

    2001ジッと死に向かって生きる昨日,キャンバスで約2時間をかけ83歳の素敵なお婆ちゃんに会いに行って来た。(介護相談を担当させて頂いているひとりの女性)彼女は、悪性の外陰部癌の診断を受けた。疼痛に耐え、ジッと生きている。独り暮らしの彼女は、いま、サービス付き高齢者向け住宅に棲む。彼女は寂しく、か細い声で話してくれた。「神様は私には幸せをもたらしてくれなかった」「人生の最後まで癌に苦しみいまは死を待つだけ」癌の痛みは本人だけしかわからない痛み。手足は痩せ細り棒のよう両脚を動かすと激痛が走りその痛みが顔に現れいたたまれない。彼女は「痛い」と言わず、笑顔で「(会いに来てくれて)ありがとう」と話される。後、数日の生命かもしれない・・・・ジッと死に対峙し生きている。医師、看護師そしてケアスタッフが、彼女の居室を訪...ジッと死に向かって生きる

  • 2000回を迎えた『老い生いの詩(老い楽の詩』

    苦悩を背負いながら死に向かって老いを生いきて往く朝陽の光に照れされた那須連山の雪景色はピンク色に染まった今日で拙いブログ『老い生いの詩(旧老い楽の詩)』は、2000回目を迎えた。1回目のブログは、2017年4月9日のことであり、6年9月が経った。途中何度もブログが絶えながらもこうして再び㍶に向うことができるのは、皆様のお陰です。ポッチとクリックやコメントの声援、応援ありがとうございます。「感謝」「感謝」「感謝」の気持ちです。脳卒中などの病気で手足はままならず杖を頼りにふらつきながら歩いている老人。チョッと前に桜の花を観てきたことも忘れ、自分は何をしようとしたかもわからなくなった老人。要介護老人達に囲まれ我が身の老いと重ね合わせ在宅介護のなかに垣間見る「老いの風景」を描き生きること老いること死することの意味...2000回を迎えた『老い生いの詩(老い楽の詩』

  • 「傘がない」

    1999認知症老人は、「いま」生きている東北の玄関口(白河の関)、8cmほどの積雪。6時20分頃の朝焼けです{散歩風景}認知症老人は、「いま(今日)」、生きている。昨日のことを振り返ったり明日のことを考えたりはしない。いま、自分はどうしてよいか、わからず、困っている。「まだ、ご飯を食べていない」「さっき、夕ご飯食べたばかりでしょう」「いや、食べていない」、と訴える。「食べたでしょう」と、説明したところで、当の本人は”いま、ご飯を食べたい”、そのことが一番の関心事であり問題なのだ。「いま、ご飯を炊いているから、あと10分で炊き上がるから、待ってね」、と言葉をかけると、気持ちが落ち着く。「さっき、食べたでしょう」、と話したところで、余計に言動が不穏になってしまう。19歳の頃、井上陽水「傘がない」が流行した。♪...「傘がない」

  • 「老人」と「高齢者」

    1998老人について散歩の途中、立ち止まり何人の無病息災無事故を祈るいつの頃だか調べればわかることだが、いまそれはさして重要なことではないので触れない。それは、町村役場市役所の窓口は「老人福祉課」から「高齢者福祉課」に変わり、行政から出される文書でも「老人」という言葉は消え去っていた。介護サービスにおいても、要介護老人とは言わず要介護高齢者と記されている。齢を重ね重ね65歳の門をくぐると、法的には高齢者となり介護保険法では第1号被保険者となる。「高齢者」と呼んだり書いたりすることに、抵抗感はそんなに無い訳ではないが、自分のなかでは、シックリこない。「高齢者」の文字からは、齢を重ねてきた人であることは「わかる」。それに対し「老」「人」の文字は象形文字であるため、老人に対してイメージが浮かびやすい。「老」は、...「老人」と「高齢者」

  • (続き) 病院自慢

    1997不幸比べ右端に富士山が写っている。冬は関東平野から富士山が見える昨日はスマホの画面で入力していたので、時間がかかり途中でやめてしまった。齢42歳に原因不明の慢性腎不全症になり、人工透析をしたのは53歳。56歳のとき腎臓移植をした。慢性腎不全症はいまなお「健在」であり、いまは血栓症も患い、既往歴も含め13を数える。自分も病気自慢の一老人になったのか・・・・、と他人にそう映ってみえる。病院、医院(クリニック)、デイサービスに通う老人たちは入れ歯が落ちないか、と心配するほど大きな声ではなしている。「死にたいよ」「早く迎えにこないかな」、と囁きながらも通院をされている。「脚が痛い」「肩が痛い」、と医師に訴え、湿布薬を頂く。「肩は痛く」ても手は上がる。杖使用のはずだが、杖なしで歩いている。本当に「痛い」とこ...(続き)病院自慢

  • 病気自慢

    1996また、ひとつ病気が増えた今日は、2024年最初の自治医大附属病院消化器外科受診。昨年暮れに胃と大腸の内視鏡検査結果を聞くためであった。胃は問題なし。大腸の奥に8㎜の長さでポリープがあった。女医の説明では、問題ないポリープだが、放置しておくとポリープが変質し予期せぬことが起こる心配がある。日帰りでポリープ切除できるということで、2月5日に決まった。ワーファリン効き目の状態如何でポリープ切除がなされるかきまる。病気自慢

  • 透析患者通院交通費補助金申請手続きは、ケアマネの仕事ではない

    1995透析患者通院交通費補助金申請手続きは、ケアマネの仕事ではない、本当にそうなのか・・・?冬朝靄の阿武隈川透析治療を受けておられる高齢者の相談と2名の透析患者通院交通費補助金申請に関する手続きを行った。それは透析治療を受けている本人及びその家族が申請手続きをするものだから「そこまでしなくても」、と地域包括センターの責任者から苦言を頂いた。しかし、そうは言っても要介護認定を受けていない「自立」した老人だから、と言ってかかわらないわけにはいかない。町でも初めての透析患者通院交通費補助金申請だったので、相談に来た家族(老妻)に、該当になるかどうかわからない、県に問い合わせた結果、「通院交通費補助金申請」を受付ることは難しい、と話され家族は気落ちし、諦めてしまった。自分は「そんなことはない、該当になる可能性が...透析患者通院交通費補助金申請手続きは、ケアマネの仕事ではない

  • ブログのタイトル変更 『老い楽の詩』から『老い生いの詩』へ

    1994ブログのタイトル『老い生い』に変更した老人という言葉の響きから、老人は負のイメージがあり、いつの間にか「できた」ことが「できなくなった」り、惚けてきたりする。鏡の前に立つと「おまえは誰だ」、と叫ぶ認知症老人の言葉に、自分に向けられた言葉なのか、とはッとさせられてしまう。顔躰は老醜の呈となり喪失の時代にある。そんな老いに抗い、老いは楽しく生き往くものだ、と捉え過ごしてきた。老いてもまだ仕事をせねばならない躰にあるけれども、死のことが気になりだしてきた。老いの身にある自分。老い生いのはかなさと無力さを思う。物はいつか失くなる。貧しさのなかに育ち、「高度経済成長」とテレビに毒され生きてきた。いつの間にか、物欲に溺れ大切な心を見失ってきたのではないか。老いたいまになって気がついた。そんな生きることのはかな...ブログのタイトル変更『老い楽の詩』から『老い生いの詩』へ

  • 能登半島地震

    1993能登半島地震被災者皆さま心からお見舞い申し上げます思わぬ能登半島地震が起こり厳しい寒さのなか、被災者皆さまのことを思うといたたまれない気持ちになります。何もできない自分の無力さに情けなくなります。地震が起きた日だけは各局は報道されていました。昨日は何事もなかったかのようにいつもの番組が流れている。大災害に対し人間は無力ではあるけれど人間の智恵(知恵)と共助で復旧し一日も早く日常の生活に戻れることを願う。私利私欲の政治家の皆さまいい機会です。贖罪の気持ちで裏金を震災復興の支援金に回して欲しいものです。能登半島地震

  • 蜉蝣(かげろう)はその日だけの命

    yahooの画像より引用水の中に新しい命を産み落とす雌蜉蝣蜉蝣(かげろう)はその日だけの命蝉と並んで短くはかない命を生きるかげろう(蜉蝣)人の命の一生のはかなさをたとえて「かげろうの命」と言う。(稲垣栄洋著『生き物の死にざま』草思社44頁)かげろうはトンボに似ているがトンボのように颯爽と風を切りながら飛ぶことができない。かげろうは、空気が揺らめく、空気に浮くような感じで空を舞う。陽炎も空気がゆらゆらと揺らめいている蜉蝣の揺らめきは、陽炎に似ている。頼りなく空を舞うかげろうは、成虫になって一日で死んでしまうことから「かげろうの命」と言われ、はかなく短い命に喩えられる。かげろうも、はかなく短い命であっても、子孫を残すために生きる。「その日だけの命」のかげろうに比べ、何十年も生きられる自分の命の長さに自分は、何...蜉蝣(かげろう)はその日だけの命

  • 具不退転

    1992具不退転筑波山を眺めながら初日の出1024年が始まる。「具不退転」の気持ちで、要介護老人たちの移動支援サービスに挑む。安全を隣に乗せる心がけを忘れずに「命」を運ぶ。普通自動車運転免許証を返納された地域の高齢者。いつでもどこでも、自由に通院や買い物ができる地域の高齢者の足になれれば、と思う。齢71から72になる、辰男の年。60日以上もblogが途絶え、画面は黒から白に変わり果てた。1024年になったことをキッカケにpcに向かう。これからは一日生きるごとに、終焉が一日近づく。そう思うと今日という時間を無駄にせず「生きる」。小さな幸福感に浸れるような出来事に遭遇したいものだ。物忘れは増えた、とwifeから苦言され近いうちに頭の中をMRIで覗いて見なければ、と思い認知症専門医に受診することにした。読むこと...具不退転

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