読書会では医師の倉光氏からコロナウィルスによる新型肺炎の話題提供があった。日本では人権やプライバシーの規制が厳しく、実験や診療さえ難しい。新型肺炎患者でも強制収容は難しい。戦中の人体実験やハンセン氏病者収容がいまだに人権問題になっている。動物保護ということでモルモットさえ利用が制約される。私は文化人類学の危機を例にした。個人にインタビューすること、写真、録音さえ難しくなって人間理解の文化人類学が難しい。人を観察することもできず個人に迫ったインタビュー調査研究が難しく、よい研究が出来ず観光旅行のような偽学問になる。人権、生命観、プライバシー云々、極端に強調するとブーメランになって戻ってくる。法治主義には程度がある。人本主義に戻せと言いたい。新型ウィルス肺炎
文化人類学の講義15回遅れることや休講も無く、来週は試験で終わり。昨日最終回の講義はどうするか考えた。まずスマートフォンなどで文化人類学は何か、定義を調べさせた。最初のイントロのような講義を最後にしたことになる。そして以下のような全講義のまとめを紹介した。1.他者、他者は敵か、味方か2.斎学から野外学へfieldwork社会に滞在(1年間)「参与観察」4.客観的な見方:ニュートラル脱価値観、中立的、そのまま見るfactasfact5.ブロニスロウ・マリノフスキーのパプア調査6.「性差」Sexology:生物上の雌雄,性行動を研究する学問8.「ジェンダー」gender:社会的、「男らしさ、女らしさ」9.「成人式initiation」社会的変化責任ある10.結婚とは何か:儀礼婚、事実婚、法律婚11.核家族、夫婦と未...最終回の講義
새로운페친ElyonPark화백이자기소개,영감미술(아르뷔르)로예술가의길을걷고있습니다라고소개하였습니다.그리고만나지않은나의영감표상을보내주었습니다.아마<한국의무당>저자로서영감일지모르겠습니다.좀더많은정보를보내드리고,또다른그림도부탁하고싶군요.아무튼소중한표상입니다.잘간직하겠습니다.영감미술(아르뷔르)
日韓関係の悪化は小康状況に入った感がする。韓国のKBSニュースで汚染対策する、PM2.5問題で成功例として日本の北九州市の例が紹介されたが昨夜災害の多い日本のコロナウィルス対策が紹介された。私事の年賀状の件、二人の韓国大学の総長の話。一人は昨年私の招請講演の破棄のことについて謝りの文、私から水に流し許し、喜んだ反応があった。今年音信がない他の総長が気になっていた。大学校は経営権が無くなったという。これから慰労の手紙を書こうとする。10数年隣家の石井家が引っ越して出て、寂しく通話し、また葉書が届いた。友情
昨日ワンアジア・コンベンションのお誘いのメールが早めに届いた。タイのバンコクで8月初め頃に行う。新年始まりの実感がする。以前北部阿片三角地、ミャンマーの調査旅行したことを思い出す。バンコクへ行くならインドまでの長い調査旅行を考えている。ガンディーを中心に記念館などを見て来たい。またハワイのパールハーバーの記念館などが加われば新年計画の夢が膨らむ。新年度のシラバス、市民向けの文化論の講座、寄稿文など本当の新年が始まった。佐野賢治氏が年賀状に書いてくださったように「モデル老人」になりたい。ワンアジア・コンベンション
一週間で病院を建てている中国、コロナウィルス騒動の中、鵜澤教授が杭州に現地調査に行かれて、急に建てられた5つ星ホテルをの話、独裁開発の大国の急進状況をアジア共同体論講義で生々しく語った。漢時代から商業が盛んな中国から今のファーウェーイ時代に至るまでの話だった。私は中国に商業主義と企業精神のバランスが取れることを願うとコメントし、最後に100余人中Ⅰ0人に奨学金を出した。支援して下さったワンアジア財団に感謝である。下関に来て最も親しい仲間、石本、友松、伊藤の日韓親善会協会の指導者たち3人からご招待、平家茶屋での晩餐会。「楽しい韓国文化論」「東アジア文化研究所」の10周年創立記念の話でわくわく、早くも韓国探訪旅行が楽しみ、日韓関係の悪さを飛ばし、楽しい時間が続いた。ファーウェーイ
要約:アジア共同体論全回の講義を要約すると「私」は無数に遡って拡大する。愛し合って「人類集団」となる。人類は遺伝子、病、癌と闘いながら革命、発展してきている。社会主義から資本主義へ、資本主義から社会主義へ、国家権力による独裁開発と民主化への道のりである。植民地言語から国際語となった英語や、エスペラントがある。シンガポールのような英語化にナショナリズムの国語化が対抗する。日本語により物語りが創られる。中国では日本語からの外来語「殺西米」「米西米西」が使われている。アジアらしい美、ファッションがある。日本の木造建築、開放的な構造が目立つ。そして幸福な「長生き」を目指している。アジア共同体論
매년창가에서란이핍니다.자연미입니다.인간이그아름다움을인식하기이전부터있습니다.무서운불길속에도아름다움이있습니다.잔인함과아름다움이자연입니다.삶의아름다움과죽움이함께있습니다.보다진지하게자연미를생각해야됩니다.한꽃잎을접시에놓았습니다.신기한모습입니다.자연에겸허하게됩니다.자연미
昨日は陰暦のお正月、ネットで多くの方から新年お祝い受けた。ソウルの姉は我が良心の墓参りの写真を送ってきた。旧正月、偶然とはいえ、在日2世の蘆明秀夫婦と河村氏を招待し、家内の韓国料理でのランチ(点心)の談話が長かった。お客たちを迎えるために応接間の掃除と環境美化をした。彼らは室内には注目せず海岸景観と大型テレビに驚いた。北朝鮮に行った人たちであるので私が撮影したアリラン祝祭2003年の映像を見せた。蘆氏夫婦は総連系から韓国民団へ、しかし現在両側から離れ客観的な立場を持つという。その点は私と似ている。ニュースは中国武漢発祥の肺炎の広がり、病気の国際化、先日ゴーン氏の犯罪の国際化が実感される。年越し新年は一つで十分、新旧の二回、年を重ねる負担が二重になる感である。なんとなく演歌番組になり、東洋経済日報にコラム紀行文の...「冬栢アガシ」
今朝の毎日新聞の朝刊に中村哲氏の講演映像上映会の予知が地域版トップで掲載された。問い合わせから直後の記事であり、新鮮である。感謝である。数日前問い合わせの2社の記事はまだ載っていない。日韓ではない長周新聞には文化短信に載っている。電子新聞など6の新聞を比べて読んでいる。読者、記者、編集者の意図、偏向などが見えてくる。2冊の最新拙著が沖縄、島根、山梨など他の地域の新聞には紹介されても下関ではほぼ紹介されていない。なぜであろうか、地元中心主義といえるかもしれない。ローカルからグローバルへを目指している私、無理であろう。毎日新聞の朝刊に中村哲氏の講演映像上映会の予知
지금내가살고있는시모노세키가2020년1월호<월간조선>첫페이지를장식했다.그기사일본의근대혁명메이지유신의근원지라는점에서주목되었다.유신으로근대화되어조선을침략하였다는근원적원한의땅으로여겨지는이곳을대보사진특보의소개이다.조그마한사랑방에서많은인재를길러낸요시다를한국지식인교육자들에게<하기>를안내하였다.유명한오구라씨와대담을한곳,하기에서대담첫머리에내가<요시다쇼인선생님>이라고호칭한것이이례라는것으로화제가되었다.오늘날하기와시모노세키는‘유신’으로먹고산다.하기의시립병원에는‘건강유신’,토종닭전문음식점앞에는‘지계(地鷄)유신’이라는배너가걸려있을정도다.시모노세키의다카스기신사쿠사망지인근에있는허름한불고깃집의이름은‘신사쿠’였다.시모노세키는아베신조(安倍晉三)일본총리의지역구이기도하다.아...월간조선시모노세키
「ある田舎教師の歩み」というある民俗学者の本『民話に魅せられて』を読んだ。著者酒井董美氏は1935年生まれ、私より数年上の方、しかし生きてきた時代は共有するところが多い。子供時代には一人ぼっち、ラジオ、防空壕、焼夷弾、「こわいけど美しなあ」との戦争体験などが実感同感の綴りである。彼は教育学部の国語(日本語)学科へ、私は師範学部の国語(韓国語)へ、さらに民俗学へ、教師と教授への道のりが共通し似ている。クラシック音楽への趣味、関心のところでページで国立音大の内田るりこ先生の名前について長く書かれている。私は1973年夏に内田先生の配慮で小島美子先生と田植え祭りに参加したことがあり、牛尾先生(?)とは私が日本語が出来ずとても残念、伝統的な高級民家に留まらせてくださった思いが浮かんできた。まだ会っていない酒井先生と会っ...『民話に魅せられて』
皆様お知らせです。2019年11月16日中村哲氏が東亜大学で講義をしました。それが生前最終講演となりました。その映像記録を市民の要請によって東亜大学東アジア文化研究所主催で上映会を行います。ご参加お願いします。東亜大学東アジア文化研究所所長崔吉城東亜大学東アジア文化研究所
アジアのキリスト教の現在は、、、世界的に無宗教化・世俗化現象が著しい。教会がキャバレーに変っているところもある。信仰ではなくイベントや祭りとしては普及する。日本ではクリスマス、バレンタイン、サンタクロース、神戸イルミネーションは凄い。しかし、日本はキリスト教的な国ではない。キリスト教信者は非常に少い。韓国ではクリスチャンが多く、世界で最大の教会もある。キリスト教は植民地と宣教により世界宗教となった点がある。スペインがフィリピンを、ポルトガルがチモールを植民地化した例である。宗教とは教義、儀礼、組織、文化、日本ではその表面であるクリスマスなどの文化が入っている。人類愛の信仰として信仰はそれほど入っていない。生き方、生命倫理、人生観などはなかなか入り難い。キリスト教の発祥地であるイェルサレムという聖地をめぐる紛争、...日本ではキリスト教の信仰はなぜ受け入れ難いか
今日は「アジアのキリスト教」を講義する。大学では信仰の伝道・宣教は控えなければならない。民間信仰をはじめ世界宗教が多い。仏教、イスラム、ヒンズ教、キリスト教など。信仰は生死、救済など個人の人の生き方に大きく関わっているが、それが民族や国家の政治に関わり紛争・戦争も起こすようになっている。その現象も知らなければならない。この講義ではその知識としもキリスト教の本質を論じてみたい。日本はキリスト教が非常にマイノリティ、しかしキリスト教の影響は大きい。矢内原忠雄氏の例として挙げかと思っている。「アジアのキリスト教」
新聞コラムを書いている。何のトピック、どのようなレトリックで書くか。ある出版関係者と新聞広告が話題になったがその「効果はない」という。毎日刊行の新聞が週刊になったものも多い。日刊から週刊へ、月刊へ、廃刊へとなっていく。生き残るための努力するのも見える。ネット新聞、SNSなどは盛んになっている。その底力は作者と読者、発話と受話の対話と交流である。新聞など文字媒体はまだ一方的である。文字中心からの脱皮傾向のある出版もある。音声で読まれる本、まだ早いと思うかもしれない。変化に消極的な態度は衰退していくだろう。新聞広告は「効果はない」
今日はセンター試験。私もその試験を受けた者である。当時韓国では中学入試は国家試験でかなり緊張した。しかし、大学入試はそれほど緊張していなかったと今思い出す。試験前日に試験会場の教室を確認することになっていたが、私はしなかった。当日の朝、大学の正門には人々が多く、まるで市場のようでなかなか入り難かった。大変。1958(9)年、受験番号の運が良く、合格するだろう信じていた。試験監督の先生は後に解かったことだが李杜鉉先生。私の恩師、私の民俗学、日本留学まで学問と人生の先生となった方だった。韓国の試験は科挙制度の伝統、それが現在の入試地獄、入試中心教育の弊害と非難されている。それでもその試験、小中高の教育が如何に重要であるかを示す。センター試験
年賀状の交換から気になる点がある。全体180枚強の中8割は相互交換のもの、その他はいただいているだけになった。ネットの新年あいさつなどを含める交換したものが多い。その他毎年交換する人から来なかった人、特に高齢者たちには安寧などが気になる。思うこととなる。読書会に3人だけであった。「教授」とはなにか、研究者と教師の二つの役目についての話題であった。教授は研究の成果を余分の時間で自由に語るような講義、一方カリキュラムの目的、方法に合うように教えるのが主である教師、つまりリサーチとチチング(research,teach)の両面がある。東アジアでは「先生」という品位や身分のようなことが求められる。西洋では研究者や技術者に重み、東洋では訓導のイメージが強い。読書会のメンバー古本氏から最新拙著『帝国日本の植民地を歩く』を1...「教授」
エレベーター中や教室でも不調なことを聞かれる挨拶を受けた。一昨日本欄SNSを読んだ反応であった。校内でも読んでくれる人がいるということである。年賀状、ネット上挨拶、クリスマスカードなど新年あいさつはそろそろ締まりになろうとする昨日、著名な民俗学者の佐野賢治教授からお葉書「いつもブログ楽しみ!です。良き老人?のモデル、長寿願います!!」と。またわざわざ訪ねて来られた人、最新著『帝国日本の植民地を歩く』を出版した花乱社の別府社長と楽しい話であった。会社創立10周年記念講演も頼まれた。昨日のメーインは大久保教授の「アジアの建築」の講義であった。レジュメ、補助資料、PPT、画像説明など模範的なモデル講義であった。主に中国、韓国との比較であり、日本は水道水が凍らないほど温かい気候、その自然環境に合う木造建築未だに50%で...「アジアの建築」
昨朝7時半過ぎ大学研究所へ、資料を整理しながら模様替え、重い机を移動させる時、体に異常を感じた。周囲に誰もいない。安静をしてみても平穏にならない。韓国から35名の高校生と校長らが大学へ向かう電話、それでも安静していた。後に歓迎会に顔を出す(写真)。引率者の崔鐘星氏は腎臓病、移植のドナーが決まっていて表情は明るい。タクシーで帰宅、家内から高齢者という意識を持ちなさいと苦言、定期健診異常なしの日であった。世界の情報番組を観た。社会主義と共産主義は次々崩壊したが中国は厳然、発展して世界的に影響している。経済的には自由資本主義経済へ発展理論、政治的には独裁主義から自由主義へという普遍的な発展論は空論、逆行する中国、「独裁開発主義は悪くない」という現実のモデルである。日本は習近平氏を「国賓」として向かう。韓国の諺、「横歩...「寒心」
風変わりな新年の挨拶を受けた。啓明大学の卒業生たち、すでに定年退職して農業をやったり、家事をしている人が私にネット上の歌を送ってきた。<愛は熟していく>。鬱陵島処女だった彼女は、今はソウルで幸せな家庭を築いている。その、イジョンイムが電話をかけてきた。数人の名前が登場する。昔が甦る。<みんなで一度あそびにおいで、私がガイドする>と豪言した。多くの縁が遠くなる中、懐かしさ、勇気が湧く。今は子供たちも巣立ち、老人となった弟子たちと再び対面すると、私が驚くだろうか。いや、彼らが驚くだろう。今日は大邱からの親しいゲストを迎える。お互いにどんな顔になるのだろうか。その姿、表情は・・・。<愛は熟していく>
색다른새해인사를받았다.계명대학교졸업생들이미정년퇴직하고농사를짓거나가사를하는사람들이나에게위로하는노래를보내왔다.울릉도아가씨,지금은서울에살고있는이정임이전화를걸어왔다.몇사람의이름들이등장한다.옛날이그리워졌다.<떼를지어한번오거라내가가이드한다>고고언장담을하였다.많은인연들이멀어지는듯,다시살아나는그리움,힘이솟는다.지금은애들도다커서노인들이된제자들을다시보면놀랄까.아니그들이놀랄까.오늘은대구에서오는정든손님을맞는다.어떤얼굴로대할런지.그냥그모습그표정으로덤덤히.노사현의노래를듣는다.사랑이익어간다는말수년전어느교회에서새해덕담으로내가한말<사랑이익어간다>고......사랑한다정말사랑한다는그말을해준다면나는사막을걷는다해도꽃길이라생각할겁니다우린늙어가는것이아니라조금씩익어가는겁니다...사랑이익어간다
ストーブ辺の三人、二人は韓国から来たクリスチャン、キリスト教や教会には話題をしない、新年鼎談ようであった。私が新年には80歳という負担の話した。「百歳時代に80はまだ」という反応、私は反論した。90歳半ばの老人に「百歳まで」と言ったことが大きな失礼であったことを想起した。他人の年齢を言ても感ずることは出来ない。食料だけを損させる食虫と考え、19人も殺した青年が裁判中である。彼は人間の生命より人間の機能を重視する。彼に限る意識ではない。世の中には必要ないと思われる多くの人が生きている。ヒトラーは典型的な人物であった。彼の基準で考えると、人間の半分以上、いや他人を全部殺して自分一人だけ残る境地になるかも知れない。生命倫理を意識、価値観が必要である。私たちも恐ろしい殺人にならないためである。新年鼎談
난로가의세사람,두사람은한국에서온크리스쳔이다.기독교나교회에대해서는언급하지않는것이니신년정담처럼길게이야기가되었다.나의화제는신년에는80세라는것에대한부담을느꼈다는말이었다.<백세시대에80은아직>이라는말에대해내가반론했다.90세중반의노인에게내가<백세까지>라고말하였다가큰실언이라는것을알고사과한적이있다.남의나이를말할것이아니다.나이는노인에게바로죽음이라는생명의식을느끼게하는것이다.지금내가살고자의식이강한것같은데,중병중에나는왜죽음을각오하고수술을거부하였을까자신을돌아본다.생각해보면당시나는아주쇠약해서살기력을완전히잃은상태이었다.그이상견디기어려운상태이었던것이다.그저아픔과생명의한계를느끼고죽음을각오한것이다.이제건강을회복하고죽음을두려워하는것이아닌가.그러므로장수를원한다는것은건강하다...생명윤리
大学と地域の連携活動をするCCTという組織がある。大学の施設の中で趣味や教育に関わって活動する。美術からスポーツまで広く多様である。ある日本語教室クラスでは留学生と同席し授業を補助してくれる。私の公開講座にも参加している。彼らから要望が出た。先日中村哲氏のアフガンでの活躍に関する講演会の収録映像を見せてと学長に要望した。中村氏が被殺最直前の唯一のものになって取材に全く来れなかったメディアから要請で一部は報道されたが、この度東亜大学東アジア文化研究所主催で市民に公開するようになった。東亜大学東アジア文化研究所の予報
暖冬という。しかし時々温水で顔を洗いたくなる。贅沢に感じてまだ冷水で洗う。別に節約精神でもない。ただ勿体ない。寒くても熱くても我慢しようとして生きてきた習慣であろう。就寝、起床などの時間も守り読書や執筆も習慣である。高齢者になって別に成功や出世意識があるわけでもなく続けている。自分のリズム、習慣である。非常に平凡である。平凡は幸せともいえる。舌癌の堀ちえみ氏の治病のドキュメンタリーをみて、平凡であることがどんなに幸せであろうか・・・。平凡
新年最初の授業、それぞれの国の新年民俗について紹介を聞いた。ネパールでは4月が新年、主に家族中心の行事でありカーストによって行われる。その他モンゴル、ベトナム、中国、韓国も陰暦を使うという。ただモンゴルでは今年は陰暦4年一回の閏月であり㋁25日が新年になるという。アジアでは陰暦が多く使われていると言える。新年最初の授業
昨夜は元日産会長のゴーン氏の記者会見と、トランプ大統領のイラン爆撃への声明など視聴が混雑であった。主にBBCとCNNを同時交叉視聴した。007映画のようなゴーン氏は西山陰謀、日本の司法制度の問題が国際的に批判され、西洋と異なる日本社会が露出する契機となった。イランは国民統合熱情の報復の爆撃、卵で岩をぶつげるような鬱憤の爆竹、花火のようなものであった。戦争にならないような自制が明らかになりそうである。混乱緊張の時に演歌を聞くのはどうか。友人でもある小林孝行氏著『日韓大衆音楽の社会史』(現代人文社)を開いた。私は以前彼を招請講演し「釜山港へ帰れ」の分析を聞いたことがあり、多く議論したことがある。韓国での出版を勧めていたがまず日本で出版された。私は唱歌、軍歌、演歌の中に生きてきたものであり、自分史を読む気になった。特...小林孝行氏著『日韓大衆音楽の社会史』
下関で韓国教育院長が5人目になった。小中学校の管理職の人から選抜、派遣されて、主に韓国語を教えている。小都市では地方の外交官のような役割もする。私は彼らと地域の教育と文化に協力してきたが、ある院長以来縁が切られた。最初に会って朝鮮学校を案内しようとしたことがその原因と思う。その後彼から冷淡視された。今は南北統一を目指す韓国と北朝鮮の関係が画期的に改善されているのに彼はどう思うかと思う。小学校の先生が教育院長になって愛国者然とするのは限界がある。昨日は5年前まで院長であって高校の校長からも定年退職した金起萬氏夫婦が訪ねて来た。懐かしい再会の茶話の時間を持った。済州島出身の純朴なパーソナリティーの方、優しい奥様と我が夫婦との時間、私の田舎出身田舎の人の順朴さという自慢話で長くなった。楽しかった。田舎の人の順朴さ
昨日の櫛田学長、金田研究科長の新年あいさつで大学の活気の話、留学生が増え、日本人の学生も増えていると話が嬉しかった。時代性だけではない、主に役員の努力が見えてくる。アジア中心の大学の特徴を目指すという学長の言葉、留学生を含めての国際性教育に転換しなければならない。以前の教室に留学生を混ぜる態勢だけでは足らない。新しい教育プログラムが創られるべきである。教科課程などからではあるが何より授業方法を工夫しなければならない。アジア中心の大学
奥さんが大学時代に私の学生だった牧師夫婦が「突然」訪ねてくると連絡があり、私も「突然」、掃除をし、花を生け、着替え、来客用のスリッパを揃え、照明までをきちんとしたところにキャンセルの電話、気が抜けてしまった。家内の留守中に私に会うのは緊張するという。遠慮か言い訳か。私は人を緊張させるのだろうか。日曜日の研究室で同僚たちと話題中、明日(今日)大学の新年会だと知らされた。私は火曜日の明日と認識していた。感覚と行動が緩んでいると感じた。幸福の木が満香。送った年賀状の返信なども含めて多く交換、送ってない方々からもたくさんいただき、返信もした。しかし、高齢者の中には送っても返事がなく、気になる方もいる。年賀状の中には嘉本伊都子氏の拙著『帝国日本の植民地を歩く』の感想、アイルランドとフィリピンのリサールを以て親日・反日から...「突然」
ゴーン氏は「これは刑罰じゃないか」と言い、日本では「公正な裁判は期待できない」という。日本はどいう国であろうか。私は自電車のライトがつかないことで警察本庁まで歩いて行かされて聴聞を受けた留学体験がある。日本植民地時代の警察を想像した。韓国では友人が20年も刑務所で刑を受けた。ゴーン氏のケース、それは日本だけではない。罪と罰がより厳しくなっている。各種ハラスメントと罰を考えると罪と罰がより広く一般化されていく。フランス市民は超劇的な日本脱出のゴーン氏に肯定的な反応。能力ある外人を使って内部告発で追い出すのは中国とカザフスタンで事例を見ていた私、国境が刑務所の高い壁になっている世上とみている。日本はどいう国
隣の石井家が遠く三重に引っ越しすると言う。寂しくなる、昨日ご夫婦と満珠荘で昼食をとった。御主人は下関の地元産。奥さんの実家の三重県に引っ越すことになったとのこと。ここに戻るよう、引き止めたい気持ちで長く話した。鉢物の植物などをいただき、私は最新著『帝国日本の植民地を歩く』をサイン入れて献本した。見送りの言葉のように定年後の長い時間を考えなが現職を生きるよう話した。私は新年から80才代、本格的に高齢を生きる。苦難の時代を生き抜いてきた免疫性に頼るような信念のようなものがある。どう生きる。昔のことを話すのではなく、昔からの長いスパンの人生の失敗と成功を語るべきであろう。隣家の引っ越し
家内にドライブされて家具店に寄った。新年2日でも百貨店、食堂などには車が多い。世の中は動いている。愛犬ミミが亡くなって、寂しさはまだまだ、なかなか消えない。新しく犬を求めるかは話題にしていない。代用は失礼、昨日車内で初めて家内とミミの話をした。もう一回新しい愛犬はどうだろうか。気難しい反応。もう一回そのような愛情を燃やすにはわが夫婦に耐えられない重い体験であった。ある人は同じ模型を作れとか言ってくれた。愛犬への「愛」れの本質を知らない、体験していない人。愛することは愛されること、それによって私が大きく変わった。愛はあまり大きい、あまり重い。愛犬への「愛」
神宮・神社への初詣の人波を避けて教会へ、マイノリティの在日の中にも極少数の教会の新年礼拝に参加した。マイノリティの集いの半分は牧師家族、「不安な未来へ」の説教は雄弁、記念写真も撮られた。親しい韓国人の中年夫婦と百貨店で昼食、私は歯の不具合、味より話を楽しんだ。朝鮮通信使の筆談の一話、朝鮮文化の優位意識の強い通信使に日本の青年が批判対抗する例話を紹介した。当時高い朝鮮文化の知恵を漏らしたくない両班態度、近代以降日本が優位に立ち朝鮮蔑視、私はこのような世間を皮肉った。最悪の日韓関係の歴史を通観する気持ちになった。*写真李相根撮影「不安な未来へ」
昨夜中国からの留学生らと夕食会を楽しんだ。年越しに懸念が付くようになった。平均寿命に肉迫、戸籍上80、実年齢はより多く、年を感じ、思うようになる。生まれたのは無知の地、ぞの時代に生まれ、教養を身に着けようとしても足らない。平凡単純な生き方、しかし国境を股がるほど変わった生き方とも思える。「罪と罰」のクライマックス、老婆の殺し、虱のような人間を殺すという話、人権云々ではない社会と時代、生き方への挑戦的な小説、なぜ名作であろうか。殺人のことを探偵的に進めなく、読者に疑問を持たせるプロット、長編のストリーを最後まで読ませる力、名作に挑戦してみたい。虱のような人間
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