>モチーフの対置がスゴイ たとえば訓練所で浴びせられる罵声の過激で過酷な内容と、ランニングのときに歌うバカな歌、陽気な長調のメロディと厳格さを排除した歌詞が与える印象が、それ以外の自由や尊厳のはく奪を強調しています。彼らはベッドで休むとき、銃を抱いて寝る、休息や弛緩の場であるはずのベッドに、最も似つかわしくない義務と業の象徴である銃が持ち込まれ対比されるわけです。さらにその銃に女の名前をつけて呼ぶというおまけつきです。こういう細部に対する病的なまでのこだわりは、のちのレナードの発狂と凶行に妙な説得力をあたえています。
>奇妙な同一性 阿Qは、未荘の中でも社会的なカーストの低位に位置する存在として描かれています。未荘の人々の振る舞いから、そのことが読み取れる箇所がいくつもあります。 阿Qは心の中で思ったことを、後にはいつも口に出していうようになった。だから阿Qをからかうすべての人々は、ほとんどみな彼がこのような一種の精神的勝利法をもっていることを知った。それからというもの、彼の解髪をつかむと、人はまず最初にこういう、 「阿Q、これは子供が親父を殴るのではないぞ、人間が畜生を殴るのだぞ。お前自身でいえ、人間が畜生を殴るのだ!と」阿Qは両手で自分の解髪の根元を握りしめて、頭をゆがめながら、いうのである、「虫けらを…
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