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藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住 https://blog.goo.ne.jp/teruyukinoburogu1945

藤森 照幸(旧名 深山 霞)

石州街道沿い(安芸国名刹 別格本山福王寺山中)にて、主夫しています。 但し、炊事だけ。 洗濯、掃除は奥様に拘りがあり 私の出番が有りません。

藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住
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2016/12/28

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  • 体調不良が・・・・・

    一か月近くになる体調不良。当初左足の膝に軽い痛みは有ったものが、ある朝目覚めると激痛に変わっていた。明らかに筋が一本切れた感じであるが、昨日病院に一ったら膝の水を剥いただけで、私の話など無視。痛み止めを処方された。抜いた水と、血液を検査に回すそうだが、明日その結果がでる。果たしていかがな結果であろうか?。杖を搗いても歩けない。痛み止めが聞いている時だけトイレに行く。後はベットの上で天井を眺めているのだが・・・。なんのいい考えも、悟りも得られずにいる。此の一週間は、おでんばかり食している。幾年ぶりに作った「おでん」。広島に有った「十八番」と言う店の直伝の味である。おいしいのは間違いないが、夫婦二人では一回に食べる量が知れている。片や店では、多く売りたいのですべての材料が四、五人分で売っている。連日、「食べて...体調不良が・・・・・

  • 毎日心が痛んでいます

    正月にこんな大事件が発生するとは、・・・・。地震大国日本ではあるが、些か不安になる。このブログも、正月明けには、広島の大抗争事件の、第二弾を記述する為、昨年中に準備していたが、掲載を先延ばしすることにした。少しでも明るい事は無かろうかと、思っていたところ、広島県の北部では、温暖化の所為か解からないが、不思議な事が起こっていることを耳にした。最初は三年前だったが、偶々の事だろうと気に留めないでいた。ところが、今年も此のお方はやって来たそうである。三年続きの訪問であるそうだ。その名は「大鷲」。シベリアや、アラスカに住む「鷲」である。冬場、北海道や、青森県には寒さしのぎにやって来るそうだが、西日本では、琵琶湖に時々現れるそうだ。中国地方には、・・・・他の県ではない。三年続きとの事で、奥様の実家近くなので出かけた...毎日心が痛んでいます

  • 遥か昔を思い出した(5)・・・

    今回は長話となるので、辛抱してお読みください。復学して、17歳の春の終わり頃の朝礼で、再び倒れた。気付くと、大学病院の病室に寝かされていた。この病室には、面白い経歴の人が不思議と集まって来た。一番古かった方は、「大江健三郎」著の「ヒロシマノート」に紹介されている方で、白血球数が12万個と言う方(名前は山名さん)、続いて「三波春夫後援会の中国支部長」、その次に、私の同級生の親父様で、「教会の牧師兼、幼稚園の園長」様、その次は、「五十を過ぎても独身の男性」で、付き添いの「其のお母さま」が大変な方。そして「私」が入院。その次に入院してきたのが、「共生会の親分」と言う事となった。「五十過ぎても独身の男性」の母上は、「共生会」の親分の子供の頃からの知り合いと言うか、戦争で片親を亡くしていたこの親分を、「武ちゃん、武...遥か昔を思い出した(5)・・・

  • 遥か昔を思い出した(4)・・・

    己斐の町(現在は広島市西区己斐)は、その歴史は深い。神功皇后が三韓征伐された時、西に向かう途上で、この街の浜辺に立ち寄られた。村の人々は歓迎して、「鯉」を料理してもてなした。喜ばれた神功皇后は、以後この村は、「己斐」(こい)とすると仰せになった。この古事を物語る神社が、山陽本線のすぐ上にある。標高150m。その山頂からは、広島市内が一望できる。この山を「旭山」と呼び、神功皇后と共に宇佐八幡神社のご神体がともに祀られている。嘗てここ迄が、宇佐八幡神社の影響圏の、東の最先端であったそうだ。すぐ下を八幡川が流れていて、嘗ては三篠川と合流して、瀬戸内海に注いでいた。嘗ては広島の地の西の玄関口であった。その為、広島電鉄もここを起点として発展した。西に宮島(日本三景の厳島)を控えていたからだ。国鉄の己斐駅と、広電己斐...遥か昔を思い出した(4)・・・

  • 遥か昔を思い出した(3)・・・

    私が生まれ育った町は、当時国鉄「己斐駅」から西に500m。旧山陽道と、国鉄の山陽本線の線路に挟まれた平屋の家だった。原爆では、屋根瓦が全て吹き飛び、生後四か月の私は、寝かされていた六畳の和室の畳と共に5m程空中散歩させられたそうだ。その家から、1.5km西に行くと、かの「仁義なき戦い」の片方「打越組」が有った。元来この地域は、江戸時代からの埋め立てで出来た土地柄で、その中でも「打越家」は、中心的役割を成した家柄だった。事件が起きた当時、この打越家には、二人の男の兄弟が有り、お兄さんは戦前から荒れ地を開墾して農業をなさっていた。出来る物は限られていて、この地域に有った中学校(庚午中学校)は、通称「芋中」と呼ばれていた。つまり、薩摩芋が主力の農業だったのだ。それ以前は、「どんぶけ田」と呼ばれた泥沼で、蓮根畑だ...遥か昔を思い出した(3)・・・

  • 遥か昔を思い出した(2)・・・

    昔の話と言えば、己斐の町から広島電鉄宮島行に乗ると、20分で「楽々園」と言う停留場に着く。ここは嘗て、広島電鉄(通称広電)が経営する遊園地が有った。戦後の子供たちのあこがれの場所で、夏はその施設の南側が海水浴場と成って、大変な賑わいだった。この施設の中に、劇場が有り、色々な出し物がやって来た。その中に前回紹介した「手品師」も出演していて、その芸を見た事がある。この御仁の芸は、喉を通るものなら何でも飲み込んで、再び取り出すという芸であった。中でも、「金魚」を飲み込んで、釣り針を飲み込み、金魚を吊り上げるという芸当を、得意としていた。五歳の時、此の「楽々園」に海水浴に行ったら、偶々この御仁が出演していた。裏口から入ってその芸を見て驚嘆したのを、今でも覚えている。剃刀の刃や、スプーン、そして金魚・・・。見事な芸...遥か昔を思い出した(2)・・・

  • 遥か昔を思い出した・・・

    昭和26年、私が小学校に入る前年の事だ。その前の年には、国鉄己斐駅前(現在のJR西広島駅)の闇市場で、アメリカのNPと日本の警察の連合と、広島のヤクザ「岡組」との間で、激しい銃撃戦が有った。闇物資の取り締まりだったが、「岡組」の勝ち。皆が、警察側を妨害したからだ。この「岡組」が後に二つに分かれ、かの有名な広島ヤクザの抗争事件(仁義なき戦い)になっていった。それはさて置き、その己斐駅前で、毎週土曜日の午後、バナナの叩き売りが有った。その口上が面白かったが、それよりビックリさせられたのが、語られたバナナの薬効であった。その時私は、近所の子供たちと、太田川放水路にアサリ取りに出かけて、その帰り道だった。当時、朝の御みそ汁のアサリは、子供が河で採って来るのが常識。貧乏な我が家においても、例外ではなかった。幾らでも...遥か昔を思い出した・・・

  • 夫婦で認知症?・・・

    本日九時過ぎ、目の薬が無くなったので、眼科に行くべく奥様に、「眼医者に行ってきますが、他に何か御用は有りませんか」と、尋ねた。「お刺身が頂きたいので、買ってきて」承知して出かけた。家から十分。スーパーと眼科は、歩いて三分の所にある。スーパーの入り口に、交通整理員が三人。私「?」平日に整理員が居たかいな?。病院に着くと、本日休診の札が。なんと私は、一日曜日を間違えていました。否、奥様も。最早この時間では、刺身は売り切れ。何時もの事で、早い者勝ちの世の中なのだ。売れ残るほど店頭に並んだ時代は終わった。自宅に帰って、二人で大笑いをしたが、奥様は、「胃が痛い」とおっしゃる。病院は休み。何時もの「キャベジン」と、薬箱を見たら無い。から瓶が転がっているだけだ。ネットで注文すると、一週間かかるという。300錠で1580...夫婦で認知症?・・・

  • 不思議な縁

    何時も伺う、マリアンカ様とnatu様のブログが、不思議と同じ日に宗教の事を記載されていた。私はその前日、布団の中でスマホでヤフーの記事を読んでいた。その記事は、九州の隠れキリシタンと、ある曹洞宗の寺院のかかわりの記事であった。江戸幕府によるキリスト教弾圧が激しさを増した時、浦上のキリシタンは、マリア像を五島列島の隠れキリシタンに預けたそうだ。預かった信徒は、その像を曹洞宗の天福寺に預かってもらったそうである。その経緯は、キリシタン狩りが厳しくなった時、樫山地区のキリシタンは、天福寺の住職に、改宗したように見せかけてもらう事を、懇願したそうである。その当時の住職は、人の命を大切にすることを一番と考えて、受け入れたそうである。その経緯の中で、マリア像が天福寺に持ち込まれ、隠されたそうだ。幕府の追及は厳しく、持...不思議な縁

  • 八畳の洋間を独占

    私の日常は、八畳の洋間が中心である。ベット一台、タンス?引き出しばかりの物入れが五台、パソコン三台、寒さを避けてきた洋ランの鉢が10鉢、机が三台。残りの空間は、到って狭い。南西は全面ガラス窓。東のが面が、全面板壁で、残り二面は引き違いの小さな窓がある。そんな二階の部屋で、日々世の中を見ている。TVは有るが、あまり見ない。世界の情勢は、NETで情報を取り入れている。一つの事案にも、NETでは色々な意見が入り乱れ、なかなかに面白い。そんな私が、メールと言う手段で、昨日「サッカースタジアム」の開所式について、広島市長に直訴して置いた。と同時に、面識のある市議会議員に面談で(我が家にて)、意見を伝えて置いた。果たしてこの正月の内に、どんな結論になる事だろうか。この三日間は、それは、それは忙しい思いをした。奥様の足...八畳の洋間を独占

  • 広島市長は何を考えているのやら

    広島市は、ドイツハノーバー市と姉妹都市縁組をしている。元市民球場の北西部分には、ハノーバー庭園と言う広場が存在しているのだ。今回広島市は、相生橋麓の商工会議所以下、青少年センター等、全てぶち壊して、再開発するそうだ。戦後の平和運動や、青年教育の中心地、こども科学館などぶち壊してしまうらしい。その代わりそれらを統合した建物を作るらしいが、建物が大きく成ると、利用規約が非常に厳しく成る事等、政治家の皆さんはお判りではない様だ。子供の施設は、夜の時間制限が存在するし、図書館などは、静かさが必要である。反面若者の施設は、文化活動で大きな音を立てる。そんな事はお構いなしで、サッカー設備まで作ってしまった。市営住宅の真横である。夜間に、大声援の中で試合が行われたら、市営住宅の住民は寝て居れまいに。さてこのスタジアムの...広島市長は何を考えているのやら

  • 冷え込み

    この秋一番の冷え込みとなった。-2℃。もう少しで初氷となるとこだったが、そこは瀬戸内の温かさが、・・・。それにしても突然の冷え込みに、野良猫が一番びっくりしている様だ。今朝は一匹も見受けない。昨日は、家の前の舗装が、日が当たって温まると、三匹ほどがゴロゴロ昼寝をしていた。奥様の車が、寒さでご機嫌斜めである。バッテリィーを長く使ってきたので、気温が下がるとご機嫌斜めとなる。ぼちぼち私と一緒で、引退の時期のようだ。差し当たっては動くように私が手を入れて置いたが、新しいバッテリィーを、一つクリスマスのプレゼントに進呈せざるを得ない。孫二人、娘夫婦、奥様、合計五名のプレゼントで、年金は全消えてしまう。広島出身の岸田総理、此の不況を、何とかして下さいませ、ませ。それにしても野党もダラシガない。取って代わろうという人...冷え込み

  • 体を病むと、心も病む

    危機を脱出した心不全だが、不整脈は依然として続いている。食物規制、大量の薬。うんざりの毎日である。嬉々としてお過ごしの皆様のブログを拝見すると、やっかみが起こる。やりたいことは山ほどあるが、全てドクターストップ。一番が「ウイスキー」。飲みたいなーと思っていたら、来年度から50%の値上げだそうだ。辞めるには良い機会かもしれない。女もダメ、酒もダメ、せめて宝くじと思えども、売る場の前は人だかり。順番を待ってからとは到底思えない。変り映えのしない食事を一日三回。(薬を飲むために)風呂に入るのも、億劫になって来た。私が入らないと奥様も、お湯がもったいないと入らない。段々と負の連鎖が始まっている様だ。被爆者には、東区まで行けば、市営の天然温泉がある。被爆者は格安。付添人は半額。出かければよいのだが、自宅から距離が5...体を病むと、心も病む

  • 未だにもやもや

    自宅に帰って何日なのだろうか?、自分ではハッキリしない。危機を脱した病人は、即退院。病室が足りないのだ。それでも一日余分に置いていただいたそうだ。病院に到着時の脈拍数は、20から30程度で、「駐車場から自分で歩いて診察室まで来たのは、君くらいしか見たことが無い」と言われた。診察途中からは意識が混濁。首に電極を付けられたのは、日にちが変わってからだったそうだ。麻酔も懸けづ、電極を付けられて気が付いた。文句を言ったら、「麻酔薬を使って死にたいですか」の一言。それから先は、心臓電極、心電図計、血圧計、点滴二本、排尿管一本を付けられ、もうろうとして寝ていたが、翌日の夕方からは、看護師としっかりやり取りできるまでに回復した。直ぐにでも帰っていいと言われたが、一日延期していただいた。その代わり、部屋を三回変わり、廊下...未だにもやもや

  • 三度目の命拾い

    九日、体調不良が続いていた。内科に行ったら、ワクチン接種の行列。仕方なしに時間をずらして行くことにしたが、これが失敗の始まり。午後五時前から、滝のような汗。七回着替えたが止まらず。市民病院に駆け込んだ。到着時の心拍数38。完全な心不全で、20分遅れたらあの世行だった。即緊急入院、36時間点滴が続きやっと心臓が回復。それまでは、首を通っている心臓に行く神経に電極を付けられて、機械で生かされていた。此れが三度目の死にぞこないであった。しかも、前々回診察してくれた医師。麻酔もされず首に電極とはひどい話だが、最早麻酔を打ってはいけない状態だったそうだ。こんな病人が救急車でなく、奥様の車で、しかも診察室まで歩いた事にびっくりされた。奥様は先生の説明を聞いて顔色が変わっていた。前回は胆嚢の反乱。心臓は二回目。死ぬる時...三度目の命拾い

  • 全てに疲れたようだ

    九時から買い出しに行った。此の処どのスパーも、荷物の入れ替えが激しい様である。店長と話すと本音は出て来ないが、言外に今の物価高が潜んでいる様だ。大量消費の時代も終わりですかねと、逆に聞かれた。私は大量消費をしていないので、何と答えてよいやら困ってしまった。小春日和の様な今日など、野の草でも摘みに行きたいが、体が動かない。運転時間も片道三十分までにしている。週三回までで、全てを済ませたいが、そうはいかない事が多いい。一つは病院である。点滴の回数を減らしてもらった。その分自宅での安静時間が多くなって、なかなかパソコンの前にも座れない。奥様が何時もにらんでいる気がするのだ。久しぶりに同い年の友人から電話が有ったが、内容は「訃報」であった。昭和20年生まれの者たちで作っていた、「羽立会」と言う会員が亡くなったそう...全てに疲れたようだ

  • 何時まで続くのやら・・・・

    十月十六日、広島大学医学部の腎臓内科を受診した。地元医からの紹介である。血液関係の検査は、総て正状値より15%低く、腎臓機能は全て15%高い数値で、午後二時まで延々と検査した。尿蛋白はけいそく不能だそうだ。甲状腺刺激ホルモンは基準値の倍数。クレア二ンは規定の二倍。・・・書いていくと切りがない。胆嚢無し、前立腺無し前立腺に至っては100%癌が有ると判断した手術だったが、国立のがんセンターも、がん細胞を見つけられなかった。勿論広大も。今回は胆嚢のX写真から癌に間違いないと切除したが、これまた、癌無し。中の石が大量で、壁を傷つけて、癌に見えたそうだ。一応退院したが、一日おきに点滴。三日に一度の血液検査。一時間半の点滴は、いささか、嫌になって来た。今日も今日とて、地元医に30P分の報告書が届いていた。時間が懸かる...何時まで続くのやら・・・・

  • 通行税

    日本三景の一つ、「宮島」本来は神の島「厳島」と言う。元来人が住んではいけない事に成っていた島である。いつの間にか商売人が住み着き、「精進落し」と称してド派手な商売を始めた。三、四十年前町政が行き詰まり、広島市と合併の話が合ったが、廿日市町が反対し、その結果廿日市町と合併して、廿日市市となった。その結果、財政的行き詰まりとなり、通行税を取るという。広島市と合併して居れば、そのような事にはならなかったであろう。確かに飛び地的関係となり、「宮島」を横取りされた感じには成るが、旧佐伯郡の五日市町等は広島市に合併している。否、廿日市町が広島市に合併すればいいのだったのだが、「宮島」と合併すれば財政的に収入が増えると思った町民が多かったようだ。私の元々の本籍地は、廿日市町に有ったので、外から見て居て、「損をして得を取...通行税

  • 谷あいの我が家

    広島市と言っても谷あいにある我が家、急に秋がやって来た。中心部から15km。原爆が投下された時は、其の投下に使われた落下傘が、二つ我が家の南西と東北各々500mの所に落ちてきた場所だ。夕方五時過ぎたら、急に気温が下がり窓を閉めた。西日が斜めに大きな窓に差し掛かって、風情は有るのだが、これからの季節は、高齢者にはきつくなり始める。此処から一時間ばかり来るまで走れば、スキー場に行けるのだ。その谷筋から、一級河川太田川が流れて来て、寒さを運んでくる。嘗ては、この屋のすぐ近くに「帆待ち川」と言う川が有って、江戸時代は午後の気温が上がる時吹く、山風を待って、船便に利用したくらいである。近年は、あまり雪も降らなかったが、今年は何だか嫌な予感がするのだ。雪の多いい年は、不思議と九月が終わると急に涼しくなるからだ。将に今...谷あいの我が家

  • いよいよ秋本番か

    昨日までの天気が一転、夕方小雨交じりの天気となった。午前中は、心地よい秋風が吹き、さすが中秋の名月のお陰?と思っていたが、夕方になり肌寒くなると、小雨が降って来た。将にご婦人の心変わりの如く、(これはご婦人に失礼しました)・・・。今では隣家の屋根を叩く雨粒の音が強く成って来た。それにしても、世間は戦時中でありながら、あまり騒がしくない。一見地球が二分されて戦うのかと思いきや、何だかクスぼり続けた山火事の様である。こういう上他愛を硬直状態と言うのだろうか。どうもそうでは無さそうだ。アメリカの暗部で何だかたくらみがなされている気がしてならない。此のっ戦争で、ビットコインが値上げしたとかしないとか、はたまた、新しい投資方法が考え出されたとか、色々噂話が飛び交い始めた。片方では、次期オリンピック予選にスポーツ選手...いよいよ秋本番か

  • 広島で十五夜お月様と言えば・・・

    私が子供の頃は、十五夜と言えば、黄な粉団子が夕飯であった。先ず三宝に、黄な粉団子を飾り、その傍にはススキを生けた鉢。金持ちの家では、一段目に一辺十五個の黄な粉餅を三角形に敷き詰めて、ピラミッドの様に積み重ねていく、全部で幾ら積んだのだったか忘れた。その次が、子供たちの黄な粉団子の夕食。大人たちは、黄な粉餅にしないで、団子汁にして食した。今日歯医者の帰りに、スーパーの売り場で同年代のご婦人が立ち話をされていた。今夜何を食べるかの話であった。一人の婦人が、「久しぶりに団子汁が食べたいと」旦那さんが言い出したそうである。二十年も作った事が無いと笑いながら、食材探しにテンヤワンヤの様子であった。私も結婚してから一度も食べていない。奥様は、ヒバゴンの末裔であるから、日常茶飯事「団子汁」を食べていたそうで、それが嫌で...広島で十五夜お月様と言えば・・・

  • 日々感謝して、日暮れを待つ

    連日の暑さである。暇な老人が二人、顔を突き合せれば、喧嘩である。「トイレの扉が閉まっていない。」「便器の蓋が空いたまま」等々、社会全般に何の影響も無き事で、喧嘩をしている。時には、三日ほど、口も利かない事が有るが、いつの間にか、他人の悪口を言っている。ところで、我が家のお孫様が、大学受験が近づいた。妊娠六か月と言う、超早産で生まれ、三か月間は、病院の保育器の中で育った男子である。医師からは、障害が残ると言われたが、娘が大変な努力をして育てた。この子の未来に、ある程度の判断が付くまで、次の子を作らなかったほどである。その所為か、気立ては温厚であり、ジュックリ物事に取り組む子である。下の女の子は、負けず嫌いで、誰にも負けたく無いと言う気力が、雰囲気に四六時中出ている。上の男の子は、一年に一回、広島県の検診を受...日々感謝して、日暮れを待つ

  • 曇りのち雨

    昨夜からの曇りが、午前九時雨になった。小雨に始まり、少しずつ雨粒が大きく成って来た様だ。天候の変化に引きずられて、私の体の痛みも御付き合いしている。全体の軽い痛みから、今は節々の痛みが酷くなってきて、トイレで座るのも呻き声が出てくる。我慢していてもどうにもならないので、階段を呻き声を出しながら、降りてトイレに通っている。こういう日に限って、下痢となった。原因に思い当たらないでいる。痛み止めの追加を飲んで、今やっと二階に上がって来たところだ。ふと思い出したことが頭をよぎった。昨夜の「ご飯」である。奥様が気を利かして、先日好評だった「むかごめし」を、御炊きになった。何処でどう入れ替わったのか、「ぬかご」が「お茶の実」に入れ替わっていた。とんだ「茶番劇」であった。奥様と二人して、「お茶の実」を取り出して食したが...曇りのち雨

  • 「Pretty woman story 様」は、私と同じ年の生まれの様だ。

    この年のうまれの女性は、非常に審美眼が鋭く、男に負けない知力を持つ方が多いい。私の同級生の女性がそうである。加えて、一途なところがあり、恋愛すると男がしんどくなる。戦後の厳しき時代を、生き抜いてきた力は侮れない。その典型的女性が「吉永小百合」である。Prettywoman様も、ブログからそう感じてくる。生まれ年によって、性格や気質が違うのだろうか。違うと言えば、違うように思えるし、変らないと言えば変わらないようにも思う。しかしながら、やはり違う気がする。ここにその事実を書くと、私を知る人間は、誰の事を書いたか知る事が出来るので、書く事が出来ない。今の私の奥様などは、其の真反対である。学ぶことには全力で突き進むが、それが済むと全てお忘れである。有名人の掻いた小説を読んで、その感想をブログに挙げているが、数年...「Prettywomanstory様」は、私と同じ年の生まれの様だ。

  • やっと到着「線条降雨帯」

    午前十一時には、雨になるとの予報だったが、一向に雨は降らず、暑い一日であった。と、言っても30℃である。何時もより、涼しく凌いでいた。午後五時、突然雷が向かいの「螺山」のTVアンテナに…それと同時に強い風が・・・、加えて雨が降り始めた。雨と言うより、消防車が放水した様な勢いの雨である。三拍子そろった雨空は三十分すると、パラパラと屋根を叩く軽い音に変わり、雷も遠ざかって行った。スマホでレーダーの映像を見てみると、「線条降雨帯」が今正に、我が家の上を通っている。と再び激しい雨になり風が吹き荒れている。慌てて掃き出しの窓を閉め、外を眺めた。TVの音声はかき消されて、BSの画面は消えている。数分間すると音声だけが帰って来たが、画面は黒いままだ。待つこと十五分、画面も帰って来た。既に番組は変わっていて、見たくもない...やっと到着「線条降雨帯」

  • 姉と同い年

    「natublog」の「natu様は」、わたしの一番上の姉と、同い年のようだ。今でも、空襲の時の空を思い出すそうである。我姉も、原爆投下時には、父方の実家に疎開していた。現在は廿日市市となっているが、宮内と言う地名の小学校に通っていたが、空が光って音が聞こえるまでが長かったそうである。こちらに居たら登校時で、爆風で飛ばされて、亡くなっていたかもしれない。直ぐ上の姉は、1944年に肺炎で亡くなったそうである。父は、亜満州航空の整備教官だったので、日本に上手く逃げる手立てをして、帰国していた。原爆は、私は生まれて四か月。畳の上に寝かされていたそうであるが、爆風で畳ごと二間飛ばされたそうである。私の姉は、病気がちであるが、配偶者は94歳であるが、いたって元気である。グランドゴルフで、高齢者の日本記録を作ったり、...姉と同い年

  • みんな何処へ行ったやら・・・

    昨日八時十五分、期待いっぱいに家を出たが、アキアカネは一匹もいなかった。否一匹はいたが、あの圧倒的の姿は何処へ行ったやら・・・。点滴を受けながら気になって仕方なかった。帰宅したのが十一時、TVのスイッチを入れたら、なんとTVの画面いっぱいに、アキアカネが飛んでいた。広島の地元TVが、北広島町の八幡高原の湿地で開かれた、自然観察会を取材して、放送していたのだ。その画面の空に、埋め尽くす程のアキアカネ・・・圧巻だった。北広島町は、国道191号線を北に進んで、鈴張と言う安佐北区の北端から、国道261号線に乗り換えて東に進み、島根県の県境近く広がる一帯を言う。嘗ては、広島から、石見銀山に行くメイン道路だった。途中で西に折れると、益田市に出る。山陰道だ。嘗ては、191号線は、広島の中心部から、山陰に一度出て西に向か...みんな何処へ行ったやら・・・

  • アキアカネ

    我が家は、福王寺山の南面に作られた団地にある。その足元に、大毛寺川と言う川が流れている。その川は、嘗ては暴れ川で、改修工事がされた後も、二度氾濫した。元来この川は、西から東に向かって流れていたが、福王寺山の一部が崩落して、川を堰き止め、南に向かって流れを変え、一級河川「太田川」に合流した。この川は、「広島」の町に到達し、七つの流れに分かれる。つまり、「広島」の町を作り上げた流れの一部なのだ。此の大毛寺川で、六月頃から「アキアカネ」は羽化し始め、七月になると低地の熱さを避けて、中国山地に避暑に行ってしまう。お盆過ぎ頃から、生まれ故郷に帰郷し始めて、涼しい風に乗って群れて飛んでいる。群れて飛ぶことには驚かないが、精々数十匹程度の集団だ。生まれ故郷を離れている間に、体の色は少し赤身が増えて、「赤とんぼ」らしくな...アキアカネ

  • 初めての経験は、・・・

    八時十五分、身支度をして、車に飛び乗り、自宅を出発。点滴を、八時半の一番にやってもらう為だ。自宅から100m走った処の、谷筋になった空間に、驚きの光景が待って居た。数百匹のアキアカネが、谷筋を通って噴き上げてくる風に乗って、舞って居たのだ。此れだけの数の集団は、初めて見た。一体何処から集まって来たのやら・・・・。強く成り始めた朝の太陽の光を、羽一杯に受けて輝きながら飛んでいた。横目で見ながら、病院に行ったが、帰りに予定していた買い物を辞めて、アキアカネをもう一度見ようと帰って来たが、十時には一匹もその姿が無かった。気温と風向きが齎した、奇跡だったのだろう。此の所、こんな人生で初めての、経験をすることが多く成って来た。まさか七十八歳にもなって、新しい発見をすること等、滅多には有るまい。何だか先が短い気がして...初めての経験は、・・・

  • 残暑の厳しき九月に成りそうだ

    正午を待って居たかのように、雲が分かれ、澄み切った青空が日差しと共に帰って来た。午後は、暑くなりそうだ。何となく、玄関から、猫の額ほどの庭を見たら、ピーマンや海老根の葉が、暑さで葉をすぼめていたので、ホースで水を撒いてやった。すると、葉陰から、三匹のトカゲの子と、一匹のガマガエルの子が出て来て、海老根の葉から滴る水を飲み始めた。78年の人生で初めて見る光景だった。この数日間、曇り空であったが、雨は降らず35℃越えの高温続き。その次が、正午からの強い日照り。余程水が欲しかったようだ。人間も干上がるような連日の35℃越えの暑さ。カナヘビと、ヒキガエルの気持ちが良く解かる。枯れかかった胡瓜の蔓からは、黄色の花を付けた小さな胡瓜が、二つ・・・。松の木を見上げていたら、松葉の陰に何かある。道路に出てみたら、カボチャ...残暑の厳しき九月に成りそうだ

  • 思わず俳句に成ってしまった

    麒麟草クシャミ、鼻水目に涙今朝から、秋の花粉症が襲ってきた。鼻水、クシャミ、涙のトリオでやって来た。それでなくとも、体調不良で「アレルギー」を発症しているのに、弱り目に祟り目とは・・・・。松の木に纏わり附いていた「山芋」の蔓に、「零余子」が大量に有ったので、取って於いた。先日の、穴熊の被害にあった菜園の残骸である。奥様が丁寧に拾い集めて、一度湯がき、冷凍してあったものだ。今夜の夕飯の主役?、にと思い「むかごめし」を焚きかけて置いた。先年までは、こんなことをした事は無いのだが、是からはいただける事も有るまいと思い、釜の中へ。米を洗いながらこんな句が頭をよぎった。空腹や味噌汁そえしむかごめし平素、俳句など作った事はないが、妙に浮かんで来た。貧乏人の句である。思わず俳句に成ってしまった

  • 本日より、点滴一日おきになりました。

    血液検査の結果、カリュームの数値が正常値に近く成ったそうだ。点滴を一日おきにするそうである。しかしながら、腎臓の機能低下は、改善しない。我が家の母方の遺伝である。祖母も、母も、叔母も、腎臓機能低下で命を亡くした。姉も、弟も腎機能に問題がある。遺伝とは、恐ろしきものだ。ジタバタしても、遺伝には勝てない。親父の方の遺伝が強かったら、大腸癌、・・・何れにしても、厄介な病持ちである。この暑さと、毎日の病院通いで、常に下着を取り換えていたので、毎日自分で洗う事にしたら、(手洗い)白さが目立って白く成って来た。昔の固形石鹸の物を使って手洗い、足洗をやっている。午前中に洗ってしまうと、この暑さで、夕方までには乾燥してくれる。不思議と、自分の手や足も、白くなった気がする。こんなことをして、気を紛らわしているのだ。暑い時は...本日より、点滴一日おきになりました。

  • 点滴十日目

    一日1000ml。一時間半、ベッドで天井を眺めています。血圧が100と60より上がりません。貧血、腎不全の兆候あり。猛暑の所為なのか、はたまた、手術跡の結果が良くないのか、先生も迷っておられる様だ。痛みが軽く成ればいいのだが、そうはいかないらしい。錠剤一回八錠、朝、昼、夜の食後に飲んでいる。いささか、「うんっざり」して来た。暑さで食欲も無。加えて、我が家の庭は、「穴熊」の侵攻によって、山百合、山芋、カボチャが全滅。奥さま苦心の、猫の額の菜園は、見るも無残な状態である。金網で囲ったその下を、一晩懸けて掘ったらしい。ものすごい執念である。山もこの暑さで食糧難のようだ。病院帰りに、林の中を見たら、「鹿」が木俣にはまり込んで、もがき苦しんでいる。地元の派出所に電話だけはしておいたが、その後どうなった事やら当方には...点滴十日目

  • 私の気力は何処行った

    幾日、ブログの更新をしなかったのだろうか。目覚める、と窓の外は熱波が・・・。朝食をとるのが精いっぱい。トーストと、エッグミルクが、半年以上続いている。昨日不意に、「すき焼き」を思いついた。幾年食べていないだろうか?・・・。買い出しに出かけ、幾年ぶりかの「すき焼き」を食べた。奥様も、何時食べたか忘れたそうだ。冷蔵庫の中の余り物を片付けるのが先で、食べたいと思うものが無いのだった。「すき焼き」が済んだら、その次が思いつかない。食料庫の中には、各種カレー、・・・スパゲティのソース・・・。各主缶詰・・・。賞味期限切れまである。年取るとはこうした事に成る事のようだ。朝目を覚ませば「薬」を飲み、朝食、食後の薬。昼前に成れば、食前の「薬」。食後の薬が、食卓の上で待っている。そして又食前の薬、寝る前に食後の薬と、睡眠薬。...私の気力は何処行った

  • 手抜き工事の団地住まい。

    建築土木が専門の私の住まいは、手抜き工事で出来ている団地にある。奥様が気に入って購入したが、下水工事も、水道工事も、おまけに造成工事までも手抜き工事なのだった。忙しく働いていた時なので、奥様のご機嫌が一番と思い購入したが、水道市水は、雑菌だらけ。下水道は道の横の側溝に垂れ流し。二十年以上、この状態を見て見ぬふりをしていた広島市と、大げんか。(私が・・・)すると、同じような団地が他にもあり、市役所の保険所と、水道局、土木管理局、・・・・、全面戦争をしたのは二十年前だった。これらの団地に関係ある市会議員が加わって、一大団地改修工事となった。下水道、水道は、広島市の水道局が管理、道路管理も一挙に広島市の工事で、安全となった。しかしそれでも、各家との境の擁壁は、未だ手抜き工事のままである。今回の長雨で、どの家も覚...手抜き工事の団地住まい。

  • 雨雨ふれふれ・・・

    昨夜六時過ぎからぽつりぽつりと降り始めた。深夜三時かなり激しく降って来た。梅雨は何時まで続くのやら。沖縄では梅雨明け宣言が出そうだ。この雨が、今の私をいたぶるのだ。降り始める前から、先日の晴天の頃から、関節が痛み始める。痛みが酷いと、かなりの豪雨となる。今回は夕飯が取れなかった。ほんの少しウイスキーを口にしたが、食事の内ではない程度である。二階のベットで横に成っても、節々から熱がほとばしって来る。昼間の気温30℃。夜間に成ったら18℃。それでも体が火照って来る。睡眠薬を飲んでみたが、12時には目が覚めた。部屋の外はかなり激しい雨音がしている。何となくお腹がすいたが、現物を見ると…、拒否反応。本を読んでも頭の中に雲が漂って先に進まない。ウクライナとロシアの戦争は、自分たちが築いて来た歴史を、武器を使って壊し...雨雨ふれふれ・・・

  • 一体どうなっているのやら・・・・

    我が体調は、血圧が未だに上がらず、「90-47」・・・・。危篤寸前に近い状態。昨日は、「77-43」。死人状態だ。病院は必死に努力してくれているが、この暑さと、手術後の体調でなかなか上向かないのだ。近隣でボヤ騒ぎは有るし、マイナンバーカードに、国民保険が登録されていないし、踏んだり蹴ったりの状態である。喉をすんなり通るのは、冷やしていない「カルピスウォーター」と、「リンゴジュース10%」だけだ。その為、深夜まで「トイレ」通いが、止まらない。御かげで、深夜0時の薬を飲み忘れた事が無い。オマケにこの暑さである。ベットの上で、扇風機を回して、ただただ「ぼー」としている。こんな時に、宣伝や勧誘の電話が有ると、わざと短気に切ってしまうか、揶揄って長電話をして楽しんでいる。広島市出身の「岸田総理」も、思ったほど人気が...一体どうなっているのやら・・・・

  • 腎臓機能低下

    昨日の血液検査あの追加をやって来た。著しい腎機能低下だそうだ。入院を勧められたが、自宅の方が気楽なのでと断った。それではと、新しく四種の薬が渡された。今までが八種。合計十二種類の薬を飲むこととなった。入院すれば点滴一本で済むが、三時間は、ベットに拘束される。時間道理に薬を飲むのは苦にならない。それにしても遺伝とは恐ろしきものである。母方の曾祖父に始まり、私の母に至るまですべて母方の死の原因は、腎臓機能障害である。私も年齢的に気を付けていたが、やはり遺伝は、顔を覗かして来た。既に左の腎臓は、嚢胞で機能していない。十年近くに成る。そう言う意味では、覚悟はできている。ただ奥様孝行に、もう少し旅をしたかったと思うばかりである。吉野ヶ里遺跡にいま一度行きたいそうだ。奥の細道も辿ってみたいそうである。血圧が100を上...腎臓機能低下

  • 心不全再発

    病院で、検査。✕線、心電図、血液検査。帰宅後横に成っていると、病院から電話。明日「薬」を取りに来るようにとの事だ。血液検査と、心電図から、心不全の再発が疑われるので、明日再び診察を受ける様にとの事だ。事と次第では再び入院。それだけは何とか勘弁してほしい物である。本日も食べ物が喉を通らない。ヨーグルト一個がやっとだ。体の免疫が拒否しているらしい。いやはや、色んな事が起きるものである。心不全再発

  • 朝から低血圧

    93-73午前十時の血圧。起き上がれず。朝食抜き。96-6012時の血圧。体が重く立ち上がるのが億劫。トイレだけは仕方なく。午後二時食パン一枚に、ジャム、ヨーグルトを、いやいや食べた。午後四時。93-56依然として血圧上がらず。原因が解からない。明日は病院に行ってくる予定だが、車の運転が、不安になって来る。40年以上無事故なのだが、相手が有るのが事故。何だか不安である。低血圧に陥ると、TVも見たくないし、本も読みたくない。人と話もしたくない。こんな状態の日が有った事だけを、ブログに書いて置くと、先々役に立つことが有るので、仕方なく書いている。以前は健康診断表を自分で作って、体重、身長、血圧を一日四回記録していたが、あまりにも神経質になる気がして辞めた。心筋梗塞になった時は役立ったが、あまり神経質になるのも...朝から低血圧

  • あの「狸の襟巻」は何処に行ったやのら

    ブログを書いた後、「狸の襟巻」を探してみたが、何処に隠れているのやら見つからない。処分したい記憶は無いし、四本足の貫禄十分な奴だったが、・・・・。広島市の高野橋と言う商店街に「ブラジル」という、喫茶店がある。路面電車の向こうに市役所が有り、店の三軒隣は、大型交番常時15人は勤務している。中学生時代、友人が、二人乗りで捕まった。警察官「二人乗りはいけないなー」友人「いやいや三人乗りだよ」即家庭裁判所送りとなったが、広島市内有名な進学校なので、学校長預けとなった。加えて、20m先には中央消防署と言う立地条件である。さて事の始まりは、広島市議会が徹夜審議となり、多くの市職員が徹夜で仕事をした。食道は、昼が本番。朝から腹持ちの良い物は、何処にも無かった。せめて「コーヒーでも」と、そんな連中が、この喫茶店にやって来...あの「狸の襟巻」は何処に行ったやのら

  • 近頃見なくなった物

    野生動物の事を考えていた。「鹿食免」の札の、後遺症だ。戦前から流行っていたのは、小金を貯めた「親父(おやじ)さん」が、「狸の襟巻」をしていた。戦後、復興と共に、成人式などで、若い女性が「狐の襟巻」をしている姿が多かった。その後それらは、「羊の一枚皮」を、肩からすっぽり掛けるのが流行った。いつの間にか、「狸の襟巻」とともに消えて行った。我が家の奥様は、成人式に親から「狐の襟巻」を買っていただいたが、家に帰った時には無かったそうだ。「おちょこちょい」は、70過ぎても治っていない事は、確かである。新成人が多いい時代、「狐」の養殖が、ブームに成ったことが有った。あの膨大な数の「狐の襟巻」は、今どこに行ったのだろうか。私が二十四歳後の頃、紬の和服を作った時、近所のおじさんから、「狸の襟巻」を頂いたが、一度だけ友人と...近頃見なくなった物

  • 何故?「鹿食免」と言うお札。

    さて、獣肉を食するに、その種類は多数ある。山鳥、猪、熊、狸、・・・・。その中で敢て「鹿食免」としたのだろうか。「早起きは、三文の徳」と言う言葉は、皆さん良くご存じであろうと思う。この言葉の、発祥の地は「大和」(奈良)と言われている。奈良には「春日大社」が有り、そこには、四柱の神が祭られているが、その一番が「武甕槌命」(タケミカヅチノミコト)で、この神は常陸の国鹿島から、「鹿」に乗っておいでになったそうである。だから、奈良では、鹿こそ神なのだ。本来「神」である物は死なないのだが、奈良の鹿様は、良くお亡くなりに成る。その亡くなった場所が、私の店の前だったら、その家の主人が奉行所に知らせて、その上にその鹿の埋葬を手厚くしなければならなかったそうだ。その運搬費だけでも「三文」かかったそうである。そこで、他の店より...何故?「鹿食免」と言うお札。

  • 何故?「鹿食免」と言うお札。

    さて、獣肉を食するに、その種類は多数ある。山鳥、猪、熊、狸、・・・・。その中で敢て「鹿食免」としたのだろうか。「早起きは、三文の徳」と言う言葉は、皆さん良くご存じであろうと思う。この言葉の、発祥の地は「大和」(奈良)と言われている。奈良には「春日大社」が有り、そこには、四柱の神が祭られているが、その一番が「武甕槌命」(タケミカヅチノミコト)で、この神は常陸の国鹿島から、「鹿」に乗っておいでになったそうである。奈良では、鹿こそ神なのだ。本来「神」である物は死なないのだが、奈良の鹿様は、良くお亡くなりに成る。その亡くなった場所が、私の店の前だったら、その家の主人が、奉行所に知らせて、その上に、その鹿の埋葬を手厚くしなければならなかったそうだ。その運搬費だけでも「三文」かかったそうである。そこで、他の店より早く...何故?「鹿食免」と言うお札。

  • 南無阿弥陀仏 2 ・・・・

    私は大きな忘れごとをしていた。本体の私より先に「荼毘」に付されたのは、2つではなかった。2番目に全摘出した、前立腺の事を失念していた。以来、戸籍上では「男」だが、実質「無性」なのである。よって荼毘は過去に3回。ところで、今一つの藤森氏の系統について本日は書いて置く。神功皇后が三韓征伐に行き、その後九州の氾濫を押さえ、帰郷した時、押収した敵方の武器を地下に埋設したのが、藤森神社(京都)の始まりである。当初は山代の国の深草に有ったが、後に京都に移されたらしい。当時の敷地は広大で、後にはその敷地内に京都大学が作られた。如何にせん、戦関系の神であるので、勝負事の信者が多いいらしい。特に競馬ファンの参拝が多いいと聞く。この藤森神社一党の名字が「藤森」である。ややっこしいのは、この藤森神社を訪れた時、苗字の由来をうか...南無阿弥陀仏2・・・・

  • 南無阿弥陀仏・・・・・

    私の胆嚢に「戒名」を付けたいと思うが、良い案が浮かばない。諏訪神社の流れだから、「南無阿弥陀仏」はそぐわないのだが、明治維新により、肉食が許され、肉食に「鹿食免」(かじきめん)の御札がいらなくなった。藤森一族は全国で相当困っただろう。・・・・お札を売っていたのが藤森一族なのだ。ところがそうでもなかったようだ。信仰はそんなに急展開に付いて行けない。中国山地などは、砂鉄を掘る為、山を崩し、残りし土地を畑にすると、元の山に住んで居た「鹿、熊・・・」が里に下りてきた。退治するのは良いが、せっかくの獲物は「食べる」に限る。けえって、多くの場所で諏訪神社の分社が作られたらしい。そんな事から「何々の命」としたいがその薀蓄さえない現代である。我が体に一部が、私より先にあの世に旅立つ・・・2度目だ。一度目は、小学5年生の時...南無阿弥陀仏・・・・・

  • 恐れ入り屋の鬼子母神

    昨晩夕食時に、奥様が突然仏壇へ・・・・。帰ってきたら、こんな写真のコピーを見せました。なんと私の胆嚢の写真です。切除後、主治医がわたしにみせてあげてくださいとわたしてくれたそうだ・・・・。私より仏壇に先に報告したが、退院した私の事はお忘れだったようである。主治医が私の気持ちを察して、コピーを渡してくれていました。これらの他に、ヘドロ状のものが有ったらしい。右側の黒い集団が、胆石。胆嚢を開いて写真に撮って頂いておりました。その壁に、いくつかの傷跡が有り、そこに胆石が取り付いていたそうだ。私の命を狙って。命を助けていただいた証拠写真でございます。それにしても、退院した私に見せるのを忘れていたとは・・・・。主治医の先生感謝です。恐れ入り屋の鬼子母神

  • 昨日朝、退院。

    金曜日に手術。日曜日朝9時には退院。我が胆嚢は無事に切断された。切った胆嚢を取り出す穴は、2センチ。切断用の機械は4mmの穴から。もう一つ電気メス用の穴が4mm。合計3か所の小さい穴から、2時間半で完了。傷口は、テープが張ってあるだけ。それも土曜日の朝一番に剥がされた。結構穴が痛いので、フラフラしながら、裏口から退院しました。胆嚢の中の遺物は、鉄とカルシュウムが、肝臓が弱って流れ出し、タンパク質が加わると、胆石に成るそうだ。私の胆嚢なので、是非とも欲しいと主張したが、ダメだった。切り取られたこうした内臓は、一定の量貯まると、火葬場で償却する(荼毘に付す)のだそうだ。年々・・・突然の雨、隣家の屋根の上で、跳ね踊っている。これほどの雨脚は久しぶりだ。2年前にも有ったが、その時は手抜き工事の団地は、姿が変わった...昨日朝、退院。

  • いよいよ入院

    18日入院、翌19日10時より手術。二時間半の施術だそうである。今回の検査で判明したことは、胆石は胆管の中に存在し、且つ胆嚢が肝臓と癒着しているそうだ。加えて、胆嚢の中に不明なものがあり、その処置は、未定。加えて心臓に問題あり。心筋梗塞をした証拠が心臓に残っているそうである。加えて、大動脈弁が石灰化して、弁に隙間がある為、血圧が110以下だそうである。加えて左の腎臓が、役に立っていないそうである。78年間の生活の記録がしっかり体に刻まれている様だ。被爆者として、再生不良貧血や、大腸炎で、小学校五年生で、盲腸と大腸の一部を切除したし、骨髄移植の経験済みである。これまで悪運強く生きてきたが、悪運も尽きつつあるようだ。今回の手術は、臍の横に4センチの穴をあけ、カメラを設置して、体の左半分に八ミリの穴を三か所あけ...いよいよ入院

  • いよいよその日がやって来る

    切腹の日まで四日。胆嚢全摘出だそうであるが、十日の検査では、ハプニングが突発した。胆石が消えたのだ。其の代わりに、胆嚢の後ろ半分に正体不明の物体が占拠して、CT,MRI,エコー等の検査器具では正体が判別できなかった。集合してきた医師は六名。色々討議されていたが、摘出して時間をかけて正体を・・・と、言う事に成り、予定道理の手術と相成った。非常に珍しいケースで、今まで経験がないそうだ。もしかして、前回のすい臓炎も此の不明物体が原因だったのではなかろうかと言う、意見も出てきた。それにしても78年間、原爆を始めとして、多くの事故事件で命拾いしてきた身である。今更、じたばたする気も無い。妻の両親、我二親の最期も看取ったので思い残す事は無い。妻には、最後までドタバタさせた事、それだけが心残りである。とは言っても、些か...いよいよその日がやって来る

  • 情けなや!(2)・・・

    二十一日に書いたブログ記事を読み直して、・・・・・。あれだけ気お付けたのに、脱字が初っ端から、・・・・。お恥ずかしきしだいだ。体調は一進一退。それも当たり前の事だが、年取ると先が見えてきた気がして焦りが。あれもやりたや、これもやりたや。元気な時に行っておきたかったところが、・・・・。孫がいよいよ大学受験。来年の二月には入学金をせびり倒されそうだ。大学には自動車で通学するとなると、運転免許、・・・・中古の自動車。あな恐ろしや恐ろしや。この世で最後の奉公に成るのだろうか…それもまた良かろう。情けなや!(2)・・・

  • 情けなや!・・・

    何十ぶりにブログの記事を書いたが、何と・・・誤字脱字の多いい事。「体調不良が本格的になったのは、三年前のこの時期であった」と、思い込んでいたのだったが、2017年2月16日の、アスベストの検査の時既に心臓に問題が発生していた事に、どの医師も気付かなかった。肺の検査ばかりして、原因不明だとされた。それが3年前に、同じ町内の医師によって、「心不全の疑い」で、入院して検査を受けた。結果は、「心臓の機能低下」が、「腎臓の機能低下」「両肺の胸水」の原因だと判明した。この事が、「マダニ」の被害からの回復を遅らせている原因だと判明した。それから三年、再びその影響が胆嚢にも及んでいたのだった。胆汁の流れが悪く成り、その事によって「結石」が出来、膵臓からの消化液迄止めてしまい、今回の入院騒動に成ってしまったのだ。胆汁液によ...情けなや!・・・

  • あの世からの生還

    1月25日早朝3時、激痛で目がさめた。お腹全体が激痛で身動出来ない。奥様を呼んでも、一階と二階では聞こえないのである。況しては、奥様は難聴。八時二十分。這うようにして一回に降りた。奥様に病院に送って欲しいと言ったら、身支度や化粧すると言い出して、そのような時間私が我慢できないので、意識もうろうとしながら、車で病院まで行った。即、他の患者さんを飛ばして診察してくれお医者さんの言葉は、「救急車を呼べ」。気力を振り絞って、自分の車を修理工場の従業員に預かってもらう電話をしたまでは覚えているが、・・・・。三日目、意識が戻って視ると、体中に管が付いている。点滴四本、酸素吸入、排尿・・・。看護師さんに声を懸けたら、「やっと気が付いたですね」三日間麻酔と、痛み止めで、意識が無かったそうだ。原因は、7㎜の胆石が瓢箪丘と呼...あの世からの生還

  • ボケ始め

    本格的な文章を、最後にブログに掲載したのは、一年前の11月だった様だ。その後、PCに触る事がほぼ無かった。先日久しぶりに、駐車場の賃貸契約の文章を印刷して、借主に配って歩いたのだが、誤字脱字が多くて・・・・赤面の至りだった。毎日天井ばかり眺めていたら、本当に惚けてくることを、実感した。PCの使い方さえも、於保つかまくなって、びっくりである。人様のブログを覗く事は有ったが、記事を書く事がなく、況してや複雑な作業をしなくなったら、PCの活用方法さえも、忘れてしまっている自分が有った。音声入力など急にやろうと思ったら‥‥?。衰えるとは、こうゆう状態から始まるのだと、実感してきた。車は、オートマは乗らない事にしている。これは以前タクシーの運転手さんから、「高齢になればなるほど、マニアル車に乗るべきですよ」と、教わ...ボケ始め

  • 年には勝てない様だ

    本日は、「石綿」の健康診断日である。その事はしっかりカレンダーに記入して、・・・。何時もより30分早く起きて、身支度を済ませてから朝食取りながら思い出した。食事はしてはいけなかったのだった事を。悲しきかな、本日の検診は見送り・・・、カバンから書類を取り出して、病院に連絡と思い、今一度書類を読み直してみたら、14時からの検査だった事が判明。そう言えば午後の方が、通勤時間に重ならないので、高齢者が運転するは良かろうと話し合ったのだった。「ん・・・・」私もかなり惚け始めたようである。今も文章を書きながら、キーボードの不調に悩んでいるが、以前なら直ぐに直せたが、それが出来ない。老いるとは、このような物なのかと、実感している。まあ、無事故無違反だけは、続けたいものである。年には勝てない様だ

  • お詫び申し上げます。

    久し振りの記事の掲載に先立ち、休眠中にお尋ねコメントをお送りいただいた皆様に、御礼とお詫びをすべきところ、自分の言いたい事だけで、大変失礼いたしました。お詫び申し上げます。本年、4月8日(お釈迦様と誕生日が同じ)、満77歳と相成りました。俗に言う、「喜寿」。されどわが身は、ベットの上の生活に近い状態。9種類の薬を、一日四回飲んでおりまして、・・・・。菩提樹の木の下で寝て居れば、悟りを得たかも知れませんが、残念ながら煩悩の塊となっております。しかし時間は走り去り、孫娘はこの春、私立の女子中学校に進学、私の貯金から入学金が飛んでゆきました。今や入学金で、高級中古車が買える金額、・・・・。まあ死んでも、あの世に持って逝ける物では無しと、・・・。それにしても、世の中何だか可笑しく成って来た様だ。コロナなんか・・・...お詫び申し上げます。

  • お久しぶりでございます。

    最後に投稿したのは、昨年の11月8日だ。其の日以降、心不全、内臓の炎症(胆嚢炎)、すい臓炎、・・・・。その原因が、投薬に有ったのが判って以来、痛みに対する治療が進展せず、24時間「いたい、いたい」と口走っている。ブログで拝見していると、「遊工房」様もかなりの重症のようだが、大変行動しておられるのに感心する。今年になって、「肉」を堪能するくらい食べた事が無い。食べても一口だけ。胆嚢が暴れだす。3個有った、結石の内1個はカテーテルで取り出したが、あと二つは生半可の方法ではダメだそうだ。胆嚢の全摘出以外に方法がない。前立腺に至っては、此の市民病院始まって以来の、記録的大きさだったが、「がん細胞」が見つからず、手術を伸ばしていたが、排尿困難になり、全摘出した。細胞検査を、国と、広島大学と、此の市民病院でやったが、...お久しぶりでございます。

  • 深夜二時

    目が覚めた、深夜二時である。夕飯時に飲んだ、コークハイの為か、お小水に行きたくなって目が覚めたのだ。電気を付けて、トイレに行って、階段を上がり鉢植えを見たら、アボガド君の姿がSの字状に・・・・・思わず笑ってしまった。確かに私が寝るとき本を読んでいたので、明かりがついたままだったのだが、それがアボガド君には太陽に思えたのだろうか。体ををよじ曲げて、‥‥。いやはやすごい生命力である。それから四時間後には、外の光が入り始めたら、見る見るうちに、窓に向かって背筋を曲げ始めた。昼前には完全に昨日の通りの状態になっていた。葉っぱも何だか六枚になっている。アボガドの木は、日本の気候でも育つのだろうか?。以前調べたが失念した。寒冷地には無理だった気がするし、何だか高木になるらしいことだけは覚えている。このまま大きくすることは罪...深夜二時

  • みんな暖かい方に身を寄せる

    今朝このアボガドの芽は、上を向いていた。夜見ると、窓に向かって曲がっている。みんな暖かい日差しを求めて、伸びて行くのだと実感させられた。明日の朝、この新芽がどんな姿なのか見者だ。中東では宗教の対立で、弱者が泣いている。特に女性の多くが犠牲になっている様だ。アジアでは、思想信条で泣いている民が居る。特に中国に多い様だ。韓国も何だか解らない所に陥っている気がする。犬の肉を食べるかどうかで、対立しているそうだが、犬の肉を好んで食べている人間は、15%に満たないそうである。犬の肉を食べる文化が有る国がいくつあるのだろうか。あまり聞いた事が無い。子供の頃、飼い犬が行方不明になると、その地域の住人が朝鮮人を疑った。私などはそんな文化が有る事さえ知らなかったので、大人たちがなぜ朝鮮人を疑るのか理解できなかったが、・・・。考え...みんな暖かい方に身を寄せる

  • 人間教育と職業訓練

    就職率の高い大学への志願者が多いそうだ。親も子供も自分の生き方を真剣に考えているのだろうか。一番大切なのは、自分自身の教養と、人間性ではないのだろうか。平気で無免許で車を運転し、その結果人の命を奪ってしまう。はたまた、自らの命を縮めるために人を殺し、電車に放火する。自らの事を自ら行えない人間に誰がしたのだろうか。保育園、幼稚園、小学校・・・・大学、はたまた、職業訓練校、その大元に存在するのが、親である。私自身も、自慢できる親ではないが、物事の善悪に対する分別は持っていると思っている。過去にも詐欺は存在したが、現在ほど多くは無かった。「騙される方が馬鹿だ」そんな風潮をだれが作ったのだろうか。そこに政治家が存在する。口先だけの政策。「原発こそ日本の未来を創る」学者と共に、声高に叫んできた結果が、「宮城」の惨事に繋が...人間教育と職業訓練

  • 藪医者ばかりで困っています。

    一昨日から、「声」が出ません。余り「維新」の悪口ばかり有言うので、どこかで毒を盛られたのではないかと疑う程です。痛みは殆ど無いのですが、声を出そうとすると、掠れたというより、詰まった感じで出て来ないのです。色々勧誘の電話が有りますが、断るのには便利です。耳鼻咽喉科の先生も首をかしげているばかり。来週にでも市内の大きな病院へでも、行ってみる事にしたのですが、皮膚科の検査でびっくりな結果が、・・・。酷い貧血症状が血液検査で判明。安佐市民病院の相談室に行ってみたら、そこでやっていた検査は項目が少なく、見落としていたらしい。きつく相談員に言って帰宅しました。さてその治療も、どうも今の担当医では信用できなくなってきた。抜本的に転院を検討すべきなのかもしれない。かと言って、原爆病院は遠いいので、・・・・藪医者ばかりで困っています。

  • 憲法改正?、 正気なのですか?

    維新の会様が、衆議院選挙で議席を伸ばした途端に、憲法改正を声高に言い始めた。選挙公約にそんなこと言っておりましたかね。広島ではあまり聞いたことがありません。自民党候補からさえ、聞いた事がありません。国防について、真剣に議論することは必要です。中国が、千発の核兵器を準備するそうだが、使った後その放射能は何処に行くのだろうか。狭い地球で、石炭を使っただけで、温暖化を起こして気象変動し、大変な思いをしているのに、・・・。ビキニ環礁は未だに住民は、帰還できない状態だ。チェリノブイリも、未だ問題解決できていません。福島に至っては、本当に今の方法で、最終的処理が出来るのだろうか、疑問だらけです。経済効率を追求した結果が、福島で起きた問題点でしょう。学者の多くは、地震では原子炉は破壊されなかったので、これからも利用すべきだと...憲法改正?、正気なのですか?

  • やっと痒みが軽くなってきた

    蕁麻疹か、はたまた薬疹か不明のまま、皮膚科でいただいた薬で、痒みは無くなってきた。と言っても、左わきの下だけは、少し痒みが残っている。一時期、「鯖」を食べると蕁麻疹が出る時があった。それまでは、好物の一つが「鯖」。特に「〆サバ」は大好物だった。此れさえ有れば、他の物は無くてもご機嫌だったが、四十過ぎに突然受け付けなくなった。アニサキスが居た訳でも、生きが悪かった事も無かったが、「鯖」は干物からひどい時は見ただけで、湿疹が出た。しかし二年ほどして有るときから、再び食べられるようになった。広島市は、背中に浜田市を背負っていて、何時でも生きの良い「鯖」が手に入っていたのだが、此の処良い品物が入って来ない。漁獲量が減少したので、高値になったら「東京」へ取られてしまっている。以前は、安い値段の「鯖」等、東京に送ってもガソ...やっと痒みが軽くなってきた

  • 久し振りの外出

    奥様の援護で、久しぶりに超大型スーパーへ、出かけた。目的は、買い物は二の次。昨晩遅くに孫姫様から電話。「絵葉書ポスターが入選して、今日から安佐南区の大型店で展示されるので・・・」。奥様と言ってきました。納税振興のためのポスター(絵葉書)募集があったらしい。広島市の小学校六年生が応募したそうだ。それに入選したのだそうだ。展示されたものは、入賞入選作品百点ばかり。その後は、私の今夜の献立の買い物と、奥様は「交通安全協会総会」の茶菓子の買い出し。久しぶりに、広島経済大学近辺を見たが、大変な変わりようだった。巨大スーパーがずらり・・・。駐車場は千台近くが入るのではなかろうかと思われる広さ。嘗ては、三菱の精密機械が生産され、私立の女子学校があった場所である。そう言えば、今は名前が無くなった、油谷重工の主力工場があった場所...久し振りの外出

  • 野党の不甲斐なさ

    気候変動の大きな環境変化で、国民の意識が少しは変わるかと思ったが、若者の浮かれた文化は、全く修正されぬままのようだ。自分たちの将来に対して、自らが学び研究しないと、命さえ守れない時代が来る気がする。それは自然災害だけではない。多国間との摩擦も今まで以上に大きく成り、多国籍企業は日本を逃げ出せば良いが、国民の大半はこの国から逃げ出すことも出来ないのだ。そんな事を考えながらネットのニュースを見ていた。窓の外の景色が、ほんの少しばかり変わって来た様だ。向かいに聳え立つ「螺山」の、麓辺りから紅葉が始まっている様だ。何時もと逆の秋の訪れである。山頂部は青々として、未だに変化がない。昨日も昼間の室温は24℃を超えていた。それでも奥さまが努力の末に、吊るして置いた柿が、程好く萎びて来て、干し柿の態を現し始めた。新年のお供え餅...野党の不甲斐なさ

  • 山椒の木は、果たしていつ姿勢を治すだろうか。

    アボカドの新芽君より、もっとひどく曲がってしまった「山椒の木」。鉢を回転させてから幾日で姿勢が修正されるだろうか。曲がるのに約三週間として、元の姿勢に戻るというより、南に向き直すのが幾日かかるだろうか。昔の事だが、山師の棟梁に聞いたことがある。一本の木が成長するのに、どの様に成長するか誰も語らないが、それは並大抵ではないという。一本の木が成長過程で、枝がどの向きに出ているか観察すると、十二年で一回転するという。その話を聞いた時、嘘だと思ったが、長じて大人になり、建築関係の仕事をしていると、古い大きな木造建築などに出会うと感じられてくる。松の大丸太の梁が有ると、その梁が四十年以上たつと、斜めにひび割れが生じてくる。木が育った環境が其処に出てくるのだ。主に針葉樹の特徴のようだ。(これは私の感想)確かに、全ての枝がま...山椒の木は、果たしていつ姿勢を治すだろうか。

  • なんて賢いのだ

    パイナップルの鉢を、30度回転させた。九時間たって鉢を見たら、アボガドの新芽が、南に向いて芽を伸ばしているではないかいな。「ごめんなさい、貴方がそんなに努力しているなんて知らなくて」。植物の生命力に感動。例え部屋の中にいても、生きるために・・・・。そもそも、パイナップルを見ていたら、そばに生えている山椒の木が、南に向いて曲がっていた。ベランダから部屋の中に引っ越したら、光は一方からしか入って来ない。鉢の中の皆様は仲良く皆様南に向いて整列されていた。それを私が向きを変えたばかりに、方向転換を始めたようだ。幼い新芽のアボガドは、たった九時間で頭を南に向けていた。「なーるほど」感心することしきりである。幼い程柔軟性があって、生命力もみなぎっているのだと改めて気づかされた。昨夜は6℃まで気温が下がった。午前十時時点で1...なんて賢いのだ

  • 堪らず病院へ

    上半身の痒みが止まらない。それどころか範囲が拡大。今朝は病院へ駆け込んだ。皮膚科の先生は、少しばかりこわごわの診察である。マダニに感染した時に、最初の処置が悪かったので、重症化したことを反省されている様だ。緊急検査をするとの事。三時には結果が出るので、それまでは自宅で待機。「えー・・・」、選挙の期日前投票に行きたいので聞こえないふりをして置いた。さて選挙だが、最高裁判所の裁判官の信任投票、「結婚後、同姓を名乗らなければならない」なんてくだらない石頭の方は、退場願いたいのだが、・・・・。日本人は未だに石頭が多いいのでむりだろうなー・・・。衆議院選挙も、法務大臣が奥様の為に、買収選挙をおやりになった選挙区である。私の後輩が公明党から出ているが、現在の時点では同類であると思ってしまう自分がいる。広島県知事さんも、些か...堪らず病院へ

  • ひょっこり芽が出る鉢の中

    「御山の杉の子」の話ではありません。我がパイナップルの鉢の話でございます。今朝、鉢の中を眺めていたら、「ウムム・・・」。何やら目が出ている。第二の山椒なのかと、根元を掘り返してみたら、丸い大きな種が出てきた。そう言えば昨年夏に、「アボガド」の種を何とはなしに鉢の中に投げ込んだ記憶がよみがえって来た。腐食して、パイナップルの肥やしになればと思いついて、五つばかり投げ込んでおいたが、其の内の一つが目を出したようだ。夏の盛りのベランダから、初秋の部屋の中に移したら、気候が合ったのか目を出したようだ。そう言えば、どなたかのブログの中にも、家の中で「アボガド」をお育ての方が有ったなー・・・。それにしても朝晩の冷え込みがこたえるようになった。体が変化に付いて行けないのだろうか、上半身が痒くて悲鳴が出そうである。薬の所為では...ひょっこり芽が出る鉢の中

  • 幾日ベットの中にいるのか解からない

    金曜日に診察を受けて以来、何だか受診がバカバカしくなった。此の担当医になって、緊急外来で処置をしてもらったのが二回。四か月で二階の緊急処置。事前に体調不良を伝えていても、血液検査だけを頼っての診察だ。血液に変化が出るのは、その症状が悪化してからなのだが、どうもその感覚が無いらしい。此の処、妙な痛みが背中から臍に向かって走って来る。排尿も回数ばかりで量出て来ない。以前の緊急手術の時に、よく似た症状なのだが、理解してもらえない。オマケに診察開始が遅い。週一回の外来診察で、あとは当直医なのだそうだ。朝目が覚めないらしい。一晩中病室を走り回っているそうだ。同情はするが、外来患者もしっかり診察して欲しい物である。以前の女性医師も同じように勤務をされていたが、実に手際が良かった。若かったが、大学病院の講師になって栄転して行...幾日ベットの中にいるのか解からない

  • 明日は私の診察日

    安佐市民病院で、一か月に一回の精密検査。今回はコロナで二か月に一回いなりました。ブログの更新は出来ないと思います。両眼の視力低下。全身の痛みの不規則化。神経系統の不明化。思考力以外、全てが無くなりつつあります。そんなこんなで、口先男に成りつつあります。奥様とも、出来るだけ言葉を交わさぬよう、気を付けています。しかしながら不思議と、自動車に乗ると奥様より、いやいや町内の同年代よりもしっかりした運転が出来るのが不思議です。それだけに、人一倍安全運転に気お付けながら、・・・・。明日は、病院まで気を付けて行ってきます。明日は私の診察日

  • テンヤワンヤ

    午前九時、自動車教習所から電話。「奥様は御在宅でしょうか?」・・・私頭の中で、(奥様は本日免許書き換えの日だったが・・・)「時間に間に合うようおいでいただいておりますでしょうか。」奥様なんと失念して、身支度もせず朝風呂にお入りでした。取り急ぎお送りしたが、時間に間に合わず、次の時間の方と入れ替えて、・・・・。それでも講習を終えられて、先程お迎えに行って参りました。教習所の玄関前で待っていたら、どなたかと話しながら出て来て、私の前は素通り。私「えー・・・」後ろから背中をつつくと、「えー・・・」と、びっくりされた。ビックリしたのはこちらの方だ。此の処、漫才のネタ並みの奥様に成りつつある。それでも免許書き換えは無事終了。・・・らしい。免許所の確認は私はしていない。ところで、我が家にはプリンターが四台ある。各一台は、そ...テンヤワンヤ

  • 忙しいのか暇なのか

    三度の食事の準備と買い出し。カラスと野良猫対策、孫の受験のお手伝い(時々、塾の料金の手助け)、奥様の交通安全協会事務局のお手伝い(パソコンの手入れと、不調時とは言っても、手順間違いが大半)、気分はのんびり、体は使われ放題。ご褒美とてこれと言ったものは無し。昼食の跡、一人空を眺めながら、結婚とはこんな物なんだろうかと自問自答。小学校時代からの友が突然電話してきた。高1ごろから二十歳頃まで一緒に通った教会が有る。その協会も、コロナで集まれないそうだが、互いに電話で近況を伝えあっているそうだ。そんな中、同じ年代の女性が、「私は(この私の事)今どうしておいでですか」と聞いて来たそうだ。今でも時々行き来していると言ったら、「また一度教会でお会いしたいわね」と告げたそうだ。顔はハッキリと覚えているが、一度だけ教会帰りに「鉢...忙しいのか暇なのか

  • もううんざり

    メールの数が並大抵ではない。一般的ニュースは私がセットしたので読んでいるが、若い女の子の名前で、はたまた、持ってもいないカード会社の名前で、わんさかやって来る。詐欺だと自分で白状した様なものばかり。削除する時間がもったいないので何かいい方法はないかと、研究を始める事にしたが、・・・・。果たして良い方法は有るのか。今一番頭にきているのが、「アマゾン」の商品だ。長年トラブルが有ってもすぐに解決してくれたが、今回は無しのつぶて。消費者センターにでも持ち込もうかと思い始めた。それはそれとして、本日の天気は薄曇り。一年半前から逃避のかゆみで悩んでいたが、皮膚科では完治せず、とうとう外科に行ってみた。と言いうのも寝ている間に、自分で触ってしまうらしい。その為化膿して痛みが酷くなったからだ。あれだけの量、痛み止めを飲んでいて...もううんざり

  • 少しは暖かい

    即日午後から、体調が急変。何を見ても、もどしそうになりました。好物の「ホワイホース」ウイスキーさえも、喉を通りませんでした。今朝も絶食。悪阻でもないのに、食べ物を見ると、もどしそうになる。何故だか、体中の筋肉が「カチカチ」。ほぐそうと少し運動したら、余計に痛みが増して来た。急の気候の変化に、体が付いていかないのだろうと、ここはただただ「寝る」にっ徹して、・・・・。それでもやる事が多すぎ、奥様の車の整備、何だか奥様が「干し柿」を作り始めたので、干し場の確保。いかにせん、「烏の勘三郎」が、何時も狙っているのだ。それはそれとして、被害が有った時は、奥様が警察に盗難ありと、揶揄ったら・・・・と言ったら、口をきいてもらえない状態になってしまった。本日は気温が低いが、冬が近づき日の高さが低くなった分、部屋に日が入って来る。...少しは暖かい

  • 余りの寒さに、「ズボン下」

    今年の夏はあまりの暑さで、夏用のズボン下さえ着用しなかった。今朝の気温13℃。押し入れから「ズボン下」を取り出して、作務衣の下に着込んだ。この夏一度もズボン下を履く事が無かったので、スーパーに行くと下半身が「すーすー」。思わず身震いを起こしていたが、店を出ると夏用の作務衣さえも、脱ぎたくなるのだった。昨日も、26℃。一気に13℃気温が下がるとは・・・・。最高気温も16℃が予想されるそうだ。夏用ズボン下では、まだ少し「すーすー」の感がある。深夜の雨も収まって、八時過ぎから日が照りだしたが、気温はあまり上がってこない。机の前に座っていると、背筋が「すーすー」。作務衣の下に、長袖のシャツを着こむ事にしようと捜したが、奥様が何処に収めてくれたのか出て来ない。仕方が無いので、カッターシャツを着こんだ。北からの寒気が吹きこ...余りの寒さに、「ズボン下」

  • 我が家の垣根越しには秋が忍び寄っていた

    毎日車で出入りしているのに、お隣さんの事は見ていない様だ。毎年秋になると、お隣様から柿が届く。我が家に越境している枝になった実を身代金としてお届けいただいているのだ。その枝の方角が、東に向いているので、切りつめても新芽が我が家に越境してくるのである。私はその柿の枝が、秋になると紅葉して、楽しませてくれるので、切らなくてよいと伝えてある。その為申し訳ないと、毎年身代金が届くのだ。この木にだけ秋が忍び寄っていた。その事に、今朝気付いたのである。このあたりの鹿は、一年中泣き暮らしているので、秋らしいものと言えば紅葉位だが、その紅葉が今年は青々としているのだ。昨晩もしかの鳴き声が、・・・・。彼らにとって、住宅地が一番安全な場所に変わってしまった。人間の為に作った、「銃刀法」が、まさか鹿や熊を守るとは先人は誰も思いも拠ら...我が家の垣根越しには秋が忍び寄っていた

  • 烏と倫敦塔

    昨夜ふと烏の事で思い出した。「倫敦塔の鴉」と言えば、夏目漱石の英国留学時の事を書いた「倫敦塔」を思い出した。漱石全集を引っ張り出してきて、早速に読んだ。この全集は、奥様が三十歳から大学に行った時に、なけなしの私の給料をやりくりして、お買いになった記念すべき本なのだ。いかんせん、国文科に進学したので、漱石全集くらいは無いと困るだろうと、購入した。漱石自らが書いているように、この「倫敦塔」の文章は、幾度も読むべき文章ではない、そんな気がして来る文章だ。強い印象的な内容だけに、幾度も読むと鼻に付いてくる。久しぶりに読むとやはり面白かった。此処では、鴉は、(鴉と言う漢字は烏を使わずにあえて、鴉を使っている)また、ここにいるカラスは、「ワタリ鴉」という種類であることも記している。この鴉こそ、人間の言葉を理解し、会話が出来...烏と倫敦塔

  • 恥さらし

    我が母校の後輩、元衆議院議員広島四区の中川俊直が、無所属で衆議院議員選挙に立候補するという。妻が有りながら、ハワイで別な女性と結婚式をして、前回は立候補を諦めた御仁である。自由の国日本だから、国会議員に立候補されるも、止めるのも自由であるが、開いた口が閉まらない。此れが自民党の感覚なのである。喉元過ぎればなんとやら・・・、いやはや日本の政界は崩壊寸前に成って来た。中国の軍事圧力、ロシアの軍事力、北朝鮮の核開発。日本の軍部(自衛隊)の発言力が増してくる気がしてならない。国際社会での日本の技術力の高さは並ではない。何時でも弾道ミサイルなど開発できるが、遣っていないだけである。いやいや、もしかして裏社会では、すでに行っているかもしれない。東芝が潰れないのは、小型原子炉の技術を隠しているからだという噂さえある。造船不況...恥さらし

  • 三日たっても判らない

    先日の烏騒動、如何なる「烏」かと調べているが、判らない。大きさは、嘴太や、嘴細と変わらない。違っていたのは、お腹のあたりに白い羽根が見えたのだが。図鑑の中にはそれらしきものが居ない。そう言えば、広島の平和公園に、真っ白い「烏」が居る話が合った。アルビノではないらしいとの事だったが、もしかして突然変異か、?。それにしては数がかなりいた。それが元で、昨晩も眠れなかったので、深夜に睡眠薬を使用した。そんな中で、大英帝国は、今や大騒ぎになっているそうだ。たった一匹の烏が、「ロンドン塔」から姿を隠したからだそうだ。この烏には名前まで付けられていて、王室が保護していたそうである。昔から、ロンドン塔の烏が居なくなると、国難が起きるという事だそうだ。王室が破滅すると、言い伝えられているのだそうである。そう言えば、EUから離脱し...三日たっても判らない

  • 自分で手術

    土曜日、下前歯左二番が、またもや化膿し始めた。この歯は、根っこが折れていて、(原因は、現場で角材が当たった)その折れたところが化膿するのだ。歯医者はお休み。月曜日に我慢ならず、自分で切開して、中の膿を出した。以前貰っていた抗生物質の軟膏を四時間おきに塗って、・・・・。奥様が左顎が痛いので、整形外科に行ったら、「歯医者さんの虫歯の処置が悪いので、歯並びの左右のバランスが崩れて、その為あごの関節に負担が来たのだろうから、歯医者で先ず直してもらいなさい」と言われたそうだ。私が行っている歯医者さんの対応が好きでないからと、別な歯医者さんでやってもらったら、こんな結果になって、仕方なく私が同道して行って、私が行くは医者に・・・。歯医者さんは、私の処置の仕方にびっくり。幹部をオキシフルと、ヨードチンキで消毒して、カッターナ...自分で手術

  • カラスは、何処に行ったやら

    五日前、早朝からカラスがやけに騒いだ。ベランダから眺めると、等間隔でカラスが見える。その互い距離およそ30m。そして激しく鳴いている。どうも縄張りを主張しているような感じである。其の数およそ30羽。此れだけの烏が集まるのは、四年前に一度有った。その時は、一週間近く続いた。場所的には今回とは違い、あるこんもりした林を中心にして、激しく鳴いていた。どうも気になるので、ヘルメットをかぶって、顔は手拭いで覆い、手には柄の長い釜を持って行った。身を守るためだ。此の時はある程度予測が付いていた。此の林の中に、食料になる何かが有り、狐やタヌキと取り合っている気がしたのだ。予感は的中。角が三段の鹿の死体が其処に有った。きつねが、内臓を食べようと必死で食いついていた。私の姿を見ると木立の中に身を隠したが、気配は有った。死体を検分...カラスは、何処に行ったやら

  • 知らぬが仏

    深夜3時、夢を見て目が覚めた。ラフカディオ・ハーンが、人力車に乗って走っている。かなりの距離を走った所で止まると、そこには石仏が有り、彼は満足そうにそれを眺めながら、スッケッチしている。そんな夢なのだ。何故そんな夢を見たのか?・・・昨夜は、徳富蘇峰の本を読みながら寝てしまった。本を読みながらも、熊本の事が頭の中を駆け巡っていたが、それでそんな夢を見たのだろうか?。そう言えば、私が何時もお尋ねする、「熊本から気ままに山と自転車のブログ」と言うブログが有って、その記事の中に、「放牛地蔵26番」等と書かれた記事が有ったのを思い出した。その時は、「放牛」とは、牛を放し飼いにでもしていて、何かの事故で無くなったのを、供養している「地蔵菩薩」様くらいに思っていたが、これは私の思い違いではと思い出して、深夜PCの前に座り込ん...知らぬが仏

  • 俄か勉強

    「徳富蘇峰の会」に入会して、俄か勉強を始めた。「野ばら社」発刊の、「徳富蘇峰翁と病床の婦人秘書」をまず読んだのだが、翁の人間性が少しだけ理解でき始めた。さてさてその次に読み始めたのが、「徳富蘇峰終戦後日記」全四巻である。読み始めたのは良いが、翁の見識の深さに驚いている。単なる「愛国主義者」ではない様だ。世界列強の中での日本の存在自体を、根本から見直してみる必要性を感じ始めている。何れにしても、全四巻を読み終えるのは、何時になるやら・・・・。わが命の燃え尽きるのが先と言う事も有り得る。昨日は久しぶりに、広島大学名誉教授の田中正道先生と、長々と電話で話し込んでしまった。久しぶりの電話で、一昨年大腿骨を骨折し、未だに金具が入ったままだそうで、当分は熊本行きが出来そうにないとの事だ。我がおんぼろ車で、一緒にいかがですか...俄か勉強

  • イヤーな予感

    皇室の変形した婚儀。新政権の変形した成立。震度5強の地震で混乱する東京。国のリズムが何処か狂ってきている気がする。戦前ならば、軍事蜂起も考えられる状態だが、今の自衛隊は、憲法遵守の姿勢を守っていることが、唯一頼もしいかぎりだ。ノーベル賞の受賞の内容が、「気象変動に関する研究」とは、正に時代を表している。しかしながら、私には嫌な予感がしてならないのだ。混沌とした時こそ、「正悪」をはっきりさせることが重要である。国家の意思を決定する最高機関「国会」が、それが出来ないでいる。菅総理はそれが起因で、辞職したに等しい。次なる総理も、国会解散に打って出たそうだが、まかり間違えれば憲政史上最短内閣となってしまう。第100代総理大臣が、今年残り僅かな日々、生き残れるのだろうか。「日本大学」の贈収賄事件の勃発、自民党内の鐘の動き...イヤーな予感

  • 熊本「徳富蘇峰の会」発足に参加

    奥様が、変な事から熊本のあるご婦人と知り合った。この方のお父様が、「合志義塾」の卒業生であったそうだ。今回の地震で、二階を整理して居たら、毛筆で書かれた講義記録が出てきたそうだ。その講義録を整理して、出版されたそうである。以前から、古文書の研究をしていた奥様は、その本に飛びついてそれを購入。そこから始まったのが今回の私の大出費事件なのだ。その方が、「徳富蘇峰の会」発足に尽力しておられることを知った奥様が、ぜひとも参加したいと言い出した。言い出したのは良いが、「蘇峰」については、夫婦で水俣に出かけた時、偶然にも「徳富蘆花」と「徳富蘇峰」の記念館に気が付き、市役所の方に案内していただき、館内を見学させていただいたくらいの知識しかなかったのだが、今回の事が機縁となって、私達でも読める「蘇峰」の本を探した結果、四巻の作...熊本「徳富蘇峰の会」発足に参加

  • 今朝は早くから良い知らせばかり・・・なのに・・・

    注文していた本が届いた。何れも「徳富蘇峰」に関する本だ。此処にその本の写真を載せて、皆さんをびっくりさせようと思っていたが、奥様が抱え込んで離さない。私より奥様の方が感激しているのだ。近い内、その本の写真をここに掲載いたします。その時皆さまには、納得いたただける事と思います。ところで、麻生元財務大臣が、「岸田総理の顔が良くない」と言ったそうだ。自分の顔が、性根が曲がっていると同様に、曲がっていることを、お忘れなのだろうか。語るに落ちるとは此の事だ。私は何れにしてもこの内閣は、短命内閣だと思っている。積もり積もった埃を掃除しないでいると、いつか自然発火して来る。既に煙が出始めているのに、それを風呂敷程度で、隠し込もうと思って居る事が間違いである。被せる風呂敷が多いいほど、燃え上がった時には、手が付けられなくなるの...今朝は早くから良い知らせばかり・・・なのに・・・

  • 化けの皮が剥がれぬ前に

    国会を解散するそうだ。化けの皮が剥がれぬ前に、先手を打つ所存らしい。主権在民とは名ばかりに近い状態の、国会であるように思えてきた。いやいや自民党さんの感覚がそうなっただけであろう。ところで、本日も夏日となった。30℃を超えてきた。それだけでなく、なんと「ツクツクボウシ」が庭で鳴いている。十月四日にまさか真夏の蝉が鳴くとは、・・・・。広島では十月九日は、先の九日と言って、秋祭りの始まりである。地域によって、中の九日、十九日、後の九日、二十九日と三つに分かれて、秋祭りが行われるのだ。これらは八幡神社の祭りである。これらの祭りは源氏系の祭りで、平家系の祭りは、つまり「厳島神社」の祭りは、夏に行われる。厳島神社が、水のある場所に有る事がその神事、「船による祭り」となったのだろう。日本の三大船神事、「宮島管弦祭が」その最...化けの皮が剥がれぬ前に

  • 地獄の暑さが戻ってきた

    どちらを向いても雲一つない。覚悟はしていたが真夏の暑さが戻って来た。空は秋晴れ。何処までも澄み切った青さです。されど我が部屋は、30℃を超えて、32℃。地獄の一丁目でございます。まさか十月に、この暑さを体験し様とは、思いも拠りませんでした。妖怪自民党政権に加えて、気象異常。この世は如何成るのでしょうか。ここらで救い主が出てきませんでしょうか。TV番組ならば、ここらで「水戸のご老公」が、・・・。そんな役目が出来るような、自民党政治家は今はいない。何だかその意味では、寂しい秋ではある。むかしはおいでであったがなー・・・。中曽根、福田、大平、いずれもあまり好きでなかったが、筋を通す政治家が。そう言えば、我が母校の先輩にも、「亀井静香」とかおっしゃる、警察上がりの国会議員さんが、・・・・。せめてTVのコマーシャルの、犬...地獄の暑さが戻ってきた

  • お面を冠っただけでした。

    新しい総理が誕生した。広島からだと喜んだが、それもたった二日間だけ。岸田のお面を冠った、安倍内閣だった。安倍ちゃんの、色々な政治問題を、穴でも掘って埋めようという魂胆らしい。何だか情けない世の中に成って来た様だ。昨日は奥様の力を借りて、ご先祖様の供養に行って来た。墓の周りの草を刈り取って、清掃。四か所の墓所を回って、五時間半。これで年が越せそうである。コロナの警戒警報が解除となったが、果たしてこれからどうなる事やら、・・・・。全く予測が付かない。媒体する動物が存在する流行性の病気ならば、対応が割と楽であるが、特効薬の見つかっていない病気程、厄介者は無い気がする。これから寒くなると、風邪ひきなのか、コロナなのか、はたまた・・・。病院も対処が大変だろう気がする。出入り口が、三つも四つもいるという、現象が起きるのでは...お面を冠っただけでした。

  • 生活の底辺を支えていたのは・・・・

    イギリスでは、今大変な状態になっているらしい。お金が有るから、石油基地には幾らでも有るが、ガソリンスタンドまで運ぶタンクローリーの運転手が居ないのだそうだ。その為、ガソリンを求めてパニックになっているそうである。それをTVで見たオランダ人は、自転車に乗らないからだと笑ったそうだ。ところがそれだけでは無くて、野菜の市場からの運搬や、はたまた宅配業者の運転手も人手不足。EU離脱がまさかの、下層で働く人間不足を齎して、経済活動が滞ってしまっているそうだ。あな面白や・・・難民など来てほしくないから、EUを離脱したら、労働者不足で食料からガソリンに至るまで不足してしまったそうである。今や世界は、垣根など作って生きて行ける時代ではないのだ。中国や、北朝鮮もいずれかの時点で、そんな問題が起きて頭を抱ええる時が来るのだろうか。...生活の底辺を支えていたのは・・・・

  • 久し振りの・・・

    広島県からは久しぶりの総理大臣である。本来は、政界の掃除大臣を出したかったが、残念ながらそれは岸田さんにはできないだろう。理由は簡単だからここには書かない。加藤、池田、宮沢、そして今回の岸田。前回の宮沢総理は、国会の本会議で、不信任案を可決されて辞めたのではなかったかなー・・・。新人の候補に一億五千万円の選挙資金問題や、森友問題、加計学園問題、桜を見る会問題。みんな、みんな「安倍、菅、麻生コンビ」が、起こしたスキャンダルだが、今回も数で揉み消しをと、・・・。日本の民主政治も、何だか戦前の政治の、様相を呈してきた。軍拡を叫ぶ女性候補の応援で、政権の座に就いたが、日本海を勝手気ままに飛び回っている、北朝鮮のミサイル。中国の航空母艦建造、潜水艦の増強、・・・さてさて日本は、いかなる政策で対抗していくのだろうか、岸田総...久し振りの・・・

  • 理由が判らない・・・

    政府はコロナがなぜ減って来たのか、理由が判らないそうだ。そんな馬鹿な事なない。簡単である。オリンピックとパラリンピックが済んだので、大量の人間が動かなくなっただけなのだ。街中の人の動きより、何かのイベントの中の密な状態での人の動きの方が感染した原因なのだ。まして、オリンピックの期間中は、こっそりと飲み屋通いや、カラオケ・・・。此れがいけないのだ。オリンピックを中止して居れば、こんなドタバタ大会などせずに済んだのだ。経済界からの圧力に負けた「菅政権」の大失態と言ううべきだろう。その中で、日本の医療機関は頑張り通した気がする。教育機関も大変苦労しただろう。やり残した教育が無いか、総点検してみる必要がある。一つは、マナー。道徳心についての教育。コロナ拡大から、野良猫が急激に減った気がする。ネコ科の動物が、コロナに感染...理由が判らない・・・

  • 何時か行く道、通る道

    私の左の腎臓は、機能していない。腎嚢胞で、大量の水が溜まり、それを抜いた。ふつうは200cc位だそうだが、私は400㏄も溜まっていて、体調不良もその為だったそうだ。20年も前の手術だった。我が家系には、腎不全が死因でなくなるケースが多い。遺伝の所為であろうことは、馬鹿な私にでもわかる。しかし、世の中には仕事のし過ぎで倒れる人もいる。私の友人もその一人だった。家系は広島では知らない人間がいない、名前を出すと、おそらく日本中でも、多くの方がご存じであろう。広島発生の造船と、サルベージ会社として世界的企業に成った家柄である。終戦後、天皇陛下が広島の見舞われた時、市内にはお泊り頂くだけの、建物は残っていなかったが、偶々山陰であったため、その家は残っていた。その家にお泊りになった部屋が、昭和42年そのまま残されていた。そ...何時か行く道、通る道

  • 予定が・・・

    天気予報では、午後から曇るという事だった。日差しが無い方が、ベランダの防腐剤塗は楽だろうと、午前中は布団の中。さて昼飯も済んだことだし、・・・・。先程迄曇っていた空は急に晴れ渡り、日差しは夏の日差しに負けない強さに成ってしまった。「しまった」と思ったが後の祭り。仕方なく、夏用の作務衣に着替えて、防腐剤を塗る事一時間。暑い事この上ない。それでも、雨の当たる部分は何とか塗り終えた。此れにて本日の私の仕事は終了。流しで手を洗っていると、「夕飯」が頭をよぎった。そう言えばこの二日間、美味しい物を奥様にお出ししていないと、気付いたのでございました。冷凍庫から、タイの頭を取り出して、急いで解凍の準備。今夜は「鯛の頭のあら煮」。これでご勘弁願おう。予定が・・・

  • 真夏に後戻り

    一昨日から、我が家のトイレ周りを自分で修理していた。昨日は墓参でお休みしたので、本日は本気で作業、・・・・とはいかない。なんせ暑さが後戻り。一時間作業しては、一時間のおやすみー。午後三時に、本日の作業は終了。残った作業は、二十センチ角の、モルタル仕上げ塗だけだ。この作業は、下地が十分乾いてからの方が良いので、女布五日の作業と言う事に成る。とは言っても、ベランダの木材が長雨で腐りかかっている。明日はその部分の防腐剤塗りが待っている。なんせ建築土木は我は有資格者。職人などよりよっぽどましな仕事をいたします。今回治した場所も、前の持ち主が見抜けなかった、手抜き工事が原因の故障だった。奥様もその原因を見てびっくり。私の方は「くたびれ儲け」。真夏に後戻り

  • 70年の歳月

    70年前に分かれて以来、再び会う事が可能になった親族がいる。母型の親族で、唯一の従妹だ。その方のその娘さん二人が、訪ね訪ねて私の姉の所に連絡してきた。此の一か月はその事で、私の過去の記憶が全て蘇った日々であった。そして本日、其の娘さんと再会をした。祖母、祖父、曾祖父の墓を案内して、・・・・。この経験は言葉に出来ない。何れの日にか、どこかに記録を残す気持ちでいる。ただ言える事は、なぜ人間が墓を作るのかを実感した一か月だった。役所の戸籍簿よりも、墓標に刻まれた名前が、同じ遺伝子を繋いできた親族であることを実感させられた。70年の歳月

  • 三年寝太郎

    三年寝太郎の話を思い出している。理由は何にも無いという程の事でもない。有る方のブログで、パイナップルの挿し木をしたら、三年したらパイナップルが出来たというのが有った。直ぐに行動するのが私で、スーパーでパイナップルを買ったときに、頭の葉っぱを挿し木した。見事に挿し木は成功。それから三年、今年の夏はと期待したが、・・・・。昨年は何かの病気になったらしく、葉がおかしくなった。色々調べたら、パイナップルは、酸性土壌でないとダメだとの事。早速色々手当をしたら、「パンパカパーン」見事に復活。それだけに期待したが、残念でございました。実もならず、どこかの鳥がやって来て、山椒の実を糞で置き土産。此方の方がすくすく育って、一年でご覧の通りとなりました。来夏は四年目。果たして「パイナップル」の実を見る事が出来るのでしょうか。吾輩は...三年寝太郎

  • お彼岸

    墓参は、彼岸を外して土曜日に行くことにした。コロナがやはり恐ろしい。オリンピックを中止して居れば、被害者はもっと少なかったはずだ。金儲けキチガイにかかると人の命など価値がないらしい。総裁選挙になって、急に貧困層の底上げと、富裕層の税負担の話が出てきたが、具体的には何も決まっていない。昨夜は深夜に目が覚めて、外の明るさにつられて空を眺めた。どうもお月様が変形して見える。お月様の所為ではなく、我お目目の病が進行して来た様だ。目の見えるうちに、十分に楽しんでおきたいが、残念ながらコロナでお出かけが出来ない。三年前から、紀伊半島巡りを企画していたが、コロナで行く事が出来なかった。「古事記」に出てくる地名を、全て見ておきたかったが、神戸から東が手付かずに成って、そのままコロナとなってしまった。日が西に傾き始めたら、「烏の...お彼岸

  • 急変する天気

    早朝は土砂降り。八時過ぎからは一転して、秋晴れ。なら良いのだが、真夏日の気温となった。コロナは少し大人しく成った様だが、ここが我慢のしどころ。そんな中株価が下落だそうだ。中国の不動産バブルが、はじけそうだとの事だが、共産党社会でも倒産が有るのだろうか。計画経済が破綻したら、ソビエトの様になるのだろうか。そんな事を思っていたが、日本の経済の方が大丈夫なのだろうか。野党の言葉では、中間所得者層が薄くなって、貧困層が大幅に増えたそうだ。それはそうだろう。自民党の政策では、富裕層は得をして、貧困層は困り果てる構図なのだ。経済の基盤が弱体化しているそうだ。公明党さんは、18歳以下の子供に、10万円配布する案を出してこられた。選挙用、人気取り案の気配がする。その借金を、貰った本人たちに大人になって払わせるとは、「之如何に」...急変する天気

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