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2016/05/14

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  • 「道」について

    昔は道は大切にしたらしい。よく時代劇で、街道を掃除したり水をまいたりしているのを見かけるが、あれが道を大切にしていた頃の名残かもしれない。現代では道は移動のための便利な施設に過ぎなくて、道を大切にする気持ちなんてあまりないし、使いっぱなしで整備は国や地方自治体に任せっぱなしである。しつけの悪い人たちは道を汚したりゴミを捨てたりすることに何のためらいもない。こんなところから公徳心や倫理や伝統が廃れてゆくのだろう。昔(江戸時代)は道、特に街道と言われるものは一般の人達は走ってはいけなかった。走れるのは飛脚か火消しか早馬であったという。一般の町民はひたすら静かに歩いていたのである。また、大八車という二輪の運搬具も道が滅茶苦茶になるという理由で街道は通れなかった。下駄を履いて歩くのも不届き者で、草鞋を履いて、荷物...「道」について

  • 科学的根拠

    健康のためウォーキングをしている。もう始めてから20年以上にもなる。歩きながら常にどのように歩いたら理想的かと考えながら歩き続けている。もうそろそろ結論が出そうであるが、未だに理想を追求しながら歩いている。一生かけたら世界的にも素晴らしい成果が出るのだろうかと思ってはいるが、誰も相手にしてくれないだろう。タダの自己満足ではあるが、これはこれで私なりの現時点の結論である。自分でも素晴らしいと思っているし、機会があれば世に向けて発表したいくらいではあるが、すでに誰かが発表しているかもしれない。歩くときに、大きな球の中で歩いている自分を想像するのである。球の中心は頭のてっぺんである。この球を転がすつもりで歩くのである。両脚の長さは身長の約半分であるから、半径が足らないために身体全体で補正してやらなければならない...科学的根拠

  • 一部と全体の話

    一部が悪いから全体が悪いという言い方がある。これも一つの考え方ではあるが、悪いのは一部であって、この一部を良くすれば何も問題はなくなる。全体が悪いと言われるのは、こんな悪い一部を生み出した責任の一端が全体部分にもあるという意味で悪いのであって、全体の全てが悪いわけではない。だからと言って、この一部を否応もなく切り捨ててしまうことが最善の方法とは思えない。全体部分を見直して必要な部分は改善していかないとまたぞろヘンテコな一部を生み出してしまう。一部が悪いのは見直すための絶好の機会であり、その悪い一部を良く観察し分析して教訓事項を見出して全体部分の改善につなげなければならない。これを無視して見直しをしなかったら全体部分の悪いところがじゃんじゃんと広がって最終的には全体が悪くなってしまう。当然ながら悪い部分が見...一部と全体の話

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