《第二篇 各論》 《第一章 音声論》 《一 リズム》 イ 言語における源本的場面としてのリズム 私は言語におけるリズムの本質を、言語における《場面》であると考えた。しかも、リズムは言語の最も源本的な場面であると考えた。源本的とは、言語はこのリズム的場面においての実現を外に...
「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・61
9 言語理解 【要約】 言語理解は子どもの知的発達に大きな寄与をする。そのような寄与がどのように発達変化するか、その発達を規定する要因は何かについて考えてみたい。 ■ 談話の自己行動調整機能 自己行動に対する談話の調整機能の発達過程についての実験的研究の成果を検討する...
「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・60
《代表過程と条件づけ》 【要約】 二つの事項間の任意的な関係は、言語的代表過程に限らず、非言語的過程にも存在する。接近連合、あるいは条件づけによって、連合される二つの事項の間に有縁性があってもなくても、両者間に結びつきが生じる。 連合における結合は、一つ一つが孤立してい...
「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・59
《代表過程の二つの発達水準》 【要約】 代表過程とは、“代表するもの”と“代表されるもの”との間の分化である。ピアジェ(Piaget,1945)に従って、“代表するもの”を“能記”、“代表されるもの”を“所記”とよぶ。この二つの用語は、フランスの言語学者ソシュール(Sau...
「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・58
■範疇化 【要約】 代表過程の発生と発達を具体的に考えてみる。認知に対して作用する代表機能は、要するに、客観的事象を意味的なものへと変形することであり、範疇化することである。 特定の1匹の動物が特定の“そのもの”としてではなく、“イヌ”という範疇(カテゴリー)ないし級(...
「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・57
《ピアジェの見解》 【要約】 ピアジェ(Piaget,1933,1934,1945)は、知覚が行為的経験を媒介としてはじめて発達すると考えている。前述したマッチ箱場面(父親が1歳4カ月の女児の目の前でマッチ箱をあけ、そのなかに鎖を入れ、箱の口を少しあけたまま彼女にさし出す...
「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・56
■認知と行為 【要約】 代表機能の最も単純で直接な水準は知覚である。知覚が行為的な経験とどのように因果的に関係しているかについて、二つの対立する見解がある。その一つは、人間の知覚は代表機能によって支えられるが、この機能は、人間においては視覚や聴覚とならんで一つの基本的で生...
「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・55
■非言語的な経験 《“内言語”の非言語性》 【要約】 言語的代表過程が形成されるための要件の一つとして、マイクルバスト(Myklebust,1960) は、“内言語”なるものを考えている。“内言語”はビゴツキーの“内言”とは異なる概念である。“内言”は談話の内面化ないし思...
東京のデパートで開かれていた「大黄金展」の会場から1040万円の純金製茶碗が盗まれた。犯人Aはこの茶碗を古物買い取り店Bに180万円で売却した。古物買い取り店Bは同じ日に古物買い取り店Cに約480万円で転売した。 したがって、Aは180万円、Bは約300万円、Cは約56...
「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・54
8 認知世界の形成 【要約】 子どもは、まず言語を学び、つぎにそれを基礎として意味的経験をするようになっていくのではなく、はじめに意味的経験をし、その経験を深めていく途中から、それを基礎として言語の影響を徐々に受けるようになっていくのである。意味的経験がなければ、言語の経...
「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・53
■聴力 【要約】 談話を聞く場合、談話の全体が必ずしも遺漏なく聞きとれるということはなく、また、つねにそうである必要もない。その理由の一つは、談話の行われる状況、談話そのものの置かれている文脈、あるいは広い知識・経験などが、聴取欠損部を補うのに役立つということにある。この...
「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・52
■音声識別と発声 【要約】 音声識別力が、子どもの漸次発達変化していく音韻とその体系化にそって発達することは明らかである。低い発達段階では、一部の音声だけを識別し他の音を無視するとか、特定の音声を彼自身の音韻範疇に従ってまとめたり相互交換したりする、ということが考えられる...
「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・51
■音声識別と場面 【要約】 “言語理解”が言語以外の条件(場面)によっている場合が多い。 カリツォーバは、成人が談話を与えるとき、その音調が一定であり、また身振りや場面も一定であるときだけ、要求している条件(“理解”)反応を示すことを実験的に確認している(Kogan,1...
「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・50
■音声識別 【要約】 音声に基づく談話の識別は、子どもが音声そのものに積極的で分析的な関心をもつまでは生じてこない。ルイス(Lewis,1951)によると、音声に対する子どもの関心は、原初的な音声模倣(音調をおもな手がかりにする談話“理解”期に対応する時期に生じる)が減退...
「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・49
7 談話の識別 【要約】 ここで“談話の識別”とは、子どもが聞いた談話が、その特徴に応じて、安定した特殊反応をおこさせるようになることである。子ども自身の生産する談話が発達するための基本的な条件の一つは、他者の談話の識別にあることはいうまでもない。 ■音調・音色の識別 ...
「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・48
4 言語理解の発達 【要約】 発声行動の言語化が子どもの聞く談話の言語的理解を基礎として生じてくることは明白であり、使用に対する理解の時期的先行が1歳6ヶ月から3歳0ヶ月ごろまでではほぼ2~3ヶ月の間隔で、もっとも顕著に現れるといわれている。 最初に、非言語的な側面にお...
「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・47
《象徴遊びにおける発声行為》 【要約】 象徴遊び(“ふりをすること”“見せかけること”)に発声行為が伴うとき、その象徴的な特性はいっそう明瞭になる。 ピアジェ(Piaget,1945)による観察事例をみる。 ⑴Jという子どもは、1歳6ヶ月に、石鹸も水もその場になく、それ...
「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・46
■その他の音声的象徴行動 【要約】 身振りと音声模倣のほかに、重要な二、三の初期の音声的象徴行動がある。これらは、音声模倣と発達的に接続する関係にあり、本格的な言語習得過程の先行条件となるものである。 《半個人的な言語的表示》 それは形式的にだけ言語であり、機能的にはな...
「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・45
■言語音声の習得(省略) ■オノパトペ 【要約】 “オノパトペ”は、人間の音声以外の音や声(物音や動物の声など)に対する模写的な音声を意味する。オノパトペはその機能において、音声模倣とはかなり違っており、言語獲得以前の子どもの場合には、とくにそうである。 幼い子どもは、...
「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・44
《音声模倣と自発的使用》 【要約】 上述の問題は、模倣された音声が子ども自身の自発的で、ある程度その場に適合した(意味的な)談話の形成にどのように寄与していくのかという、言語発達問題の核心につながっている。ここには顕現的な音声模倣とその音声の意味的―自発的な使用との発達的...
「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・43
《音声模倣と意味》 【要約】 ギョーム(Guillaume,1925)は、音声模倣はその音声が子どもにとって意味ないし意味の縁辺を伴っているときだけ生じるのであり、意味からまったく離れた音声の模倣ということはありえないという。レオポルド(Leopold,1939)も、自己...
「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・42
《同一視説》 【要約】 “同一視”とは、他者と自己を混同することをいう。精神分析の創始者フロイト(Freud) は、親に対する子どもの同一視が人格の基本要因であることを主張し、その後の人格理論、社会心理学、さらには学習理論をふくむ行動理論に大きな影響を与えている。フロイト...
「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・41
■音声模倣の機制 【要約】 語の形成は、喃語活動にふくまれる音声の自然の固定化によって達成されるとは考えられない。幼児は、必要な語を形成するさいに、新しい音声を習得する必要がおこってくる。さらに、多くの異なる音声を組み合わせて作られてくる反応を習得する必要があるが、これは...
「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・40
《連続発達説》 【要約】 音声模倣の発達が連続的だとする見解は二つに大別することができる。一つは、音声模倣が出生後きわめて早期から認められるとする見解であり、もう一つはほぼルイスの第3段階から生じるとするものである。 前者に属する連続発達説はピアジェ(Piaget,19...
「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・39
■音声模倣の発達過程 【要約】 《音声模倣の開始期》 音声模倣は0歳2ヶ月から早くも始まると(Hoyer and Hoyer,1924;Lewis,1951;Stern u.Stern,1907)があるかと思うと、0歳9ヶ月~0歳10ヶ月になってはじめて音声は模倣される...
「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・38
3 音声模倣 【要約】 言語習得がとりわけ音声模倣に依存していることはいうまでもない。言語発達が学習現象であるといわれるおもな理由の一つは、それが音声模倣を経てはじめて達成されるというところにある。 擬音あるいは擬声(オノマトペ)もまた、一種の模倣音声であるが、言語的で...
自民党は、4月4日、派閥の政治資金パーティー裏金事件に関係した安部派、二階派の議員ら39人を処分した。しかし、それで終わりではない、と私は思う。そもそも39人は「選ばれて」議員になっているのだから、選ばれた議員の悪行は、選んだ側にも責任があるのである。では、誰が選んだのか...
「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・37
《発達的連関についての諸説》 大きく分けると三つの考え方があるようである。 第一は、音声と身振りとの間に連関は認めるが、相互の経験的な因果関係を問題にしない立場である。音声がもともと、人間においては行為を伴い、両者が生得的に密接に結合していることは認めるが、この2種の反...
「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・36
■身振りと談話 《音声的伝達の利点》 【要約】 音声による伝達の基本的特徴はつぎのようである。 ⑴聴覚刺激以外の感性刺激は、空間性ないし対象性が比較的大であるが、聴覚刺激はその時系列性ないし線状性のゆえに、事象の記号として、事象とそのものと区別がつけやすい。⑵聞き手が聴覚...
「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・35
■身振りによる伝達の限界 身振りで非現実事象を表示することは可能であるが、音声行動と比較すれば大きな制約がある。そのおもな理由としてつぎの三つをあげることができる。 ⑴大部分の身振りは、それが行われる事態に依存して表示の一義性を達成する。 ⑵身振りで高度に抽象的な事象を表...
「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・34
■自発的身振りの発達 《身振りと“内的言語感覚”》 【要約】 レベス(Revesz,1956)によれば、音声が“内的言語感覚”の影響を受けるようになるとき、音声言語行動が形成される。これと同様に、身振りもこの要因の関与によって、象徴化を開始するという。それは身振りの形では...
「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・33
■絵画的身振り 《絵画的身振りの意味》 【要約】 他者の身体運動を自己の身体運動で模倣しようとする傾向は0歳10ヶ月~1歳0ヶ月ごろからみられる。子どもの絵画的身振りはこのような人間行為の模写にはじまるようである。この場合、模写の媒体となる身体部位は、はじめのうちは一定せ...
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《第二篇 各論》 《第一章 音声論》 《一 リズム》 イ 言語における源本的場面としてのリズム 私は言語におけるリズムの本質を、言語における《場面》であると考えた。しかも、リズムは言語の最も源本的な場面であると考えた。源本的とは、言語はこのリズム的場面においての実現を外に...
《十二 言語の史的認識と変化の主体としての「言語」(ラング)の概念》 言語の史的認識は、観察的立場においてなされるものであって、主体的立場においてはつねに体系以外のものではない。主体的言語事実を、排列した時、そこに変化が認められ、しかもそれが時間の上に連続的に排列される時...
《十一 国語及び日本語の概念 附、外来語》 国語の名称は日本語と同義である。国家の標準語あるいは公用語を国語と称することがあるが、それは狭義の用法である。 国語は日本語的性格を持った言語である。 日本語の特性は、それが表現される心理的生理的過程の中に求められなければな...
《十 言語の社会性》 私は、言語を個人の外に存在し、個人に対し拘束力を持つ社会的事実であるとする考えに異議を述べてきたが、言語が各個人の任意によって変更することが許されないという事実や、集団の言語習慣に違背する時には嘲笑されるというような事実は、どのように説明されるべきで...
吉本興業と朝日放送テレビが主催する漫才コンクール「M1グランプリ」が今年も行われ、参加者1万330組の中から令和ロマンというコンビが優勝、1000万円を獲得したそうである。なるほど今の世の中は金、金、2万660人の芸人がそれを求めて殺到したか。その昔(1931年)、ルネ・...
ソシュールからバイイへの展開は、新しい見地をもたらした。「言語活動」(ランガージュ)を「言語」の運用と考え、その運用を通して話し手の生命力が表現されるという見地から、これを研究する文体論は、言語の美学的研究であるとされた。小林英夫氏は次のように説明している。 ◎我々の考え...
◆老木に柿の実二つ残りけり ◆息白き子らを見守る朝の月
《九 言語による理解と言語の鑑賞》 言語過程説においては、理解は表現と同時に言語の本質に属することである。我々の具体的言語は、表現し、理解する主体的行為によって成立するからである。 ソシュール言語学では、「言語」(ラング)が「言語活動」(ランガージュ)において運用される...
四 言語に対する価値意識と言語の技術 (前・中略) 私は価値意識と技術の対象を《事としての言語》に置く。《事としての言語》とは、言語をもっぱら概念・表象の、音声・文字に置き換えられる過程として見る立場である。物の運用としての《事》でなく、内部的なものの外部への発動における...
三 言語の習得 ソシュールに従えば、言語の習得とは、個人が概念と聴覚映像との連合した「言語」(ラング)を脳中に貯蔵することを意味する(「言語学原論」) これに対して、言語過程観における言語の習得とは、素材とそれに対応する音声あるいは文字記載の連合の習慣を獲得することを...
二 概念 言語の概念は、音声によって喚起される心的内容である。概念というのは、概念されたものの意味である。 私は、言語によって表現される事物、表象、概念は、言語の素材であり、言語を成立させる条件にはなるが、言語の内部的な構成要素となるべきものではないという見地から、概念...
《八 言語の構成的要素と言語の過程的段階》 一 文字及び音声 言語過程説は、その言語本質観に基づいて、言語はすべてその具体的事実においては、主体の行為に帰着する。従って、言語構成説に現れる言語の要素的なものは、全て主体の表現的行為の段階に置き換えられなければならない。 ...
《七 言語構成観より言語過程観へ》 ソシュールのいう「言語」(ラング)は、概念と聴覚映像が「互いに喚起し合うものである」と考えたが、それは《もの》ではなく、概念と聴覚映像とが継起的過程として結合されていると考えなければならない。あたかも、ボタンを押すとベルが鳴るというよう...
四 社会的事実としての「言語」(ラング)について ソシュールは、「言語」(ラング)が言語活動の単位であると述べていると同時に、また「言語」(ラング)が社会的所産であるということをいっている。 ソシュールは、「言語」(ラング)を社会的事実として認識するにあたり、次のような...
三 「言」(パロル)と「言語」(ラング)との関係について 今仮に、ソシュールがいうように、聴覚映像と概念との結合した精神的実体が存在するとして、「言語」(ラング)と「言」(パロル)とはどのような関係になるのだろうか。小林氏は次のように説明する。 ◎言とは何であるか。それは...
《六 フェルディナン・ド・ソシュールの言語理論に対する批判》 一 ソシュールの言語理論と国語学 19世紀初頭の近代言語学の問題は、主として言語の比較的研究及び歴史的研究であったが、19世紀後半、ソシュールが出て言語学界に新たな局面を開いた。それは、これまでの研究の他に、言...
《五 言語の存在条件としての主体、場面及び素材》 言語を音声と概念との結合であるとする考え方は、すでに対象それ自身に対する抽象が行われている。我々は、そのように抽象された言語の分析をする前に、具体的な言語経験がどのような条件の下に存在するかを観察し、そこから言語の本質的領...
《四 言語に対する主体的立場と観察的立場》 ・言語に対して、我々は二の立場の存在を識別することができると思う。 一 主体的立場・・・理解、表現、鑑賞、価値判断 二 観察的立場・・・観察、分析、記述 ・言語は主体を離れては、絶対に存在することのできぬものである。自己の言語を...
《三 対象の把握と解釈作業》 ・言語研究の対象である言語は、これを研究しようとする観察者の外に存在するものでなくして、観察者自身の心的経験として存在するものであることは既に述べた。 ・最も客体的存在と考えられやすい言語は、最も主体的なる(心的なる)存在として考えなければなら...
《二 言語研究の対象》 【要約】 ・自然科学においては、その対象は個物として観察者の前に置かれて居って、その存在について疑う余地がない。ところが言語研究においては、その事情は全く異なって来る。観察者としての我々の耳に響いてくる音声は、ただそれだけ取り出してたのではこれを言語...
71「さんさ恋時雨」(詞・石本美由紀 曲・岡千秋 歌・美空ひばり) 《寸感》 8年前に観た大衆演劇「たつみ演劇BOX」の舞踊ショー、葉山京香の舞姿がわすれられない。 (2023.12.27)
70「逢いたかったぜ」(詞・石本美由紀 曲・上原げんと 歌・岡晴夫) 《寸感》 3年ぶりに会った「男同士」が居酒屋で「酒くみ交わし」、昔を偲ぶ。高野公男と船村徹のしめっぽい「男の友情」に比べると、実に明るく爽やかである。「今度あの娘に出会ったならば“まめでいるよ”と言って...
69「雨の田原坂」(詞・野村俊夫 曲・古賀政男 歌・神楽坂はん子) 《寸 うぐいす芸者の神楽坂はん子が、艶っぽい歌声で、「西南戦争」という武張った場面を凜として描出する。挿入される吟詠もひときわ魅力的である。 (2023.12.24)
68「ふるさと列車」(詞・小山敬三 曲・船村徹 歌・青木光一) 《寸感》 一度は捨てた故郷へ、都会暮らしの「恋も望みも憧れも」振り捨てて、帰らなければならない。ホームで名残を惜しんでくれた人の涙が忘れられない。でも、すでに父は亡く、兄も旅だった今、母を一人ぼっちにさせるわ...
67「十三夜」(詞・石松秋二 曲・長津義司 歌・小笠原美都子) 《寸感》 河岸のたもとで巡り会った、幼馴染みの男女。「懐かしいやら、嬉しいやら」、でも男はまだ学生、女も半玉の身だから、添い遂げることはできない・・・。「さようなら」と、こよない言葉をかける他はなかった。 (...
66「霧にむせぶ夜」(詞・丹古晴己 曲・鈴木淳 歌・黒木憲) 《寸感》 また会えるとわかっているのに、別れがこんなに辛いとは、「こらえても こらても 睫毛がぬれる・・・」。黒木憲の歌声が、はかない恋の切なさをいっそう際立たせる。 (2023.12.21)
65「筏流し」(詞・水田茂 曲・森安勝 歌・越路吹雪) 《寸感》 今から15年前(平成20年)、立川大衆劇場で観た「劇団サキガケ」の座長・南条時宏の舞姿が忘れられない。劇団はその後「座夢舞倶羅」と名を改め、南条時宏も高峰調士となった。 (2023.12.20)
64「ダンスパーティーの夜」(詞・和田隆夫 曲・林伊佐緒 歌・林伊佐緒) 《寸感》 昭和20年代、盛んだったダンスパーティーで出会った男女、つかの間の逢瀬を重ねたが、終わりの時が来た。「別れましょうと言った君」、星が冷たく光っていた。 (2023.12.19)
63「南国土佐を後にして」(詞・武政英策 曲・武政栄策 歌・ペギー葉山) 《寸感》 昭和34年に作られた小津安二郎の映画「浮草」の中で、同じ年にヒットしたこの曲が二度ほど演奏される。その一は、嵐駒十郎一座がお披露目で街頭を練り歩く場面、その二は、町娘に扮した一座の座員・若...
62「惜別の唄」(詞・島崎藤村 曲・藤江英輔 歌・三善英史) 《寸感》 島崎藤村の詩が素晴らしい。本来は嫁ぎゆく姉を見送る妹と姉の問答歌だったが、戦時中、中央大学の学生だった藤江英輔が、出征する友を送る歌として、「姉」を「友」に代えて作曲したという。戦後の私たちにとって...
61「熱海ブルース」(詞・佐伯孝夫 曲・縞六郎 歌・由利あけみ) 《寸感》 小学校入学まで母方の祖母がいる静岡で過ごしたが、昭和26年に上京した。学校が休みになるたびに、静岡に遊びに行った。4年生からは一人で汽車に乗って行った。鈍行で4時間かかった。ちょうど中間に差し掛...
60「僕は泣いちっち」(詞・浜口庫之助 曲・浜口庫之助 歌・守屋浩) 《寸感》 浜口庫之助は「泣いちゃった」という日本語を「泣いちっち」、「行っちゃった」を「行行っちっち」とデフォルメした。その音韻が彼の美学にかなったからであろう。そして、守屋浩の、やや翳りのある歌声が曲...
59「大阪ブギウギ」(詞・藤浦洸 曲・服部良一 歌・笠置シズ子) 《寸感》 有名な「東京ブギウギ」の陰に隠れた名曲である。大衆演劇「三河家劇団」の舞踊ショーで、花形・三河家諒が、この曲をバックに絶妙のコミックダンスを披露している。DVD に収められたその場面を観るたびに、...
58「高原の駅よ、さようなら」(詞・佐伯孝夫 曲・佐々木俊一 歌・小畑実) 《寸感》 別れの時が来た。ほんの短い逢瀬だった。再会を誓ったが実現できるだろうか。汽車が高原の駅を離れたとき、初めて男の頬に涙がこぼれ落ちた。小畑実、渾身の一作である。 (2023.12.13)
57「マロニエの木陰」(詞・坂口淳 曲・細川潤一 歌・松島詩子) 《寸感》 この歌は戦前(昭和12年)に作られたが、松島詩子によって戦後まで歌い継がれた。、淡谷のり子が「別れのブルース」を磨き上げたように、松島詩子もまたこの曲を、珠玉の名品に仕上げたのである。 (2023...
56「さすらい」(詞・西沢爽 曲・狛林正一 歌・小林旭) 《寸感》 小学校からの友人Kが高校時代に歌い、仲間の愛唱歌になった。60年余り前のことである。Kは美術を専攻し、大学教授になった。5年前(平成31年)、74歳で旅立ったが、往時の歌声は今も聞こえる。 (2023.1...
55「カスバの女」(詞・大高ひさを 曲・久保山明 歌・エト邦枝) 《寸感》 この曲は、昭和30年、映画「深夜の女」の主題歌として制作されたが、映画が制作中止となったので、自然消滅し、歌唱のエト邦枝も芸能界を去ることになった。その12年後、緑川アコがカバーしたところヒットし...
55「刃傷松の廊下」(詞・藤間哲郎 曲・桜田誠一 歌・真山一郎) 《寸感》 大衆演劇「鹿島順一劇団」のラストショーで見聞した、二代目・鹿島順一の歌声が忘れられない。(2023.12.8)
53「未練ごころ」(詞・西沢爽 曲・遠藤実 歌・こまどり姉妹) 《寸感》 昭和38年に作られた映画「非行少女」(監督・浦山桐郎)の一場面に挿入されたこの曲が忘れられない。以下は、2年前に綴った私の駄文である。 (2023.12.7)
52 「水色のスーツケース」(詞・井田誠一 曲・利根一郎 歌・灰田勝彦) 《寸感》 「どこかで誰かが呼ぶような」気がして旅へ出た。荷物は水色のスーツケース、その中には「消えた恋の花束・秘めた歌の数々・数え切れない夢の花束」が入っている。悲しみを忘れるための旅が、南へ向かっ...