日本でテレビ放送が始まったころの、映画の音声、ラジオ放送、テレビ放送の電子機器は真空管全盛時代でした…つまりトランジスターは実用化前でした。真空管使用機器をガスステートと云い後のトランジスタ機器をソリッド・ステートと呼ばれました。ーーー音声機器のテープレコーダーの中を覗くとミニチュア真空管がズラリと並んでいます。同じくテレビカメラ、そしてあとから登場するビデオテープレコーダーの中もミニチュア真空管がズラリ並んでいました。ーーー真空管がズラリ並んで、電気が流れていると、それぞれの真空管のフィラメントが小さくて赤く点灯している姿は可愛くて綺麗でした…。ガスステート時代
前回は、テレビカメラのことを書きましたが゛、テレビ放送はスタジオだけではありません…スタジオの隣に副調整室が続きます。ーーースタジオの映像、音声を調整する機材がズラリ並んでいます。テレビカメラを調整するCCU、カメラの映像を切り替えるスイッチャー音声機材、テープレコーダー、LPレコードを再生するプレイヤーが、ほとんど国産品で占められていました。ーーーLPレコードを再生する二連のターンテーブル、オイルダンプアームとカートリッジはすべてデンオン製の国産です。ーーーこの副調整室で整えられた映像と音声は次に主調整室に送られます。この部屋の機材も国産品でした。テレビスタジオと副調整室
映画撮影所に入社した私でしたが…、考えるところが、あつて?放送局つまりテレビ局へ転職しました。私の転職の考えや、経緯に関してはいずれ記しますが…ーーーテレビスタジオでは、どんな機材が使われているか興味津々でした。まず、テレビスタジオの主役、テレビカメラはなんと、東芝製の国産です。そして装着のレンズは日本光学のニッコールでした。このレンズは35㍉カメラ用をマウントを変更して装着されています。ーーーカメラのターレット盤には4本レンズがそれぞれの焦点距離が35㍉、50㍉、85㍉、135㍉です。国産名レンズがズラリです。私はすっかり嬉しくなりました。テレビカメラはすべて国産
戦後、日本はカメラやレンズに優秀なものが誕生して、世界か注目するようになってきました…昔は、ドイツ製のカメラやレンズが優秀というのが常識?でした。ーーー学生時代の私は日本製のカメラ、レンズそして、暗室用品の引伸し機、そのレンズなど全て国産品で揃いました。そして、日本の普通写真界は国産品で整いました。日本の写真界が国産品で溢れていたのに日本の映画界の現場は何故か国産品が観られませんでした。ーーー普通写真の道具がほとんど日本製なのに動画の映画界は、なかなか日本製が入れませんでした。新しく動画の世界に登場したのがテレビでした。映画はフィルムで制作するのに新しいテレビは、全て電気処理です。この同じような動画の世界ですが、後発のテレビ時代の到来で、現場で使用する機材に、日本製つまり国産の機材が入ってきました。テレビ業界の機材
戦前の日本映画界の映画機材は全て舶来、つまり輸入品でした。ーーー戦後、日本の光学メーカーは力をつけて、普通写真つまりスチールのカメラやレンズは素晴らしいものでした。日本のカメラは世界に輸出されました。ーーー普通写真のカメラ、レンズ、そして暗室用品の引き伸ばし機、そのレンズ、印画紙、現像薬品、など写真の世界はすべて、国産品で占められました。ーーーしかし、戦後の日本の撮影所の機材は相変わらず輸入品でした。カメラはアメリカのNCミッチェル、フランスのパルボ…ドイツのアリフレックスなど。国産レンズで優秀な富士フィルムのシネクリスターなど作られたのに…レンズも輸入のエクターやバルターなどでした。日本映画機材の謎
新しいワイド画面映画のビスタビジョン方式は撮影するフィルムの画面が今までの標準サイズの倍ですからカメラの構造も、全く新しいものになりました。ーーー今までの日本映画の撮影機の標準機がNCミッチェルでした。この新しいビスタビジョン撮影機もミッチェル社が作りました。ーーー日本映画製作の撮影所の機材はすべて輸入機材で占められていました。撮影機はもとより附属のレンズ録音機材も輸入品でした。日本映画機材は輸入品
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