猫飼い歴33年。猫が何を私に教えてくれたのかじっくりと振り返ってみます。
猫と暮らして33年の月日が経ちました。たくさんの喜びや多くの失敗を重ねながらも猫との生活は続いています。 彼らとともに成長してきた自分や家族をじっくりと見つめ直したい。 by きむら ぱた
日に日に成長していく可愛い仔ネコ(もう親バカ一直線です)名前はやはり友人のハンドルネームから頂いて「ルー太郎」と名づけました。↓生意気そうですね~! ↓ママと一緒。 ↓重蔵に捕まった(笑) これらの画像ではすでに判らなくなっているのですが、ルー太郎は生ま
9日目。前日からミルクの濃度と温度に少し手を加えてみた。栄養の吸収をよくするにはどうしたら良いのだろうか?考えたあげく温度を少し上げて濃度も濃くしてみた。するとどうだろう!元気が出てきた!キャマぷぅの乳首に吸い付くようになったのだ!やったあああ!!!飲ん
“最後の手段”とは、カテーテルだった。注射器の先に直径3ミリほどの長いチューブをつけて、それを直接仔猫の胃の中に入れミルクを一気に流し込むというものだ。 保育器の中の未熟児の赤ちゃんのチューブとよく似ている。 先生がやり方を教えてくれるものの、見て
翌日になり残りの2匹の様子がおかしくなってきた。お乳を飲まなくなったのだ。ぐったりしている。体重も70グラムの子が60グラムに、65グラムの子はそのまま。危険だ。 その日も母が来ていた。90分おきのミルクも3日目になった。 まともに寝てなかったので頭がぼーっと
そのまま眠る事もできずに朝になり、子猫が生まれるのを楽しみにしていた母が朝一番で飛んできた。小さい孫が生まれたかのように喜んでいる。 しかし、無事に生まれて良かったものの経験者は知っているのだ。 K先生、ブリーダーさんにも連絡をしたが両者とも“かなり
可愛いばかりで今まで猫に対して(というより生き物に対して)本当の苦労をしていなかった事にここで初めて気がついた。「夢の猫ファミリー」って簡単に言っていたけれど、“出産”って本当に生死を分ける大変なことだった。陣痛促進剤のお注射の後、速攻自宅にK先生が
2000年春。キャットショーにハマりそうになりはじめた頃、キャマぷぅに異変が起こりました。そう。待ちに待ったご懐妊!これはもうショーどころではなくなってしまった。シーズンが来た日から出産予定日を計算。3月15日~20日までの間にターゲットを絞り込みました。
★キャットショーのルール★結構複雑です。私が理解してる範囲で書きますね。 パーテションで4区画にジャッジが別れています。2日間で8リンク回ります。(8人ジャッジが変わる) まず審査されるに当たってクラス別になります。初めての出場の場合はOPN(オープン)と
1999年9月の終わり頃、以前ロン太のお写真を撮ってくれた新美敬子さんとブリーダーさんが 「大人になったロン太をまた撮影したい」との事で我が家にやってきました。その際に「キャットショーに出してみれば?」とおだてられまして…。出しちゃいました…とうとう。元々ギャ
第5稿で書いた「仲良くなった大学生たち」(以下、東海'S)のお陰で、色々とPCのことを教えてもらい、何故か派遣で小・中学校の先生方へのコンピュータ入門なる講師をすることになった。あれよあれよとその後は教育センターや教育研究所、はたまた市内の教員の為の情報教育
猫は人間とは違って365日ずーっと発情期って訳じゃあない。ある季節になると急にソワソワし始めて目つきも怪しくなって…。1999年春。米国ではクリントン大統領のスキャンダルで大騒ぎをしていた頃。 来ちゃったのです…ソレが…早いっ!ロン太がまだ1歳にもなら
私が猫とばかり遊んでいるので重蔵がヤキモチを妬いている?…ちがぁ~う!仔猫を構ってばかりいるからロン太が嫉妬している?…ちがぁ~う! 実は、あんなに私にまとわりついていたロン太がキャマぷぅに夢中なのだ。私のことをぜんぜん構ってくれなくなった…しく
「今度は女の子貰ってくるからね~!」の宣言は冷やかしではない。断じて!「冗談だと思ってたの?」唖然としている重蔵にサラッと言う。ちょっと気持ちが良かった(笑)ブリーダーさんにお電話をして仔猫ちゃんの状況を聞いてみると、ちょうど生まれて間もない
昔の彼に会うのなら~♪みたいな歌をユーミンが歌っていたような、いなかったような…。 そう、どうしても初代ロン太と比較をしてしまうのだ。「シャム猫ロン太はこんなことしなかった。でもあんなことはした。この子はしない…etc…」猫も種類が違うと、こんなにも
ブリーダーさん宅からの帰宅途中に実家へ寄り、二代目ロン太を母に見せた。ロン太が亡くなって真っ先に飛んできたのが母だったからだ。「ロンちゃんがお骨になって帰ってくるのを見るのは嫌」と、そそくさと帰ってしまったのだが、父が脳梗塞で亡くなって丁度1年と少し。昔
ここで少し休憩です。 このブログは現時点で以前、自身のホームページのコンテンツとしてあった『猫道を究める!』の一部を校正して書いています。1998年から2004年くらいまでチョコチョコとFTPで更新していましたが、SNSの登場でmixiに移動しさらにFacebookやTwitter
さて、初代ロン太がお骨になって帰ってきました。 可愛い骨壺だ。我が家には庭は無く家の端っこに少しだけ土の部分があり、燐家との境界ギリギリの場所だが生前、外に出してやるとよくその辺りで遊んでいた。この日の午後、会社を半休して帰宅した重蔵が「ここにお墓
遥か彼方のローン返済は考えずに淡々と日々は過ぎていった。 1996年9月(平成8年)「これからはパソコンができないと仕事もらえないから」という建前(実はインターネットをやってみたかった)で購入したのはいいけれど、物理的な配線は重蔵がやってくれたが「後は自分で
ベルリンの壁が崩壊しクェート奪還のために多国籍軍が空爆を始めた89年から91年初めの頃、日本はまだバブルに浮かれていた。「いつかはお母さんになるのだから」という理由で会社を辞めたのだが、その目標が消え去ったとき何をしたらいいのかが判らなかった。とりあえずは
「お子さんは?」結婚すると必ず聞かれるこのフレーズ。「うちはまだなんですよ~」とここで話が終わればいいものの、「あら、早く生んだ方がいいわよ」余計なお世話だ。「やっぱり子育てしないと女は一人前になれないものね~」ここまで言われるともうセクハラ。結婚は早
さて。社内恋愛20歳で結婚というのはかなり早かったらしい。確かに結婚式の写真を見ると「借金のかたに売られる小娘」のようで顔が子どもなのだ。重蔵は5歳年上だったのであの時代では結婚適齢期ではあったものの互いに人としてはまだまだ未熟者。そんな二人の間に“猫”がや
猫を飼う。猫“に”飼われる。猫が家族になる。猫とともに生活をする。猫に愛情をそそぐ。山ほどそそぐ。猫と別れる。そしてまた猫と一緒に生きる。この繰り返しの中には私の成長があり、そして家族の生き方があるのではないか。人生の折り返し地点を越えて、ふと自分が猫と
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