天皇は国民の意志のもとにある。学者が決めるべきものではない。政府は国民の意志に従順であるべきだろう。愛子天皇待望論は趨勢となりつつある。国民の気持ちとなっている。政府はこれを無視できるものではない。男系男子などとるにたらないことだ。皇室典範は明治の遺物ではないか。たとへ昭和にできたとしても。天皇後継は戦後最大のエポック
天皇は国民の意志のもとにある。学者が決めるべきものではない。政府は国民の意志に従順であるべきだろう。愛子天皇待望論は趨勢となりつつある。国民の気持ちとなっている。政府はこれを無視できるものではない。男系男子などとるにたらないことだ。皇室典範は明治の遺物ではないか。たとへ昭和にできたとしても。天皇後継は戦後最大のエポック
立憲は信用ならない。立憲が政権をとってもいいことはない。立憲には自民党に劣らず古株がいる。彼らは戦犯なのである。なお、総括が済んでいない。また同じことをやらかす。自民党には優秀な人材がいないのだろうか。岸田氏はチャンスをのがした。今の時代、英雄が求められている。三バカ時代を称すれば、評論家と若者と大企業だ。臆病風に吹かれている。抜け道はない。血を流さなければ通れない隧道である。きっとどこかに人材はいる。立憲にすり寄る国民
これでいいのかテレビ局。このあいだ、民放各局が同時間にたべもの関連を放映していた。同じ時間帯に同じ番組なのは以前からだ。しかしそれが食べ物にまで広がった。民放は一局でいいだろう。同じことをやっているのだから。ユーチューブに明け渡したらどうか。有料にするのである。安い価格設定ならペイするのではないか。テレビの斜陽は今に始まったことではない。新聞も同様である。週刊誌も売れてないのだろう。時代が変わったこともあるが、日本経済が下向きになっている。安倍は日本を壊した。岸田はなんとか救おうとしているがそれは失政である。日本は一旦身を引くべきである。貧困を体験するのもいいかもしれない。すべて電通に仕切られてるテレビ局
日本は一応の入亜を果たした。日本は物価が安いということになった。日本の観光資源は限定的だろう。国民生活はジリ貧である。上場企業正社員はいいとしても、それ以外は労働者受難時代である。まやかしのはびこる国になってしまった。いいことは伝えて悪いことは伏せる。報道の姿勢である。日本の傾斜が時折話題になる程度である。議論しても今更遅い。民主党の消費野田税が悪かった。友愛というとぼけたキャッチ・フレーズがよかったのかもしれない。今となってはあとのまつりである。相当に利上げは苦しいようだ。噂によると国債も買い上げ不能になるようだ。輪転機もほころびが出ているのだろう。福祉国家を目指していればよかった。竹中は経済を優先した。結果は今日である。脱欧入亜
日本が貧しい国になったことが、ようやく認知されるようになった。これは岸田のせいではない。小泉からのものだ。原因は野党にある。貴族労組依存体質が抜けない。そして、今日に至るまでこれはという政党が生まれない。これには原因があるとおもう。変革を許さない勢力がある。鳩山内閣も潰された。野田は消費税引き上げで分裂を誘導した。これは保守勢力などというものではない。もっと大きな力だ。現状はどうしようもないところに来ている。日本が弱小国家になることに異論はない。そこから這い出そうとすることに問題がある。弱小国家でいいのではないか。進歩的な保守政党の誕生を期待する。将来
ギャンブル依存症。依存症にはアルコール、薬物依存などある。依存になると自己制御ができない。依存症ではないが痴呆の問題。これらに共通する課題。通常の病人とは違った現象。つまり、外見上正常に見えるということだ。しかし、周囲の人間はかなり苦しんでいる。依存に対する社会的理解はこのままでいいのだろうか。テレビでは酒のCMが野放しである。大阪ではカジノ場を建設するようだ。これらは時代に逆行するものと思われる。二人に対照的なことは大谷は野球に専念できるが水原は通訳に専念できなかった。依存症は社会的責任を免れるのだろうか。一般的に責任能力は裁判で考慮される。依存症はどうなのだろう。隠れた依存患者はかなりの数になるのではないか。今回の水原氏の問題は依存に対する社会的方策をうながすものではないか。放置できないということだと...大谷翔平と水原一平
大谷、ホームランおめでとう。ホームラン
敬宮愛子内親王殿下、愛子内親王。二十歳になられた。皇位継承問題。皇位は男子に限られる。国民の大多数が愛子内親王を次の天皇にと望んでいる。これに反対する人たちがいる。この問題は民主主義とも関係する。国民の望まない天皇を擁立できるのだろうか。これは天皇廃止論につながる。それでも男系男子にこだわるのだろうか。古臭い。議論の実体が見えない。隠すことが民主主義なのだろうか。天皇の地位は国民が握っている。天皇の地位は国民の総意によるとされている。国民の意思が反映されないなら、もはや天皇ではない。皇位継承問題
コオロギがどれくらいの期間、生きるのか知らない。でも、買ってきたコオロギは一週間ほどで死んでしまう。人間はどれほどの期間生きるのだろう。コオロギはなにして生きてる。動き回っている。止まっている。隠れている。死は死体となっている。人間もそれがいいのだろう。生まれてから一時間で死んでしまう動物がいるとしよう。一年間の動物がいるとしよう。人間は十年単位で成長する。老いもゆっくりである。動物はなのものこさない。人間はひき継ぐ。文化遺産
大谷事件の余波。余波から余波がはじまった。みんなが持ち上げていた水原。まさかとショックと言っても過言でない。落ち着いてみると、前段階の問題が浮かび上がってくる。通訳とはいえ水原が大谷になってしまった。それを許したのは大谷であった。大谷も悪気はなかった。ドジャースという大組織も盲点を突き破れなかった。こんなことが総括として言えそうである。日刊ゲンダイの記事はその点を鋭く突いている。大谷には何らかのペナルティがあってしかるべきだろう。大谷事件
正直のところいっぺいなどどうでもいいだろう。大谷の関与が問題なのだ。あの世界にはよくあることなのだろう。誰も、大谷に忠告できなかったのだろうか。学歴詐称があったという。調べればすぐにわかることではないか。そのこと自体はたいしたことではないが、そういう人間なんだということが判断できる。人間を信じる。これは大事なことなんだろうが、それが今度のことのようになってしまうととりかえしがつかない。どんなに優秀でも、周囲は自分のことしか考えない。大谷を心から心配する権力者がいなかった。まさか、となってからでは遅い。まして、順調な時には気をつけなければならない。あとで、裏切られたと言っても裏切られる自分がいたということだろう。再度言うが、一平などどうでもいい。悲劇の主人公は大谷なのだから。人生を知らない若者
不景気が実感の段階に入ったようだ。無理やりに物価をつり上げた。それは社会の不均衡を助長した。財政と金融は破綻している。株価為替もみじめな状況になっている。大企業さえ方向性を見失っている。報道は見せかけの内容に終始している。徐々に実態が実感として浮かび上がっている。政治の腐敗など問うている場合ではない。解散をしたところで解決にはならない。戦争を仕掛けることさえできないクニになってしまった。ただ、きっかけを待っている。破綻のきっかけである。日本は大丈夫か
脱亜入欧福沢今に至るまでこれがつづいている。これと一緒に、反近隣主義が相変わらずである。韓国、北朝鮮、中国、ロシアをバカにしている軍団である。自民党の中にも巣くっている。マスコミにもあるのだろう。一般人の中にも少なからずある。もう、そんな時代ではないだろう。脱欧入亜の時代である。アジアをアジアの手に。インドを含めた大アジア圏構想である。経済に限らず安全保障をも含めた第2ユーロ圏である。中国ロシアは除外されるかもしれない。大国のエゴというものがあるから。日本が中心となって、などとは言わないことだ。日本はまず謙虚になるべきだ。はたしてそれができるのか。日本は特別ではない。普通の国でいいではないか。それぞれに国民性がある。遠い将来であっても。反近隣主義
「あなたは祖国のためにのために戦えますか」こんな問いかけがあったらしい。言わずと知れた桜井よしこさんである。祖国。祖国にどおいう意味が込められているのだろう。自分の国。意味は同じだろう。命を掛けて守るのか。否、それはごめんだ。侵略されても自分がだいじだ。家族が殺されてもか。」それは議論の飛躍だ。「国破れて山河あり」どおいう意味だろう。自己流解釈では命を懸けるほどの国土はない、となる。国を守ることは人格を守ることだと拡大されても、それでも命をかけるほどの価値はない。不戦の誓いとは敗れることさえ想定したものである。自衛権はあるとは、かなり制限されたものであろう。戦争放棄は自衛権を放棄したものだ。そこまで徹底しなければ意味がない。人は山河と共にあるもので、国家はそのつぎである。国のため、天皇陛下のため、家族のた...あなたは国のために死ねますか
ITとの競合時代はIT。現代人はITをともだちとして歓迎することになる。もしかしたら、ITが人類のお友達になるのかもしれない。ITは合理性を追求する。人間は非合理を追求する。そこでバランスがとれる。生活が変わる。移民問題移民を受け入れる。外国人労働者。それも自然のことかもしれない。政治とカネ。もう、そんな時代ではないだろう。江戸時代には文字があった。平安には漢文があった。将来は英語がある。ここ100年で大きく変わるのだろう。地球は球
世界は戦争がしたいらしい。ハイテクが拡散した。戦争の空気というものがあるのではないか。たぶんいろんな条件が積み重なるのだろう。戦争はゆきづまりを解決する唯一の手段なのだろう。このまま世界が平和になるなどと誰もおもっていない。国家というもの、これが争いの源泉である。国のために死ぬ。これがいまだにはびこっている。慣用句のようになっている。世界国家。地球に国家は一つでいいのかもしれない。今年は龍が暴れる年
天皇家は伝統。手間暇。単純作業に手間暇かける。心の余裕。秀吉はどおいう人物であったのか。信長に引き立てられ、自らも最高位を極めた。朝鮮にも大軍を派遣した。無謀であったが、それも茶の湯であったのかもしれない。秀吉亡きあと徳川の時代となった。実力とはわからないものだ。信長も秀吉もそして家康も傑出した人物であったのだろう。兵の死者数は。そして自らも。伝統。これが日本を支えるのかもしれない。伝統
カネのかからない政治。それはあり得ないでしょう。政党助成金はそのためのものであろう。それでもなおカネが必要なのは、公にできないカネの使い途があるからなのだろう。一方で、集金能力の方途もある。そのカネを裏に回せばいいのにとおもう。政治家の出と入。立派な仕事をしてくれればそれも許される。だが、政治家は一人前なのか。派閥の親分に従っているだけなのではないのか。そもそも、能力のない政治家を選任したのはだれなんだ。ここが問われない。偉い評論家も国民を非難しない。ここが一番の問題である。民主主義は誰に投票しようと自由である。しかし、その投票行動についての発言がタブーということはない。国民を𠮟るべきである。だが、怖くてできない。ここが一番の問題なのだろう。政治家は大いにカネをつかうべし
報道はなきに等しい野党をなぜ持ち上げるのか。総理が辞職しても次の自民党総理がでてくるだけ。辞職要求するなら次の総理も視野に入れるべきだ。報道はその点を無視している。辞めろ辞めろにどんな意味があるのか。安倍総理待望論。戦犯にも等しい安倍を期待するとはどおいうことなのか。日本経済を回復不能に引き込んだのは安倍であった。その安倍に何を期待しているのだろう。報道にどんな自覚があるのだろう。ただ、騒ぎを起こしたいだけなのか。報道の知性。個人としては優秀なのだろう。だが、社会の一員になってしまうと高いサラリーが魅力なのか。批判しかできない野党は以前の社会党そのままである。報道は野党を持ち上げてどこかで落とすつもりなのだろう。労組の犬にはなにもできない。報道はそれを知っている。報道は自民党の犬なのか。岸田辞めろは筋違い...報道は誰にカネをもらっているのか
さんざん荒稼ぎしていまさら賃上げはないだろう。賃上げより潰れてくれ。日本にもフランス革命が必要だ。こうすればよくなる。そんな時期はすぎてしまった。日本の破滅を一日も早くくることをねがう。日本を壊してしまった。取り返しのきかないところに来てしまった。日本の構造が崩れた。野党も労組もなきにひとしい。国民さえ怒っていない。頼みの綱が天皇家とは皮肉である。日本没落のあとにくるもの
アメリカの銀行破綻預金の引き潮無理な運用こんなことは常識なのだろう。ところが日本の銀行はつぶれない。これはヤバイ。潰さないからヤバイのだ。こんなことがいつまで続けらtれるのか。ここは政治の出番なのだが政治が機能してない。政権交代もできない。ヤバイのはアメリカでなく日本だ。ヤバイ
自衛隊機墜落原因究明が不可能発見が遅れる機体を引き上げることはしない。仮に中国の攻撃であった場合、日本はどうするのだろう。「戦争状態に入れり」日本は中国と戦争したくない。だから涙を呑んで引き下がる。こんな状況も想像できる事態となった。フライトレコーダーが陸用であったという。しかも、後出し情報である。まさかと思うことも現実には起こる。その可能性を否定できないフライトレコーダー問題である。陸用フライトレコーダー
日本は江戸時代に戻ったのかもしれない。その特徴は鎖国である。鎖国の意味は外国と交流しないということではない。うまく回している。潰すのではなく生かし合っている。業界保護が一般化している。その結果としての莫大な借金である。日本は軍事化に舵を切った。アメリカとの付き合いには避けて通れない選択だ。いずれアメリカと決別のときがくる。いまはその途中。もはや戦争で身を立てることはできない。すでに核兵器の時代なのだ。業界保護もいつまでやってられるか。新聞社、銀行。商社さえ安泰ではいられない。政治は自民党独裁になってしまった。人材も育たない。いつか目覚めるときがくるのだろう。だが、戦争がその目覚まし時計になってはいけない。現状認識
英語をつくってみたらどうだろう。日本語を英語に直すのである。英語と日本語は重なる部分が多い。重ならない部分。違和感ある部分。それはつくったらいい。言語BYEである。発音も英語式にしたらいい。韓国英語があるらしい。ネイティブではない。日本英語があってもいいのかもしれない。イギリスと米国もまったく同じではないらしい。困ったkotetaIkotetado.うれしいlukyuIlukyudo.英語をつくる
生徒がさばけてきた。学校というものを認識始めた。彼らは明るい。弾圧に負けていない。それは、受験生もおちこぼれも。学校を全体ととらえていない。学校を神と思っていない。教師もツールなのだ。学校は内申書で生徒を操作する。生徒はどうなんだろう。そのシステムになれたことだろう。学校を楽しむ生徒
放送、新聞、雑誌。どれもしんどい状況であろう。銀行も借り手がいないようだ。債券に手を出して、金利が上がると債券がこげつく。日本の金利は0%。いずれ修正がせまられる。政界もただならぬ状況に陥っている。いつ嵐が来たっておかしくない。一般庶民は眺めていればいい。物価高には買い控えで対処しよう。会社経営も楽ではない。自民党に圧力をかけても決定打はない。テレビのタレントで好き嫌いがはっきりしてきた。古い芸人は引退すべきだろう。寿命がのびたおかげでいつまでも居座っている。チャンネルを切りかえて、ついにはスイッチを切る。さて、インターネットはどうであろう。インターネットは検索がいのち。せいぜい活用の便を見出そう。放送局
資本主義、自由主義。社会の変化に応じて救済をする。国民経済救済の仕組みにはさまざまにある。失業保険、生活保護。生活支援金。奨学金など。国民保護政策は資本主義であっても欠くことができない。社会主義とはどおいうものだろう。競争社会と保護社会。どちらを主とするかによって呼び名が異なるのだろう。たとえば、中国と日本を比較してみれば異なる点は明示できるのだろう。自由にものが言えるというのは大きな利点である。統率という点では中国システムが有効なのは明らかであるがそれが好ましいとは言い難い。生きるために社会があるのであって、社会のために生活があるのではない。そうした意味で日本社会は健全な発展をしてるのではないか。安倍という暗黒の時代はあったが、安倍がいなくなって日本は救われた。残党の余命が少ないことを祈る。勿論、政治的...安倍去って
高市問題は今後どうなるのだろう。生き延びたとしてもしこりはのこる。国体を真っ向から主張しているようだ。安倍とも意見が合ったのだろう。自民党の中には同じような考えの人が多くいるのだろう。強気一辺倒はいかがなものか。日本では社会主義政党が成長しない。これは日本の悲劇である。社会主義の出る幕は資本主義の終焉と無関係ではない。自由主義は格差社会を容認するものである。真の自由主義は個人の尊厳に端を発する。自由主義を競争原理と捉えるのは誤りである。競争はしょせん競争である。共立社会こそが目指すべき国家像であると思うのだが。人権主義、国民主権主義。格差は努力を根底に置いている。努力は善か悪か。努力を最上位に置くべきでない。国家像
高市さん、辞めてください。あなたが総務大臣の時、放送が委縮したことは周知の事実です。当時、大臣の圧力であったことも公然の秘密でした。安倍の意向が働いていることもみんなが知っています。この先、生き延びられると思っておられるのでしょうか。議員辞職して転身してください。高市さん辞めて
源氏物語、資本論、文学今日的評価芥川賞努力に対する評価ということなら猛勉強が評価の対象になる。オリンピック選手の評価はどおいうものであろうか。評価をしない社会というものを想像できるだろうか。評価をされるとはどおいうことなんだろうか。社会は評価で成り立っている。評価でなくパフォーマンスで社会を構成できないだろうか。日本語で場持ちと訳せようか。評価をなくすことはできないだろう。それぞれに勝手に評価すればいい。評価を気にする必要もないのだろう。昔であれば君主が評価の対象となるわけであるが、それとて絶対的な評価とはいいがたい。人権を考えたのは誰だろう。男女差別は存在するのか。人権の概念は人間だけに存在する。しかも無料なのである。ロシアでは無理やりに戦場に送り込まれる人たちがいるようだ。かって、日本にはそれがあった...評価
エンペラーが政治に関与しないというのは通説になっている。エンペラーのいない国もある。エンペラーの存在意義はどこにあるのだろう。エンペラーが対等ではないということから出発するのではないか。すべての国民は対等である。エンペラーは国民でないのかもしれない。そのような存在を容認していることがそもそもの存在意義なのである。エンペラーの意志が表明されたとき国民がどう動くか。政治が破壊したとき国家はエンペラーにすがることになるのではないか。エンペラーの意志を聞きたくなる。国民の意志と合致すれば、それは大きな力となる。エンペラーは尊重されているというわけだ。政治は破綻する。戦争などという問題は政治では解決できない。エンペラーの国家観が問われることになる。エンペラーは必要か
高市が圧力をかけたのは明白だろう。それが岸田政権になって表面化した。みごと放送は委縮した。安倍政権の専制政治だろう。天は日本に味方した。安倍の末期は意味不明の王政になっていた。黒田もいなくなりH3も失敗した。思い上がり政治も一応幕引きできそうだ。謙虚につつましく国際社会で生きていくべきだろう。安倍後
安倍がいなくなって世の中変わった。暗黒の時代が長く続いた。大企業経済がもたなくなった。モラルが破綻した。野党がなくなったことにも影響している。自民党は敵がいなくて困っている。おかしなもので、こんなどん底の中で名宰相が登場した。NHKも金利もこれからである。経済は賃上げなどという小さな段階ではない。老人切腹以前に大企業自決であろう。がり勉が入社し、大企業は官僚化した。官僚は安倍がいなくなって活性化した。新規巻き直しである。幸不幸
ノーベル平和賞受賞ベラルーシの人権活動家に禁錮10年の判決(記事)人権活動と政治ノーベル平和賞は西側のもの。禁固刑は東側のもの。対極の構図が構成されている。ノーベル平和賞にしても十分に政治的なものだろう。見る角度によってちがってしまう。現実
成田氏の独立国家論。10代、20代を主役に。彼らが国家に参画する必要があるのだろうか。氏がこだわるのはなんなのだろう。独立国家。国家の建て直しは若者でなければできないという先入観に陥っている感がある。国家の建て直しは若者にもできないだろう。日本にどんな危機感を持っているのだろう。教育における自由性は賛成である。誰もが上を目指すことには合理性を欠いている。国家の変革はどうすればできるのだろう。若者に期待するのは的外れかもしれない。絶望の中からは新しいものがうまれる。あせることはない。ダメ国家
成田氏のモチベーション正解への反逆正解とされていることが正解なのか。ロシアがんばれ!これって、不正解とされてされているがもし、これを言ったらどおいうことになるか。成田氏はこおいう趨勢に対して疑問を持っているのだろう。あるいは、疑問をもつべきだとおもっているのだろう。年寄りをだいじにしよう、これは正解なのだろう。社会の常識。これに対する挑戦とみるとこれはこれでイノベーションなのかもしれない。正解に対する挑戦
昔は、アイシュタインの理論が難しい代表であった。こんにちでは理解不能分野が格段にひろがったように思う。スマホを理解できなくとも使うことはできる。こうしたことが前提で社会政策は変化すべきなのかもしれない。成田氏の登場はそのことを意識させてくれた。もはや彼に学歴や経歴は必要なくなった。彼に匹敵する存在が見当たらないのも今の時代とリンクしている感がある。出自が一庶民ということにもその特徴がある。価値観にも独自のものがあるようだ。今のところ政治色も出していない。目標は教育改革なのだろう。彼の教養レベルは一般人の追いつくものではない。学校は努力を奨励しているようにおもう。成田氏が努力してないとは言わないが素質の違いを強く感じる。であるならば、分に応じた生き方があっておかしくない気がする。社会変革は起こるのだろうか
世界の片隅で戦争が行われている。構図は世界対ロシアである。世界はウクライナに武器弾薬を供給する。そして、ウクライナ人がたたかう。人は消耗品なのだろう。戦争という大義名分がまかりとおっている。世界が武器を送りつづけるかぎりウクライナの人口は減ってゆく。今回のような戦争は過去初めてではないのか。戦争に加担しながらまるで別世界の暮らしにおかれている。戦況を報告することにどんな意味があるのだろう。一切の戦争反対運動はおこらない。世界はロシアと戦争をしているという自覚はあるのだろうか。アメリカ、EUは戦争当事国である。ロシアの砲口が自分らに向けられていてもおかしくない。世界大戦が始まっているはずである。戦争を体験している。まるで夢のような戦争体験である。さいわいに日本は武器を送っていない。日本国憲法が日本を守ってい...ウクライナ戦争
生命の始まりは誕生。誕生とともに欲も成長する。死は終局である。政治、経済。政治は税金を費って政策を実行する。経済は生活と定義されると思うが、生命の上に立つものではない。誕生で生じた生命はいつか滅びる。それまでは最重要課題である。戦争が政治ならば、命の次に大事なものと定義すべきである。生命哲学
聖火ランナーでしたり顔の芸能人。売名行為のほかのなにものでもない。森氏にすべての責任を押しつけていいのか。アスリートと、持ち上げられてその気になっている選手たちも同罪である。正しいのはオリンピックに反対した国民である。オリンピックは治外法権なのか。今後日本では100年間オリンピックを中止すべきだ。スポーツに汚れはないとは嘘だ。スポーツは虐待である。スポーツを聖域とすべきでない。高橋尚子氏が見直されている。氏の姿勢が評価されたものだろう。彼女がオリンピックについてどう考えているのか聞いてみたいものだ。東京五輪にかかわった人たちは選手も含めて責任をとれ