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日毎の糧 https://blog.goo.ne.jp/matunaga2954

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

日毎の糧
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2016/12/16

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  • 夜ごと涙で寝床を浸す

    詩6篇「私は嘆き疲れました。夜ごと涙で寝床を浸し、床を漂わせています」(聖書協会共同訳7節)1節「指揮者によって、弦楽器で。シュミニトによる。賛歌。ダビデの詩」。共同訳は「シュミニト」を「第八調」と訳しているが、正確な意味は不明で、数詞八を指し、歌の調子を表すと思われる。七つの悔い改めの一つである。2節「主よ、怒りに燃えて私を責めず憤りに任せて懲らしめないで下さい」。主よ、憐れんで下さい。私は病み衰えています。主よ、癒して下さい。わたしの骨はおののいています(3節)。「怒り」(ペアぺは-)は烈火のごとく憤激すること。赦しと憐れみを求める内容は何なのか。「癒して下さい」とは罪過の故に心が千々に乱れ打ち沈んだ状態に陥っているのでる。それは何時までなのかと問う(4節)。5節「主よ、帰ってきて下さい。私の魂を助け出し慈...夜ごと涙で寝床を浸す

  • 朝が来る度に、身を整えて待ち望みます

    詩5篇「主よ、朝に私の声を聞いて下さい。朝が来る度に、あなたに向かって身を整え待ち望みます」(聖書協会共同訳4節)2節「主よ、私の言葉に耳を傾けて下さい。私のつぶやきを聞き分けてください」本詩も苦しみの中から神に祈る。構成としては神への訴えと悪しき者への審判が交互に記されている。両者を厳しく対照させるのは1,3.4篇と同じであるが、ここでは悪しき者に対して徹底的に神の審判を厳しく求めている。「つぶやき」(ハギギー)直訳は歯ぎしりすることだが「呻き」とも訳される。取り繕わない真摯な要求である。「私の王、私の神よ、わが叫びの声をよく聞いて下さい」(3節)と願う。それは民がイスラエルの王に求めるのと同じである。4節「主よ、朝に私の声を聞いて下さい。朝が来る度に、あなたに向かって身を整え待ち望みます」。「身を整えて」は...朝が来る度に、身を整えて待ち望みます

  • 床の上で心に語り、そして鎮まれ

    詩4篇「わが義の神よ、呼び掛けに答えてください。あなたは私を苦しみから解き放ってくださいました。私を憐れみ、祈りを聞いてください」(聖書協会共同訳2節)本詩も苦しみの中からの祈りである。人称が2節「私」、3~6節「人の子ら」。7節「私たち」、8~9節「私」に変わっている。先ず義なる神が苦難から解放し守ってくださるようにと祈る。「解き放ってくださる。口語訳は「くつろがせ」で「夕の祈り」といわれることから、寝床で祈る状況を伺わせて面白い。3節「人の子らよ、わが栄光の主をいつまで辱めるのか。空しいものを愛し、偽りを求めて」。苦しめている敵に悔い改めを求める4節「あなた方は知るがよい。主は忠実な人を選び、呼びかけを聞いてくださることを知れ」。主から聖別されているので、深い配慮を受け、祈りにいつも応えてくださると確信する...床の上で心に語り、そして鎮まれ

  • 身を横たえて眠り、目覚めます

    詩3篇6節「身を横たえて眠り、目覚めます。主が私を支えておられるから」(聖書協会共同訳)1節小見出し「賛歌、ダビデの詩、ダビデが息子アブシャロムから逃れたときに」。本詩は6篇まで一連の詩で、朝の詩に始まり、夕の詩(4篇)、夜の詩(5篇)、夜半の詩(6篇)となる。一節の表題のようにダビデがわが子アブサムの反逆を避けて逃走中に作った詩であるが必ずしも内容は一致しない(サムエル記下15章30節以下)2節「主よ、私の苦しみの何と多いことでしょう。多くの者が私に立ち向かい、多くの者が私の魂に言っています『あの者に神の救いなどない』と。」不信と反対の敵対者に囲まれ、神の救いなどないと侮られていると訴えている(3節9。この局面を打開させる鍵は「それでも主よ」と呼び掛ける。口語訳「しかし主よ」英訳はButYouOLord、岩波...身を横たえて眠り、目覚めます

  • 畏れつつ、主に仕えよ

    詩2篇「畏れつつ、主に仕えよ。震えつつ、喜び踊れ。」(聖書協会共同訳11節)1節「なぜ国々は騒ぎ立ち、諸国の民は空しいことをつぶやくのか」。これは1篇1、4~6節「悪しき者」への呼び掛けである。彼らは騒ぎ立ち、空しいことをつぶやき、主と、主が油注がれた者に何故逆らうのかと問い(2節)、彼らの枷を壊し、その縄を投げしてようと振舞うのか(3節)。「油を注がれた者」(マーシーアハ・メシア)は神の霊力を宿す者で王の即位の儀式で行われた(サムエル記上10章1節、列王記上1章39節)4節「天にいます方は笑う。わが主は彼らを嘲る」天の王座から見おろされる主なる神は、彼らの高慢さを冷笑し、憤りに任せて彼らをおののかせる(5節)「わたしこそ聖なるシオンの山で、この油を注いだ方を地上の王として即位させたのだ」と宣言されるのである(...畏れつつ、主に仕えよ

  • 教えを昼も夜も口ずさむ人

    詩1篇+「幸いな者、悪しき者の謀に歩まず、罪人の道に立たず、嘲る者の座に着かない人」(聖書協会共同訳1節)。箴言は人と人の横糸、詩編は神と人の横糸で織りなす人生模様となぞらえることが出来る。詩編には讃美、祈り、感謝、嘆き、禱告、悔い改めがある。本詩は2篇と一つに結ばれた詩と考えられる。「幸い」で始まり「幸い」(2篇12節)で結ばれている。内容は律法(1篇)と予言(2篇)で、旧約の二大命題となっている。ヘブライ語の語順は「幸いだ!その人は」(アシュレーハイーシュ).「幸いだ!歩まない」(アシュルローハラフ)で詩編冒頭に相応しいことばである。先ず消極的態度と行動が示される。先ず神に逆らう者らの計画に組みしない、一緒に歩かない、傲慢な者と同席しないのである。神の働き(共同体)の圏外に出て行くことをしないのである。これ...教えを昼も夜も口ずさむ人

  • 信仰によって義と認められ

    ローマの手紙第1章16―17節聖書はバイブルというが、これはギリシャ語で「本」(書物)、英語ではザブック(ザ=大文字)といいます。唯一の本ということです。印刷技術が発達していなかった紀元16世紀マルティン・ルターの宗教改革があった時代には一般人には手にすることは出来なかった。印刷技術が発明された同じ時期に、宗教改革が置きて、ルターは、これに相まって誰でもルター訳聖書が読めるようになったのです。同じキリスト教でもルターの宗教改革を認めなかったローマカトリック教会では二十世紀になるまで、ラテン語聖書しかありませんでしたから、人々は礼拝で神父の話で聖書を彼らの都合のよい話として聞くだけで充分だったのでした。1987年になって日本で、初めてカトリック教会とプロテスタント教会が一緒になって「新共同訳聖書」が出版されたので...信仰によって義と認められ

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