朝のひんやり感 今の時季 一日でいちばん過ごしやすい時間帯って朝日の出前後の時間 夜のひんやり感がまだそのままで 空気が温まっておらず 大気中の湿気が露になり あるいは霧になって草の葉に降り注ぐ そんな時間帯
神奈川の田舎寺の僧侶が、日頃の出来事をつれづれなるままに綴った日記ブログです。
主催者は、親鸞の教えに生きる平凡な僧侶。日常の出来事や、ニュース、ご門徒とのコミュニケーションで見えてきたことなどを、筆に(キーボードに)まかせて綴った随筆ブログです。 楽しく、時にはうーんと唸りながら読んでいただけたらと思います。
「さようなら」ということばが死語になりつつある そんなことが 以前の新聞に出ていた産経新聞社が大阪市内で街頭インタビューをした所 20〜70代の男女30人中 21人(約7割)が「さようなら」を使わないとの回答だったという年代別では
場所の「ふるさと感」というのがある でも 時間にもまた 「ふるさと感」というのがあるのではないか そんなことを ふと思う瞬間がある 現実に疲れ ふっと段ボールの底から「発掘」した古いアルバム&nbs
ぼくは30代のころ 大学や専門学校の非常勤講師を掛け持ちでやっていた 忙しくて昼食がとる時間はほとんどなく 朝から夜遅くまでぎっしり授業をしなければならないこともあった 夏の暑い時季は体力の消耗が激しく ある7月初めのこ
今日から ゴールデンウィークに入る 今年は 今日を含めた29日までの三日間と 来月3日から6日までの四日間と ふたつのかたまりになる そのかたまりの間の三日を有給などで休暇をとれば 何と十連休になるのだ &nb
ぼくらの生活って インターネットやSNSなどの情報を通して とても便利になった ここ数年 にわかに さまざまな生活情報が ここにいながらにして瞬時にわかるそして 自分の思いや意見が それらを通して瞬時に 世界に発信できる
男って助けを求めるのが下手 近頃 そんなことをよく感じる月参りでお伺いするお宅 最近は高齢者の一人住まいのお宅が増えた独居世帯のほとんどが女性である 何年か前に夫に先立たれて・・・ というケースが多い。彼女たち
先日 こころのゆとりが「伝染」するということを書いたら 何人かの方からメールをいただいた自分も実感として受け止められるという内容だ さまざまな生活の中での体験が語られ 読んでいて刺激をいただいたそんな中で 改めて「伝わる」というこ
北海道でソメイヨシノが咲いた そんなニュースがネットに出ていた 関東より1か月ほど遅い「春の訪れ」だ春って 何となく気持ちが開放的になる 冬の間は出不精だった私も 今の時期ちょっと近くの公園に行ってみようかなという気分に
便利と不便ってつながっているんじゃないか・・・(´・ω・`)
ぼくは基本的に 法事のお参りは自転車を使うことにしているぼくのいるお寺は 神奈川の農村部 昔ながらのご門徒は ほぼ寺から半径3キロぐらいの円の中に収まるだから ほぼ自転車でも十分行ける距離なのだ 自転車は快適 (#^.^
かなり以前のことだが 秋田県内のある小学校で児童が育てた鶏を解体して食材にするという授業が 保護者の反対で中止になるというできごとがあった このような試みはしばしば 教育者やいのちの問題の意識の強い養鶏関係者によって一般になされる
ぼくは 名前を覚えるのが苦手であるお寺ってよく「客商売」だなんていわれる 批判的ないみでね「商売」かどうかはさておき ご門徒や参拝の方たちという来訪者を相手にする場面が多いことは確かだ今朝も法事の予約に来られたご門徒さんに対応したが 顔は覚
「福子伝説(ふくごでんせつ)」というのをご存知だろうか?「福子」というのは 障がいをかかえた子ども日本には昔から こういう子を大事に育てると福が招かれてくるという言い伝え・伝説がある だから 家族や周囲は そういう子どもをたいせつ
庭のボタンの花が そろそろ咲き始めた私のいる寺の境内には 約300本のボタンが植えられている毎年 ゴールデンウイーク前になると丸い大きな花が咲き 近隣の方から 遠くは小田原や横須賀の人まで わざわざ寺のボタンを見にきてくださる昨日も夕方 リ
うぐいすの声がうつくしい 🐤朝掃除をしているとさわやかな声でほーほけきょと鳴く 寒い時季を終え ゆったりとした春の盛りを思わせる響きであるうぐいすはスズメ目 スズメの親戚になる山梨県や福岡県の県の鳥であるほか 日本の多くの市
最近 小学校と中学校時代のアルバムを整理しているぼくの小学校時代って もう半世紀も前写真も古ぼけて色が変色し 天然の「セピア化」をしてしまっている子ども時代だった1970年代 始めの方の写真は、まだモノクロだ自分が写った写真の背景
昨日は久々にご法事が一件入った 入佛法要だ ご自宅のお内佛(お佛壇)のご本尊三幅の掛け軸 今回引っ越しをされて改めてお内佛を求められ ご本山から取り寄せた御本尊の入佛を ということだ 浄土
ぼくらは日常の生活の出来事について あまり深く考えるゆとりをもたない 世間並み 人並みにふるまう 世間並み 人並みって無難 そう考えている でも 普通と思っていることを一皮むいてみると じつは普通でな
四月も中旬 気候も穏やか けれどこの時季って 気候が春モードから初夏モードになったり かと思うと寒さに逆戻りしたりと とても不安定 そんな中 心身のバランスを崩し 心や体を病む人が多くなる時季だともいわれる&n
古い手紙を整理する そうしたら 今から20年前に恩師からもらった手紙が出てきた 今から7年前に亡くなった恩師 その恩師に 就職の相談をした答えの手紙 読み返してみると 30代そこそこだった
時間の流れって平坦じゃない 5日前の衝撃的なできごとって 昨日の平凡なできごとよりあざやかな記憶に残ったりする 人間の記憶って 合理的じゃない いやな記憶 悲しい記憶って 早く忘れようとする 楽しかっ
ご法話で 地方のお寺さんに行く そんな時 休憩がてら 近所のモール街に車を停め 時間調整したりすることがある 地方のモール街に立ち寄ると いろんな素敵な拾いものがある その土地独特の匂い そんなものを感じること
ヒノキの花粉がピークである毎年3月の下旬あたりから 私にとってつらい時季になる花粉症だ寒さもゆるむお彼岸すぎあたりから 毎日の生活でマスクが手放せなくなる私は子どものころからアレルギーになりやすい体質だった鶏肉のアレルギー 給食なんかで鶏肉
本堂の入り口正面に 椿の花で飾った花御堂を据えるお釋迦さま誕生のお祝いの日 さっそく 子ども連れのお母さんがやってきて甘茶を誕生佛に注ぐ子どもに用意した袋入りのお菓子を渡す うれしそうな顔をして受け取ってくれた・・・(#^.^#)
頸動脈切断に失敗し「ごみ」として廃棄される 年間50万もの鶏たち
食肉用の動物たちの繁殖 安価で大量の食肉や卵が 食品ディスカウントなどに出回っている肉の消費量は 年々増え続け それに乗じて 業者も種の「改良」を行い 繁殖力が高く 「低コスト」で早く肉用に出荷できる遺伝的「改良」を 動物 特に鶏
65歳以上の人の全人口に占める割合が26%を超えている 今のこの国 つまり 4人に1人が「高齢者」 日本は名実ともに 世界最高の高齢社会 年少人口は 一方で 相変わらず伸び悩んでいる 高齢
以前 インターネットをみていたらおもしろい記事をみつけた怒ることと叱ることの違いだぼくらは言うことを聞かない子どもや 仕事の部下なんかに怒ってしまうことがある 感情的になって 口汚ない言葉なんかでねでも 「怒る」と「叱る」って違う
毎朝 お勤めで読む蓮如さんの御文 それを見ていると その当時の時代背景がよく見えてくる本願寺の門徒集団を 社会というか 当時の世俗権力が どう見ていたか どういうクレイム・要求をその最高責任者である蓮如に押し付けていたか どんなト
今日は午後から 来週の花まつりの準備を始める お釋迦さま誕生佛のたらいを乗せる花御堂を 物置の奥から引っ張り出した 一年間のほこりをはたきではたいて 本堂の脇にもって来た お釋迦さまの誕生会って 親
桜が満開だ・・・(^◇^)境内の樹も 近くの公園の樹も まさに絶好調といった感じだ先日までの雨が上がり 一気に温かに その勢いで にわかに開花した 今年の桜 いいものだなって思う満開の桜を見ていると 日本人に生まれてよかったなんて
4月1日 新しい年度がはじまった各地で桜のたよりが聞かれるこの時季は 何か新しい命の息吹みたいなものを感じさせられる時季でもある4月って 佛教関係の行事が多い来週の月曜日 つまりちょうど一週間後はお釋迦さまが生まれた「灌仏会」(か
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朝のひんやり感 今の時季 一日でいちばん過ごしやすい時間帯って朝日の出前後の時間 夜のひんやり感がまだそのままで 空気が温まっておらず 大気中の湿気が露になり あるいは霧になって草の葉に降り注ぐ そんな時間帯
7月のお盆も過ぎ いよいよ夏も本番 子どもたちも夏休みが近いらしいご門徒さんのお宅の高校生も 週内に期末試験が終わると言っていた 今年は空梅雨で 雨が少なかった 水不足が心配されるし また夏の後半の台風シーズン
熱中症ギラギラ照り付ける日をイメージしがちだが ほんとうは曇って湿度が高い日が意外と危ないのだとかこれからは台風のシーズンということもあり 湿度がマックスな状態になる時季だから適度にエアコンをかけ 食べ物などの衛生管理はきちんとして食中毒な
昨日から7月のお盆期間 お盆は7月に勤める所と 旧暦に則って8月に勤める場所とがあるうちの寺でも 地域によって7月8月まちまちだ 農村部では概して8月が多く 都市部のエリアでは7月が多い一応そんな区分けはできるけれど か
凶悪な事件が起きる そんな時世間はその容疑者に 厳しい眼を向ける その人の成育歴 仕事の状況 人間関係 それに通院歴 病歴などまでもが 洗いざらい暴露され 少しでも非難されることがあれば まるで鬼の首を取ったように 針小棒大にはや
基本的には テレビを見ずラジオを聴く生活そんな生活パターンがぼくにできたのは いつごろだったかふり返ると 大学に入って独り暮らしを始めたころから もう40年以上前からだったと記憶するラジオを主体とした生活テレビは視覚をともない だから「なが
毎年夏になると このブログで書いていることだけれど 夏という季節には どこか儚さが漂う その無常感にはいろんな要因があるけれど ひとつにはそれが 戦争のイメージと強くかかわっていることがあるようにぼくには感じられる&nb
近所の福祉会館でアイマスク歩行の体験会があった 視覚障がい者になった場面の疑似体験コースアイマスクをして 付き添いの人の合図で歩いてみる体験 視覚が取れないでもリードしてくれる相方が 「そこに段差がありますよ」とか 「右
夜の静寂感 憩いの雰囲気夏ってそんなものをひとしお感じる 日中の猛暑外歩きしているとすごい疲れがたまる体が暑さに対する防御をしているのか細胞が必死に 蓄積された熱を外に放出させようとしているのか 一日が終わると かなりの
ものすごい雨が降った朝けれどそれが通り過ぎると 茂みで鳥たちの声がする せみの声がする 何もなかったように いつもと全く変わらぬ様子で ぼくらは ちょっとした雨でも動揺するまして大雨で宿る所がなければ おろおろし大騒ぎす
7月7日七夕の日の朝 どんより曇った天気今夜は天の川が見られるだろうか? この時季は水っぽい 大気中の水分が多くなる時季なので ちょっとした気温の変化でも結露しやすいだから窓なんかでも びしゃびしゃになったりす
以前 伊勢神宮に行ったら 境内で鶏が飼われていた 神官の方にうかがうと 鶏は神の使いとされ「神鶏」と呼ばれているという 日本の神話に出てくる神様って大体 使いとしての動物(神使)をもつ(よく知られているのは稲荷神の狐だが
日中は猛暑 けれど そんな一日が終わった夕刻の涼しさよ 一日のしんどさも何も すべてこの一瞬のためにあるのではないかと思えるような夏の夕刻の涼風にはそんな憩い感がある 夏の夕刻や夜の楽しさや憩いのひととき&nb
電力の消費量がマックスになる時季がきた 電力会社や政府は節電を呼び掛ける けれど連日の猛暑エアコンの付けっぱなしで 今年も電力消費量はかなり高まりそうな雰囲気だ 電気のない生活 現代のぼく
蒸し暑い7月の日の午後 冷蔵庫で冷やした梨がおいしく感じられる 梨と言えば二十一世紀梨がまず思い浮かぶ 現在は鳥取 長野が名産地とされるこの梨実はそれとは離れた千葉県松戸市(かつての八柱村)がその発祥の地だという&nbs
人生の一日一日は 喩えて言えばランニングの一歩一歩 7月の初めは一年の中間点 つまり折り返し地点だ 正確には 昨日の24時あたりがちょうど真ん中だったらしい 毎年おきまりの感慨だが・・・ あっという間
今日から7月 一年の後半に入ったそれだけのことなのに 何か空気が新鮮なものに入れ替わったような感覚を覚える 不思議なことだ 7月の旧名は ふみづき もっとも旧暦なので 今の7月終わりから9
梅雨前線が表れては消えたり今年の梅雨は不可解 そんな感じ 長雨のじめじめは確かに鬱陶しい けれど・・・降るべき時に降らないと困る人たちがあり 困る草花や野菜がある そもそも 日本の農作業のスケジュール自体 梅雨の降雨を前
体調がすぐれぬ日が続く気温の変化に 体がついていけないからだろう でも こういうことがあって ひごろの健康のありがたさが 身に染みて感じられる 健康ってあたりまえのものじゃないそんなことを 自分がいかにわかっ
6月もあさってまで 6月の終わりはちょうど一年の半分 つまり折り返し地点 毎年同じようにぼやいていることだけれど・・・ 半年経つのは 本当に早い! ついこの間 新年の用意とかでバタバタやっていたのに&
日本人は英語を 学校で6年以上学ぶ けれども 普通の会話やヒアリングさえほとんどできない なぜなんだろう? ずっと疑問に思っていたお隣の韓国や中国では ある程度学べば会話や聴き取りができるようになるようだ&nb
7月もなかば過ぎ 例年なら梅雨の末期だけれど 今年の波動も関東地方はどうも空梅雨で終わりそう 最も先日の雨で愛媛では土砂災害があり 山口とか九州も大変だったけれど 雨がないのはいいこと ぼくら一般人
人間って恐怖に駆られると極端に走る 振り込め詐欺が無くならない 詐欺の犯人も それに引っかかる被害者も これだけ世の中が 詐欺の手口を紹介し気を付けなさいとか 不審があったらすぐ通報しなさいとか&n
人は疲れてくると なぜか海を見たくなる ぼくの住んでいる地域は 神奈川でも内陸だが 寺の仕事の合間のオフの日などには よく車を走らせ 湘南の海岸に行く 海岸に行って 何をするわけじゃない 浜辺に腰を掛け 目を閉
ぼくらは子どものころから 食前に手を合わせて「いただきます」という習慣を親や教師から教えられてきた この「いただきます」って 食膳に供されるいのちに対して「いただく」ということぼくら自身のいのちをつなぐために 他のいのちを「いただ
うちの寺のある地域では お盆はほとんどが8月に勤められる でも 中には7月の今の時季に勤められるお宅もある お盆って佛教行事(もともと佛教でなかった祖霊信仰を取り入れたという部分もあるけど)でも 季節の行事で
今日は12日 関東地方は一般に7月にお盆をする家が多い 明日13日が そのお盆の始まりだ うちの寺でも 昨日あたりからちらほらお参りの人が増え始めた もっとも 農村地帯なので お盆のお参り(お盆経)は
鳥たち 虫たち そして時々顔を出すけものたち・・・ うちの寺の境内には そんな生き物たちがいる 庭の樹の梢に くさむらの大きめの石の下に 墓地の奥の茂みに 彼らは強い そんなことを時々思う
ぼくは 年に二〜三回ほど地方に行った時などに温泉に入る 寒い時季の温泉ってたまらない 体の芯から温まるって感じ・・・(^◇^) 温泉の記号って ♨だ ちょうど くらげをひっくり返したような形昔 学校
パソコンの動きが悪い・・・”(-“”-)” 古い型の端末 なので 時々フリーズしたり 動作が重くなったり そんなことが起こる 知り合いのパソコンショップの人に尋ね
人は夢を見る さまざまな可能性に自分を託しその可能性の中に夢を見 それを人生の杖とする 辛いとき 苦しいとき 行き詰った時すらその夢を思い出して がんばりの杖とする でも 人生って時に そんなぼくの
安らかな死って すべてのいのちの理想 死に際に苦痛や心配事がなく 穏やかな気持ちで往きたいってどんな存在 どんないのちでも思うもちろん 人間でも いわゆる癌などの病名を隠したりするのも その配慮だろう・・・ 命
人間って不安な存在 どんな地位をもち どんな財産をもち どんな人間関係をもっても どこか不安をかかえる 不安の救いやはけ口をもとめている そう 虎視眈々とね 人間って不安をかか
・・・よろずやは雑貨や生活用品を扱う店 都市郊外のその地は開発がまだ進んでおらず のどかな田舎の雰囲気が残っていただからお客は地元の農家の人たち 主人とはまったくの顔なじみだ この街に鉄道の駅を造るという計画
寝ている自分に蚊が飛んでくる夜中 起きて蚊取り線香を焚く 昼間の疲れの中に寝入るぼくに その安眠をさまたげる蚊ほど煩わしいものはなく 起きて明かりをつけ 部屋の中を見回す修羅の形相のぼくがいる&nbs
地域のこどもに安価で食事を提供する子ども食堂 現時点で 全国に7万か所以上開設されているという 子どもの貧困率が6人に1人といわれるこの国 10年ほど前に子ども貧困対策法が施行され その後 社会的に
7月に入り 夏休みが近い 海に山に 楽しい旅行を計画! どこへいこうか 海なんかいいかもしれない そうだ ネットで検索してみよう! さっそくスマホで「神奈川の海 旅館」を検索する
人間って 安易な道に落ちやすい ここちよく 耳あたりがいい世界 得する 儲かる 自分が守られる そんな世界に 狡猾に 老獪に世を渡ろうとする者は そういう人間の弱さに たくみに取
以前 伊勢神宮に行ったら 境内で鶏が飼われていた 神官の方にうかがうと 鶏は神の使いとされ「神鶏」と呼ばれているという 日本の神話に出てくる神様って大体 使いとしての動物(神使)をもつ(よく知られているのは稲荷神の狐だが
答えは目の前にある すなおになればいい それだけのこと なのに どうして人間って意地を張るのだろうか 人の親切を歓べず すなおにそれを受け止められない 答えは 道は 目の前にある