一月の終わり阪急河原町駅から歩き、円山公園に行きました。蹴り足が弱くまだまだダメですそれなりに歩けることそれでもう十分なこと諦めることの悔しさいっぱいありますね枝垂れ桜を観にきました龍馬の姿を見にきました爽やかな朝の公園京都ひとり話し相手はあなた葉の落ち
なんてこっちゃなんてこっちゃ回復の途は長い完全回復は無理に決まっているのかそれよりここまでこれたのだからしあわせだったんだと無駄に歩く話ひとり歩くだけの話歩ける今日も歩ける3時間でも4時間でも歩けるなんてまだまだ歩ける地球一周だなんてバッカじゃなかろうか
小柄ではにかむあなたがいた初めて会った飲み会の後 長い坂道を一緒に歩いてあなたの住むところへ送りましたね別れづらく もう着いているのにあなたを放さなかったあなたを離したくなかったあの日から43年ですあの日あなたの写真を撮りました微笑むあなたが目の前にいま
二人で二人だけで旅に出ようあの時のようにまたどこでもいいよ二人だけならどこへだって楽しいよ山越えあの海見に行こう寄せる波を見に行こう波に乗って遠い遠い世界に行こうよ
寒なったね温うして行こねまだ紅葉は見れるよね昼ご飯はどこかのスーパーでお弁当買おうね日が照ってたら公園で風が強かったら車で二人で食べたらおいしいねこの頃よく夢に見るよええよね夢ぐらいしか会えないもんな一番好きやった回転すしまた行きたいね一人では行かないよ
好子に電話しな・・・・目が覚めてあゝ夢だったのか何十回、何百回と電話してきたもう慣れたよ好子はもういないことに虚しさばかりの日々を生きる投げやりに生きるこんなんでいいのかいフラフラの目で本を読むのはつらいでも、何かを知りたいとせっせと文字を追う人なんて醜
好子・・・高石ともやさんが亡くなった大好きな歌手やったニュース見てびっくりした82才ですかなぁ好子、ネットで調べたら膵がんやったらしい確か、今年の1月17日の阪神淡路震災関連のイベントでハットのなぎさ公園でゲストに来ていたはずでは4月のイベントではあと1
いつの日か俺の一人旅が始まる漂浪である。好子を胸になぁ好子。
円山公園の枝垂れ桜です。いっぱい咲いていました。隣の知恩院も一緒でしたね。三条通を西へずっと歩きました。好子と一緒に歩きました。
毎日歩いてますよ久しぶりに神戸を歩きました三宮から東遊園地へまた新しい公園になるようです新しい世代にとっての公園でしょうね過ぎ去る老い人は悲しいですだけど厳しいね人生はよくここまで生きてきたよなぁ好子組織嫌いの自惚れ男はよく生きてこれたよあなたの笑顔と理
2月9日、円山公園を歩いてきました。枝垂れ桜はあと二月もすれば満開になります。また見にきます。
付き合いというのは、お互いが影響し合うこと。共鳴し合う。波長が合う。なぜ波長が合うのかといえば、同質のものを持っているから。魂同士が呼び合う。相手の欠点を許せて、初めて長く付き合っていけるのではないか。秀島由己男の言葉「評伝 石牟礼道子」より抜粋
あと9日で2022年は終えますよ。向こうへ行ったのは2017年4月、もう5年半以上になりますね。あっという間に過ぎ去りあっという間に人は死んでいくそれでいいそれでいいね、好子、お寿司食べに行こうか。回転ずしが大好きやった二人スシロー、くら寿司、好子はあなごが好きやっ
好子、この虚無感はなんやろなぁ。35年の時間が終わり、もう続きはない、長かったのかな短かったのかな続きがない人生どうしようもうまったく意味のない人生消え去る瞬間だけを追いかけて積み重ねて何も続かないこんなことになるなんて
根岸要氏の木蘭の涙聞いたことのあるメロディラジオ番組で聞き改めてYouTubeで聴くいつまでもいつまでもそばにいると言ってたあいたくてあいたくてこの胸のささやきがあなたを探してるあなたを呼んでいる置き去りはきついですよこんなに情けない男はずっとずっとあなたを探し
近くの河川敷に咲いていました今からいっぱい咲きます篠山の畦で見た彼岸花あなたとあそこにももっとあっちにも無邪気な二人でしたね篠山のスーパーで買った惣菜とおにぎり田んぼを見ながらあなたと食べた昼ごはんもう泣くしかないですいっしょに食べたいですきっとまたきっ
三ノ宮駅で降車神戸歩きです新開地を過ぎ上沢通りへ丸山中学校手前の公園は高台にある和歌山が見える淡路が見える見知らぬ道をただ奥へと歩く丘のてっぺんにある丸山中学校かつての様は在日詩人金時鐘の本にあるかつてはどこだって荒れていたいや今の時代の世の中はもっとも
アホなコイチは歩いてばかりですバッグ背負って背を丸め何気ない街の中に何気なく流れていくドブの泥水のようにコイチどこまで歩くの時間があるだけ歩けるだけ歩くよあなたと車で走った街を歩いてますいつもあなたがいます上にいるあなたは僕のすぐ横にもいますきっといてる
あなたは唯一の話し相手だった。今ボーッとして図書館の中から浮かぶ雲を見つめています。石原慎太郎氏と曽野綾子氏の対談本を読んでいます。好子は曽野さんが好きでした。
コーヒー飲んでトースト食べてあんぱん食べて焼きそば作って食べてアイスコーヒー飲んで晩にまた焼きそば作って食べてまたトースト食べて今日も一日終わりますそりゃやっぱりね一緒に歩きたいです一緒に何度も行った京都を歩きたい元気な頃を思い出しています やっぱりね5年
泣いても喚いても生き続けるしかないねその時まで頑張って生きるよこの頃そう思ってきた疲れがなかなか取れず話し相手もなくただ黙々と歩いているだけ何かを変えていかなあかんセミが鳴き始めました短い命を嘆くようにそれとも無駄に生きる人間様を見て笑い鳴きをしているの
好子5年目の夏です。今年の梅雨は終わり、いよいよ夏本番です。今年の夏は例年より暑い夏になるみたいです。日中35度超えでも驚きませんよ。それでも午前は歩きに出てます。好子の分まで歩かなあかんからね。先日三宮に行きました。センタープラザにある喫茶店、潮(ウシオ)
思い出の中だけですかあなたと会えるのはあまりにも悲しいですいっぱい話したいです見えないあなたに話しかけてばかりいつもそうして歩いてますそこに立っているのは好子好子やな好子が消えた毎日、まだ毎日こうして生きているよいつまで俺は生きるんやろなぁ好子
桜の季節は終わり、色とりどりの春から初夏の花が咲き誇っています。色鮮やかです。名前も知らず、覚えようともせずにただ眺めているだけですよ、なぁ好子。昨日の大阪は気温28度だったか。29度の予報でしたが、リュックを背負い歩いているから背中は汗びっしょりになります
あの日から5年です。先日、甲南病院に行ってきました。昨日は円山公園の枝垂れ桜の下に行きました。思うことはいっぱい、限りないです。これからもこれまでと同じように好子のことを思って生きていきます。好子と行ったところを歩いて行きます。何度も何度も。横にいてくれた
小さい花に くちづけしたら小さい声で 僕に言ったよ小父さんあなたは やさしい人ね私を摘んで お家につれてって私はあなたの お部屋の中で一生懸命咲いて慰めて上げるわどうせ短い 私の命小父さん見てて 終わるまでエド&望 歌謡曲バンザイをユーチューブで聞いてい
好子、どうしてる?何してる?こんなことばかり呟いて歩いています先週は、京都の円山公園に朝早く行ってきました坂本龍馬と中岡慎太郎の像の前に行ってきましたここで写真撮ったねいまでも、その時の笑顔を見ています風冷えが春を遠ざけていますこんな時の一人歩きはしんど
なぁ好子、あの震災から27年経ちました。今日は神戸に行かないけど、23日には行きますね。好子の77歳な誕生日やね。最後の誕生日に元町ケーキのざくろケーキを一緒に食べたね、好子は半分は食べたんやったかなぁ、どやったかなぁ、はっきり覚えてないわ、ごめんな。また買い
新長田に来ました。好子と何度も来たね。買い物したり、コーヒー飲んだり、いっぱい思い出がある街です。好子がなんとか歩けて最後に一緒に買い物したイオン長田南にいきますね。最後に手を合わせた御崎神社にも行くね。杖をついて歩いて神さんの前で、もっと生きたい、とお
ここに久し振りに書きますね。いつも持ち歩いているノートには毎日好子に呟いているからね。今日は少し書くね。今日は1721日になります。今もこれからもずっと僕の相棒ですよ。昨夜は前川清氏が歌う歌詞の景色に涙しました。あなたが歌の言葉に重なりました。生きるってきつ
9月半ばです。安威川土手でおとといにまだ花開かずの彼岸花を見つけ、今日芥川近くで花開いてました。好子と篠山に走る時、いっぱい見ていました。好子は彼岸花が好きでした。今週末に篠山に行く予定です。写真撮って来るからね。
おいてきぼりやわおいてきぼりやで今までもこれからも
『まだ来ないのさ 日が暮れるのに窓からじっと 見ていよう夕焼雲の 彼方からバスに揺られてくる 可愛い娘恋は夜毎の セレナーデ僕はあの娘と 暮らしたいいつ来るんだろ 日が暮れそうだ迎えに行って やろうかな笑ってばかり いるくせに僕に恥ずかしがる 可愛い娘恋
好子、きついよ。いろんなことを思い出しています。好子が呼んでいる、だのに俺はいないなぁ好子、そんなことやったよな、いなかったなぁ、好子が呼んでいた時、なあ、俺は、きついよ、ずっとずっと、好子、好子、って今、僕が呼んでいます。
「しあわせを しあわせを今日からふたりで」五木ひろしが歌う「おまえとふたり」この歌をどれだけ好子の前で歌っただろうか。今では、歌うたびに涙します、なぁ好子・・・・会いたいなぁ、メチャクチャ会いたいな、会って、いっぱい話したいなぁ・・・なぁ好子・・・
好子、おはよう。ホットコーヒーが美味いよ。マクドやねん、100円コーヒーが美味いよ、ここのコーヒーがあれば助かるよ、好子と一緒に飲んでいたころを思い出しています。また一緒に飲める時が来るよね、その時、いっぱいしゃべろね、いっぱいやで、その時
好子はどうしているかなぁ空からいつも見ていてくれているのかなぁ歩いてばかりの僕を闘わず嘆いてばかりの僕を吐いた主張の馬鹿さに気づき自己嫌悪の大波をかぶりもうやめよう争うのはもうやめようどんどんつまらないくだらないひとになっていくあとはどうすればいいのかひ
ここにくればあなたに会える田んぼがまた息しだしましたあなたもゆっくりおおきな呼吸をしていますそう見えていますひとりで生きるのはしんどいよ仕方ないことばかりですまた来るね
かんにんしてやあの日、俺に会わへんかったら幸せになってたやろうにもっともっと生きてたやろうにこんな男でごめん 焦ってばかりの人生かいしょなく迷惑ばかりかけてきた今はなにも焦ることなくこのまま老いていくだけ覚悟はできてますかんにんしてやもうすぐ3年になるけ
ショッピングセンター、エスカレーターの横にあるソファーに歩き疲れた体を沈め、カメラとして持ち歩いている2年前に使っていたスマホの撮り貯めた写真を見る。すっかり片付けたマンションの部屋、好子との世界があった部屋、好子が覚悟を決めた部屋、何も言えずさよな
このひと月で三回も登りました。何れも四条河原町から歩き始め、梅谷登山道から二度、雲母坂から一回、比叡山に登る。街中を歩かずに、鴨川河川敷を四条から上がっていく。阪急電車を降りると、まるで比叡山への道が設けられているかのようである。只管歩く。京から山に入り
好子と歩いてきましたいっぱい歩いてきました王子公園駅から明石駅まで6時間半8里歩きました車で何度も好子と走った道でしたいろいろ思い出しながら歩きました好子といっぱい話しました膝は少し痛みましたが概ね大丈夫壊れるまで歩こうでいいと次は明石駅から加古川駅までこ
一緒に歩こうな今から歩きに行こうな今日は神戸から明石やで頑張って歩こうなな、好子
昨日、四条河原町から歩き始める。鴨川河川敷を北山通りまで、清き川水を眺めながら行き、山裾の梅谷の登山道から入り、比叡山山頂三角点へ。延暦寺を過ぎ無動寺道で下る。琵琶湖浜に寄せる湖水に触れ、また好子と来たかったなあ、といつも何処に行ってもそう呟いてばかり。
満開までにあと2,3日かな。落ちていた花びらを5枚持って帰ります。桜の木は半数ほどになったのでは。寂しい限りです。仕方ないです。ここはバスの運行道でもあるし、よう頑張った木たちです。
平成最後に見る京都円山公園の桜、またここへ来ました。一人でじゃなく、好子と一緒です、いつも一緒です。
東遊園地公園に来ましま。昼休みになると、ここでミニサッカーゲームに汗する近くの労働者たちをよく見かけたものでした。その頃は芝生じゃなく、土のグランドでした。少なくても10年、もっと前だったかなぁ。あ〜、とため息ばかり。好子、もう帰ろうか、好子のお茶を三宮
読売テレビで毎朝早くやっている「すまたん」の辛坊さんが今日でこの番組を卒業。ほかの番組でも辛坊さんは出ているけど、「すまたん」での辛坊さんが好きでした。真面目なニュース解説は勿論のことだが、おちゃらけが満載の人柄を露わにしたところが好きでした。ほんと寂し
開花間近です。卯の花のようです。開花は五月になってからですか。匂う垣根にほととぎす早も来鳴きて・・・・という歌を口ずさみながら・・・桜は、あと一週間、来週の土日には開花するだろう。そして満開に。そうなれば、京都円山公園に行って、好子の写真に話しか
人生の半分以上が病気との闘いだった。 そんな好子のことをブログに残してかまへんよな。 できるだけ詳細に追々書いていきます。 僕のために、好子のために、そしてこれを読んで頂くご縁のある方のために。
歩けばいいんだよそれでいいんだよ今はそれでいいんだよ東京まで歩くのじゃない鹿児島まで歩くのじゃないもっと歩ける時がくれば山中奥深く歩くクマに遇う逃げられないそれでいい対決して負ければそれでいいそんなもんでみんな生きてきた今はまだ街の中あなたはどこそこに立
こんなに歩いても あなたに会えないこんなに話しかけても あなたは答えてくれないこんなに歌っても あなたはうまいっていってくれないこんなに涙しても あなたはもういないよく行った春日野道のライフやくら寿司ここを歩けば あなたと買い物したことお寿司食べたことお
ここ、そう、ここから川沿いに2時間歩けば落ち葉敷き詰めた山道に入る。摂津峡を越えて戻ってくる。4時間余り20kmの街山歩き。少しの速足でも大丈夫、という程度にはなっている。軽く薄く安堵はしているが、走れば、まだ右膝に痛みがある。膝にかかる重さは歩きで体重の2~
人生の半分以上が病気との闘いだった。 そんな好子のことをブログに残してかまへんよな。 できるだけ詳細に追々書いていきます。 僕のために、好子のために、そしてこれを読んで頂くご縁のある方のために。
菜の花を見つけた。そうなんや、今頃から咲き始めるのか〜。歩いていると土手下に鮮やかな真っ黄っ黄色に目が行く。
今日は好子の誕生日。74才ですね、好子は好子の歴史あり、ですよ。これからも刻んでいこうね、あなたの人生を。そして僕の人生も、追いかけていきますね。好子、元町ケーキの「ざくろ」買ってきたよ。去年も食べたよね、今年も食べや、来年も、ずっと、食べようね。
新世界、好子と何度も行ったところです。どこに行っても朝には喫茶店に入り、ホットモーニングを頼んていました。二人ともコーヒーとトーストが好きだったね。この喫茶店、覚えているかな、広くて新聞もあってそして今は320円のモーニング代。好子と行ったころはいく
昨日、神戸へ行った。戻った、といいたいが。実際、僕のすべてがいつ戻れるのだろうか。24年前、この神戸の街並は崩れ、途方もない情景だった。人の力は凄い、昨日の神戸は輝いている。僕は遠くから、ひとり、これからもずっとひとり、ここで眺めていく。
また歌をうたっていこうか。一緒にカラオケによく行ったもんな。テレビをつけると、今、歌手協会の新春12時間歌謡祭をやっています。ちょうど新谷のり子さんが歌うとこでした。「フランシーヌの場合は」は僕が高校一年生だったなぁ、それから50年。半世紀ぶりに拝見して、
「もしもし、元気やった?」好子の声やわ「どこにおるの?どこにおるの?」訊いても好子の返事がない浅い眠りの中だった。あ〜ゆめやった。好子、こんな無様な俺を心配して出てきてくれたんやなぁ。涙が、涙が溢れ出て、延々と泣いた。夜中の3時前やったね
今日から11月です。今日はえらく寒いです。部屋の中でもダウンを着て縮こまってます。好子はどうしてるかなぁ会いたいなぁ、なんで会えない、あの雲の上に行けば会えるのかないつもいつも空ばかり眺めています。青空に浮かぶ雲からこっちを見ているよね。ちょうど二年前の
1時間後にオフになるようにして寝たはずなのに、どうして動いているのやろ。蒸し暑い夜が続いている。去年取り付けた新しいクーラーは間違いなくタイマー設定通り1時間後に止まったのだろう。急にぶり返した暑さに我慢できず、無意識にタイマーを探しまたスイッチオン、とし
神戸を歩こう空は今にも雨が降りそうまだ痛む膝を気にしながら大丈夫か、大丈夫や、と今日は気合で神戸を歩こうここでモーニング食べたよなここにも来たよなってそんなことばかり呟きながら歩いた神戸は僕が生まれた街僕たちが暮らした街そして・・・好子が死んだ街もういい
今は読めないです。読みかけるとダメなんです。当時の状況がはっきりと浮かんで、辛いです。好子を救ってやれなかったその場面がパ~ッと目の前に現れ、もう読めないんです。ごめんな、好子、いつも思っているよ、あなたのことをね。自分が書いた好子の闘病記やのに、読めな
好子様。「なぁ、一緒で楽しかった?、しんどかったんとちゃうか、あなたの人生、俺が短くしてしまったなぁ」パソコンの横に置いている写真を見ながら、こんなことを呟いています。あなたは僕なんかよりずっと人として強かったです。軟弱で呑気な僕を支えてくれました。結局
かなり回復してきた、と願望の世界にばかり漂っている僕は、物の見事に体落としを食らい、また思うように歩けなくなってきた。痛い、痛む、右膝が痛んで引きずりながらしか歩けない。もう歩かない方がいいのか、と思うがそうはいかない現実がある。この3週間、ちょっとだけ
コアジサイという名はネットで調べて知りました。山道を歩いていると、花には目が行きます。何でやろうね、ほっとするのかな、山の中の土と石と木々の色になれている眼は異質の色に惹きついてしまう。山地に見られる花という。そうか、ここだから、この時季だから見られたの
晴れの日が続いていましたが、今日は雨になります。毎日、自転車に乗って遠い所へ行こうと何時間も走り回ってますが、今日はできません。また晴れの日に自転車で神戸へ行きます。あなたと暮らした町、神戸市灘区へ自転車で行きますよ。4時間で着くでしょうね。体力は大丈夫、
暑くなりました。夏はもう少し先ですが、一気に気温が上がる日があります。こうして季節は巡り、毎年の見慣れた風景をぽか~んと眺めて、ただ生きている。すべてが「空(くう)」と悟って生きているのなら、崇高なことだろうが、僕はただぽか~んと生きている。河川敷に咲く
「どう?いい?」「ええよ、短くしてもらったなぁ、夏になるからそれでいいやん、すぐに伸びるわ」二年前の春やったね、スーパーラムーに併設している「ヘアーカット」に車に乗って行ったね。ずっと美容院にカットに行っていたけど、長く座るのがきつくなって、僕がいつも行
昨日、三か月毎受診の隈病院に行ってきました。三か月はすぐにやってきますね。次はもう夏になります。こうしてどんどん過ぎていくのやね。いっそのこと、超特急でお願いしたいです。一人乗車で、なぁ、どこへ行こうかな。一人なら気ままにどこへでも行けるよね。求めて、探
一年が経ちました。時間は容赦なくどんどん過ぎて行きます。思い出の中だけで生きて行くのはつらいです。あなたとずっと生きて行きたかったです。またここに書きたい時があれば・・・ですね。ずっとずっと手を合わせて行きます。僕はあと何年こうしてこんなきつい暮らしをし
昨年の桜は見られなかったね今年はいっぱい見てなあなたが来たかった桜のトンネルに来たよ今日は神戸の気温は22度やったで熱くて上着を一枚脱ぎましたTシャツだけで過ごせるときも直ぐに来そうやね来年もまた来るね、なぁ好子。五毛神社に寄りました。春日野道万代店で買っ
右膝が痛み出してから二ヶ月が過ぎ、やっと歩けるようになりました。まだ100%じゃないけどね。今日歩いて今晩痛みが出るか試すわね。あなたの分まで歩くよ。元町、三宮を歩くからね、よう見ときね。あなたはここ神戸で働き、いっぱい思い出を作りましたね。懐かしいところ
美味しいもの。油物か甘いもの、だいたいのベースはこんなもの。もうそういうものはあまり食べなくてもいい。コーヒーがあれば、それにトーストがあれば朝昼はやっていける。あ~今日も頑張って生きようか。昨日、病院でCT検査(単純)を受ける。造影剤を入れる検査じゃなか
高知の安芸に行きますね。浜辺に立ち、大声で「好子~、待っててな~」と叫ぶよ。きっと聞こえるよね、僕の声が分かるよね。まだまだ大阪は寒いです。最高気温はなかなか二桁にはなりません。今月の下旬になれば行けるかな。朝、「好子~」と何度も声を出して歩いています。
書こうと思う。書けない。思い出して書けない。神戸日赤病院で苦しんだひと月の入院、今、その毎日を思い出してばかり、苦しかった、好子は苦しかった。好子が闘っていた苦痛を思い出すと、もう俺は泣いてばかり、何もできなかった。転院した甲南病院でも苦しんだ。緩和病棟
今の僕は・・・嘆いてばかり、ずっと嘆いている。そればかりここに書いている。もうそれはやめよう。闘病記を読んで頂けたら、それで充分です。2回目の脳梗塞で入院してから亡くなるまでの1か月半が、あまりにも辛かった。好子の最後の闘いはあまりにも酷だった。それを思い
あなたの闘病、入院の記録を残しておこうと、ノートに書き始めていたけど、なかなか進まないよ。何度も涙して、手が止まり、繰り返していくとまた明日書こう、こんなことでこの半月ぐらい、全く書いていない。ブログの中で書けば、何とか出来るだろう、とあなたのことをここ
初めて好子に会ってから、35年が経ちましたね。過ぎてみれば、あっという間でしたね。楽しかったね、喧嘩もしたけど、あなたとの時間は安らぎの中でしたね。最後に救急入院した今年の2月22日、そのわずか前の会話で、僕が「あと5年生きような」というとあなたは「5年で
好子、なぁ、長く病気と闘って、もうそれも済んでしまったね。しんどかったね。よう闘った。もう終わったよ。もう苦しまんでいいよ。残った僕は何とかやっていきますからね。好子の病気の全ては膠原病からでしたね。その中でも全身性エリテマトーデスやったね。僕は詳細は知
「好子、帰ってきたで、おしっこは、おしっこやってないんとちがうか」出かける前にトイレットペーパーを用意していたのが、そのままあったのを見ていたから、まだやっていないと気付いていた。「さあ、好子、起きてみ」好子は動かない。「なんでや、抱き起すからな、左手動
神経内科のフロアー6階に入院。脳梗塞のリハビリが始まった。手足の動きを確かめ、少しでも回復するようにリハビリ担当の先生が毎日病室に来られていた。嚥下(飲み込み)もゆっくりでも続けられるようにスプーンで口に運んで、といったリハビリが毎日なされていた。「食べ
1Fで内視鏡治療を終え6Fの病室に戻り、麻酔から覚めた数時間後に目が開く。「よかったなぁ、胆管のステント交換したからな」「好子、来週、今度はメタリックのステントを入れるから頑張ろうな」返事するでもなく、ただ僕の言葉を聞いているだけだったね。がんばろうな、
入院時から水が飲みたかったね。ひと口かふた口だけだったけどね。僕は水が飲める状態に一安心していました。喉はよく渇いたよね。少しずつしか飲まなかったから、しばらくたてば「水ちょうだい」とよく言ってたよね。寝たままでは決して飲めず、上体を起こして、目を開けた
あなたがもういないのは分かっています。あなたともう話せないのは分かっています。あなたともう会えないのは分かっています。あなたとご飯を食べられないのは分かっています。あなたの笑顔が見られないのは分かっています。あなたの寝顔を見られないのは分かっています。あ
僕が病室にいるときに、あなたが水が飲みたいと言えば、依然としてナースコールしていた。ずっと眠った状態だったから、水を飲むのもしんどかったね。電動でベッドを起こし、目も開けるのもやっとやったよね。ごくんと飲み込むのもきつくなってきてたね。つらかった・・・・
そんなことは土台無理なことなんかな。そうじゃないよね、病人を助けよう、という思いで飛び込んできた世界、じゃなかったのかな。昨年、一昨年は二週間毎に外来診察があり、膵癌、糖尿病、膠原病の状態を採血結果で見ていた。膵臓がんです。一年持たないでしょう、と当時の
今年の2月22日に二度目の脳梗塞で入院してからは介護用のテープタイプのおむつをすることになりました。病院が用意するおむつと同じテープタイプを近くの薬局で買い求めました。動かない体になってしまった好子、なぁ好子、もう仕方ないんやで、おむつで頑張ろうな・・・
だいたい2時間ごとに身体の向きを変えてもらってました。ずっと同じ向きでは接している同じ場所に圧力がかかって血行障害から床ずれになります。決まって2時間ごとではなく、3時間のときもありました。こういった決まり事でも、介護する方の自主性に任せていたのでしょう
苦しいね。痰を簡単に出せないのがこんなに苦しいことなのか。看護師を呼んで、来てくれた看護師がさっと取ってくれれば苦しむ時間が短くて、見ている僕もほっとする。なかなか上手く取れなくて長いこと吸引し続けている看護師がいる。「そんなに長くするんですか」堪らず僕
神戸の古くて狭いマンションに住むあなたと僕・・・。入院する前、あなたは僕がする「あ~いそがし、あ~いそがし」というギャグにいつも大笑いしてましたね。このギャグは60年代か70年代、吉本新喜劇で活躍していた谷しげる氏のギャグでした。小柄な谷しげるさんはこの
再び、家のベッドに寝かせたい。そしてそこで見送りたい・・・。ずっとそう思っていた。あなたもそうやね、戻って長く暮らしたマンションの空気の中で寝たかったよね。もう目は見えなくても、体に触れる、伝わるもの全て、あなたは理解できたよね。救急で入院したこの病院は
僕と知り合う5年くらい前に膠原病の治療をこの病院で始めていたのでは。そうならもう40年になるね。40年って、長いの短いの?過ぎ去って見ればあっという間だった、とこの世の誰もが思うように、様々な景色が、あなたと僕の景色が涙目の前を通り過ぎます。病との闘いが
緩和病棟の個室のベッドに寝かされたあなた、疲れたね、カーブが多い坂道を車は上り、古い病院の玄関に車は停まる。重病患者なのに、ストレッチャーを押す介護タクシーのお兄さんはあなたが収まるところへと気が走っている。旧館の外来患者が診察を待つ狭い廊下をストレッチ
亡くなる二日前だったか、ベッドの横に座り、あなたにこう言ったね。「好子、退院してから好子が寝たままで乗れる車買って、何回も走った氷上に行こうな」あなたは、ずっと閉じていた両目を開けて、僕を見つめていたね。声の方を見ていたんやね。僕が見えたんかな、きっとそ
膵腫瘍の疑いで入院したときが2015年、それから何度も入院を繰り返す、という状況になりました。それまでは膠原病(全身性エリテマトーデス)の症状はは安定しているとばっかり僕は思っていました。治療薬としてステロイド剤であるプレドニン5mgを朝1錠、夕食後に0
この10年間の入院記録です。入院年月日・2009/01/17退院年月日・2009/02/14傷病名脳梗塞・高血圧症・高脂血症・全身性エリテマトーデス・抗リン脂質抗体症候群抗リン脂質抗体症候群と記載されています。この年の9月に好子は「「抗リン脂質抗体症候群
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