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春夏秋冬 / 老い楽の詩 https://blog.goo.ne.jp/hennkyoujinn

老い始め老い逝くまで、楽よりも苦の方が多い。束の間だけでも喜びや感動、笑いあえる楽があれば幸せ。

星 光輝
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住所
福島県
出身
北海道
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2017/04/09

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  • 通院の日

    1975<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/2d/537c324c57aa3a4553b4d3789c8f41fa.jpg"border="0">朝4時12分から33分間の散歩時の空模様今日は自治医大附属病院腎臓外科の定期受診のため3月45分蒲団から這い出す。ビーグル元気と散歩本当に暫くぶりの朝焼けに遭遇。朝風呂は入り家庭菜園の胡瓜2本もぎ取り義母へのお土産。9時診察予定今日はとりとめのない話で終わりにします通院の日

  • 老い方死に方

    まだ子どもなのかもしれないときどきメロンソーダを食べたくなり(飲みたくなり)、オーダーすることがある1974老い方死に方にんげん、誰しもこの世に生まれ、生き、そして死ぬいつその生が途絶えるかは、誰もわからない。できれば長生きし幸せに穏かに最期を迎えたい、と思う。自分は齢70を重ね、今夏で71になる。wifeと齢22の差がありwifeが年金受給できる齢までと考えると87歳になる。多病疾患(慢性腎臓病、心不全等10の既往歴を持つ)なため87歳まで生きれるかどうか不安だけれど、そこまでは頑張りたいと思う・・・(年金受給できる年齢が70歳に延ばされてしまうと92歳は厳しい・・・・)。そう思っても人生の幕は突然降りることもある。いつ死んでもいい、と言えるほど,まだ、やりきっていないことがある。ひとそれぞれの老い方、...老い方死に方

  • 似ているようで違う

    1973心配性と物忘れ季節外れの虹97歳のお婆さんの身体介護に出かけようと家を出ようとした。wifeから「居間の引き戸(掃き出し口))の鍵を締めたかどうかわからないので見てきて欲しい」自分「(wifeが)見て来いよ」wife「心配性なんだからわかっているでしょう」玄関を開け家のなかに入り居間の引き戸の鍵は締まっていた。アルトの助手席に乗ろうとしたらwife「事務所(さくらさくら介護支援センター)の窓が開いているよ」「いつも忘れるんだから」自分「締めてきたはずなのに・・・・」wife「私は心配性で不安になるけど、物忘れが目立ち惚けてきたの・・・・」wife「心配性と物忘れは違うよ」また玄関を開け、事務所の窓を締めてきた。アルトに乗ろうとしたら、玄関を締めたかどうか不安になり戻り玄関のドアを開けようと引っ張っ...似ているようで違う

  • 「床ずれ」なしの看取り

    1972自分は、なかなか死ねない訪問診療医師とヘルパーの共同ケア文乃さん(97歳)は約一月前から寝たきりになる前「自分は、なかなか死ねない」、と話していた言葉を思い出した。先週の月曜日初めての訪問診療のとき医師は「あと2,3日かな」と・・・・訪問看護師、ヘルパー、ケアマネも長男夫婦もそう思っていた。2週目の訪問診療に医師が訪れた。背中は猫背になり両足は「く」の字に屈曲しているため先週は医師が一人で、腹部にプラスチック製の針が思うように刺すことができず難儀されていた。看護師がいないため、手助けをしてくれる人がいない。傍で見ていた自分も手助けはしたが、次回からはヘルパーが必要と思い「身体介護」を入れた。腹部に針を刺すとき文乃さんの躰を支えたり、ずれたおむつを直したりしたので、医師としてはとても助かった、と感謝...「床ずれ」なしの看取り

  • いまが幸せなんだ

    1971一日一日が大切な宝物新堂冬樹『虹の橋からきた犬』集英社文庫『虹の橋からきた犬』の8ページに「犬の一日は、人間の一週間の速さで流れる。人間にはなにげない一日でも、犬には大好きな飼い主と触れ合う一日一日が大切な宝物なのだ」。犬と飼い主との朝夕の散歩は、なににも代えがたい貴重なひとときである。家族のひとりである元気(beagle10歳)は「何を考えているのか」、などと思うことがあるけれどそれは人間の勝手な考えだけで、犬は人間の感情を敏感に読みとります。ワンマン社長であった南野は、隣の老人から子犬のゴールデン・レトリバー”パステル”を一時的に預かったつもりが最後まで暮らすことになった。パステルの純粋さに触れることで、孤独な南野はこころの余裕を取り戻していく。パステルは膀胱癌を患い、「あと、一、二カ月の余命...いまが幸せなんだ

  • 名も知らぬ植物

    1970名も知らぬ植物暑かったり寒かったりの繰り返しで躰がおかしくなりそう特に犬は毛皮を纏(まと)っているだけに可哀想早朝散歩でも水の携帯は必須阿武隈川の辺を散歩していると無知な自分は綺麗な花に出会っても花の名前がわからないわからないなら知ろうと、机の前に座るわけでもないたんぽぽの花は咲いたあと綿毛となり風に乗り大空に旅立つ今日はたんぽぽの花に似ていて花が散ったあとに綿毛よりも硬い毛となったのかな、と思った。日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、評論家でもあり「知の巨人」と言われた立花隆のように無限な知の世界へのめり込んでいく。いまの仕事を終えたら野花のことを知ろうと思う。名も知らぬ植物

  • 発砲スチロールの「皿」に変えた

    blogでは紫陽花を鑑賞させていただいている。今年初めて「生」の紫陽花を観た。生ビールと同じく紫陽花も「生」がいい。1969嫁に皿を投げる婆さん寝たきりになってもどういうわけか爺に比べ婆のほうが元気である大正14年生まれ91歳になる大熊ステは正岡子規と同じく24時間臥床の生活にあっても気に入ったおかずは食べるが気にいらないおかずは握りつぶすときには皿を投げてしまったりするので長男嫁は発砲スチロールの「皿」に変えてみた瀬戸物の皿に比べまっすぐに飛んでこない当たっても痛くない長男嫁の「勝ち」。発砲スチロールの「皿」に変えた

  • 目もない、手足もない、ミミズ

    1968ミミズ昨日は大雨が降り、寒い一日であった。今日の朝、阿武隈川の辺散歩路を歩いていると数多くのミミズの死骸にあった。10分間ほどミミズの死骸を数えてみたら177匹小さな命の終わりに心のなかで合掌した。子どものころ「ミミズに小便をかけてはだめだ」、と親に言われたことを思い出した。地面を這いつくばっているミミズをよく見たことがない。ミミズは目がなく、手足もない、紐状(ひもじょう)の動物と言われ目見えずから「メメズ」、転じて「ミミズ」と呼ばれるようになった。土のなかに棲み、ミミズが棲む畑は「良い土壌」である、と評価されている。過剰な窒素肥料や殺虫薬を使うと、ミミズは棲むことができなくなる。昨日のような大雨が降ると、大雨は酸素が少ないため土壌からミミズは這いだしその結果、数多くのミミズが路頭に迷い、白くなり...目もない、手足もない、ミミズ

  • その人の持っているやさしさや感情は失われずにある

    1967/老母親の想い、子の想いにんげんは外に出たがる「生き物」。「徘徊」という言葉は不適切。にんげん、何か目的があるから「歩く」のだ。齢(よわい)を重ねるにつれ、物忘れや家事の一つひとつを最後まで成し遂げることが怪しくなってきた土田光代さん(仮名86歳)。息子との二人暮らし。不二雄(長男)さんは、新幹線が停車するK市駅の近くにあるデパートに勤めているため、日中は一人家で過ごす。数年前から認知症が進み、息子宛てに電話がかかり、息子が家に居ても、「家には居ない」と受話器を手にしながら話している。紳士服売場での仕事は時間通りに終えることができないため、家路に着くのは21時を過ぎてしまうことも多い。家のなかは静寂であり、老いた母親はもう寝床で眠りについていた。キッチンに行き電気釜の蓋(ふた)を開けてみると、手つ...その人の持っているやさしさや感情は失われずにある

  • もう一度人生をやり直せるなら・・・・

    いつもと違う処から撮った阿武隈川の風景1966『95歳の老人の詩』どこのだれで、どこに住んでいたのかもわからない「出典不明」の『95歳の老人の詩』もう一度人生をやり直せるなら・・・・今度はもっと間違いをおかそう。もっと寛ぎ、もっと肩の力を抜こう。絶対にこんなに完璧な人間ではなく、もっと、もっと、愚かな人間になろう。この世には、実際、それほど真剣に思い煩うことなど殆ど無いのだ。もっと馬鹿になろう、もっと騒ごう、もっと不衛生に生きよう。もっとたくさんのチャンスをつかみ、行ったことのない場所にももっともっとたくさん行こう。もっとたくさんアイスクリームを食べ、お酒を飲み、豆はそんなに食べないでおこう。もっと本当の厄介ごとを抱え込み、頭の中だけで想像する厄介ごとは出来る限り減らそう。もう一度最初から人生をやり直せる...もう一度人生をやり直せるなら・・・・

  • 躰(み)の置き場がない

    BSNHK『ラストドライブ』を鑑賞した。ドイツでは元ソーシャルワーカー、元消防士、看護師などの人たちがボランティアで、ホスピスで生活している末期癌などの人に対し、最後(最期)に行きたいところへは何処かを聴きだし、その願いを叶えていく。海やレストランや自宅など本人が希望しているところへ外出することができる。車は救急車をモデルにし酸素機器やストレッチャーなども装備されている。砂浜を容易に移動できるタイヤが太い車いすはオランドの海岸にあるレストランで無料で貸し出しをしてくれる。日本ならば「それは無理」、と言われるような状態でも、行きたいところへの願いを叶える。1965躰(み)の置き場がない深夜0時23分に眼が覚めた。躰(からだ)がだるくて眠れない。自分の躰ではない、と思うほど躰(み)の置き場がなかった。躰は疲れ...躰(み)の置き場がない

  • 石のぬくもり

    1964石のぬくもり路傍の石は動くことはできずジッと地面と空を見つめている小石を手のひらにのせ小石を握ってみた小石にもぬくもりを感じた左手は握り拳(こぶし)の如く曲がったまま拘縮両膝は「く」の字に曲がり脚を伸ばせないひとりで寝返りることもできない躰染みついた天井を一日中眺めている老いた妻は野良に出かけねたきりの夫はベッド上で留守番黒電話は鳴ることもなくヘルパーが来るのを待っているジッと寝ている老人の体と心は寂しく石のように冷たくなった躰還暦を過ぎたヘルパーは拘縮した左手の指をゆっくり解(ほど)き解し手のひらを握り言葉のかわりに握り返す老人のぬくもりが微かに伝わってくる温かいタオルで躰を拭くと老人の肌は薄ピンク色に染まってきた路傍に咲いていた名も知らぬ花を小さな花瓶に飾り「また来るね」、と手のひらを握る{加...石のぬくもり

  • 時間がざざらざらと私からこぼれる

    銚子岬から臨む朝の海1963時間がざざらざらと私からこぼれる(再掲)blogno.1273/2019-11-07高見順『死の淵より』講談社文芸文庫の94頁に「過去の空間」がある。『死の淵より』に邂逅したのは(自分は)32歳のときだった「過去の空間」の最初の連に手ですくった砂が痩せ細った指のすきまから洩れるように時間がざらざらと私からこぼれる残り少ない大事な時間が咽頭癌を患い死を宣告された作家高見順夏海辺で子どもと砂遊びに戯れたとき砂山や砂の器など作ったことを思い出すそのとき指のすきまから砂が洩れ落ちる何度も何度も手で砂をすくい砂の山をつくり次に砂山の下を掘りトンネルづくりに挑む高見順の場合手ですくった砂が癌で痩せ細った指のすきまからざらざらとこぼれ落ちる指のすきまから落ちゆく砂も砂時計の砂が流れ落ちてゆく...時間がざざらざらと私からこぼれる

  • 時間がない

    1962呼鈴呼鈴を鳴らすと息子が飛んで来る96歳の文乃婆さん昨日ヘルパーに「(私は)時間がない」、と話しかけた。文乃さん自身そう長くは生きられない、と感じているようだ。つねに傍に誰かが居ないと寂しくて、呼鈴を何度も打ち続ける。口から食べなくなってきた。毎日のようにヘルパーがサービスに訪れる時間に自分も「おじゃま虫」をしている。何もできないのだが、文乃さんの躰の向きを変えるとき反対側に居て頭や躰を支える。「水が飲みたい」、と訴えた。長男嫁は気をきかして「ぬるめの水」を吸い飲みに入れてきた。一口、二口飲んだあと「冷たい水」、と催促した。長男嫁は笑いながら「冷たい水」に入れ直し、口元に吸い飲みの先を入れ、冷たい水は喉元を通った。文乃さんにとり冷たい水が飲めたことそれは生きようとする彼女の姿を感じてしまう。文乃さ...時間がない

  • 幸せ

    1960幸せ幸せって誰かを大切にすること幸せ

  • 『インビクタス/負けざる者たち』(2009)

    1960ワールド・イン・ユニオンWorldInUnionラグビーワールドカップ公式テーマ曲はホルスト『木星』There'sadream,IfeelSorare,soreal私には大きな夢があるとても大切なすばらしい夢AlltheworldinunionTheworldasoneすべて国々が結びついてひとつの世界になることGatheringtogetherOnemind,oneheartあらゆる人々が手をたずさえひとつの思いひとつの心にEverycreed,everycolorOncejoined,neverapartすべての信条すべての肌の色が垣根を越えてひとつに集まるSearchingforthebestinmeIwillfindwhatIcanbe自らの可能性を探りながらそれぞれの力を発揮していくIf...『インビクタス/負けざる者たち』(2009)

  • 介護の世界も金次第

    1959ロストケア{3}必要な介護が受けられない葉真中顕『ロストケア』光文社文庫「地獄の沙汰も金次第」という言葉がある。介護も同じである。介護の世界も金次第。『ロストケア』(54頁)「残念ながら、介護保険は人助けのための制度じゃない。介護保険によって人は二種類に分けられた、助かる者と助からない者だ」老人福祉をビジネスとして民間にアウトソーシング(外部委託)すること。それが介護保険の役割だ(54頁)介護保険法が施行される前の老人福祉法では、老人福祉や介護の整備は行政の責任であった。介護保険法施行以後、介護事業所の指定権限は県、市町村にあり、介護事業所の運営は民間業者に任せたことで、行政の責任は免れ、民間の介護事業所を実施指導の名の下で締め付け、そして介護保険サービスが使いずらくなってきている。教員の資格に比...介護の世界も金次第

  • 小さな小さなサボテンを買ってみました

    1958サボテンの開花が待ち遠しいサボテンの育て方もわからぬままサボテンを机に飾ってみました咲きそうなサボテンの花を道の駅喜連川で買ってきた。休眠期と活動期のバランスをとりながら育てていくのが「コツ」らしい。育て方がわからないまま、家族の一員として迎え入れてしまった。花には花の夢があるのでしょう・・・・。サボテンの花に癒され、生きていければ、と思います。小さな小さなサボテンを買ってみました

  • 美味しい~水が飲めて、満面の笑顔

    1957何も混じっていない「ただ」の水が飲みたい小雨に濡れた花冷たい水を浴び喜んでいる紫色の花(路端で)96歳の文乃婆さんが2週間ぶりに家に帰ってきた。「家に帰り~たい」と叫んでいた。ご主人の写真が飾られている仏壇の前にベッドを置き、起きあがるとご主人の顔を見える。彼女の隣に息子の簡易ベッドが置かれていた。最近、誤嚥性肺炎で入院したことから、病院ではトロミを混ぜた水を出されても口を閉じ、飲むことを拒否していた。病室では、「ただ」の水(トロミが混じっていない水)が飲みたい、と訴えても駄目だった。喉の渇きを感じ、冷たい水をどれほど飲みたかったか。体力もかなり落ち、いつ心臓が止まってもおかしくない状態にある。在宅酸素機器も置き、0.5の酸素を流している。家族は、本人の願いを聴き、口から水やお粥ではないご飯を食べ...美味しい~水が飲めて、満面の笑顔

  • 帰る生家がない寂しさ

    1956故郷の廃家子どもの頃自分が住んでいた故郷の家を思い出す「故郷の廃家」作詞犬童球渓作曲ウィリアム・ヘイス(アメリカ)幾年(いくとせ)ふるさと来てみれば咲く花鳴く鳥そよぐ風門辺(かどべ)の小川のささやきもなれにし昔に変らねどあれたる我家(わがいえ)に住む人絶えてなく昔を語るかそよぐ風昔をうつすか澄める水朝夕かたみに手をとりて遊びし友人(ともびと)いまいずこさびしき故郷やさびしき我家や十九の春連絡船で津軽海峡を渡り青森駅から急行列車に乗り仙台駅で降りた。仙台駅前の交番で安宿の旅館を紹介してもらい半年間その駅前旅館で3畳間の物置部屋に住み掃除をした後、福祉の大学に通った。その後蒲団袋と段ボール箱一つタクシーに乗せ、同級生の貸家に転がり込んだ。福祉学科を卒業し47年が経った。老いたいま、故郷を棄てた自分にイ...帰る生家がない寂しさ

  • 介護殺人で救われた人がいた

    19551954ロストケア{2}路端に咲いていた花たち離婚した羽田洋子(38歳)は生まれたばかりの颯太を連れ、年金暮らしの母(71歳)が住む家に戻ってきた。あれから6年が経ち、母は駅の階段から転げ落ち、腰と両足の骨を複雑骨折した。それがきっかけで母は歩けなくなり寝たきりになり、いま思えばあれが(介護)地獄の始まりだった。洋子は仕事の他に子育ての他に母の介護まで背負うことになった。離婚したとき、乳飲み子を抱えた娘を受け入れてくれた母。今度は私が寝たきりになった老母を受け入れる番だと思い、献身的に(介護を)尽くした。認知症を患った母は、心を尽くして介護をしてくれている娘の名前も顔もわからなくなっていた。認知症は母の人格そのものを変え、母が母でなくなっても、「家族だから、面倒をみなくてはいけない」。そんな義務感...介護殺人で救われた人がいた

  • 介護現場に溢れる悲鳴、介護殺人

    1954ロストケア{1}映画『ロストケア』あらすじ早朝の民家で老⼈と介護センター所長の死体が発⾒された。犯⼈として捜査線上に浮かんだのは死んだ所長が務める訪問介護センターに勤める斯波宗典(松山ケンイチ)。彼は献身的な介護士として介護家族に慕われる⼼優しい青年だった。検事の大友秀美(長澤まさみ)は斯波が務める訪問介護センターで老⼈の死亡率が異常に高いことを突き止める。この介護センターでいったい何が起きているのか?大友は真実を明らかにするべく取り調べ室で斯波と対峙する。「私は救いました」。斯波は犯行を認めたものの、⾃分がした行為は「殺⼈」ではなく「救い」だと主張する。斯波の⾔う「救い」とは⼀体何を意味するのか。なぜ、⼼優しい青年が未曽有の連続殺⼈犯となったのか。斯波の揺るぎない信念に向き合い、事件の真相に迫る...介護現場に溢れる悲鳴、介護殺人

  • 家に帰りたい~

    1953家に帰りたい~第2の故郷筑波山(画像は本文とは関係ありません)主治医から「食べない。点滴だけでは6分の1程度の栄養しかとれない。廃用性症候群もみられ老衰の状態にある」長男は「明日にでも退院させて欲しい」、と訴えるも聞き入れてもらえず駄目だった。今日にでも連れて家に連れて帰りたいくらいだ、という思いは強かった。結局は来週の月曜日に退院となった。個室で痩せた老母(96歳)と面談、缶詰のミカンを食べさせようと老母に寄り添う。自宅の畳で逝かせたい、と願う息子。本人も最期は自宅で死にたい、と願っている。息子の呼びかけに応えようと、老母は一粒のミカンを口にした。「12日に退院できるからね」「あと三日だね」、とはっきりした言葉で話す。それでも最後は病棟中に響きわたる声で「家に帰りたい~」と叫んでいた。訪問診療、...家に帰りたい~

  • 夢? 希望? 妄想?

    1952夢?希望?妄想?私は植物に関しても全くの無知で、「美しい紫色の花に見惚れていました。あなたの名前を知らず大変申し訳ございません」。にんげん、寝ているときは至福の時間(とき)。いい夢見は余計に眠ったまま夢の世界に留まりたい。老人の寿命も延び、おくやみ欄をみると90代の人が増えてきた。今日の福島民報のおくやみ欄では106歳のお婆ちゃんもおられ大往生の人生。最後まで元気だったのか、それとも介護を受けていたのか、おくやみ欄からではうかがい知れない。自分はいつまで生きられるか、わからない。長生きはしたいけれど、残された時間、何をしていくのか・・・・。短編夢世界では、これからのデイサービスの在り方を数人の人と熱く語りあっていた。これから老人は「冬の季節」を迎え、子どものように厚い政策は期待できない。「介護は金...夢?希望?妄想?

  • 死ぬまで生きるしかない

    1951高いクリームを買っても皺(しわ)は伸びない早朝散歩のとき野生の鹿?に遭遇まだケアプランを作成していない84歳の女性から、寂しくなると電話をかけてくる。急ぎの用事はないのだが、なにかサービスを使いたいような感じで話すのだが、翌日訪問すると、彼女は「まだサービスは使わなくても大丈夫。躰がしんどくなったからお願いするから」、と。誰も彼女の家に訪れる人はいなく、その代わりに私に「来て」と誘惑する。「死に物狂いで働いてきた、自分の幸せを考えずに生きてきた。養女を育ててきたが、優しい言葉もかけてくれない」。「84歳になった。いつも玄関先の壁にかけてある鏡をチラ見するだけ。手鏡で自分の顔を見たら、皺がたくさんあり、そして染みだらけ。皺と染みの顔をみてビックリ。高いクリームを買って顔に塗っても皺は伸びない」。左右...死ぬまで生きるしかない

  • 老いに生かされてきた

    1950老いに生かされてきた.白髪混じりの60才過ぎの女性が相談に訪れた。自分の年齢も60才を越え体力的に限界です。義母はリウマチを患い、歩くこともままならない。“ボケ”もではじめ、夜間大きい声で独りしゃべりをしたり、おむつを外し布団の上にオシッコをしたりなど、隣の部屋にいても落ち着いて寝ることができないのです。年老いた義母にとって“家”が一番いいとわかっていても・・・・、これ以上女手一つで義母の面倒を看ていくのは困難です。長い間義母の面倒を看てきて、いろいろと苦労もありましたが、“義母に生かされてきた”という思いです。13年前に主人が亡くなり、ずっと義母との二人暮らしでした。血の繋がりがない義母であっても、義母の存在は一つの心のはりになっていました。自分の親は、(他人である)長男の嫁に世話になり、自分は...老いに生かされてきた

  • 老母親の想い、子の想い

    1949老母親の想い、子の想い.齢(よわい)を重ねるにつれ、土田光代さん(仮名86歳)は、息子との二人暮らし。物忘れや家事の一つひとつを最後まで成し遂げることが怪しくなってきた長男の不二雄さんは、新幹線が停車するK市駅の近くにあるデパートに勤めているため、日中は一人家で過ごす。数年前から認知症が進み、息子宛てに電話がかかり、息子が家に居ても、「家には居ない」と受話器を手にしながら話している。紳士服売場での仕事は時間通りに終えることができないため、家路に着くのは21時を過ぎてしまうことも多い。家のなかは静寂であり、老いた母親はもう寝床で眠りについていた。キッチンに行き電気釜の蓋(ふた)を開けてみると、手つかずのご飯が残されており、夕食を食べていないことがわかる。「長男がお腹を空かし、そろそろ帰って来るだろう...老母親の想い、子の想い

  • 人生の砂時計

    1948沁みる砂時計Google「砂時計」無料画像から引用しました老いた現在(いま)、何故か砂時計を見ていると「人生の砂時計」に映ってしまう。砂地に水がこぼれ落ちると瞬く間に染み込むように、老いを意識するようになってから人と「ひと」とのかかわり、路端に生きる小さな生物や自然の風景から心のなかにしみじみと感じてしまう。もうその出来事に再会することはないかもしれないだけに、そのことに感謝し、そこで遭遇した一瞬の時間(とき)にときめいてしまう。齢七十を越え、躰は衰え、左膝はサポートを巻きsnoopyのイラストが入った杖をつきながら阿武隈川沿いの小路をbeagle元気と歩けるのはいつまで続くか、その先はわからない。それだけにいま自分の足で「歩ける」ことに感謝せずにはいられない。人生の砂時計

  • 孤独のうちに施設で最期を迎えた「風変りな老人」が残した一編の詩

    1947孤独のうちに施設で最期を迎えた「風変りな老人」が残した一編の詩孤独のうちに施設で最期を迎えた「風変りな老人」が残した一編の詩(2016.06.18)老人ホームで孤独に最期を迎えた男性が残したという一編の詩が、今年の初めに海外メディアを少しだけ賑わせました。訪れる家族もなく、老人ホームの職員たちもあまり深く関わろうとはしなかった老人。価値のある遺品などはありませんでしたが、彼が人生を振り返ったその詩、老いについて本人が表したその詩は、確実に人々の心に残りました。その詩がこちらです。「風変りな老人」皆さんには何が見えていますか?いったい何が?あなたは何を考えていますか、私を見ているそのときに?風変りな老人…そんなに賢くもないどんな性格なのかもわからない、遠くをただ見つめている食事をこぼしたのは誰かと聞...孤独のうちに施設で最期を迎えた「風変りな老人」が残した一編の詩

  • 口から食べたい

    1946口から食べたい激しく降りしきる雨のなか老いた妻は軽自動車のハンドルを握り病院に向かった。数カ月前老いた妻は膀胱脱を手術されたばかりの躰。長年連れ添った夫。幾たびかの苦難を乗り越え苦労の数よりもはるかに少ない幸せに喜び生きてきた。その夫が食道癌を患い、経鼻経管になり8mmの細い管が胃まで届き、夫の命を繋いでいる。その管のお陰で体力を快復した夫入院前の顔表情に戻ってきた夫に安堵した妻。消化器内科の医師は言葉を選びながら平易な説明をしてくれる。80代半ばを過ぎ、年齢的に食道から胃までを開腹手術することは難しく、放射線治療を主体とし、ときには抗がん剤投与を併用させ可能性としての話だが、大腸癌や胃癌に比べ食道癌の放射線治療は効果がある。食道癌を抑える放射線治療は、口から食べらるようになるかもしれない。食道癌...口から食べたい

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