日本の小さな島で育った,小さなバレーボーラーの小さな挑戦記。
ひょんなことから出願した青年海外協力隊(JOCV)。自分を変えたくて…見つめなおしたくて…バレーボールが大好きで…グアテマラまで来ました!! 苦手な語学に苦戦するも、スペイン語が好き!只今、絶賛奮闘中!! ”H27年度3次隊”にて#グアテマラ 派遣予定→派遣(25/12/2015)
2016年9月4日(日)、28回目の誕生日を迎えた。 自分の想像していた人物像でもないし、想像していた環境で迎える誕生日でもなかった。 当然誕生日は日本で迎えるって思っていたし、むしろ海外で生活なんて… もっと立派な大人になっていると思っていた。
さて任地での生活も200日を超えた。 ここまで、前任地でのもろもろや、任地変更、活動のフラストレーションなど、 いろんなことを感じてきましたが、 そのご褒美ではないですが、 自分ために頑張った賞をと思い、 8月頭にあるものを
8月25日(木)。10時間の移動ののち、チキムラ県はイパラに到着。 なぜかコスタのルートを通ったため、10時間。首都を通れば6時間弱で着いたんだけどな。 そんな、キツキツの車内で10時間移動をしてまでイパラに来た理由は、 Campeobnato Regio
明日で赴任200日になろうとしている。 この200日で何ができたかは、まだ分からないけど、カウンターパートや、子供達と少しずつ良い関係を築けている、それだけでも大きな一歩かなと。 さて、今日は初めて家族と外出を
ご無沙汰していました。全然更新していません。 今日は朝から計画停電。 前日夜10時半まで活動があったため、風呂に入らず就寝。 そしたら朝になって『今日計画停電だったの〜言うの忘れてた』とママ。 おいおいと思いながら、ベットリした髪に
3日間のイサバル滞在を経て、再び首都へ。 6時間かけ、さらにはバスターミナルの変更により、タクシーでターミナル→SEDE(隊員連絡所)50分。 やっぱり日本は便利だなーと感じます。 グアテマラで一番栄えている首都でさえ、都市計画の失敗?により、
さて報告も終わり、次の調査へといきたいところでしたが、先方と連絡がつかず、 JICAの指示により一時イサバルへ帰ることにになりました。 グアテマラの西側(ウエウエテナンゴ)はとても涼しく、イサバルから行った私には寒いぐらい。 実際、1日半ほど高
さて、今日はウエウエテナンゴの要請調査の報告会ということで、 首都のJICA事務所に行き、所長、調整員、私の3名で要請の報告、確認、今後の動向確認を行った。 今回の旅は以下のようなものであった。 まず、 首都から6時間ほどかかるウ
ウエウエテナンゴから首都に帰ってきて4日。 まだ滞在を続けている理由は,次の候補地からの連絡がまだ来てないからだ。本来ならば今頃次の候補地へ到着し,現地の様子を見ているところであるはずだったが… ここはグアテマラ。そんなにうまく物事がとんとん
任地に着いて100日目。 私は首都にあるボランティア連絡所(通称:SEDE)にて生活をしている。 というのも、遊びに来ているわけではない。 今後を決める大事な仕事のためだ。 イサバル県プエルトバリオス市での活動はというと、前回の投稿の翌日
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