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タコ社長52
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オーストラリア
出身
東村山市
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2016/03/18

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  • 思わず手が伸びて買ってしまった、、、

    私は、メルボルンでもセブでも、顔が広いというよりはデカいと言われて久しい。更には、頭もデカい。 ちょっと前の話になるが、メルボルンで自転車に乗るためにヘルメットを買いに行って往生した。合ったサイズが

  • フィリピン人の仕草から、、、

    男女区別なく鼻をほじる、つばなどを吐く、立ちションをする(これは男性だけ)、などフィリピンにきてフィリピン人の仕草で気になることがある。日本でも、ちょっと前までは馴染みのことではあったが、今はあまり見

  • こんなヤクザな私でも、ときどきは自分の人生を顧みたりもする。 その5

    「じゃ、日本に帰って大使館からの連絡を待ちます。」 1986年の9月に,私はレストランマネージャーで永住権を申請して日本の東村山に戻った。それまで約10ヶ月、サウスヤラにあったレストランで働いた。 「そ

  • 間もなくメルボルン、、、

    28日いメルボルンに戻る。今回は、ほとんどレストラン「秋田」の仕事になった。元々、高級日本食をご提供できるわけではなく、B級グルメをコンセプトとしてスタートさせたレストランだから、日本人の方には気楽に

  • こんなヤクザな私でも、ときどきは自分の人生を顧みたりもする。 その4

    「タコさん、時給にしたら2ドルちょっとですよ。酷いですね。」 ワーホリで、メルボルンのレストランで一緒に働いていた九州からきていた修一が言った。修一は、20代前半の男女4人で同じツーランクのフラットに

  • 里芋の煮たのとかが、、、、

    昭和の30年代の初めが幼少期だった。皆、競えるくらい貧しかった。 六畳と四畳半二間の警察官住宅に住んでいた。ある日、うらの8人家族の中山さんの家に行ったら、子供たちはご飯に醤油をかけて食べていた。

  • そろそろメルボルンに帰らんと、、、、

    4月の末にはメルボルンに戻る予定だったが、セブで秋田という日本食レストランを開いて水商売にどっぷり浸かってしまっていて戻るのが遅れている。 秋田を誰よりも愛してやっていくのがオーナーでなかったら、こ

  • 光る人材が、、、、

    フィリピンのセブで「秋田」という日本料理店を初めて4週目になる。 3年前に始めた英語学校とは違って、スタッフも7人で規模は小さい。学校は80人近くいる。 そんな中で、1人の女性のスタッフが目に付く。

  • セブで人生を顧みたりみなかったり その3

    「タコさん、すごく奇麗な女性が下に会いに来てるわよ。どこでああいう人見つけるの?」 これ以上の嫌みはないという勢いのある言葉を、勤めていた日本料理屋の女将から言われた。ご主人はオーストラリア人の日本人

  • セブで人生を顧みたりみなかったり その2

    こんなヤクザな私でも、ときどきは自分の人生を顧みたりもする。 その2 「エイズだけは気をつけろよ!」 オーストラリアに渡る前に、父から貴重なアドバイスを受けた。私の性向を知ってか知らずか、なかなか含

  • セブで人生を顧みたりみなかったり、、、

    こんなヤクザな私でも、ときどきは自分の人生を顧みたりもする。 昭和27年の6月に、世田谷の三軒茶屋、元陸軍の厩舎跡に作られた警察官住宅で生まれた。父は栃木、母は秋田の混血だ。そしていわゆる、自慢した

  • セブで「秋田」というレストランを開いてみて、、、

    フィリピンでは、フィリピン人の事業家の投資先の選択肢が限られているので、畢竟飲食業への投資が多い。物作りに対しての投資が増えることがこの国の将来に必須ではあるが。 そんな訳で、レストラン、カフェなど

  • フィリピン、セブでB級グルメの日本食レストランを目指す

    セブでは、ここのところ日本食の高級店がどんどんできている。巡り合わせから、セブで日本食レストランを、英語学校に続き第二の事業としてやることになった。毎日、準備に追われている。 私自身、シェフでもなく

  • 人を殺めたことのある寡黙なフィリピン人ジョンは、、、

    「あそこにいるジョン、実は父のボデイーガードなんですが、実は、今までに人を2人殺しているんです。」 そう言われてジョンを見てみると、小柄で笑顔の絶えない40がらみの男性。セブの中華系フィリピン人の友

  • 憧れのシドニーを後にして、、、

    シドニーの新宿歌舞伎町、キングスクロスが私のオーストラリアでの生活の出発点だった。日本から、わけも分からず予約をいれた簡易ホテルに1ヶ月ほど投宿した。1985年の6月のことだった。 ヨー ロッパのカフェ文

  • ストリップ小屋の経済学とは、、、

    東京は池袋の西口の、落語で有名な池袋演芸場をもう少し行くと何とも妖しげな店が立ち並ぶ路地がある。因に今、投宿しているセブの路地裏は怪しくて怖過ぎる所もあり、どこまでも突き進んでしまいたくなるが。 大

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タコ社長、気取ってみて始まらない海外日記
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