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  • 大切なのはお金

    お金に対して、いい距離感がわからなかった。 実家はお金に余裕があるわけではなく、節約をしながら生活していた。その中で、教育にお金をかけてくれて、すごく感謝している。 ただ、お金がなくなることがこわかった。 将来への漠然とした不安がずっとあった。 将来お金がなくて、生活していけなくなることがこわかった。 大人になり、気づけば、ささやかな生活であればお金への不安を感じずに生活していけるようになった。奇跡のような変化。 しかし、なにもわからなくなった。 お金のためだけに働かなくてもいいなら、わたしはなにがしたいのだろう? お金というのは消えてなくなる。お金は大切だけれど、すべてではない。 そして、い…

  • 人の価値観に迎合するな

    憧れの人、影響を受けた人、好きな人 そんな人、いますよね。 そうすると、その人に好かれたくなる。認められたくなる。喜ばせたくなる。その人のようになりたくなる。 それは、向上するきっかけになる。「学ぶはまねぶ」と言います。真似から入って、憧れの人に近づく努力をするのは学習の最短ルート。 しかし、大切なのは、「自分の頭で考えながら」「自分の価値観を大切にしながら」「自分のために」であること。 あの人に好かれたい あの人に認められたい あの人を喜ばせたい あの人に近づきたい 価値観の軸が他者にあると、あなたはいつまでも満たされなくなる。人の行動に反応するだけになってしまう。それは、人生の主体性の放棄…

  • なぜ人に期待してしまうのか?

    人に失望するのは、期待をしてしまうから。 なぜ期待してしまうのだろう。 やさしい、親しい、気持ちが通じ合えている そんな幻想を抱くところから、期待は始まる。 そして、期待外れと気付いたときに、勝手に失望をする。 客観的に見れば、滑稽である。 人は人の期待に応えない。 まず、人は人の気持ちがわからない。 さらに、人は人の気持ちに気づいたとしても、その期待に応える必要はないのである。 逆にいうと、あなたもあなたに対する周りの期待に応えなくていい。 人に失望する人は、きっと人の期待に応えようと一生懸命努力してきたんだろう。 だからこそ、期待に応えない人の出現に、戸惑い傷つくのである。 人は人の期待に…

  • あなたのこだわりを大切にしていい

    人にとってはどうでもいいようなことが、あなたにとってはすごく大切な場合がある。 たとえば、あなたにとっては大切なことを、だれかが悪意なく踏みにじったとする。 そうすると、あなたの心は傷つく。 あなたの中の冷静な部分は、その傷を、なかったことにしようとする。 「世の中の人にとってはどうでもいいことだから」 「わたしはこんなに恵まれているんだから」 そうやって、自分の感情を消し去ろうとする。 それでも、傷は消えてくれなくて、ふとした瞬間にまた姿をあらわす。 もう、認めるしかない。 わたしは傷ついたんだ。 他の人にとってはどうでもいいポイントで、人には理解されないわたしだけのこだわりで、傷ついたんだ…

  • 人のことはどうでもいい、が正解。

    昨晩、ブログの文章を書き終えたあと、心がふっと軽くなるのを感じた。 昨日は朝から心がぎゅーーっとかたくなっていた。心も体も頭もカチコチにかたまっていた。カチコチなので、思考も同じところをぐるぐるしてしまう。同じ視点、同じ感情、同じ結論のループ。 ブログだけではないのですが、自分の素直な感情を言葉にしていったためなのか、心がやわらかくなったのを感じました。 「もう、どうでもいっか」 こんな心境です。 わたしは、わたしの主観で、わたし以外の人の行動を判断していました。 「きっと、こういう行動だったのは、こういう理由だろう」 って、勝手に予想して、勝手に傷ついていた。 でも、人の行動の理由なんて、考…

  • 独りであること、未熟であること

    「独りであること、未熟であること 自由であること、楽観的であること」 ちきりんさんのブログに載っていた言葉。胸に刺さった。 人生を変えた一冊 - Chikirinの日記 今のわたしには、「自由であること、楽観的であること」よりも、「独りであること、未熟であること」の方が圧倒的にリアル。 人が「独り」であることは、事実である。20代、30代の若者が「未熟」であることも、事実である。 「独り、未熟」の反対は「みんな、成熟」だけれど、ちきりんさんの選んだ言葉は「自由、楽観的」。「自由、楽観的」は、「独り、未熟」を認めた上で、さらに成り立つ。 わたしは「自由であること、楽観的であること」も選べるはずな…

  • 孤独の原風景

    おはようございます。ブログ更新、久しぶりになりました。 「孤独」という感情に襲われることがあります。孤独な状態があったので抜け出すために動いて、しばらく落ち着いていたはずなのに、祖母が亡くなったのをきっかけにまた孤独に襲われるようになりました。孤独の波が去れば落ち着くけれど、波がきている間は苦しいです。 今、目に見えている世界も、過去の世界も、どう解釈するかは自分次第。それは頭ではわかっているつもりなのに、「孤独」というフィルターが消えてくれない。孤独という感情を、消すこと自体にムリがあるのかもしれません。 「苦しい感情にフォーカスせずに、楽しい感情にフォーカスしてみる」という試みもしているの…

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