「わたしの名によってわたしに何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう」 今日の福音(ヨハネ14.7-14)でイエスは、弟子のフィリポにこのように言います。しかし実際には、神に願ったことの全てがかなえられるわけではありません。なぜイエスはこ
週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去
「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤヘ行
声をかぎりにたたえようほまれに満ちる勝利のたたかい光り輝く十字架の凱旋世を救われたいけにえの勝利を今日、聖金曜日・主の受難の典礼で、十字架の崇敬の際には、十字架賛歌が歌われます。 十字架刑は、古代ローマにおける最も残酷な刑罰です。受刑者は、
「ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」 今日の福音(ヨハネ13.1-15)で
一同が食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」弟子たちは非常に心を痛めて、「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。 今日の福音(マタイ26.14-
ペトロは言った。「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます。」イエスは答えられた。「わたしのために命を捨てると言うのか。はっきり言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう。」 今日の福
わたしたちの王である主よ、わたしたちの過ちをあわれんでくださったのはあなただけです。 今日の詠唱はこのように歌われます。人間の常識では、過ちを犯した人は裁きの対象と見なされるでしょう。 しかし、神は過ちを犯した人を哀れんでくださる方です。そ
同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」 今日の福音(マルコ15.1-3
わたしたちの救い、わたしたちの神よ、あなたは地の果ての望み、遠い島々の希望。わたしたちに答えて救いを現し、驚くべきしるしを行われる。 今日の詩編(詩編65.5,6)はこのように歌われます。イエスが活動していたパレスチナからはるか遠い地で、二
主に向かって歌い、主を賛美せよ。主は貧しい人の魂を悪事を謀る者の手から助け出される。 今日の第一朗読(エレミヤ20.10-13)にはこのように書かれています。この言葉は、貧しい人の救いを神頼み、神任せにしているのではないのだと思います。 神
神を捜し求める者よ、心から喜べ。神にその力を求め、いつもその顔を慕い求めよ。 今日の詩編(詩編105.3b+4+5,6+7+8a+10b)はこのように歌われます。これは、神に出会った人が喜ぶ歌ではありません。神を捜し求めている人に「喜べ」と
あなたの栄光、聖なる神殿の中であなたに賛美。すべてにまさりあなたは代々にたたえられ、あがめられる。 今日の詩編(ダニエル補遺・アザルヤ29,30+32)はこのように歌われます。聖なる神殿で神を賛美することの中には、もちろん、教会で神に祈りを
幸せな人、あなたの家を住まいとし、絶えずあなたをたたえる人。 今日の詠唱はこのように歌われます。「あなた」は神のことですが、「あなたの家を住まいとする」とはどのような意味でしょうか。教会に住み込めばいいのでしょうか。 もちろん、そういうこと
悪を行う人が死ぬことなく、神に立ち戻って生きることを神は望んでおられる。 今日の詠唱はこのように歌われます。善を行う人、すなわち愛に生きている人は、神と共にあります。それは、すでに救われているということです。 神は、すでに救われている人とだ
「わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる」 今日の福音(ヨハネ12.20-33)で、イエスはフィリポとアンデレに
イエスの言葉を聞いて、群衆の中には、「この人は、本当にあの預言者だ」と言う者や、「この人はメシアだ」と言う者がいたが、このように言う者もいた。「メシアはガリラヤから出るだろうか。メシアはダビデの子孫で、ダビデのいた村ベツレヘムから出ると、聖
主はしいたげにあう者のそばにおられ、失意の人を支え、主はそのしもべの魂をあがない、より頼む人を滅びから救われる。 今日の詩編(ヨハネ7.1-2,10,25-30)はこのように歌われます。神は弱い人、虐げられている人と共におられる。そのような
神はわたしの唯一の望み、わたしはあなたにより頼む。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。神が唯一の望みというのは、教会に行くことや、祭壇の前で祈ることの中にしか望みがないという意味ではありません。 神との出会いはこの世界のあらゆる所にあり
神の行われることはすべて正しく、そのわざはいつくしみに満ちている。助けを求めるすべての人、心から祈る人のそばに神はおられる。 今日の詩編(詩編145.13cd+14,17+18)はこのように歌われます。しかし私たちの人生には、神の正しさなど
神よ、わたしのうちに清い心を造り、あなたの救いの喜びをわたしに返してください。 今日の詠唱はこのように歌われます。清い心で生きることは、喜びや楽しみに背を向けた苦行のような生き方ではありません。 そもそも、神の前で清い心を持つ人とはどんな人
生きるために悪ではなく善を求めなさい。主はあなたがたとともにおられる。 今日の詠唱はこのように歌われます。善ではなく悪を求める人はほとんどいないでしょう。悪人ではなく善人でありたいと願うのが自然な感情ではないでしょうか。 しかし、何が善で何
「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」 今日の福音(ヨハネ3.14-21)でイエスは、ファリサイ派で最高法院の議員でもあるニコデモにこのように言います。ここでイエスが言うように、神は裁く方
「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のよ
「神に立ち戻りなさい。神の国は来ている」と主は仰せになる。 今日の詠唱はこのように歌われます。これは、「世の終わり、終末が近づいているから、その準備をしなさい」と警告している歌ではないのだと思います。 確かに、形あるこの世界には、いつか終わ
海は神のもの、神に造られたもの。陸も神のもの、神に形造られたもの。 今日の詩編(詩編95.5+6,7+8)はこのように歌われます。この歌は、単に海も陸も神がお造りになったという事実を伝えたいわけではないのだと思います。 神に造られたものには
神はほかの民にまだ示されず、そのおきては知られていない。 今日の詩編(詩編147.12+13,20+12)はこのように歌われます。この歌が作られた時、イスラエル民族は、自分たちが神に選ばれた民であると考えていました。この歌にもその誇りが込め
心からわたしに立ち戻りなさい。わたしはいつくしみと恵みにあふれる神。 今日の詠唱はこのように歌われます。これは、どんな罪を犯しても、何度も神に背を向けても、神は必ず私たちの罪を赦し、迎え入れてくださるという意味でしょう。 心から神に立ち返り
わたしは神を待ち望み、その言葉に希望をおく。神はいつくしみと救いの恵みに満ちておられる。 今日の詠唱はこのように歌われます。私たちは、この地上でも神の声を聞くことができます。耳で聞くことはできなくても、祈りの中で、そして、人々との会話の中で
イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。イ
あなたのような神がほかにあろうか、咎を除き、罪を赦される神が。神は御自分の嗣業の民の残りの者に、いつまでも怒りを保たれることはない。神は慈しみを喜ばれるゆえに。 今日の第一朗読(ミカ7.14-15,18-20)にはこのように書かれています。
あなたは嘆きを喜びに変え、あら布を晴れ着に替えてくださった。 今日の詩編(詩編30.2b+4,11+12)はこのように歌われます。私たちが喜びを味わうためには嘆きの時が、晴れ着を着るためにはあら布を身にまとう期間が必要なのかもしれません。
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「わたしの名によってわたしに何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう」 今日の福音(ヨハネ14.7-14)でイエスは、弟子のフィリポにこのように言います。しかし実際には、神に願ったことの全てがかなえられるわけではありません。なぜイエスはこ
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたを
「皆互いに謙遜を身に着けなさい。なぜなら、『神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる』からです。だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます」 今日の第一朗読(�ペトロ5.5b-
「わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。わたしを拒み、わたしの言葉を受け入れない者に対しては、裁くものがある。わたしの語った言葉が、終わりの日
ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、
わたしの心はなぜ、うちしずみ、思い乱して嘆くのか。救いの神に希望をいだき、かつてのようにみ前に進み、賛美の祭りをささげよう、わたしの救い、わたしの神に。 今日の詩編(詩編42.3+4,6)はこのように歌われます。この歌い手は今、嘆きの中にあ
「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる」 今日の福音(ヨハネ10.11-18)で、イエスはこのように言います。
そしてそこで、中風で八年前から床についていたアイネアという人に会った。ペトロが、「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい」と言うと、アイネアはすぐ起き上がった。リダとシャロンに住む人は皆アイネアを見て
サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」 今日の第一朗読(使徒言行録9.1-20)にはこのよ
フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、「読んでいることがお分かりになりますか」と言った。宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。
「父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない」 今日の福音(ヨハネ6.35-40)で、イエスは人々にこのように言います。イエスが誰も追い返さないと言っているにも関わらず、教会の人
空しい偶像に走る者を避け、わたしはあなたにより頼み、いつくしみを喜びうたう。 今日の詩編(詩編31.6+7,15+16a+17b)はこのように歌われます。偶像崇拝とは、形のある像を拝むことだけではありません。神ではないものを神とすること、あ
偽りの道からわたしを退け、教えを授けてください。わたしは真実の道を志し、あなたのさばきを心におさめる。 今日の詩編(詩編119.57+58,29+30)はこのように歌われます。どの道が偽りの道で、どの道が真実の道なのかを正確に見分けること
神はわたしを選び、ご自分のものとされた。神は、わたしの叫びに耳を傾けてくださる。 今日の詩編(詩編4.2,3+4,8+9)はこのように歌われます。聖書には、「神が人を選ぶ」という意味の言葉が度々書かれています。それを読んで、キリスト教の価値
「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、�霊�と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することに
神に生きる人々の中で、わたしは神の美しさを仰ぎ見る。神を待ち望め、強く、たくましく、神を待ち望め。 今日の詩編(詩編27.1,13+14)はこのように歌われます。神の姿を直接見たり、声を直接聞いたりしたことがある人は少なくても、人間の心や行
主のまなざしは正しい人に、耳は彼らの叫びに。主は正しい人の声を聞き、悩みの中から救ってくださる。 今日の詩編(詩編34.9+10,16+18)はこのように歌われます。この歌は、正しい人の叫びや悩みは全て神にお任せしようという意味ではないよう
主はわたしたちの祈りに心を留め、すべての恐れを遠ざけてくださる。 今日の詩編(詩編34.2+3,4+5)はこのように歌われます。神は、私たちの祈りの全てを、私たちの望むそのままの形でかなえてくださるとは限りません。 しかし、私たちが心から祈
使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、お
わたしは人々のつどいの中で、あなたの救いのわざを告げ知らせ、けっして口を閉じることがない。神よ、あなたはそれを知っておられる。 今日の詩編(詩編40.6,10)はこのように歌われます。復活したイエスは天に帰る時、弟子たちに「すべての民をわた
サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。 今日の第一朗読(使徒言行録9.1-20)には、迫害者サウロの前に復活したイエスが現れ、回心へと導かれていく様子
「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」 今日の福音(ヨハネ6.44-41)で、イエスは人々にこのように言います。今、私
その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。 今日の第一朗読(使徒言行録8.1b-8)にはこのように書かれています。この直後に「散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩
「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」 今日の福音(マルコ16.15-20)で、天に帰る前のイエスは、弟子たちにこのように言います。「全世界に」とはいえ、もちろん、全ての人が海外宣教に招かれているわけではないでしょう
そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」 今日の福音(ヨハネ6.22-29)にはこのように書かれています。イエスが言う「神
わたしは絶えず神を思う。神はわたしのそばにおられ、わたしはけっしてゆるがない。 今日の詩編(詩編16.8,10,11)はこのように歌われます。「絶えず神を思う」とはどのようなことでしょうか。生活の全てを祈りや黙想に捧げるということでしょうか
そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。 今日の第一朗読(使徒言行録6.1-7)にはこのように書かれ
それで使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び、最高法院から出て行き、毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシア・イエスについて福音を告げ知らせていた。 今日の第一朗読(使徒言行録5.34-42)では、捕らえられ
主により頼む人はしあわせ。彼はその恵みを深く味わう。主をおそれよう。主をおそれる者は乏しさを知らない。 今日の詩編(詩編34.9+10,16+18)はこのように歌われます。主により頼む人、主をおそれる人がなぜ幸せなのか。それは、主、すなわち
神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。 今日の福音(ヨハネ3.16-21)にはこのように書か
信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。 今日の第一朗読(使徒言行録4.32-37
「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである」 今日の福音(ヨハネ3.1-8)でイエスは、最高法院の議員でありながらご自分を訪ねてきたニコデモにこのように
「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」 今日の福音(ヨハネ20.19-31)で、復活したイエスはトマスにこのように言います。トマスがいない時に弟子たちの前に姿を現したイエス。それを知って「あの方の傷に指を突っ込ん
「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」 今日の第一朗読(使徒言行録4.13-21)でペトロとヨハネは、議員や長老、律法学者たちにこ
ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。 さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。 今日の福音(ヨハネ21.1-14)には、復
アレルヤ、アレルヤ。きょうこそ神が造られた日、喜び歌え、この日をともに。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。「神が造られた日」が今の暦で何月何日なのかを知るすべはありません。そもそも、それを知ることには何の意味もな
イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。 今日の福音(ヨハネ20.11-18)は、復活したイエスがマグダラのマリアと出会う場面を描いています。最初、マリアは自分が会話
しあわせな人、神の恵みを受け、その喜びに生きる人。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。神の恵みは、必ずしも人間の願いや望みと一致するとは限りません。その時は痛みや苦しみとしか思えなかった出来事が、後になって恵みだったと気付くということ
週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。 今日の福音(ヨハネ20.1-9)にはこのように書かれています。この後マグダラのマリアは、復活したイエスと最初に出会うという栄誉を