今日のDailysayingsの言葉によると自分の無いということが一番のんきだ自分があるから下手に悩んで苦しむ。矛盾しているなどと考えたらそうして考えること自体が余計なことで考えて解決できるとは限らない。理屈は落とし穴なのだ。ひらめきに打開策あり御心のままになさしめ給え世界人類が平和でありますように自分が無いということが一番のんきだ
世界人類が平和でありますように毎日これだけはクリアーしようと思っていることが可燃物のゴミを出すこと何と自分ても驚くほど冷蔵庫の中に食べ残しの食料が残っている食べなけれは棄てれば良いのにそれができない。納豆。残り物に成りやすい。豆腐もついつい残って古くなる。それらを全て処分したときの気持ちの良さは最高だ。これも消えて行く姿である。自分の周りが少しずつ綺麗に成ることの喜びがある。世界人類が平和でありますように一番暑い夏は過ぎた
世界人類が平和でありますようにあのことも書こう、このことも書こうとメモしておいたことが、時を逃してしまうと忘却の彼方に記憶が曖昧になり、何にも書けなくなってしまうことがある。私の知る93歳のおばあちゃんはこの何十年日記を書いているとのことだ。半分惚けてしまったかのような日常の繰り返しの小生にとって惚けない事の秘訣が日記を書くことにあったのだと知った。日記さえつけておけば事実が自分の味方をしてくれる。そんなことはありませんでした。それは只のあなたの妄想ですということが成り立たなくなるからだ。それでも立川談志のあの「芝浜」の落語のように夢と現実の絡み合うところの芸術があれほどまでに人を感動させてくれる。ある程度夢の中にいるような人間も可愛らしいではないか。世界人類が平和でありますように記事にしようとしていたことがなくなる感覚
今日も一日が終わる。カラスか何を相談していろのかもう直ぐに暗くなる山間でうるさいほどだ。カラスのことはカラスに任せよう。早く家に帰り一人寂しく夕食である。世界人類が平和でありますように陽が暮れる
穏やかな夕陽を浴びて他に何も望んでいない自分がいる。毎日同じことの繰り返しのように時は過ぎ去る。でも父や母は今この時私を見守ってくれている。そう信じて私は生きて行く。父よ母よそしてそのまた父と母とに繋がる永遠の命世界人類が平和でありますように永遠の命
あの日差しの強い夏は今では少し懐かしい。窓辺の南部風鈴の音色が心地よい涼しさをもたらしてくれる。今年は一度も海水浴に出かけることはなかったが、誰かに頼んでも、全身蕁麻疹の痒さで苦しむ肢体を海水に浸らせることが出来たらと願っていたが、それが叶う事はなかった。救いと言えるものがあった。顔面神経痛になったり、はたまた全身蕁麻疹になったりするその原因がはっきりと分かっていたことである。世界人類が平和でありますように私はこの祈りと共に生きて行く。今はもう秋
今まで廃車すれは良いものを倉庫代わりに使ったりときにはウィスの犬小屋として利用していた愛車ワゴンRとサヨナラすることにした。思えばドンネルに入って視野が真っ暗闇になづてしまいハンドルを思わず右に切り、側溝にぶちあててしまった。車の芯が曲がってしまい、修理出来ないと言われる状態の車を私は何とか我が家の駐車場までかえってきたのだった。まるで何事もなかったかのように。ウィスも私も怪我をしなかったことに誰もが驚いた。この車か身を守れるくれたと考えることもできた。車の後部ガラスにはMayPeacePrevailonEarthのシールが貼ってあった。駐車場を広く使おう
世界人類か平和でありますようにこの祈りの言葉と共にこれからも生きて行く。日本が平和でありますように日本を愛し日本という国に誇りをもって私達の天命が完うされますように私達一人一人には天命があるのだということを信じ守護霊さま守護神さま五井先生ありがとうございます自分の守護霊にいつも感謝するそしてこの祈りを教えてくれた五井先生に感謝するこの3ヶ月ほど私は顔右半分を顔面神経痛に冒され、それが少し治りかけてきたと思えば、今度は全身を蕁麻疹に襲われるという人生これ以上ないほどののどん底を味わった。しかも、この原因まで分かってしまったのだ。それが黒住教宣教師だったのだ。それを悟ってからの私達の行動は早かった。さっさと黒住教には見切りをつけさせてもらった。願わくばこれから先最悪の偽善者とあう事なきを願う。世界人類が平和でありま...私の誕生日(8月16日)
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