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私のタイムトラベル https://blog.goo.ne.jp/sky_bluetopaz

これまでの私達家族の歩みを振り返りながら、ひととして在るべき生き方を探っていきます。

Sky Blue Topaz
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2015/07/05

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  • Merry Christmas☆

    今日はクリスマスちいさい時から1年中でこの日が一番好きだった。“ほら、サンタさんの橇の音が聞こえるやろ”と父が言うと子供たちはみんな一斉に“ふん,きこえるきこえる”と調子を合わせる。空を駆けるトナカイの鈴の音が聞こえ、サンタの長い白いひげが見えた。宿舎に住んでいた遠いむかしの頃のはなしである。『子供部屋にはときどきまほうがおこるものなのだ』(“折々のことば”から朝日新聞'18.12.24.)今年もまた<34丁目の奇跡>を見る。リメイク版でない1947年作の映画の方が断然いい。目下家探し継続中、悪戦苦闘の我々にこんなサンタさんがいてくれたらな、なんて思いながら。大文字の記事を投稿してから2カ月以上が経った。あと1週間ほどで今年ももう終わる。どこかで私のブログを読んで下さる方たちがいる。そう思うと何だかとても勇気づ...MerryChristmas☆

  • 大文字郷愁

    大文字も終わり涼やかな秋を思わせる風が吹いている。お盆に帰省した弟も一緒に白鷺家のお墓にお参りした。お花を供え、ろうそくに火をつけ、お線香をあげ手を合わせる。お墓は誰も参った気配はなく、ただひっそりとしていた。その昔、お盆は祖母・松子さんを中心にいつもそれぞれの家族が集まってずいぶん賑やかなものだった。そして大文字を見ながら家族一同、賑やかなバーベキューを楽しんだ。庭にゴザを引き、にこやかに談笑している黄門さまのように風格のあった松子さんを思い出す。松子さんはきわめて、生産的、建設的な人だった。そして賢明で生活術に長けていた。母はそんな松子さんを質素、倹約の権化、特上の主婦、妻の鑑、母の鑑、と讃嘆の眼差しだった。しかし松子さんはその生涯の果てに<八十八の升搔き>注1が意味するところの幸せには浴さなかった。松子さ...大文字郷愁

  • Where are we going?

    ひとは死んだらさみしい四十九日のみちのりをあるくだれがかんがえたのでしょうかさばきの門をくぐらなければちゃんと目的地にたどりつけないなんてにんげんみんなそんな約束事がこころに沁みていたらやさしい道に生きるでしょうにただしい道を歩くでしょうにあなたはどんな道をあるくのですかあなたのゆきつく先はどこですかWherearewegoing?

  • 家族の変質

    "わたしは皆に平等"が口癖だった松子さんから竹子伯母・梅子叔母・四郎叔父が蒙った恩恵は眼を見張るほどのものがあった。そして我が家は、と言えば、そうではなかった。そして<終わりよければすべてよし>というふうな結末にもならなかった。たとえほんの少し民法が改正されたとしても物事はどうにも解決はつかない。つきようがない。人間というものの存在の底知れぬ複雑さのゆえもある。戦後の家族法の改正は、さまざまな問題を孕んでいて、それは時間と共にじんわり人の心に浸みこんでいき、やがて家族間を結ぶ暖かい感情の代わりに権利とか義務とかいう無機質な意識が人と人との間に割り込んでいくことになった。相続におけるもめごとは決して我が家に限ったことではない。もちろん我が家のようなケースばかりでもない。母の実家の変わることのない穏やかな家族関係も...家族の変質

  • 白鷺家の収支決算

    両親は祖母・松子さんに尽すだけ尽した。父が長男だったこと、勤務先が実家のごく近くだったこと。そして何よりも親孝行だったこと。・・・父の長男意識は松子さんによってしっかり培われ、父の心の奥深くにしっかり根付いていった。若い時から家のことはもちろん対外的にもずいぶん長男としての役割を果たしてきた。しかし松子さんの意識は、祖父が亡くなりそして、竹子伯母が九州から帰ってきて少しずつ変化していった。実家近くに居を構えた竹子伯母は実家に入りびたりとなった。名目は<松子さんの世話をするため>である。(わたしたち、ちゃんといるんですけどね・・・・)たとえば、2008年に松子さんが硬膜下血腫で入院した時のこと。病院の看護師さんたちは「90歳にもなってなにもかも自分でやるなんてえらいですねぇ、ごはんも、洗濯も!?すごいですねぇ」ま...白鷺家の収支決算

  • 昔のお姑さま(2)

    裏の畑の土を庭に運んだときのこと同居に際して母は祖母・松子さんの大いなる洗礼を浴びた。母の悲劇は松子さんがすこぶる働き者で、母はすこぶる怠け者だったことによる。物置部屋のカーテン作りから始まって、流しの下に洗面所の下(そこには年代物の台所用具が所狭しと煩雑に押し込められ、おまけに、ゴキブリの糞だらけだった)、そこに収められている古い道具類の整理片付け、掃除、雨戸磨き、300個ものチューリップの球根植え、松子さんの部屋の入り口にかけてある古いのれんの修繕。完璧主義の松子さんはこの際、考えられる限りの家の仕事をやっておきたいと思ったのだろう。ナシの木町に行くたびにわんさか用事が待っていた。ところで松子さんには人にモノを頼むとき、独特の言い方があった。たとえば、家の座布団カバーやこたつカバー作りを頼むときには「どっち...昔のお姑さま(2)

  • 昔のお姑さま(1)

    ちょうど我が家建設中のこと、母は桃の木町からせっせとナシの木町に通っていた。ほとんど家が完成しかけていた頃、突然、お風呂で祖父が亡くなった。葬儀後、疲れのたまっていた祖母・松子さんは一カ月近く寝込んだ。その頃の話しでお花を床の間に飾った時のことである。寝間着に茶羽織をはおって、松子さんが台所で母を呼んだ。「ユキさん、ちょっと。わたし、風邪でまだ水がさわれへんさかい、ここにある花、渡してくれはる?」床を見るとバケツにたくさんの花がほり込まれている。母は言われるままにバケツから指定の花を取り出して一本ずつ松子さんに手渡す。それを受けとっては松子さん、活けてゆく。活けあがると出来上がったそれを「持って来とおくりやす」と母に持たせ廊下を静かに歩いてゆく。母は花器を持って松子さんのうしろから水がこぼれないようにそろそろつ...昔のお姑さま(1)

  • 椿ちゃん、現る

    祖母・松子さんが亡くなって以来、一度も姿を見せなかった椿ちゃんが突然子供を連れてやって来たのは4月中旬の事だった。「ご無沙汰しちゃって・・・年賀状も出さないでごめんなさい・・・お母さん、腰悪いのでなかなか来られへんかったの」そう言って、今度自分の都合のいい日に竹子伯母と一緒に片付けに来るからとスマホで応接、松子さんの部屋、座敷などの様子をぱちぱち撮って帰っていった。遠い日、白鷺家のトラブルを真剣に心配した唯一の従姉の椿ちゃん。「おばちゃん、おかあさんの藤田嗣治の絵、ここに掛かっていたんだけどどこかしら?」「一番最初におかあさん持って帰らはったわよ、家のどこかでほかの荷物と一緒に紛れてるんじゃないの?」「おばちゃん、おかあさんが“〇※△☆□(明治時代に活躍した明星派の歌人)が、ひぃばあに宛てた葉書知らないか?”っ...椿ちゃん、現る

  • 2018年 7月6日のニュース

    2018年7月6日のニュースがわたしの目に飛び込んできた。民法改正が賛成多数で可決成立した。実務上の問題をできる限り減らす改正がされるということだが、わたしが興味あるのは、”相続法”、のところだ。この家において、これまであまりに理不尽な現実に遭遇して来たからだ。この改正を私のオジサンオバサンたちはどう受け止めているだろう。今、私たちは新しい家を求めて奮闘中。住み慣れた我が家を売却するため奮闘中。祖母・松子さんの没後、松子さんのお世話をしていた両親に何の感謝の言葉もなく、遺産分割の話し合いの際にはこんな言葉も飛び出した。「イチロウさん、時代はどんどん変わるのよ」「ユキサンは(相続には)関係ない」「イチロウさんが*遺言書出したら、私は遺留分を請求するつもりだったのよ」こんなことがよくも言えたものだ*松子さんは以前父...2018年7月6日のニュース

  • ヘレンさん達と過ごした懐かしい日々

    BigBendへリオグランデ川楽しいひとときーヘレンさんの息子・ノーバートさんの家でーアメリカから帰国した約2年後、私たち家族は父の実家に引っ越した。1986年3月30日、それは仏滅の日だった。私が1993年5月、晩年をドイツの老人ホームで過ごされていたヘレンさんに出した手紙は、ドイツ語で“Verstorben(死亡)”と、スタンプが押されて、送り返されてきた。ヘレンさんと私たち家族との交流は10年間で終わりを告げた。ヘレンさん達と過ごした懐かしい日々

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